2015-06-30

「帰還」からの出発

和歌山電鐵の三毛猫「ウルトラ駅長」の「たま」が亡くなったことと和歌山つながりで関係あるのかないのか…。

ふと昨年1月に91歳で亡くなった小野田寛郎さんのことが頭に浮かびました。

和歌山生まれで、敗戦から後の29年間も、戦いを続けたて、フィリピン・ルバング島から日本に帰還した人物です。

帰国は1974(昭和49)年でした。

おいくつのときだったのか、と思ってしらべたら、
誕生日(3月19日)の1週間前の3月12日に羽田空港に降り立っておられます。
51歳のとき…52歳になる直前ですから、
ほぼ今の僕と同じ年齢です。

そのとき、僕は小学5年ですから、
当時の自分の年齢の3倍近い期間、
ジャングルに潜伏して戦闘を続けていたというのは、
ドラマでもないようなことだと驚きましたし、
今でも、その感覚は変わらないのですが、
当時の印象を思い浮かべても、
小野田さんが51歳だったとは思えません。

2015-06-29

「才能」の「代用品」

以前、『ウンベルト・サバ詩集』(みすず書房)から
「仕事」という作品を引用して、
自分で生きるために宝をさがす人のように深く掘らないと、ということを書いたことがあります。

意図もニュアンスもちょっと違いますけど、
村上春樹も「走る小説家」として自分自身について綴った本走ることについて語るときに僕の語ること』(文春文庫)で、
「掘る」ことに言及しています。

小説家にとって一番重要な資質は「才能」で、
次に「集中力」、続いて「持続力」だと書いている文章のなかで、
「才能にそれほど恵まれていない」作家たちは「集中力」を養い「持続力」を増進させて「才能」の「代用品」として使うことを余儀なくされる…と述べています。

そして、そこで培われた「筋力」で、
「スコップを使って、汗水を流しながらせっせと足元に穴を掘っているうちに」「自らの中に隠されていた本物の才能に巡り合うこともある」と書いているのです。
その「本物の才能」を「秘密の水脈」とも形容しています。

2015-06-28

産まれたことに気づいていますか?

「世界中から心を揺さぶる“すごい!”動画や画像を集めて独自の視点でお届けする」というキュレーションメディア「FunDo(ファンドゥ)」のなかに「彼は自分が産まれたことに気づいていないそうです」という記事がありました。

「爬虫類や鳥類は自分で卵の殻を割って産まれてきます。しかし、人間の帝王切開と同じで、外から産まれるのを助けてあげる必要がある場合もあります。このカメレオンの赤ちゃんはその例で、自分で殻を割っていないので産まれたことに気付かなかった様子です」…とのことで、
ほとんどタマゴのかたちのカメレオンの赤ちゃんの写真が掲載されています。

「そうかぁ、
この赤ちゃんは産まれたことに気づいていないのかぁ」と写真を見つめたわけですが、、
はて…僕は一体いつ産まれたことに気づいたんだろう…と考えてしまいました。

もしかしたら、
まだ気づいていないのかもと、思うと、
気づいていなような気もしてしてきました。

2015-06-27

「理想」は危ない

タモリの「夢があるようじゃ人間終わりだね」
…という言葉に我が意を得たりと思ってしまう人間です、僕は…。

タモリが言ったら、それなりに含蓄があるでしょうけど、
僕が言っても、湿った爆竹ほどのインパクトも影響もないのは理解しています。

ごめんなさい、すみません。

「夢」というのは現実には叶わないので「夢」であって、
「夢の実現に向けて頑張っています」という声を聞くと、
(心の中で小さく)
「夢なら叶わないし、かなうなら夢じゃなくて単なる目標やん」と思ってしまいます。

そういう意味で僕も「夢」なんかありません。

小学校のころから作文で「わたしの夢」みたいな題が出されても、
「これは夢というより、妄想みたいなもんで」と書いて、
「この部分はないほうがいいですね」と先生に注意されていましたし、
面倒なので「夢は世界平和」って書いたこともあるほどです。

考えてみれば嫌なガキでした。

僕が教師なら絶対に、こんな小学生を教えたくありません。

ただ男なんで、やはりアホです。
小学5年くらいまで、
ショッカーが僕を捕まえて、
仮面ライダーに改造してくれたらいいのに、
と真面目に考えていました。

2015-06-26

嫌よ嫌よも…

いくらユニークなアイデアでも、
簡単にマネができることを、
一番最初にやると、
イニシャルコストが二番煎じグループより大きくなって、
それよりも少ないコストでスタートした後発組(=二番煎じグループ)に負けてしまう…という説があります。

ビジネスの上の話で、
定説なのかどうかは知らないのですが、
どこかで聞いたことなので、
話した方の、その場の思い付きだったのかもしれませんけど、何となく納得できます。

簡単にマネができるというのは、
アイデアそのものが特許的に独占できないケースなんでしょうけどね。

実際、PCのGUIはもともとアップルのアイデアではないし、
ウィンドウズ95が出たときも、
Macファンからは「どこが新しいねん」と突っ込む声が聞こえてきました。

ただ、この流れが簡単にマネができることに当てはまるかどうかがわかりませんし、
簡単にマネをできるのに、
されないケースもあります。

それはビジネスから視線をずらせば、枚挙にいとまがないほど。

たとえば、
毎朝、笑顔で元気にあいさつするとか…。

これくらい簡単なことはなさそうです。
もちろん設備投資が必要なわけじゃないし、
道具も特別の技術を身につけていなくても問題ありません。

食べ過ぎないとか、
飲みすぎないとか、
無駄遣いをしないとか…。

こういうことも簡単です。

でも難しい。

状況により難しいことがあるかもしれませんが、
満員電車で、
お年寄りに席を譲るなんていうのも、
スキルが必要だとか、
検定があるということは聞いたことがありません。

簡単にできて、
良いことなのにやっていないことって多そうです。

逆に簡単にはできないし、
なぜか、多くのヒトがやっていることってないですかね。

良し悪しというフィルターを抜きにすれば、
スポーツや楽器の演奏はそうですね。
道具も技術も鍛錬も必要なのに挑みます。

それは楽しいとか、
勝ちたいなどという動機や報酬のようなものがあるからでしょう。

つまり「快楽」が行動につながっいるようです。

逆に言えば、
「不快」なことはしたくない。

そして、されたくはない。

自分が嫌なことは他人にするな、という、ものすごく簡単な言葉にまとめられます。

ところが、
自分がやられたら嫌なことも、
自分が他人にやるときは、
同じ行動だと認識できなければ、
「自分が嫌なことは他人にするな」という戒めも役に立ちません。

やられたら嫌だというのが明白なことでも、
他人にやってしまうヒトもいます。

これは、
(1)自分は、その嫌なことをされる心配がないからやってしまう
(2)自分されて嫌だったので仕返しをしている
(3)快感だからやっている
…というケースが考えられます。
また(4)嫌がっているのではなく喜んでいると誤解してやっている…のもあるでしょう。

嫌なことをされている場合、
自分がみじめにならないように、
一見、喜んでいるように装うヒトもいるような気がします。

また嫌なことも、色々あります。
スーパーのレジで並ぶのが嫌なので、
割り込んだら、注意された。
その叱責が嫌だったのでキレたという「嫌」もあるわけで…。

こうなると、
自分が嫌なことは他人にしないという戒めは、
単なる無関心になって、
無秩序にもつながってきます。

また、難しいことに、
「嫌よ嫌よも好きのうち」なんていう男女の情の複雑な機微もあって、
なかなか「嫌」ひとつでも一筋縄ではいきません。

つまり、
結局、世の中から「嫌」なことはなくならない。
どうも、完全になくなっても、それはまた難儀のようで…。

「嫌」なことに、どのように対処して、
取り返しのつかないように工夫する、
それしかないんでしょうね。

そういう意味で「嫌煙権」はかなり対処が進んだ例なのでしょうけど、
「嫌煙」という言葉が残るかぎり、
タバコにまつわる「嫌」は存在するということでしょうね。
タバコがこの世から消滅すれば別ですけど、
それが健全だとも思えません。

2015-06-25

道頓堀・角座で普通ではない状況が…

2015年6月25日午後 大阪・道頓堀

きょう(2015年6月25日)は代休でした。

梅雨だとは思えないような爽やかな、お天気で。

洗濯を済ませて、
谷町で鍼を打っていただいてから、
日曜日(21日)に食べたばかりだというのに、
また、クリスタ長堀の「インデアンカレー」で、
お昼ごはんをいただきました。

それからテクテクと心斎橋商店街を歩き、
戎橋から道頓堀へ出て、
「角座」の「日中(ひなか)はなしの会」を聞かせていただきました。

開演は午後1時です。

座席は126だそうで、
70歳以上とみられる方を中心に、
8割くらいの入りだったと思います。

笑福亭飛梅さんの開口一番(動物園)のあと、
笑福亭呂好さんが「狸(たぬ)さい」を演じられまして、
もともと、
お年寄りの私語が多かったんですけど、
どうもザワザワしている。

次の桂咲之輔さんが登場してマクラに入るものの…。
客席が普通ではない状況で…という話になりました。
ここで、
最前列に座っていた僕が咲之輔さんの目線の先を追うと、
救急隊員さんが劇場に入ってくるではありませんか。
その様子を咲之輔さんが説明するように“実況”されまして、
客席で80歳くらいの男性が体調を崩したらしく、
救急車が呼ばれたようです。

その男性は、意識もあって、その場ではそれほどの重篤でもなかったようで、
救急隊員さんに付き添われて客席の外へ出ていかれました。

気にかかる…。

そんな空気が会場に充満してまして、
咲之輔さんは、
お客さんに、お願いし、
舞台への登場から仕切り直されました。

不思議なもんですね。

アクシデントというか事件を共有した効果なのか、
客席の一体感が高まりまして、
それまで、おばちゃんの私語や、
数人のグループでタコ焼きを分けあって食べていた混沌とした空気が変わったんです。

これがナマの劇場の醍醐味ですね。

寄席は「一期一会」だという噺家さんは多いですけど、
それを実地に学んだ気がします。

高座に上がる噺家さんはマクラで、
寄席は客席と舞台の共同作業だと強調されることが多いです。

その日のお天気、世情、季節、観客の構成…。
同じ組み合わせは奇跡でもない限りありえないわけで、
「一期一会」はアタマではわかっていたんです。

でも、きょうみたいなアクシデントがあると、
腑に落ちる深さが違いますね。

単純に、
ライブで同じ空間にいるのがよくて、
生中継や録画のほうが劣るというわけじゃないんです。

ここが説明しにくいんですけど、
ライブで会場で観るのほうが価値が高いといいたいわけじゃないんです。
生中継や録画のほうが、
面白く見られる場合もあるでしょからね。

