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2015-06-25

道頓堀・角座で普通ではない状況が…

2015年6月25日午後 大阪・道頓堀

きょう(2015年6月25日)は代休でした。

梅雨だとは思えないような爽やかな、お天気で。

洗濯を済ませて、
谷町で鍼を打っていただいてから、
日曜日(21日)に食べたばかりだというのに、
また、クリスタ長堀の「インデアンカレー」で、
お昼ごはんをいただきました。

それからテクテクと心斎橋商店街を歩き、
戎橋から道頓堀へ出て、
「角座」の「日中(ひなか)はなしの会」を聞かせていただきました。

開演は午後1時です。

座席は126だそうで、
70歳以上とみられる方を中心に、
8割くらいの入りだったと思います。

笑福亭飛梅さんの開口一番(動物園)のあと、
笑福亭呂好さんが「狸(たぬ)さい」を演じられまして、
もともと、
お年寄りの私語が多かったんですけど、
どうもザワザワしている。

次の桂咲之輔さんが登場してマクラに入るものの…。
客席が普通ではない状況で…という話になりました。
ここで、
最前列に座っていた僕が咲之輔さんの目線の先を追うと、
救急隊員さんが劇場に入ってくるではありませんか。
その様子を咲之輔さんが説明するように“実況”されまして、
客席で80歳くらいの男性が体調を崩したらしく、
救急車が呼ばれたようです。

その男性は、意識もあって、その場ではそれほどの重篤でもなかったようで、
救急隊員さんに付き添われて客席の外へ出ていかれました。

気にかかる…。

そんな空気が会場に充満してまして、
咲之輔さんは、
お客さんに、お願いし、
舞台への登場から仕切り直されました。

不思議なもんですね。

アクシデントというか事件を共有した効果なのか、
客席の一体感が高まりまして、
それまで、おばちゃんの私語や、
数人のグループでタコ焼きを分けあって食べていた混沌とした空気が変わったんです。

これがナマの劇場の醍醐味ですね。

寄席は「一期一会」だという噺家さんは多いですけど、
それを実地に学んだ気がします。

高座に上がる噺家さんはマクラで、
寄席は客席と舞台の共同作業だと強調されることが多いです。

その日のお天気、世情、季節、観客の構成…。
同じ組み合わせは奇跡でもない限りありえないわけで、
「一期一会」はアタマではわかっていたんです。

でも、きょうみたいなアクシデントがあると、
腑に落ちる深さが違いますね。

単純に、
ライブで同じ空間にいるのがよくて、
生中継や録画のほうが劣るというわけじゃないんです。

ここが説明しにくいんですけど、
ライブで会場で観るのほうが価値が高いといいたいわけじゃないんです。
生中継や録画のほうが、
面白く見られる場合もあるでしょからね。

ただね、
きょうみたいなアクシデントの空気は会場では独特のものがあります。
なぜなら、
同じ空間を共有している人々があらゆるかたちで当事者意識を持ちやすいからです。

でもね、
メディアを通じた生中継や録画、
さらにはものすごく古い記録でも、
本当は当事者意識を持つことが必要なものが多いんではないのかな、と、あらためて思いました。

メディアを仲介すると、
当事者意識が薄まるのは、
メディアを担っている人々が他人事だと思っている度合いにもよるかもしれません。

ただ、
難しいのは、
事柄によっては他人事だと突き放さなければ、本質が見えない事象もあることです。

つまり思い入れし過ぎたり、
自分の考えを正当化するために当事者になりすぎると、
誇張や歪曲が生じる可能性があるということです。

ここで「だからマスゴミは…」といってもどうしょうもありません。

「事象」と自分との関係性を的確に把握できる能力の涵養が大切だということです。

ちょっと視点をずらして言い換えれば、
「いい人」の言うことが正しいとは限らないということです。

SNSでもそうなんですけど、
人気者や自分が好きな人間の主張が自分にとって「いいね!」とは限らないという単純な話です。

2015-06-06

12年前の「耳」


キノコの類いでも、
卑猥なものでもありません。

写真は、
僕の左耳です。

正確に言うと、
僕の左耳を型取りして、
そこに石膏を流し込んだモノです。
わかりますよね。
でも念のために言うておくのでございます。


2003年の4月から半年間、
当時、大阪・吹田の万博記念協会ビル内にあった、
インターメディウム研究所・IMI「大学院」講座へ通っていたときに、
現代美術作家のヤノベケンジさんが講師をされた授業の実習で製作しました。

IMI(インターメディウム研究所)っていうのは「メディア表現者育成学校」で、
「アートと技術の融合」をテーマとしたマルチメディアの研究を行う機関で、産学協同・実務研究プロジェクトなどを行っていました。

