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2016-02-10

向井滋春さんの「引き算の美学」

いやぁ参りました。
前回が2004年2月でしたから、12年ぶり。
干支が一周りしてインフルエンザ(A型)にかかってしまいました。

そんなこんなで、せっかく1月28日(木曜日)に大阪・梅田「ロイヤルホース」で、ジャズトロンボーンの向井滋春さんのライブに行ったのに書くのが遅れていました。

「トロンボーン」をブログの前面に出しながら、これはダメですよね。

で、そのライブのプレーヤーは向井さんのほか竹下清志(ピアノ)▽時安吉宏(ベース)▽マーティー・ブレイシー(Ds)=敬称略。

向井滋春=2016年1月28日、大阪・梅田「ロイヤルホース」

2015-11-28

『ニュー・トロンボーン』はジャケットだけでも若者に贈りたい

前回(2015年11月27日)に続いて今回もカーティス・フラーのアルバムです。

1957年に録音された『ニュー・トロンボーン(NEW TROMBONE)』はフラーのリーダーデビュー作。

ハード・バップの最盛期に登場し、その前のビ・バップ時代云々という講釈は専門家に任せておいて…。何よりジャケットがいいですね。

田舎の駅のホームに立つ楽器ケースを持つフラー…。いかにもこれからジャズシーンに向かっていくぜ!って感じがなんともいえず、これから新しい世界での活躍をめざす若者に、このジャケット写真でもプレゼントしたくなるほどです。もらったほうは別に嬉しくないような気もしますけれどね、中に餞別でもはさんでおけば受け取ってはくれるでしょう。
フラーは1934年生まれで、今も(たぶん)現役でライブを続けているはず。

2015-07-11

音楽CDとライブの法則

Tapestry
こんなことってないですか?

JAZZの生のライブに行って感激したので、
会場で、
そのミュージシャンのCDを買います、
サインなんかをしてもらったうえ、
握手までしてもらって、
もう胸がいっぱいになって帰宅します。

そんなときはライブハウスでビールなんかも呑んでいるし、
夜も遅いので、
そのまま寝ます。

で、
翌日、仕事から帰ってきて、
「そういえば、きのうCDを買ったんだ」と思い出して、
プレーヤーにセットして再生すると、
「えっ」と思います。
まず「音が悪い」「生で聴いた細やかさが全然ない」…。

ちょっと、この録音ひどいんじゃないの!…とがっかり。
いくら最近、CDが売れないからって、
手を抜きすぎているんじゃないの、と非難めいた言葉もアタマをよぎります。

それで、このCDはもう聴かないかもな…なんて思ってラックにしまい込みます。

でも、
1カ月くらいして何かBGMがほしいなと思って、
CDラックを探していたら、
そのアルバムが目について、
まだ1回しか聴いてないから…っていう、
もったいないみたいな気持ちもあって、
またプレーヤーに差し込んでみます。

すると…。

2015-07-10

モチベーションの宇宙

「トロンボーン主義」なんて銘打ちながら、
ほとんど、この楽器に関係することなんて書いていません。

理由は簡単です。
最近、全然、練習していないからです。

何と今月に入って一度も吹いていません。
ケースから出して、拭(ふ)いてもいません(こういうのもオヤジギャグなんでしょうね)。

なぜか…?

まず、先週から下唇の裏側のちょうど真ん中に口内炎ができて、
吹けるような状態ではなかった…。
…とはいえ、もう治っているから、
代休だった、きのう(2015年7月9日木曜日)には練習できたはず。

でも吹かなかった。

何でだろう。

自問してみます。

考えてみます。

結論は……。

2015-06-17

至福のとき

カーティス・フラーの「Vol.3」。眠る前に聴く定番のひとつです
だいたい毎日、午後10時前、早ければ9時にはベッドに入ります。
午前5時には起きるという生活です。

これが僕に一番、合っている生活パターンのようで、
以前、一線にいたころ、
午前1時、2時まで仕事をするのが日常、
夏なんか夜が明け始めたころに帰宅して、
シャワーを浴びて、
ベッドでウトウトしたら、
朝駆けのために呼んでいたクルマが迎えに来るというのも珍しくはなかった時代が嘘のようです。

あのころ何を楽しみにして生きていたんだろ?とも思うわけですが、
それはそれで、
なかなかエキサイティングで楽しかったんです。

今は何が楽しみかというと、
夜、ベッドに入って、
カーティス・フラーとか、
J.J.ジョンソンとか、
ジャックティー・ガーデンとかJAZZトロンボーン奏者がリーダーとなったアルバムなんかを聴きながら、
本を読む、
これがものすごく幸せです。
雷蔵くん(ネコ、サバトラ、♂、2歳)や球太郎くん(ネコ、シロキジ、♂、1歳、愛称:Qちゃん)も寝室に入ってきて、
僕のお腹や太ももを敷物や枕の代わりにして、
ジーっとしていて、
これが幸福度を増幅してくれます。

なんで、
こんなのが幸せだと思うのか…。

北新地のクラブで、
きれいなおねーチャンをはべらして、
高い(「たっかい」と発音してください)酒のボトルを開けて、
遊んでいんるほうが幸せではないのか!