ただね、
きょうみたいなアクシデントの空気は会場では独特のものがあります。
なぜなら、
同じ空間を共有している人々があらゆるかたちで当事者意識を持ちやすいからです。

でもね、
メディアを通じた生中継や録画、
さらにはものすごく古い記録でも、
本当は当事者意識を持つことが必要なものが多いんではないのかな、と、あらためて思いました。

メディアを仲介すると、
当事者意識が薄まるのは、
メディアを担っている人々が他人事だと思っている度合いにもよるかもしれません。

ただ、
難しいのは、
事柄によっては他人事だと突き放さなければ、本質が見えない事象もあることです。

つまり思い入れし過ぎたり、
自分の考えを正当化するために当事者になりすぎると、
誇張や歪曲が生じる可能性があるということです。

ここで「だからマスゴミは…」といってもどうしょうもありません。

「事象」と自分との関係性を的確に把握できる能力の涵養が大切だということです。

ちょっと視点をずらして言い換えれば、
「いい人」の言うことが正しいとは限らないということです。

SNSでもそうなんですけど、
人気者や自分が好きな人間の主張が自分にとって「いいね!」とは限らないという単純な話です。

2015-06-24

人生は芝居かもしれないけれど


「名言」というものがあります。

「ローマは一日にして成らず(Rome was not built in a day)」は、
その代表格のひとつ。

「千里の道も一歩から(A journey of a thousand miles begins with a single step)」と同じような意味ですよね。

これはどこの誰が行ったかに関係なく、
腑に落ちる真理のような響きがあります。
僕が言っても「そんなことないやろ」なんて言われませんからね。

ただ…
「わかってるんやったら、実践せーや」と思われるだけです。

一方、
このヒトが言うからこそ値打ちがある、という名言もあります。
たとえば、
「私は将来について悩まない。すぐにやって来るから(I never think of the future, it comes soon enough)」という言葉です。

たぶん、僕が言ったら、
誰も聞いてないか、
聞いていても、
「悩めよ!」って突っ込まれるのがオチなのは明白です。

ところが、
ノーベル賞学者のアルベルト・アインシュタイン(1879~1955年)が言ったといわれると、
なんだか、にわかに真理の光をピカぁ~っと放つような気がします。
「そうなんや。そうかなとは思ってたけど、やっぱりな。ヨメに内緒にしてることがあってバレたら絶対、エラいことになるけど、もう悩まへんで」って気になります。
その通りにしたら何かいいことがある気がしますもんね。
少なくとも徒労はしないほうがいいと信じることができます。

ところで、
「人生は芝居の如し。上手な役者が乞食になることもあれば、大根役者が殿様になることもある。とかく、あまり人生を重く見ず、捨て身になって何事も一心になすべし」という言葉があります。

福沢諭吉(1835~1901年)が言ったとされていて、
慶應義塾の創始者で、お札にもなっているエラいヒトの教えなんだから、
「確かに、そうやな」という気になります。
「何事も一心に」って、
善いことに見えても、
実は社会に害を与えるようなこともあるのに、
それでも?とは指摘しにくい気分になります。

ところが、
日本各地の図書館が利用者からの質問に対して調査した結果を集めている「レファレンス協同データベース」によると、

「福澤諭吉の言葉ではない。なぜ福澤の言葉ということになったのか、本当は誰の言葉なのかは不明である」そうなんです。

「回答プロセス」も公開されていて、

<名言・名句事典、人生訓関連図書、福澤諭吉全集、福澤諭吉の伝記資料にあたった。『人生名言集』『格言の花束』『心に響く名言辞典』に福澤諭吉の言葉として掲載されているが、いずれも出典には触れていない。

名言事典・福澤諭吉の伝記・人生訓の本、いずれも記述なし。

慶應義塾大学メディアセンターに調査依頼をしたところ、同大学内福澤研究センターからの回答ということで、「福澤諭吉の言葉ではない」との情報を得る。

なお、インターネットに『福翁自伝』が出典であるとの情報があり、確認をしたが、該当の文言の発見には至らなかった>

…とのこと。

「備考」として、

<『文明論之概略』(『福澤諭吉全集』 第4巻 p39)に「文明は恰も一大劇場の如く、制度文学商売以下のものは役者の如し。此役者なるもの各得意の芸を奏して一段の所作を勤め、よく劇の趣意に叶ふて真情を写しだし、見物の客をして悦ばしむる者を名けて役者の功なる者とす。」という文がある。似たようなフレーズがあるが、言っていることは全く異なると思われる>

――ともあって、
完膚なきまでに否定されてしまっています。

そうなってくると、
先ほどの「人生は芝居の如し…」という言葉が色あせて見えてきませんか。

なんだか、
結論と前提もつながってないような気もします。

「名言には変わりない」という方もいらっしゃるかもしれませんが、
この言葉に対するイメージは変わったはずです。

教訓めいた言い方になりますけど、
(自戒をこめて)
何か心に響く言葉や、
なるほどと共感する意見があったら、
それは発言した本人を信用しているので、
そう思うのか、
誰が言っても賛同できるのか、
を常に自問しないといけないということですね。

どちらの場合が良いとか悪いという問題じゃないですよ、もちろん。
発言によって自分の行動を決める場合は、
言っている本人への信頼が重要ですし、
言っている本人が好きでも、
間違っていることはあるので、
情況によって、
何を重視するのがベターなのかの選択が必要です。

同じセリフでも、
演じる役者が違えば、
感動も印象も違ってきます。

名役者は、
嘘も真実にする力があることは理解しておいたほうがいいということです。

感動や共感による高揚と、
安酒の酩酊は区別がつきにくい。
二日酔いになっても、
質の悪い成分が原因なのか、
良い酒だったから飲みすぎたのか…。

ウィキペディア日本語版から

2015-06-23

「観劇三昧」と世界市場

戦争で死ねなかったお父さんのために (新潮文庫)

きょう(2015年6月23日)付の「フジサンケイ ビジネスアイ」によると、
演劇の動画配信サービス「観劇三昧」が会員数を伸ばしているそうです。

提供しているのは大阪市浪速区の「ネクステージ」という会社で、
1カ月980円で約200の舞台を好きなだけパソコンやスマホ、タブレットで見られるということです。

2013年8月にスタートさせて、
当初数人だった利用者は今年4月現在で1981人になったそうです。
収益は動画の再生数に応じて参加する劇団に比例配分。
取り扱う動画は関西の劇団が中心で、
「演劇三昧」のサイトによると、現在63劇団の公演が視聴可能です。

もちろん演劇はナマで観るのが基本でしょうけど、
僕は、この配信サービスはものすごく面白いというか、
今までなかったの?…という思いで関心を持ちました。

「1981人」の利用者が多いか少ないかは別にして、
この配信サービスがプラットホームになって、
ネット向けの演劇も可能だと考えたからです。

たとえば集客が難しい地方の劇団なんかは、
いっそ客席のない舞台で、
ネットに向けてだけ公演してもいいと思いました。

もうね、web上に劇場とか落語の定席とか小屋をつくる感じ。

僕が最も尊敬する演劇人・つかこうへい先生の作品なんて、
時代劇でも登場人物はジャージ姿とか、
ステージの上には机だけとかいうのがありましたけど、
感激しましたもんね。

中味が面白ければ、
どこでも劇場になるわけです。

そういえば、
僕が、つかさんの劇を初めてみたのは中学生のときかな、
確かNHKかなんかの若者向けの番組で、
「戦争で死ねなかったお父さんのために」でした。

ググってみたら、
NHKの「アーカイブス発掘プロジェクト」というサイトによると、
教育テレビの「若い広場」で、
1977年6月に放送されたようです。
スタジオにミニステージを作って、
つかさん演出の芝居(「戦争で死ねなかった…」)をしたそうですから、これだ

僕は中3か…。

あの舞台もテレビ向けに演出されていたんですね。

僕はあの放送をみて、
演劇っていうのにものすごく興味を持ちましたからね。

ただ、
和歌山の田舎なんで、
当然、つかさんの公演なんかない。

だから、つかさんの本をむさぼるように読みました。
同じ教育テレビで、
「若い広場」の「マイブック」のコーナーで、
つかさんがサリンジャーの『ライ麦畑でつかまえて』を紹介したら、
すぐに買って読みましたもんね。

で、
大学に入ったら、
京都で小劇場の舞台をけっこう観たし、
大阪で、つか劇団の公演があるといえば行きました。
実際に小劇場の裏方をやったこともあります。

つまり、
テレビが僕の演劇へのとっかかりになったんです。

だから、
ネットで舞台を観て興味を持つ若いヒトもいるはずだし、
演じる側からすれば、
ネット向けに舞台を作り上げる、
ネットに特化した劇団というのもありだと思いますが、
いかがですか?

台本があるから、
外国語に訳して字幕をつけやすいし、
リアルタイムでの配信も可能です。

こう書いても、
誰も、
斬新なアイデアだと思わないですよね。
当たり前に誰でもが考えることですもん。

逆に言えば、
的確なマネジメントと、
面白い芝居があればいい、
というシンプルな話。

発信する場所は問いませんもんね。
「無言劇」にすれば、
どこの国・地域でも楽しめてしまうし…。

ものすごくマイナーなタイプの舞台でも、
世界中の“マニア”が観るようになれば、
けっこうな市場になるはず。

最近、こんなことばかり考えている五十すぎのオッさんって、
どう思います?

ちなみに文章の流れに反映できなかったというか、
しなかったんですけど、
裏を明かすと、
「観劇三昧」のことをビジネスアイで読んで、
まず浮かんだのが、
中学時代にテレビで観た「戦争で死ねなかったお父さんのために」なんです。
あの経験がなければ、
今回の記事に興味を持たなかったかも…。

なんだか不思議なもんですね。

2015-06-22

夏至のタコ

タコさんウィンナーはやはり赤いソーセージでないとね。
(clipart by illpop.com)

一年の間に嬉しい日とか、
嫌な日などはありませんか?