IMIは写真家の畑祥雄さん(現・関西学院大教授)や伊藤俊治さん(東京芸術大学美術学部先端芸術表現科教授)らが中心になって創設されまして、
僕が確か第8期グループでしたので、
1997年から活動が始まったことになるのでしょうか。
講師にはヤノベさんをはじめ著名なアーティストや研究者がたくさんいらっしゃいました。


残念ながら、もう当時のスタイルでは残っていません。

会社に「国内留学」というのができて、
自分で受け入れ先を見つけたら
会社から給料をもらいながら学生生活を送らせていただけるという制度です。
これを利用して通ったんです。

大阪での適用第1号でした!
といっても、誰も、
そんな制度を利用しようと考えなかったためで、
厳しい競争を勝ち抜いたわけではありません。

授業は主に土日に集中していて、
平日は併設する工房「彩都メディアラボ」という、webサイトや映像などを制作している会社で、

実習生をしていました。

月に1回、会社にレポート書いて、
期間終了後に報告論文を書けばいいという有り難い日々です。

そのときの初レポートに「あらためて落語家はエラいと思った」と書いたことを憶えています。

授業のやり方が僕の大学時代とは違って、
講師のパソコンの中味をプロジェクターで映しだして、
パワーポイントでつくった資料や動画、写真、図版、音を駆使して講義してくださるわけです。
板書なんてのもほとんどないし、
プロジェクターの先のスクリーンに視線が行きますから、
講師の顔や身振り手振りなんていうのもあんまり見ません。
教室を暗くすることも多いので、
見えないし。


でも、
与えられる情報量は多いわけです。

だから、
逆に、

着物姿で演じ、
扇子や手ぬぐい、
せいぜいお囃子や小拍子(=小さな拍子木みたいなものです)で見台を叩く音の演出だけ見るものの頭のなかに「世界」を作ってしまう落語家はエラいと思った次第なんです。

でも、
プロジェクターを使う先生のやり方がダメって言っているわけじゃないですよ。
芸は噺家さんには劣るでしょうし、
まぁ先生より話芸の劣る噺家さんもいらっしゃるかも
しれませんけど…。
落語っていうのは情報伝達の基本が詰まっていると思います。
だから学ぶことの宝庫です。
世の中は複雑です。
それは重々承知しています。
でも、

食べすぎ飲みすぎは身心に毒だとか、
泥棒はいけない…といった原理原則はシンプルですよね。
それと同じように、
どんなに技術が発展して世の中が便利になっても、
シンプルな基本が大切。
もうあれから干支がひと廻りした12年前、
「国内留学」期間に一番痛切に実感し、
学んだのは、
それでした。

そして今、最も痛感しているのは、
正しいシンプルなことほど継続・実践するのは難しいということ。

他人と対話するときは、
聞くのが「8」、話すのが「2」の割合くらいで、
ちょうどいい。
良い関係はまず「聞く」ことから…というのはわかっているのですけど、
これが全然できない。

結局、表現するために重要なのは、
まず「聞く」ことだというのも分かってきました。
僕の経験の範囲内で言うと、
饒舌そうな印象のある方でも、
すぐれた表現者は「聞く」のがうまいです。


…というわけで、
石膏で型どった自分の「耳」を見て、

あらためて反省しています。

で、
こんな僕でもさすがに落語は、
笑いはするけど基本は黙って聞くわけでして、
そういう意味でも落語家はエラい。
「それは当たり前だ」っていう声も聞こえてきますけど、
「学級崩壊」なんていうことを耳にすると、
そうだともいえないわけで…。


2015-05-18

繁昌亭で「お囃子JAZZ」初体験

「お囃子JAZZ『音伎噺』」CDジャケット

きょうは仕事帰りに、

天満天神繁昌亭に行ってきました。

「お囃子JAZZ~音伎噺」CD発売記念落語会を拝見拝聴してきたんです。

大阪で唯一「女道楽」(三味線慢談)を継承し、
平成24(2012)年度「文化庁芸術祭大衆芸能部門大賞」に選ばれた内海英華さんと、
日本のJAZZトロンボーン界の重鎮中の重鎮、宗清洋さんが中心となって、
和洋折衷の音楽活動を繰り広げているメンバー総勢8人が出演する舞台で、
前半が演奏、後半が落語と女道楽。