僕はあります。

嫌な日の筆頭は「梅雨入り」で、
その次がきょう…。
「夏至」です。

一年で一番日照時間が長い日…。
つまり翌日からは徐々に、
昼が短くなっていく、
なんだかせっかく積み上げてきたものが減る気分です。

とにかく昼間が長いのが好きなんです。

そういう意味で、
翌日から昼間が長くなっていく、
「冬至」は好きな日の代表ですね、僕にとって。
何か希望が湧きます。

だからせっかく、
日脚が延びてきたのに、
冬至の日から、
コツコツと畳ひとめずつ頑張ってきたのに、
夏至で行き止まりという感じ。

またトボトボと暗い方に向かってかえっていくような雰囲気です。

でもね、
不思議なもんで、
それは、当日だけなんすね。

まず梅雨が気になるし、
梅雨が開けたら、
暑くて早く涼しくならないかなぁなんて秋を待ち焦がれて、
勝手なもんです。

気がついたら、
ずいぶん日が短くなって冷えるなぁと感じたころには、
冬至で嬉しくなってしまうんですから。

ちなみに冬至にはカボチャですけど、
夏至はと思ってググったら、
いくつかのサイトで、
関西ではタコを食べる習慣があると書いてあるのを見つけました。
サイトによっては「大阪の一部」という説明もありますが、
まったく初耳でした。

稲がタコのようにしっかりと根を張って
たくさんコメがを収穫できますようにという願いがこもっているらしんですけど、
イイダコのコメ粒のようなタマゴも関係あるのかしらん。

タコの足とイネの根のイメージが重ならないんだけど、
米という漢字が「八」と「十」と「八」からできているので、
タコの8本足も関係あるのかもしれません。
でも「十」もあるから、
10本足のイカの立場はどうなるんだってるんだろう。
「忘れてな~い」ってイカが気を悪くしないかしらん。

いずれにせよ、
まだ陽が差している夕方の時間帯に、
タコの刺し身を肴に、
冷酒なんかを飲んだら、
こたえられない気はします。

でも、
夏至にはタコを食べるという習慣がある程度、
定着していれば、
タコ焼き屋さんが書き入れ時になって、
「夏至にはタコ焼きやでぇ!」という空気になりそうなもんですけど、
タコ焼きは関西ではあまりに日常の食べ物になりすぎているんで、
特別感がなさすぎるのか?

いずれにせよ、
強引に、
突然ですが、
タコって掃除が丁寧そうですね。

だって、
墨(隅)を吐(掃)きます。

失礼しましたっ!

2015-06-21

機嫌の良い一日

「インデアンカレー」の紙ナプキンです

照る日曇る日とか、
いろんな日がありますね。
誕生日給料日…。

アカイヒアオイヒ…。

それはさておき、
きょう日曜日は特に良いこともなかったのですが、
悪いこともなく、
まぁまぁの一日。
まだきょうが終わっていないので、
これからどうなるかはわかりませんけどね。
「つつがなく」というのは、
こういう日のためにあるのかもしれません。

いつものように朝5時前に、
雷蔵くん(ネコ、サバトラ、♂、2歳)と、
球太郎くん(ネコ、シロキジ、♂、1歳、愛称:Qちゃん)が、
「お腹すいたぁ」という感じで、
耳元で「ミャァミャぁ」鳴いたり、
足の指を噛んできたりするので、
起きました。

エサをあげると、
雷ちゃんとQちゃんが、
ベランダ(正確にはバルコニーというらしい)とリビングをへだてる網戸の前に並んで、
今度は「出して出して」という感じで、
「フニャぁフニャぁ」。
これもいつものことで、
朝ごはんを食べると、
ベランダに出て散歩したり、
ぼーっとしたりするのが2匹の日課のようになっています。

それから3、40分ほど新聞を読んでから、
2時間半ほど仕事をしました。

朝ごはんは、
前日、京都で買った志津屋の「カルネ」。
丸いアンパンのようなフランスパンに、
ハムとオニオンスライスをはさんだだけのシンプルなサンドウィッチなんですけど、
これが美味い。
ハムと玉ねぎの味とパンの食感が折り重なって何ともいえません。

そのままでもいいんですけど、
今朝はオーブンで軽く焼いていただきまして、
これもまたイケます。
志津屋って京都市内ではよく見かけますけど、
京都以外では、大阪・枚方の京阪くずは駅ビルにしかありません。
大阪に住むものにとっては、
こんな希少性も味のうちなのかもしれません。

それから洗濯をして、
トロンボーンの練習をすると、
もう昼時でした。

「さて何を食べようかな」という話です。

なんだか理由もなくカレーライスが食べたくなったんですね。
それも、
インデアンカレー」でないとダメという気分。
ちなみに「インディアン」でなく、
「インデアン」です。

このカレーもファンが多いのですけど、
志津屋が京都に集中しているように、
インデアンも大阪に7店舗があって、
大阪以外では兵庫の芦屋に1店、
東京の丸の内に1軒あるだけ。

で、
地下鉄堺筋線の長堀橋まで電車に乗っていって、
地下街「クリスタ長堀」のインデアンカレー長堀店に行ったわけです。

ごはんは大盛りで、
生たまごをつけてもらって、
キャベツのピクルスも大盛り。

食べた方はご存じでしょうが、
牛肉なんかのエキスの甘みが来たかと思うと、
そのあとに深みのある辛味がグゥ~んときます。
最初は単純な味のようにも感じるですけど、
食べるほどに、
いろんな味が広がって、
そこに生たまご、ピクルスの味が絡まって、
食べてる途中から、
「次はいつ来ようかな」と思案するほど。

地上に出て、
堺筋をぶらぶらと天満方面へ北上します。
朝は雨がパラついたのに、
梅雨ではないような気持ちの良いサラッとした天気。

途中でコーヒーを飲んで、
北浜から難波橋をわたって、
土佐堀川、中之島、堂島川を越えて、
天満へ。

天神橋筋商店街の南端からアーケードを入ります。
和装品屋さんで、
ハンカチに使える唐草模様や千鳥柄の手ぬぐいがあったので買おうと店に入ったら、
店のオバちゃんが、
「きょうはまだ勝ってるで」。
これは大阪ではあいさつ代わりで、
翻訳すると、
「阪神タイガースのゲームのテレビ中継を見てるのですが、
今、タイガースがリードしています」となります。
ですから、
こちらの方は、
「何点?」と聞きます。
「1-0」だとおっしゃるうので、
「そんなん勝ってるうちに入れへんやん」と手ぬぐい2枚分のお金を払いました。

で、この日本で一番長いという商店街のアーケードを北端まで歩いて、
天神橋筋六丁目駅のホームに降りたら、
ちょうど来たのが「北千里」行き。
阪急千里線沿線にお住まいの方にはわかると思いますけど、
天六の次の次の淡路駅で、
千里線と京都線に分かれていますから、
「高槻市」行きとか「準急河原町」行きとかだと、
淡路で乗り換えないといけなんです。
だから「北千里」という行き先表示をみると、
心のなかでガッツポーズをします。
京都線は「本線」なので、
特急とかありとあらゆるバリエーションがあるのですが、
千里線は上下の線路が並行して1組ずつ並んだだけの支線みたいなもんですから、
各停だけ。
“直通”がくると少しく嬉しいんですね。

街中の鉄道ですから、
1時間に何本もありますし、
そんなに影響はありません。

淡路で乗り換えるかどうかだけ…。
でも僕みたいな小市民には、
なんだか得したような気がするんです。

そういう意味では、
「高槻市」行きとかは、ちょっとがっかりするし、
軽く敗北感を覚えます。
それに、
天六より南の駅なんかでは、
「天六止まり」というどうしょうもない電車がくることがあります。
天六で、
北千里行きに連絡しているわけではなく、
天六で車庫に入ってしまうのでございます。
もうひと息で“地上”というところで、です。
結局、次の電車に乗っても僕の家の最寄りの終点の北千里に着くのは一緒。

だから、
僕の場合、
会社の帰りに、
「きょうは飲んで帰ろうかな、どうしょうかな」と悩んでいるときは、
北千里行きが来たら、
そのまま飲まずにそのまま帰る、
そうでなければ、
天六の手前の扇町か南森町か北浜で降りて飲みます、はい。

…とまぁ家に帰りついて、
ホッとしていると、
急に曇って、
大粒の雨がザァーっ!

もう少し遅ければ、
雨に遭うところでした。

…というわけで、
つつがなく、
良い一日だった次第で、
こんなことをブログに書くのもたまにはいいかも、
と思いました。

では、
これから晩ごはんです。

2015-06-20

予防策と解決策は違います

“苦心して学徳をつみかさねた人たちは 「世の燈明」と仰がれて光りかがやきながら、 
闇の世にぼそぼそとお伽ばなしをしたばかりで、 
夜も明けやらぬに早や燃えつきてしまった”
オマル・ハイヤーム『ルバイヤート』(小川亮作訳/岩波文庫)から

とにかく不安をあおったり、
けし粒のような心配のタネをバスケットボールほどに拡大したりして、
それがいかに正しい警鐘であるかを叫ぶ人種がいますよね。

経済学者なんて、
その筆頭かもしれません。

ものすごく涼しそうな顔をして、
他人事のように悲観したり、
楽観したり…。

たとえば、
ある一つの問題が「A」か「B」、
いずれかの結果になることが予想された場合、
それぞれの帰結を推察する2つの陣営が喧々諤々の議論をします。
この両者は対等に見えますけど、
そうじゃないですよね。
悲観的な予想をするほうが有利です。

なぜなら、
楽観的な見解や変化なしという予想は、
その通りになっても、
あまり評価されません。

でも、
「悲劇」の予言が的中すると、
「あぁ、すごい!」となり注目が集まることは容易に想像できますよね。

あんまり繰り返しすぎると、
「オオカミ少年」とみなされて、
相手にされなくなりそうですけど、
結果がどうであれ、
責任を取らされることがないと、
意見を主張できる土俵からは撤退しないので、
とにかく小声でも、
悲観的なことを言い続けるのが得策になります。

すると、
どうなるか…。
まぐれ当たりというのがありますよね。
そうなると、
それまでの当たり外れの確率は無視されて、
「予言」が脚光を浴びることになります。

…と、考えれば、わかりやすい。

でも、
何だか違和感を覚えませんか。

僕は覚えます。

その理由を探ってみたら、
巷の投資セミナーなんかの博打のようなケースを別にすれば、
最悪の「悲劇」って、
ほとんど起こらないし、
起こっても、その被害が甚大であったとしても、
それに起因する痛みに関係のない人々には、
「悲劇」はなかったも同然だからです。

「悲劇」の予想に共感していた人々は「それ見たことか」と、
「楽観」予測派を攻撃しますし、
予想した本人をリスペクトして、
さらなる「予言」を求めます。

それはそれで「悲劇」を予想したヒトのメリットにはなるんですけど、
「悲劇」は起こってしまえば、
処理や解決をしないといけない。
でも、
「悲劇」を予想した人間は「解決策」まで持っていないことが多いのが現実です。
「予防策」は持っているかもしれないけれど、
それは「悲劇」のあとでは「解決策」にならない。

ただ「予防策」を「解決策」と混同する人々は必ずいて、
解決のために予防を主張する声が必ず出てきます。
それは過ちを繰り返さないということには効果的かもしれないけれど、
拘泥しすぎると、
直面する問題の解決の妨害にもなりかねない。

さらに深刻なのは、
問題の解決が放置されると、
象徴化して、
過剰な「予防策」が支持を集めます。

なぜなら、
「悲劇」の影響への脅威が多くの人々に拡大していくからです。

たぶん、そんなときに、
過激な「予防策」を「解決策」のように提示できる人間が現れれば、
その人物は独裁者になることができるのでしょう。

何が言いたいのか…。

水が高きから低きに流れるように、
必ず訪れる「悲劇」に対しては、
影響を最小限に抑えるために、
まず現在、できることを着実にしなければならないということです。

たとえば、
高齢化や少子化の進展に伴う社会保障費の増大による国の財政の悪化。
バカみたいなインフレが起これば、
数字的には解決するんでしょうけど…。
それは回避しなければならない。
そのためには、
増大していく医療費を抑制するのがかなり効果的です。
2000年代の当初は、
医療関係者からは、
「日本の医療費は公共事業支出に比べれば小さい」という指摘がありました。
しかし、
一般会計ベースで、
歳出を見てみると、
2001年度は公共事業が12%を占めていたのに、
2013年度は6%です。
一方、社会保障関係費は21%から31%に増大。
金額ベースでみれば、
17・6兆円から29・1兆円となり、
このなかで一番増加率の高いのが、
3・7兆円から7・3兆円になった医療費です。

医師不足も叫ばれていますから、
まず、病院に行く回数や投薬量が減るような施策が急務です。
もう何年も同じ薬を飲み続けているのなら、
処方に必要な診察を減らすとか、
コストの低い代替医療の活用など、
とにかく病院へ行く回数が減るようにして、
薬も減らす。
できることはいくらでもあります。
それを阻んでいるのは何なのか。
海外の医療実態とも比較して、
すぐにできることはたくさんあります。

2015-06-19

「桜桃忌」に考える「善」と「悪」


きょう6月19日は「桜桃忌」です。
太宰治の忌日です。
正確には1948(昭和23)年6月13日に玉川上水で心中したんですけど、
遺体が見つかったのが6日後の19日で、
その日は太宰の誕生日でもあるので、
この新戯作派・無頼派作家を偲ぶ日になったわけです。

知っているヒトには当たり前の話ですね。
中学か高校の国語で習った記憶があるし…。
でも、
知らなかった方には「あっそうだったんだ」という典型的な例かもしれません。

きのうも「ほぼ日刊イトイ新聞」を引用させてもらったんですけど、
きょうも「ほぼ日」で公開されたコンテンツからとなります。

…というのも、
「桜桃忌」に合わせて、
きょう更新された「吉本隆明の183講演」が「太宰治特集」なんです。

だから仕方がないんです(…キッパリ!)。

ちなみに「吉本隆明の183講演」は、
吉本さんの183回の講演・計21746分の音声をアーカイブして無料で公開しているプロジェクトをさまざまな趣向でコンテンツとして提供する連載企画のようなものです。

「ほぼ日」によると、
糸井重里さんは昔、
吉本さんに、
「好き嫌いという意味で、
 吉本さんが個人的に好きな作家は、
 誰ですか?」と質問したそうです。

吉本さんは、間髪入れずに、
「太宰治。宮沢賢治。
 あとは、作家じゃないですけど、
 親鸞です。好きな人といえばその3人です」
…とおっしゃったそうで、
きょうは183の講演のなかに3つあった太宰をテーマとした講演に焦点を当てています。 

その中の1993年7月28日、東京・有楽町での講演で、
実際に太宰に会ったことのある吉本さんは、

“太宰治という人は、僕がお会いしたときには、
まことに見事に、常識でいう社会的な善と悪が、
ちゃんとひっくり返っている人になっていました。
一般的に人がいいことだと思っていることは
ぜんぶ悪いことで、
悪いことだと思っていることは
ぜんぶいいことだというふうに、
揺るぎない自信で完全にひっくり返っていました。
学生時代でしたが、ああ、
すごい人がいるんだなと思ったのを覚えています”

…と語っていて、
この音声のアーカイブとリンクした「ほぼ日」のページには、
その部分が文字になって抜粋されています。

僕は銀塩フィルムのネガとポジを連想しました。

「社会的な善と悪が、ちゃんとひっくり返っている」ということは、
正確に善と悪を把握していないと再現できるものではありません。

そういう意味では太宰は「悪」を再現する木版画の版木のように、
自分のなかに「善」を刻んでいたともいえます。

だから「揺るぎない自信で完全にひっくり返って」いたような気がします。

それは僕も本当にすごいことだと思います。

人間というのは、
たとえばドラマを観たり、
小説を読んだりするときに、
主人公や作者の視線で「善」と「悪」を判断して、
感情移入します。

ところが、
そんなドラマや小説と似た状況が自分の日常で起こった場合、
「善」「悪」をまったく逆転させた行動をすることが珍しくないのでは…。

ものすごく単純な例で言うと、
テレビドラマで主人公が「非国民」とか「売国奴」だとか批難されると同情するのに、 
実は似たような場面では批難する側と同じようなことを無意識にしてしまっているみたいな…。

自分の国が戦争をしているのだから、
敵国を憎み、
自国の戦果を喜ぶという、
ある意味、当たり前の感情への想像力が遠近感がねじれてしまっていて気づかない。

別の例を上げれば、
戦時中の言論統制を批判するのに、
進歩的な発言をしながら、
言論封殺のようなことをする人々を見たこともあるような気がします。

それは、
「善」と「悪」とが曖昧だからでしょう。
曖昧であるが故に自分は「善」だと思いこんでしまえる。
責任が自分にあるとは想像もしない。

太宰はそういうことがなかった人間だとも言えるわけで、
吉本さんが「すごい」という理由もわかる気がするのです。

※画像は「かわいいフリー素材集 いらすとや」から

2015-06-18

人生に勝ち負けはないけれど

僕がバイブルとしている本のひとつです
webサイト「ほぼ日刊イトイ新聞」(略称:ほぼ日)のトップページにある「今日のダーリン」(2015年6月18日)で、
糸井重里さんが「勝ち負け」について書いています。

劇画家の上村一夫さん(1940~86年)が昔、
“ギターを小脇に抱えて、少し酔った口調で、
「恋愛は勝ち負けじゃありません」と言った”そうなんですね。

それで糸井さんは、
“この「勝ち負けじゃありません」という言葉は、
恋愛ばかりじゃなく、あらゆるものごとに
すべて言えるのではないかということだ”
と考えて、
“生きることなんて、ほんとに、勝ち負けじゃないものな”
と、おっしゃいます。

一時期「勝ち組」とか「負け組」とかいう言葉がよく使われましたけど、
最近あんまり聞かなくなりましたね。
経済誌の見出しなんかで時々眼にする程度かも。

いずれにせよ、
「生きることなんて、ほんとに、勝ち負けじゃない」ですね。

それはたぶん、
生きることがゲームじゃないからじゃないでしょうか。

ただ、ゲームじゃないけど、
ゲームに必要なルールはある。
これが面白いところですね。

ルールは法律であったり、
宗教上の教義であったり、
組織の規則であったり、
そして友達との約束だったりするわけですね。

勝敗がないのに、
なぜルールあるのか。

それは単に権力者の都合で作られるケースもありますけど、
基本的には、
他人に迷惑をかけたり集団の秩序を見だすとペナルティを科しますよ…ということで、無茶な行動を抑制して、多くの人間が快適に暮らせるようにしようという目的があるんでしょうね。

賭け事には勝敗がつきものですから、
「人生はギャンブルだ」ということを信条にされているヒトがいたとしたら、
その方の人生には勝ち負けがあるのかもしれないけれど、
どの時点で、
勝敗を決するのかがものすごく難しそうです。

自分の葬式に香典が○○円以上集まったら勝ち、
とか?
あっそのときにはもう死んでるから違うか…。

それはさておき、
人生に勝ち負けがないということは、
「引き分け」もないということなんでしょうか。

もしかしたら、
人生は「引き分け」しかないゲームなのかもしれないとも思いました。
だからその道程でのトラブルの合理的な解決策としてルールが必要なんでしょうか。

2015-06-17

至福のとき

カーティス・フラーの「Vol.3」。眠る前に聴く定番のひとつです
だいたい毎日、午後10時前、早ければ9時にはベッドに入ります。
午前5時には起きるという生活です。

これが僕に一番、合っている生活パターンのようで、
以前、一線にいたころ、
午前1時、2時まで仕事をするのが日常、
夏なんか夜が明け始めたころに帰宅して、
シャワーを浴びて、
ベッドでウトウトしたら、
朝駆けのために呼んでいたクルマが迎えに来るというのも珍しくはなかった時代が嘘のようです。

あのころ何を楽しみにして生きていたんだろ?とも思うわけですが、
それはそれで、
なかなかエキサイティングで楽しかったんです。

今は何が楽しみかというと、
夜、ベッドに入って、
カーティス・フラーとか、
J.J.ジョンソンとか、
ジャックティー・ガーデンとかJAZZトロンボーン奏者がリーダーとなったアルバムなんかを聴きながら、
本を読む、
これがものすごく幸せです。
雷蔵くん(ネコ、サバトラ、♂、2歳)や球太郎くん(ネコ、シロキジ、♂、1歳、愛称:Qちゃん)も寝室に入ってきて、
僕のお腹や太ももを敷物や枕の代わりにして、
ジーっとしていて、
これが幸福度を増幅してくれます。

なんで、
こんなのが幸せだと思うのか…。

北新地のクラブで、
きれいなおねーチャンをはべらして、
高い(「たっかい」と発音してください)酒のボトルを開けて、
遊んでいんるほうが幸せではないのか!