グループのフルネームは、
「内海英華with宗清洋と粋(すい)~てすとさうんど」です。

和楽器は三味線と、噺家さんの横笛、太鼓や小鼓などの鳴り物、
洋楽器はトロンボーンのほかドラムス、ベース、ピアノという編成で、英華さんがヴォーカルもつとめます。

2005年12月から「お囃子JAZZ」として活動されていたそうなんですけど、
誠に面目ないことに、
僕が、その存在を知ったのは、
先週木曜(5月14日)でした。

大阪・動物園前の寄席「動楽亭」で手にした月刊の「上方落語情報フリーペーパー よせぴっ」を読んで「何それ!」となったわけです。

JAZZトロンボーン関係のライブ情報は把握しているつもりだったのに…。
トロンボーンを始めたは2006年9月からなのに…。
ゴッド(神)の異名もとった宗清さんの存在はもちろん存じ上げていたのに…。

「お囃子JAZZ」は全く僕の情報網をすり抜けていたのです。
不覚としか言いようがない。

…というわけで、
先週末、繁昌亭に前売り券を買いにいったら、
1階席はソールドアウト…。
2階席も最後列に空きがあるのみ…。

「みんな知ってたんや…」

愕然としましたね。

「トロンボーン主義」とか言っているのに、
情けない話で、
ものすごい敗北感。

常に網を張っているつもりでも、
大事な情報が抜け落ちることがあるのは経験的に知っていたけど、
見事に取り逃がしたというか、
新聞的に言うと、
自社だけネタが紙面に出ない「特オチ」をした気分です。
大げさでなく、真面目に…。

それはさておき、
じゃぁライブはどうだったか。
今、会場で買ったCDをBGMにしていますけど、
想像をはるかに超えてよかったです。

「イン・ザ・ムード」などのビッグバンドJAZZの定番や、
エレキギターといえば、この曲ともいってもいい「ダイヤモンド・ヘッド」をはじめ、
誰でもが耳にしたことのある俗曲の「深川」が、
いい塩梅にアレンジされて、
とってつけたような不自然さが全くありません。

そもそも、
邦楽ってハーモニーという概念とは無縁だと思っていたのだけど、
三味線と横笛とトローンボーンとピアノの音がちゃんとハーモニーになっているのが驚いた。

正確にいうと、
あんまり自然にハーモニーになっていたので、
驚くのを忘れているのに気づいたのが遅くて、
それに驚きました。

これまでも邦楽と洋楽のコラボは聴いたことはあったのだけど、
洋楽器が邦楽を、
和楽器が洋楽を演奏していることを意識させるものが多くて、
それはそれで楽しいのだけど、
きょうのお囃子JAZZは違いました。

どう、たとえればいいんでしょう。

近いのは…
「えっ、アロハシャツって、
もともとは日本の着物の生地だったの?」みたいな感じかな。

食べ物でいうと、
「チョコレートとかビスケットだとかは外国のお菓子だったけど、
『きのこの山』って日本のお菓子だよね」みたいな?

宗清さんと英華さん以外の出演メンバーと口演された落語は次の通りです。敬称略。

中嶋俊夫(ドラムス)=澤雅一の代演▽笠松聡也(ベース)▽石田ヒロキ(ピアノ)▽桂枝女太(太鼓)=「転失気(てんしき)」▽桂阿か枝(鳴り物)=「子ほめ」▽笑福亭喬若(笛)=「野ざらし」

2015-05-07

名人はあの世からでも…

2015(平成27)年5月7日の動楽亭(大阪・動物園前)

暦のうえでは、

今年のゴールデンウィークはきのう(6日)で終わりでした。
でも、暦にあまり関係のない僕はきょう(7日)が代休でして、
今月初めて大阪・動物園前の寄席「動楽亭」に行ってきました。

ちょっと仕事めいたものが長引いて、
開演の午後2時を数分過ぎたあたりに入りました。
連休も終わったので、
ガラガラかと思いきや、
約60ある席はほとんど埋まっていて、
僕は最後尾列のパイプ椅子でした。

中入り前の開口一番の前座から3番目に上がったのが、
今年3月19日に亡くなった桂米朝師(享年89)の弟子で長男の、
桂米團治さん。

マクラで、父であり師匠でもある人間国宝のことを“ネタ”にされました。

だいたい、平日にはそんなにお客さんは多くない寄席なのですが、
この日は米朝師の息子の米團治さんを見たいということで、
ほぼ満席になった空気を読まれたのか、
「こんなにたくさんの方が来てくだったのも、
米朝が亡くなった、お陰でして」と、
ブラックなのに、
そんな空気を感じさせずに笑いをとってから、
3月25日、大阪・吹田市で営まれた葬儀の話題に入ったのでした。

もともと、
米朝師は3年ほど前に自分の葬儀は家族葬で、
と希望しておられたそうですが、
まず一門が大人数で、
家族とそうでない方の線引きが難しい…。
さらに葬儀に(桂)文枝さんがいらしたら、
帰ってもらうわけにはいかないでしょう?
「そうやなぁ」と当時の米朝師…。
(笑福亭)鶴瓶さんが来はったら
「それは帰ってもろて…」と笑いをとりながら、
結局、1500人が参列する大きな式になったと説明。