「否」と自信を持っては言えません。

北新地のクラブで、
きれいなおねーチャンをはべらして、
高い酒のボトルを開けて遊んだことがないからです。

ですから、
あんまり説得力も普遍性もないとは思うのだけど、
自分のベッドで、
音楽をバックに、
ネコたちと一緒に本を読むくらいのことが何で一番幸せなのか、
…という一点に集中して考察せざるを得ないわけです。
ご理解、ご了承ください。

これって難しく考えればいくらでも、
言葉を費やすことができると思います。
たとえば難民が増え続ける国際情勢とか、
医学的な側面からアプローチするとかね。

でも経験的に言えるのは、
この手のことはものすごく考えて、
実証的に証明していくと、
答えが整合性を持つのに比例して、
実感と離れていくというのはありませんか。

いくら引力とか重力の説明をされても、
地球がまるいことが感覚的にはわかりにくいように。

もちろん学問的に考えることは大切です。
否定はしませんし、
僕は学問的アプローチを尊重します。

それはさておき、
僕の幸福の理由です。

なぜ、
ベッドで、
音楽をバックに、
ネコたちと一緒に本を読むくらいのことが何で一番幸せなのか…。

まず、
不安がないからでしょうね。
それから昼間にあった嫌ことも、
いいことも忘れているから、
怒りも、
高揚感もない。

自分の意識と身体が現在とぴったり重なっていて、
明日、突き詰めれば次の瞬間どうなるのか別にして、
今は問題なし。
さらには自分がどこの誰でというのも意識していなくて、
ただ、在るだけ。

明日もこうだと良いなということすら思わない…。

つまり何も考えていないから幸せみたい。

それがいいことなのかどうかはよくわからないけれど、
こんなコンディションのときには、
不意の出来事があっても、
冷静に対処できるということは経験済みです。

ただ、
激しく腹が立つことがあった、とか、
今、身の上に起こっている、とか、
明日、ものすごく嫌なことがある場合は、
そんなわけにいかないことがあるのも事実です。
どんなときでも、
どんな情況、
どんな場所でも、
眠る前は幸せでいたいもので、
もっというと、
幸せだとかも意識しないくらいになれるはずと信じています。

2015-06-16

「住み良い都市」は「良い都市」か

日本経済新聞(電子版)=2015年6月13日=によると、

“英総合月刊誌「モノクル」は2015年の「世界の住み良い都市ランキング」で東京が1位になったと発表した。昨年の2位から順位を上げた。巨大都市にもかかわらず平和で静かな環境を実現している点が高く評価された。福岡が12位、京都が14位と日本の他の都市も上位に入った”。

海外には観光や仕事でしか行ったことがないので、
外国のことはよくわかりません。
でも、
東京が1位なのもよくわかりません。
円安の影響はあるでしょうけど…。

僕は1年足らずの短い期間でしたけど、
東京には住みました。
その他でいうと、
和歌山で生まれて高校卒業まで暮らし、
そのあとは大学時代は京都で4年、
就職して初任地の神戸で4年、
そのあとは東京勤務時代を除いて大阪です。

このなかで一番住みにくかったのが東京でした。

比較の問題なので、
東京がダメというんじゃないです。

部屋を借りたのは谷中(やなか)で、
東京メトロ千代田線を使えば最寄りの千駄木駅から大手町までは10分ほど。
「谷根千(やねせん)」といわれる昔の風情を残した地域です。
「谷根千」というのは、寺町の谷中、下町の根津、武家町の千駄木の総称で、台東区と文京区と荒川区が重なっています。

商店街(谷中ぎんざ)もあって買い物も便利だし、
部屋から、
千駄木駅まで徒歩5分弱、
JR日暮里駅にも10分かからない。
近所には歩いて3分から10分圏内に銭湯が3軒もあったし、
快適ではありました。

でも先にも書いたように比較の問題にすると、
関西より住みやすいとは感じませんでした。

具体的にいうと、
気軽に京都に行けないとか、
「大衆的」に見える飲み屋の勘定が関西に比べて高いとか、
昼ごはんを食べに行くと定食が、
ご飯とメーンのお皿と味噌汁だけというところがけっこうあって、
値段も関西より100円から300円高い印象でした。
それから、
全国的にみると、
地方の県の県庁所在地で一番乗降客が多い駅よりも、
賑やかな駅がいっぱいあって、
人が多い。
アメ横なんて、いつも大晦日か!って思いました。

ケチをつけるとすればそれくらいで、
情報は集めやすいし、
展覧会や文化イベントは多いし、
見るべき施設も多く、
さすが日本の「首都」って感じです。
何よりも、
あれだけヒトが生活しているのに、
大阪に比べると不法駐輪がものすごく少ない(…これは感心しました)。

そういう意味で、
東京が優れた都市だというのは認めざるを得ません。

ただ、僕には暮らしにくかった。
俗に言う「水が合わない」という感覚ですね。

東京勤務期間中は、
関西に帰ってくると、
心底ホッとしました。

東京の人混みに比べると、
大阪の地下街なんて人通りが少ないくらいに感じて、
それまで少々鬱陶しいと感じていた混雑も苦にならなくなりましたしね。
正直に言うと、
大阪の方が人が少ないことが口惜しいくらいでした。

で、そんな東京で生活していたある日、
新幹線でJR新大阪駅に着いてから、
大阪駅まで、ひと駅在来線で乗り継いで梅田の地下街に着いて気づいたことがありました。
電車のなかでも、
なんだか東京と様子が違うなぁとは感じていたんですが、
その理由がわかったんです。
東京より人の数は少ないのに、
大阪のほうがやかましい。
ひとりひとりの声が大きいうえに、
会話している割合が多いからでしょう。

もしかしたら、
東京に「水が合わない」のはこんな雰囲気に慣れてしまったせいかも、と思いました。

反対にいうと、
首都圏で長く暮らした方は、
大阪のこんな空気には「水が合わない」かもしれませんね。

ただ東京が住み良い都市で世界一になったという記事に話題を戻すと、
僕はそれが必ずしもいいことだとは思えません。

暮らしやすさにつながる日本人の礼儀正しさや大人しさを利用しようとする人間もいるからです。
僕は実際に、
ある外国人から「日本人は自分の母国の人間に比べたらチョロいと考えている知り合いは少なくない。だから日本の方が商売がしやすいみたい」と聞いたことがあります。
さらに「ただ大阪だけはちょっと事情が違うけど…」とも。

この言葉が耳に残っているので、
都市はワイルドな部分が残っているほうが良いと考えています。

「巨大都市にもかかわらず平和で静かな環境を実現している点が高く評価された」というのは、
眼に見えにくいところで、
外部の人間によって深い闇のような空間が作られやすいということだからです。

2015-06-15

「願いはかなう」のが自然な理由

気功の学校
僕が好きではない言葉のひとつに、
「想いはかなう」…があります。
まず「想」を充てるのも何だか不自然な印象があって、
「思」でいいんじゃないのと“思”うわけです。

『字通』にも「想」は「…その形容を思い浮かべることをいう。その人を慕う意がある」とあり、
なにかカタチあるものを思い浮かべたり、
好きなヒトへの恋愛成就を願うのなら、
「想」でも気になりませんけど、
単に「夢はかなう」みたいな意味でつかってほしくないですね。

なんだか頑固ジジイのようで、
少々自己嫌悪もしてしまうけど、
これは譲れない。

そもそも「夢」にしたって、
「I Have a Dream(私には夢がある)」と演説で語ったキング牧師(1929~68年)の人生をかけた壮大な思いにこそふさわしい。

タモリは「夢があるようじゃ人間終わりだね」とテレビ番組で語ったそうだけど、
たぶん好きでやり続ければかなうような「夢」を否定しているんだと思う。

「想いはかなう」に話を戻すと、
だいたい、この言葉を口にするヒトって、
ちょっと力(りき)んでるんですよ。

気合いで思えば願いはかなうみたいな感じじゃないですか。
「想」うことを何よりも優先させて、
何も行動してないんじゃないか、というような方もいます。
力んで「想」えば、
何か結果が出ると信じているかのような…。
たぶんオナラくらいしか出ないと思うけど。

力むといえば、
西川きよし師匠が頭に浮かびますけど、
あれは作られた芸風で、
まともにずっと肩に力を入れてやってたら、
あんなに売れるわけがない。

カラダから余計な力を抜いて、
自然な状態になったときに、
人間は能力を最大限に発揮できると思うからです。

とはいえ、
実は僕も肩に力が入いるタイプです。
脱力しようと思えば思うほど力が入ってしまうし、
カラダから余計な力を抜くのが難しいのは痛感しています。

なんとか自然体になりたいと思って、
最近興味を持っているのが「気」です。
東洋医学なんかでいう「気」。
「気功」の「気」ですね。

それでこの間、読んだのが『気功の学校』(天野泰司著/ちくま新書)です。

このなかには、
「『願いはかなう』のが自然です」と書かれています。

「えっ!」そうなのという感じで先を読むと、
「ごく身近な例でいうと、たとえば、お茶が飲みたいと思う。お湯を沸かす、急須に茶葉を入れてお湯を注ぐ、しばらく待つ、お茶を湯のみに注ぐ。そしてお茶を飲む、というように願いをかなえます」とありまして、
何だかさっきの「えっ!」が「えっ?」になった感じもします。

でも、
考えてみたら、
願いというのは、
お湯を沸かし方や、お茶の入れ方を知っていて、
ちゃんと実践すれば、
水が高いところから低いところに流れるように、
かなうものなのかもしれません。

湯のみだけ用意して、
いくらお茶のことを「想」って待っていても、
お茶が飲めないのは当然です。

自然の法則に従い、
カラダから余計な力を抜いて、
正しい方法を積み重ねながら得たい結果に向っていけば、
願いはかなうわけですね。

何かがうまくいかないのは、
不自然なことをしているのが原因なのかもしれません。

2015-06-14

ウォーレン・バフェットの失敗

『チャールズ・エリスが選ぶ「投資の名言」』(日経ビジネス人文庫)には、
投資持株会社であるバークシャー・ハサウェイの筆頭株主で、会長兼CEOの、ウォーレン・バフェット(Warren Buffett、1930年~)のエッセーが2つ掲載されています。

バフェットは、
長者番付の「フォーブズ400」の常連なので、
名前くらいは知っている方がほとんどだと思いますが、
世界的にも一番とか二番とかいう金持ちです。

amazonの本のカテゴリーで「バフェット」を検索すると220件ヒットしました。
「村上春樹」では1130件なので、
「バフェット」の220件が多いのか少ないのか僕には判断できないのだけれど、
まぁそこそこの数字なのだと思います。
つまりあやかりたい人間は少なくないということです。

僕もバフェットがチェリーコークを一日に何本も飲むと聞いたので、
輸入雑貨店で買って飲みましたが、
金持ちになったという実感はありません。
日本ではチェリーコークが、
期間限定販売とか、
並行輸入でしか手に入らないので、
一日に何本も飲むというのは簡単じゃないですし、
何よりも、
僕は甘い飲み物があんまり好きではないので、
頑張っても一日1本ですね。

本題に戻ります。

この本に収録されているバフェットのエッセーのひとつが、
「二五年間の失敗」というタイトルです。
執筆当時、バフェットはバークシャー・ハサウェイのオーナーとして企業を買ったり経営したりして25年。
その経験を振り返って、
「要するに、収益力の低い企業を安値で買うよりも、素晴らしい会社をそれなりの値段であっても購入するほうがよいということだ。このことに気づくまでしばらくかかった」と書いています。

要するに掘り出し物はない、ということですね。

それから、
「優秀と言われる経営陣が悪い企業を立て直そうとしても、たいていは失敗する」そうで、
「私の最も大きな発見は、ビジネスにおいては、いわば『組織が本質的に持つ欠陥』とでもいうべきものが圧倒的に重要だということである…中略…むしろ、合理的な経営判断などというものは、『組織の欠陥』の前にはひとたまりもないようだ」と述べています。

簡単に言うと「アカン組織はどうしてもアカンねん」という身も蓋もない話ですね。

理由の筆頭に挙げられているのが、
「組織はどんな変化に対しても常に抵抗する」ということ。

そういう意味では、
どう見ても「アカン」組織が大した変化もなしに復活したかのような姿になった場合は要注意ということかもしれません。

これは企業などの組織だけではなく、
業界全体でも言えることかもしれませんね。
もしかしたら「国家」についても…。

バフェットの“反省”は、
「アカンもんは抵抗勢力を排除して変化しないと立ち直らない」という教訓としたいと思います。

それから興味深いのは、このエッセーの締めくくりです。
バフェットは、
「二五年間の失敗について話してきたが」、25年後に「同じように過去五〇年間の失敗について話してみたい」と語っています。

その25年後というのが今年2015年です。
ネットで調べたところ、該当する文章が見つかりませんでした。
どんな「失敗」が語られるのか楽しみです。

2015-06-13

明るい光のもとでこそ眼を凝らさなくてはいけない

太宰治の「右大臣実朝」(新潮文庫『惜別』所収)の一節によく引用される有名な一節があります。

“アカルサハ、ホロビノ姿デアロウカ。人モ家モ、暗イウチハマダ滅亡セヌ。”

…作中の「語り手」が実朝が独りごちたとして紹介する言葉です。

1978年3月から1979年2月にかけてテレビ放映されたアニメ『宇宙海賊キャプテンハーロック』(原作:松本零士)の最終回でも、使われていたそうです。

最近では、
2011年の東日本大震災のあとに、
個人のブログなどでの引用が目立っていました。

この言葉が出てくる前に作品のなかでは、
「平家ハ、アカルイ。」という部分があります。
その流れのなかで明るさの象徴としての“驕(おご)り”と平家の滅亡が重ねられて、
多くの人がこれまで様々な思いや考えを語ってきました。

ここでは、
全く趣向の違った解釈でも示せれば、
面白いのですが、
残念ながら、
僕にはそこまでの才能がないのか、
これと言った斬新な切り口ができません。

だから、
ここでは凡庸なことを書きます…と言い訳をしておきます。

僕は明るさというと、
太陽の光と乾燥を連想します。
それから影です。

影や陰というのは一種の暗さの象徴ですよね。
「影が射(さ)す」といえば、
よくないことが起こる前兆です。

でも光と影は本来は一対のものでしょう。
陰陽論ではないけれど、
両方があってバランスがとれているのが本来の姿というわけです。

たとえば舞台の照明は、
影ができた部分の別のライトを当てれば、
影をステージからほとんどなくすことができます。
その分、客席は暗いですから、
会場のなかはバランスがとれていることになります。

影が想像できないような砂漠ですら、
夜になれば暗くなります。

世界各地を支配下に置き、
24時間、日が沈まない「帝国」っていうのも歴史上は存在しましたが、
今は過去の“栄光”です。

影を排除すると、
潤いがなくなって干からびて痩せていくのが道理です。

本来は暗いところで、すべき行動や、
暗い所に置くべきものに光を当てるのは、
あながち悪いとは言えません。
一時的には刺激になって、
活性化することはあるかもしれません。

でも、
白日のもとに晒(さら)しておくことが常態になってくると、
それはいくら瑞々(みずみず)しく見えたとしても、
乾物(ひもの)にしかすぎないのでしょう。

乾物がダメというのではなくて、
干したスルメが生きているイカとは違うということです。

「文化財」であったり、
「陰謀」であったり、
宗教的な「秘儀」であったり…。
さまざまなものが想定できますけど、
つまり闇のなかに封印されていたものが白日のもとに晒されたとき、
それは、
そのものの本来の姿なのかどうか。
色々なことが情報化されて、
デジタルデータとして拡散していくなかで、
そのような光の下にある「姿」は闇のなかにあったときと、
「かたち」や「性質」が違う可能性があることを、
僕らは忘れてはいけないだと思っています。

もしかしたら、
影のないステージの上の「劇」を見ているだけなのに、
あまりにも明るく色んなものが鮮明なので、
「真実」のように見えるだけかも。

2015-06-12

憂患と安楽

中国・戦国時代(紀元前403~同221年)の儒学者、孟子の言葉に、
「憂患に生き、安楽に死す」というのがあります。

守屋洋著『中国古典 逆境を生き抜くためのすごい言葉一〇〇』(角川SSC選書)によると、
「心配や悩みがあるからこそ生き残ることができる。安楽にひたっていたのでは破滅を免れない」ということだそうです。

最初に読んだとき「逆と違うのん?」と思いました。
心配や悩みは身心にも悪いと聞いていたし、
「新約聖書」にも「思い煩うな」と書いてあります。

でも、
考えが変わってきました。
30歳前後から身心の不調に悩んで、
まさに憂患の日々を送ってきました。
でも、
45歳くらいから、
いろんな事がが好転して楽しく生きられるようになったのだけど、
この安楽を守ることを考えるようになってきた気がしています。

50を越えれば、
体力も落ちるし、
それはそれで仕方ないのかも、
とも思うのですが、
このままだと生き残るための「勘」が鈍ってしまいそうな気にもなってきたんです。

取り越し苦労の必要はないでしょうけど、
問題の大小を正確に判断して、
正しく心配する、正しく悩むことは必要に違いありません。

つまり今、現実にある「危機」を正確に把握して、
対応を自分なりに考え実行することが大切なのは言うまでもない。

他人任せの安楽は破滅への道なんでしょうね。

なんだか説教臭いですね。

自分に説教しているのですから、
それも当然だということで!

2015-06-11

男のねたみ 女の自信

朝日新聞デジタルの「(異才面談)脳科学者・中野信子さん 脳から考える、男女の差・起業の差」(2015年6月8日)によると…。

「脳科学的には、リーダーは男と女、どちらがいいですか」という質問に対して中野さんは、

「時代や経済環境でいちがいには言えないです。英科学雑誌ネイチャーに2006年に載った論文によると、ねたみ感情は男のほうが強くなる。外部との争いがなく、組織をまとめるときのリーダーは、男性にあまり向いていないでしょう。『あいつは同期なのになぜ社長なのか』といった感情が生まれると、組織はばらばらになります。男同士では組織内で足の引っ張り合いが起きかねません。性別が異なるほうが、ねたみは少ない。男性と女性を交ぜたほうが、組織内の対立は緩和されるでしょう」

…と答えてらっしゃいます。

「外部との争いがなく、組織をまとめるときのリーダーは、男性にあまり向いていない」ということは、既得権があってビジネスモデルが安定している会社や公務員の世界のリーダーっていうのは男には向いていないということになるかしらん。

だからやたらめったらポストがある会社とか、
高級官僚の世界では同期が事務次官になったら、
退官するとかいうようなことがあるんでしょうか。

ただ「あいつは同期なのになぜ社長なのか」って、
そもそも社長の椅子の争奪競争に参加している人間なんてそんなにいてへんやろっ!ってツッコミをいれたくなります。

大企業で銀河系の星の数ほど子会社があるようなケースはまたニュアンスが違ってくるんでしょうけど…。

一方で、
「リーダーは無理」って自覚しているヒトもいますからね。
ちなみに僕です。
みんなで一緒に同じものを食べたり、同じことをするのが苦手で、
小学校のときは給食や運動会、遠足が苦痛でした。
つまり集団行動が嫌いなんで、
いろいろと他人の指示することに向いていない。
好き放題できる独裁者ならば大丈夫じゃないの?―という意見もあるでしょうけど、
やったことがないし、
これからなる予定もないので、
何ともいえません。

とはいえ、
「ねたみ感情は男のほうが強くなる」っていうのはわかる。
これはリーダー指向云々に限りませんもんね。

厳密にいえば、
男女の比較ではよくわかってなくて、
自分に照らしあわせてのことです。

もう朝から晩まで、ねたんでいる気がします。

たとえば、
出勤前に時計代わりにつけているTVでCMに西島秀俊が出てくると、
「ええよな、男前やし、国立大学に入ってるし、お腹でてないし…」とか。

通勤電車のなかで、
男子大学生が女子大学生と楽しそうに話していると、
「そういえば二十歳(はたち)前後の女の子と会話するなんて、
コンビニやカフェでバイトの女の子に注文するときぐらいやで」とか。

会社の帰りに居酒屋に行ったら、
注文したカウンターの隣の客の冷奴のほうがちょっと大きいとか…。

なんかもう僕のアイデンティティは、ねたみで成立しているみたいな…。

世間では、
こういう男を、
「女の腐ったみたいな奴」とも言いますね。
だいたい、これを男に言うのは女性が多いような気がしますけど、
この場合、
「僕が女の腐ったみたいな奴やったら、
あんたは、単に腐った女や」と言い返しますね、
もちろん心の中で、
それも蚊の鳴くような声で…。

男の方が女より、ねたみ感情が強いのだとしたら、
それはたぶん、
自信がないからでしょうね。
他人からどう扱われているか、
どのように評価され、
どんな地位にあるかでしか、
自分を評価できないからではないでしょうか。

女性にも、
もちろんそういう部分はあるでしょうけど、
評価される基準のバリエーションが豊富なので、
敗者復活みたいなことが男より簡単なのかもしれません。
他者の客観的指摘を、
単なる悪口だとが、
誹謗中傷だと、
はねつけることができる力は男性より強いかも。
ぶれない・揺るがない…。
で、ぶれても揺らいでも開きなおれる…。
「私がバイブルなのよ!」って判断基準も盤石です。
(…以上、あくまでもそういう方が少なくないという推定です)

本来、文章の基本としては、
ここに、
その具体例をいくつか示すのが基本なんですけど、
一部の女性から、
「それが女をバカにしてるっていうんだよ」とか、
「女性蔑視の裏返しだ」とか、
「だから、そんなに加齢臭がするんだよ」とか…。
ボコボコにいわれるかもしれないんで、
やめておきます。