米團治さんを喪主とする親族(中川家)、
米朝事務所、
一門の3者によって営まれ、
一門は米朝師の直系弟子最年長の桂ざこばさん(67歳)と、
月亭可朝さんが代表をつとめられたそうです。
可朝さんは、
3代目林家染丸師の弟子を経て米朝師に再入門し、
一時は2代目小米朝を襲名していた一門の最年長(77歳)なのです。

可朝さんの式での挨拶は、
「あの世」の師匠に呼びかける内容だったみたいで、
話が進むに連れてユニークさが増したようでした。
会場の前から3列目に座っていて、
金髪で誰が見ても、それとわかる春風亭小朝さんが声を出して笑ったことで、
やっと周囲の方々も「笑ってもええんやな」という空気になり、
笑いが巻き起こるなか、
ざこばさんが子供のように大泣きしていて、
まさに松竹新喜劇の泣き笑いの世界だったとのことです。

しかし、まぁ、
亡くなったあとも多くの方から笑いをとり、
そして笑った人々も、
それが供養になると納得できる…。
この世の人でなくなっても、
落語の名人、そして生き方の名人ですね。

「生きる名人」については、
僕もいろいろと定義とか条件とかを考えていますけど、
仕事という軸があって、
それが生きることと一体になり、
…ということが代表的な一例だと思っています。

たぶん、それは仕事でなくてもいいんでしょうね。

極めるに足る信じられるものをお持ちになっていて、
それが他人様(ひとさま)にも喜んでもらえるものならば言うことはありません。

この流れで行くと、
まず何か、極めた「軸」が重要になってきそうですが、
本当に大切なのは、
他人様が喜んでいただけるかどうかではないでしょうか。

僕は最近、他人様に喜んでいただくことに勝る快感はないのではないか、と考えるようになってきたからです。

とはいえ、
ただ、存在しているだけで、
他人様に喜んでもらえるようになるというのは、
本当に難しいことでして、
方法が想像もつきません

近道のひとつが芸や仕事などを追求することのような気がします。
つまり、
ものすごくハードルが高いわけです。

ただ、もちろん、それは一例で、
全く違ったスタイルで、
機嫌よく生きて死んでいく方法もあるのでしょう。

たとえば、
全く他人と関わらず、
自分の内側だけで悟りを開いたように生きて死ぬ……。

でも僕には社会のなかで自分以外と無縁で孤独に機嫌よく生きて死んでいく素質はないようです。

他人とつながろうとすればするほど、
「自分」とか「我」といったものへの過剰な意識をなくしていくことが必要だと思うようになってきましたし…。

これは、自己犠牲とか、
誰にでも好かれる善人を演じることとはもちろん違うようです。

2015-04-18

めざせ桂米朝!


「桂米朝」といえば…
2015年3月19日に亡くなった人間国宝の噺家です。
あえて「三代目」と詳述するほうが、
「それ誰?」という風に違和感がありますね。

上岡龍太郎さんが、
「米朝の名前は永久欠番」(2015年3月25日「デイリースポーツオンライン」)と、
おっしゃっるのも当然。
誰にも異論はないでしょう。
もちろん「永久」とはいえ100年後200年後はわからないけれど…。

米朝さんが亡くなった翌日、
長男で弟子の米團治さんらが大阪市内のホテルで会見しました。
印象に残ったのが、最期を看取った弟子のざこばさんの言葉です。

「昨日は、本当に、亡くなるというのは、こういうこと。大往生というのはこういうことだと思いました。師匠、上手に死にはったなあ、よかった、よかった、おつかれさんと思いました」(2015年3月20日「産経WEST」)

滅びかけていた上方落語を復興に尽力し、
落語に生涯をかけて、
人間国宝に認定され、
演芸界初の文化勲章受章者ともなった…。
ざこばさんの言葉を拝聴すると、
さらに亡くなり方まで見事。
落語だけなく、
生きる名人で、いらっしゃった。

僕も馬齢を重ね52歳です。
もう今から、
プロ野球選手とか相撲取りとか、
ノーベル医学賞とかいうのは、
もう考えるのも無駄という以前の話、
カタツムリが時速300キロで走りたいというレベルです。
とはいえ、
機嫌よくは生きていきたい。

そこで、
もちろん米朝さんの域にまでは無理だとしても、
めざすのは勝手だし、
実現不可能とまでは言えない、ような気がします。
日本最後のガラケー利用者になるのと同じくらいの可能性はあると考えましたので、
生きる名人をめざしてみよう…と思いました。

その過程を記録するために、
このブログを開設したわけです。

よろしくお願いします。