2015-06-10

バルブという蹉跌

ザ・デュアル・ロール・オブ・ボブ・ブルックマイヤー
とうとうやっちまっった…。
心配はしていたんです。


一線を越えてしまった…かも…。

僕はですね。
スライド管があって、
伸縮自在なのがトロンボーンの神髄だと思っています。
伸び縮みしないものは、
トロンボーンじゃないというのは教義だと考えるほどの、
「伸縮自在教」の信者だと自認しています。

だから、
ピストンバルブがついて、
スライドが伸び縮みしない、
バルブトロンボーンなんていうのは、
邪道の極み!
「テナーバス・トランペットと名乗りなさい」という感じで指をさして、
トロンボーンの王国からの追放を宣言したいほどでした。

「でした」と、過去形になるのは、
その教義を守らず、
ついに異端の道に足を踏み入れてしまったからです。

あれほど、
目をそむけていたボブ・ブルックマイヤー(Bob Brookmeyer)=1929~2011年=のCDアルバムを買ってしまったのです。ブルックマイヤーといえば、
バルブトロンボーン。
ジャズでバルブといえば
ブルックマイヤーという感じでしょうか。

場所は大阪・日本橋のディスクピア…。
仕事からの帰りでした。
魔がさしたというのか、
気がついたらレジで「ザ・デュアル・ロール・オブ・ボブ・ブルックマイヤー(The Dual Role of Bob Brookmeyer)」を手にしていました。

たとえば、ジャズトロンボーンのジャイアンツの代名詞のひとりとも言えるJ・J・ジョンソン(1924~2001年)なんて、
スライドさばきが速くて、
アルバムのジャケットにわざわざ「バルブトロンボーンじゃありません」と但し書きがあったほど。

ハンディキャップともいえる、
伸び縮みを克服、
スピード感もアピールして
生き残り、
一音一音を切らないグリッサンド演奏では管楽器の頂点に君臨してきたわけですよ。

僕みたいなトロンボーン信者にとっては、
伸縮するスライドは教義のシンボルなわけです。

そもそも僕はF管がついてレバーで息の通り道を変えられるテナーバスや、
ロータリーバルブなんかがついたバストロンボーンですら、
“純血”のトロンボーンじゃないのでは、と考えるときがあるほどの人間です。
シンプルさを極めたテナートロンボーンが楽器のなかで一番美しいと信じて疑わない人間です。

しかし、
意識のどこかで、
隠蔽された欲望のように、
バルブトロンボーンという異端への興味が息を潜めていたんでしょうね。

それがきょうの梅雨の晴れ間の開放的な空気のなかで、
するスルっと、
ちょっと油断した隙に、

漏れだしてしまった。

ディスクピアのことはほとんど記憶にありません。

「1944円です」と店員さんに言われて、
我に返りました。
老眼のせいで、
「税込み1800円」が、
「1000円」に見えていたことに、
そのときにやっと気づいたほどだったのです。

たぶん何かが僕に憑依していたのです。

CDが入った鞄を隠すように家に帰り、
震える手で、

パンドラの箱をあけるかのごとく、
CDをプレーヤーにセットしました…。

1954年と55年の録音ですけど、
ジャケットの、その数字が見間違いかもと思って見なおしたほどでした。

1950年代といえば、スィングに対抗するかたちで勃興したビバップから、クール・ジャズ、ウエストコースト・ジャズ、ハード・バップが登場したいわゆるモダン・ジャズの流れができる過渡期です。

現代のジャズの典型的なイメージの曲の勃興期ですけど、
抑制の効いたコンテンポラリー性っていうのか、
前衛的な感じと、
ポピュラーな空気が絶妙です。

ファンが多いはずですね。

とはいえ、
バルブトロンボーンをトロンボーン族だと、
認めたわけではありません。

ただ、音だけ聴くと完全にトロンボーン。
これを偽装とみるか、
自然に受け容れるか…。

とりあえず、
あれはバルブトロンボーンという種類楽器だということにしておいて、
トロンボーンかどうかは検討のため保留します。

やはり状況に応じて教義の解釈も状況に合うようにしていかないといけないのかも。

まぁ、同じ「金管族」だというところまでは間違いはないのだけど。

2015-06-09

効く音楽

Vintage Jam Session - 1954
聴いたら、
条件反射的に陽気になる音楽ってありますよね。
「そんなもんはない」というヒトは、置いといて…。
僕はあります。

「僕」というか、
ほぼ確信を持って関西人なら、
とりあえず肩の力は抜ける曲があります。

「吉本新喜劇のテーマ」といえば、
関西では誰もが思い浮かべてしまう、あの曲です。

正確にはJAZZトロンボーン奏者でヴォーカリストの、
Pee Wee Hunt(1907~79年)がバンドリーダーをつとめる曲「Somebody Stole My Gal」で、
訳せば「誰かが僕の彼女を盗っちゃった」でしょうか?

でも日本語にしようが、
モンゴル語にしようが、
このタイトルを聞いてメロディが頭に浮かぶ日本人はほとんどいないはず。

やはり「吉本新喜劇のテーマ」でないと、
ピンとこない。

「ナニワのモーツァルト」こと、キダタロー先生の作曲だと信じている大阪人も少なくないような気がします。

だって、
あのミュートをつけたトランペットの、
♪ほんわか、ほんわか、ほんわか♪
…っていう感じで始まる曲は、
「吉本新喜劇のテーマ」以外の何ものでもありません。

タコ焼きとか串かつのソースのにおいが漂ってくる感じで、
コテコテ感が充満ですもん。

何といいても、あの曲を聞くと、
岡八郎(2003年4月以降は、岡八朗)や花紀京、原哲夫から始まって、
桑原和子、池乃めだか、辻本茂雄、内場勝則…みたいな感じで頭のなかをみなさんの顔が走馬灯のように流れていきます。

もう関西人のソウルミュージックそのもので、
この曲が耳に入ってくると、
陰気な顔はできません。

逆に言うと、
葬式では絶対に流してはいけないBGMだともいえます。

吉本新喜劇の方が亡くなった場合なら別かもしれないけど…。
それでも天寿を全うしたとか、いうケースに限定されるような気がします。

この曲がPee Wee Huntのバンドの演奏だっていうのは知ってたんですけど、
不覚だったのは、
そのHuntがトロンボニストだっていうことは知らなかったことです。

先日、偶然にそれがわかって、、
「えっ、そうなん!」ってことで、
CDを探しましたよ。

ところがです。

この曲が入ったCDが見つからない。

ダウンロード版ばかり…。

…というわけで、
生まれて初めて、
アルバムをダウンロードして買いました。
「Vintage Jam Session - 1954」っていうタイトルです。

CDというパッケージ商品にこだわっていたし、
JAZZの定番アルバムとなると、
ダウンロードの方が高いっていう場合も少なくなったので、
CDで買う方がお得感はあったんですよね。

ところが、
最近は円安の影響で、
輸入CDが高くなってきました。

もしかしたら、
CDがレコードに取って代わったように、
日本でもダウンロードのデジタル音楽が主流になる転機かも。
JAZZの名盤は軒並み安くなってきましたしね。

あと5年もしたら、
「あれが分岐点だったなぁ」という話なんかするんでしょうかね。

ただね、
僕の場合、
その歴史的かもしれないときに買ったのが“新喜劇のテーマ”なんですよね。

この曲を心に思い浮かべれば、
難しい顔はできないわけです。

たぶん、
これからダウンロード音楽の話題になると、
僕の頭のなかには、
「Somebody Stole My Gal」が条件反射のように流れるのは絶対確実です。

それにしても、
この曲を聴いて陽気な気分にならない関西人っているんでしょうかね。

沈んだ気分を上げる特効薬!
聴けば効くって感じですもん。
富山の置き薬より強力かも…って、
まだ富山の置き薬ってあるんですかね。

それはさておき、
「Somebody Stole My Gal」。
大阪の家庭にとっては、
タコ焼き器のような存在かもしれません。

2015-06-08

事件が見せた「リビングは戦場」という現実

きのう(7日)、書いたように、
京都で一泊してきました。
片道1時間くらいなんですけどね。

それはさておき、
雷蔵くん(ネコ、サバトラ、♂、2歳)と、
球太郎くん(ネコ、シロキジ、♂、1歳、愛称:Qちゃん)は、
ウチに来て初めて丸1日、人間と接触しないという経験をしました。

これまで留守にするときは、
ペットホテルに預けるか、
ペットシッターさんに来てもらっていたんです。

でも正味20時間くらいなんで大丈夫だろう、ということで、
留守番をしてもらいました。
犬とは違って、
不審者が入ってきたら撃退してくれるとも思えないので、
正確には留守“番”になっている気はしないんですけどね。

いつも僕と一緒にベッドの上で寝るし、
朝5時には僕を起こして「ゴハンくれ!」って起こすのが日常なので、
ふだんと違うのは少し心配したのですけど、
昼ごろに帰宅したら、
特に変わりはないし、
多めに用意していたキャットフードも適度に残してして、
食べすぎもせず初の留守番は達成できていました。

しかし、好事魔多し…。
「事件」はそれから起こったんです。

自分の部屋で仕事をしていたので、
その瞬間は見ていませんでした。

確かに、
何かモノが落ちる音は聞こえたんですけど、
あんなことになっているなんて…。

一段落してリビングに行くと、
何か様子が変…。
違和感がある。

見渡すというほどの広さじゃないけど、
違和感の正体は床に視線を移したときに判明しました…。

キャットタワーのてっぺんが落ちていました。
ジョイント部分のネジと支柱をつなぐところがちぎれるように壊れて、色々と試したけれど、
僕調べでは修復不能…。

ちぎれた「てっぺん」(写真上)と 「てっぺん」が立っていた跡(同下)
ちぎれた「てっぺん」(写真上)と「てっぺん」が立っていた跡(同下)
雷ちゃんが怯えている。
固まった感じで、
呆然としています(僕の印象です)。

想像するに、
雷ちゃんがてっぺんにいるときか、
駆け上ったときに「惨事」は起きたようで、
幸いケガはなかったものの、
心に傷が残ったみたい。

最近、
Qちゃんが、てっぺんで憩っていると、
先輩の雷ちゃんが無理やり割り込んで、
場所を横取りすることが目立っていたのだけど、
ショックを受けた雷ちゃんに乗じて、
Qちゃんが形勢を逆転…。

固まっている雷ちゃんを、
少し離れて“ロックオン”したかと思うと、
ネコが獲物を狙うときのお定まりの、お尻フリフリしたあと、
パッと襲撃。
雷ちゃんの頭を右手でポカッと、どつくのを繰り返しています。

ピンポンダッシュみたいな感じなんですよ、これが…。

雷ちゃんはそのたびに、
「フニャぁ」と弱々しい声を出すだけ…。

すごいです。
一見、友好関係にある先輩後輩だったのに、
Qちゃんは虎視眈々と相手が弱るのを待っていたんですね。
リビングの平和は表面だけ…。
本当は戦国時代だったのですね。
面従腹背の部下が上司を蹴落とす企業小説や、
現代の複雑な国際関係と僕の家の状況が重なりましたよ。

Qちゃんは天下を取ったように、
興奮して家の中を走り回ったりもしてました。

でも、それも一夜の夢のように、
今朝は平常…いつもどおり。

ネコは不思議です。

でも難儀なのは、
またキャットタワーを買わないといけないということ。
ネコが来てから約2年半、これで3台目です。

現場を検証しているのか、「てっぺん」が名残り惜しいのか。今朝(2015年6月8日)の雷ちゃんとQちゃん

2015-06-07

哲学するネコ

京都・南禅寺の重要文化財「三門」から見える新緑
京都・南禅寺の重要文化財「三門」から見える新緑=2015年6月7日
「京都で泊まるなら南禅寺界隈に限る」
これは「世界大恐慌」直前の1928(昭和3)年から7年間、
東京・千駄木に居をかまえて、
日本仏教美術を研究した英国人、ロバート・R・クラークがエッセイに書き残した言葉です。
クラークの『日本で見る東洋のかたち』は日本美術史を学ぶ学生の必読書です…。


…というのは嘘で、
そんな研究者は…たぶん…いないし、
おそらく、そんな本もないと思います。


僕が思いつきで書いたのですけど、
「南禅寺界隈」云々は僕にとって「真理」にも近い「真実」です。
まぁ、それも今朝、そうなったんで、
できたての「真理」です…。


今年は正月以降、まとも連休がとれなくて、
旅行もしていない、
近々には連休は難しそうなので、
土曜の午後と日曜の午前中が空いていれば、
大阪からなら手軽に一泊して、
観光気分を味わえる京都に行ってきました。

それも安上がりの会社の保養所です。

南禅寺の境内に面するくらいの感じにゆったり建っていまして、
往年の時代劇スター・「アラカン」こと嵐寛寿郎(1902~80年)の旧邸の敷地にあります。

確か、作家の遠藤周作(1923~96年)は灘中学(旧制)時代、
弟子入りを志願して京都のアラカンの家を訪ねたとエッセーで書いていたので、
それがここだったのかもしれません。

夜は大広間に面した庭にホタルが飛び交うそうで、
楽しみにしていたんですけど、
大浴場につかってから、
“あの”宿泊料金では考えられないほど豪華な夕食で、
機嫌よくビールをグビグビ飲んだら、
仮眠のつもりがそのまま爆睡…。

まぁ、そのリベンジっていうわけじゃないですけど、
朝食前、まだ観光客が来る前の早朝の南禅寺界隈を歩いたわけです。
「散策」という言葉は、
このためにあるというロケーションです。

それに、
梅雨だとは思えないほど、
さっぱりした天気で、
新緑の東山から、
ウグイスだかホトトギスだかの声も聞こえます。
(「ホーホケキョ」と「トッキョキョカキョク」の区別がつかない…)



京都・南禅寺

保養所から目と鼻の先の南禅寺の境内に入って、
重要文化財の「三門」の前を通り抜ければ、

「哲学の道」へと続きます。

哲学の道

ネコがいました!
思索しているような、していないような。
たぶん、していないですね。


「哲学の道」のネコ

あれ、またネコが…。

今は営業していない気配のレンガ造りカフェの入り口にある、
看板代わりのオブジェのようなワゴンがネコたちの住処(すみか)となっていました。

哲学の道のネコの住処

前に来たのは10年ほど前で、
こんな様子は記憶には残っていません。

エサやり用らしい皿も近くに整理されているし、
去勢済みを知らせるとみられる片耳の先が少し欠けたのもいるので、
近所の方が面倒をみている地域ネコかもしれません。

ジョギングや散歩をしている界隈の住人らしい方を警戒しないし、
この土地に溶けこんでいるのかも。

いずれにせよ、
「哲学の道」のネコは、
特別の意味を与えられている概念のように、
存在しているのでした。

2015-06-06

12年前の「耳」


キノコの類いでも、
卑猥なものでもありません。

写真は、
僕の左耳です。

正確に言うと、
僕の左耳を型取りして、
そこに石膏を流し込んだモノです。
わかりますよね。
でも念のために言うておくのでございます。


2003年の4月から半年間、
当時、大阪・吹田の万博記念協会ビル内にあった、
インターメディウム研究所・IMI「大学院」講座へ通っていたときに、
現代美術作家のヤノベケンジさんが講師をされた授業の実習で製作しました。

IMI(インターメディウム研究所)っていうのは「メディア表現者育成学校」で、
「アートと技術の融合」をテーマとしたマルチメディアの研究を行う機関で、産学協同・実務研究プロジェクトなどを行っていました。

IMIは写真家の畑祥雄さん(現・関西学院大教授)や伊藤俊治さん(東京芸術大学美術学部先端芸術表現科教授)らが中心になって創設されまして、
僕が確か第8期グループでしたので、
1997年から活動が始まったことになるのでしょうか。
講師にはヤノベさんをはじめ著名なアーティストや研究者がたくさんいらっしゃいました。


残念ながら、もう当時のスタイルでは残っていません。

会社に「国内留学」というのができて、
自分で受け入れ先を見つけたら
会社から給料をもらいながら学生生活を送らせていただけるという制度です。
これを利用して通ったんです。

大阪での適用第1号でした!
といっても、誰も、
そんな制度を利用しようと考えなかったためで、
厳しい競争を勝ち抜いたわけではありません。

授業は主に土日に集中していて、
平日は併設する工房「彩都メディアラボ」という、webサイトや映像などを制作している会社で、

実習生をしていました。

月に1回、会社にレポート書いて、
期間終了後に報告論文を書けばいいという有り難い日々です。

そのときの初レポートに「あらためて落語家はエラいと思った」と書いたことを憶えています。

授業のやり方が僕の大学時代とは違って、
講師のパソコンの中味をプロジェクターで映しだして、
パワーポイントでつくった資料や動画、写真、図版、音を駆使して講義してくださるわけです。
板書なんてのもほとんどないし、
プロジェクターの先のスクリーンに視線が行きますから、
講師の顔や身振り手振りなんていうのもあんまり見ません。
教室を暗くすることも多いので、
見えないし。


でも、
与えられる情報量は多いわけです。

だから、
逆に、

着物姿で演じ、
扇子や手ぬぐい、
せいぜいお囃子や小拍子(=小さな拍子木みたいなものです)で見台を叩く音の演出だけ見るものの頭のなかに「世界」を作ってしまう落語家はエラいと思った次第なんです。

でも、
プロジェクターを使う先生のやり方がダメって言っているわけじゃないですよ。
芸は噺家さんには劣るでしょうし、
まぁ先生より話芸の劣る噺家さんもいらっしゃるかも
しれませんけど…。
落語っていうのは情報伝達の基本が詰まっていると思います。
だから学ぶことの宝庫です。
世の中は複雑です。
それは重々承知しています。
でも、

食べすぎ飲みすぎは身心に毒だとか、
泥棒はいけない…といった原理原則はシンプルですよね。
それと同じように、
どんなに技術が発展して世の中が便利になっても、
シンプルな基本が大切。
もうあれから干支がひと廻りした12年前、
「国内留学」期間に一番痛切に実感し、
学んだのは、
それでした。

そして今、最も痛感しているのは、
正しいシンプルなことほど継続・実践するのは難しいということ。

他人と対話するときは、
聞くのが「8」、話すのが「2」の割合くらいで、
ちょうどいい。
良い関係はまず「聞く」ことから…というのはわかっているのですけど、
これが全然できない。

結局、表現するために重要なのは、
まず「聞く」ことだというのも分かってきました。
僕の経験の範囲内で言うと、
饒舌そうな印象のある方でも、
すぐれた表現者は「聞く」のがうまいです。


…というわけで、
石膏で型どった自分の「耳」を見て、

あらためて反省しています。

で、
こんな僕でもさすがに落語は、
笑いはするけど基本は黙って聞くわけでして、
そういう意味でも落語家はエラい。
「それは当たり前だ」っていう声も聞こえてきますけど、
「学級崩壊」なんていうことを耳にすると、
そうだともいえないわけで…。


2015-06-05

自分で生きるために深く掘る

ウンベルト・サバ詩集
須賀敦子訳『ウンベルト・サバ詩集』(みすず書房)のなかに、
「仕事」という短い作品が納められています。

ずっとむかし、
ぼくは楽々と生きていた。土は
ゆたかに、花も実も、くれた。

いまは、乾いた、かたい土地を耕している。
鍬は、
石ころにあたり、藪につきあたる。もっと深く
掘らなければ。宝をさがす人のように。

以上が、その全文で、
改行も同書掲載のままです。

随筆家でイタリア文学者の須賀敦子さん(1929~1998年)のファンは少なくないので、
サバのこともご存じの方は多いでしょうが、
20世紀最大のイタリア最大の詩人のひとりといわれています。
1883年に生まれ、1957年に亡くなりました。

引用したのは僕が好きな詩のひとつです。

この「ぼく」はサバ自身のことなのか、
人間一般のことなのか、
正確なことはわからないのですけれど、
僕自身は土が花も実もくれた楽々と生きた経験がないので、
後者を想定しています。

自然災害や、違う“部族”からの攻撃による脅威はあったにせよ、
生きる糧は自然がくれた。
もちろん収穫などの労働は必要だったでしょうけれど…。

その労力さえ厭わなければ、
生きていけたようです。

ところが、
現代の先進国をはじめとした社会ではそうはいきません。
だから「あした」の糧に思い煩うことになり、
「おカネ」がないと、どうしょうもない。

だから「組織」なり「制度」なりに期待するし、依存することになります。

いくら高い学歴があったり、地位に恵まれ、公認の資格・免許を持っていても、
「組織」や「制度」に依存しなければ、
不安になるわけですね。

僕も例外ではありません。

つまり裸一貫で「稼ぐ力」がないと、
変化を恐れることになります。

そこで希望と勇気を与えてくれるのは、
この詩です。

つまり「石ころ」とか「藪」といった障害はあるけれども、
もっと深く掘れば「宝」に行き着くと、
叱咤激励してくれています。

たとえば「郷土愛」など…。
保身のために「愛」を隠れ蓑にして、
自主性を偽装したくはありません。
もちろん純粋な「愛」もあるだろうけど…。

考えてみれば、
僕は掘ろうとしたことがないのかもしれません。
「宝」はもっと浅いところにあると思っていたので…。


だから、
僕はもっと深く掘ろうと思います。