「否」と自信を持っては言えません。

北新地のクラブで、
きれいなおねーチャンをはべらして、
高い酒のボトルを開けて遊んだことがないからです。

ですから、
あんまり説得力も普遍性もないとは思うのだけど、
自分のベッドで、
音楽をバックに、
ネコたちと一緒に本を読むくらいのことが何で一番幸せなのか、
…という一点に集中して考察せざるを得ないわけです。
ご理解、ご了承ください。

これって難しく考えればいくらでも、
言葉を費やすことができると思います。
たとえば難民が増え続ける国際情勢とか、
医学的な側面からアプローチするとかね。

でも経験的に言えるのは、
この手のことはものすごく考えて、
実証的に証明していくと、
答えが整合性を持つのに比例して、
実感と離れていくというのはありませんか。

いくら引力とか重力の説明をされても、
地球がまるいことが感覚的にはわかりにくいように。

もちろん学問的に考えることは大切です。
否定はしませんし、
僕は学問的アプローチを尊重します。

それはさておき、
僕の幸福の理由です。

なぜ、
ベッドで、
音楽をバックに、
ネコたちと一緒に本を読むくらいのことが何で一番幸せなのか…。

まず、
不安がないからでしょうね。
それから昼間にあった嫌ことも、
いいことも忘れているから、
怒りも、
高揚感もない。

自分の意識と身体が現在とぴったり重なっていて、
明日、突き詰めれば次の瞬間どうなるのか別にして、
今は問題なし。
さらには自分がどこの誰でというのも意識していなくて、
ただ、在るだけ。

明日もこうだと良いなということすら思わない…。

つまり何も考えていないから幸せみたい。

それがいいことなのかどうかはよくわからないけれど、
こんなコンディションのときには、
不意の出来事があっても、
冷静に対処できるということは経験済みです。

ただ、
激しく腹が立つことがあった、とか、
今、身の上に起こっている、とか、
明日、ものすごく嫌なことがある場合は、
そんなわけにいかないことがあるのも事実です。
どんなときでも、
どんな情況、
どんな場所でも、
眠る前は幸せでいたいもので、
もっというと、
幸せだとかも意識しないくらいになれるはずと信じています。

2015-06-10

バルブという蹉跌

ザ・デュアル・ロール・オブ・ボブ・ブルックマイヤー
とうとうやっちまっった…。
心配はしていたんです。


一線を越えてしまった…かも…。

僕はですね。
スライド管があって、
伸縮自在なのがトロンボーンの神髄だと思っています。
伸び縮みしないものは、
トロンボーンじゃないというのは教義だと考えるほどの、
「伸縮自在教」の信者だと自認しています。

だから、
ピストンバルブがついて、
スライドが伸び縮みしない、
バルブトロンボーンなんていうのは、
邪道の極み!
「テナーバス・トランペットと名乗りなさい」という感じで指をさして、
トロンボーンの王国からの追放を宣言したいほどでした。

「でした」と、過去形になるのは、
その教義を守らず、
ついに異端の道に足を踏み入れてしまったからです。

あれほど、
目をそむけていたボブ・ブルックマイヤー(Bob Brookmeyer)=1929~2011年=のCDアルバムを買ってしまったのです。ブルックマイヤーといえば、
バルブトロンボーン。
ジャズでバルブといえば
ブルックマイヤーという感じでしょうか。

場所は大阪・日本橋のディスクピア…。
仕事からの帰りでした。
魔がさしたというのか、
気がついたらレジで「ザ・デュアル・ロール・オブ・ボブ・ブルックマイヤー(The Dual Role of Bob Brookmeyer)」を手にしていました。

たとえば、ジャズトロンボーンのジャイアンツの代名詞のひとりとも言えるJ・J・ジョンソン(1924~2001年)なんて、
スライドさばきが速くて、
アルバムのジャケットにわざわざ「バルブトロンボーンじゃありません」と但し書きがあったほど。

ハンディキャップともいえる、
伸び縮みを克服、
スピード感もアピールして
生き残り、
一音一音を切らないグリッサンド演奏では管楽器の頂点に君臨してきたわけですよ。

僕みたいなトロンボーン信者にとっては、
伸縮するスライドは教義のシンボルなわけです。

そもそも僕はF管がついてレバーで息の通り道を変えられるテナーバスや、
ロータリーバルブなんかがついたバストロンボーンですら、
“純血”のトロンボーンじゃないのでは、と考えるときがあるほどの人間です。
シンプルさを極めたテナートロンボーンが楽器のなかで一番美しいと信じて疑わない人間です。

しかし、
意識のどこかで、
隠蔽された欲望のように、
バルブトロンボーンという異端への興味が息を潜めていたんでしょうね。

それがきょうの梅雨の晴れ間の開放的な空気のなかで、
するスルっと、
ちょっと油断した隙に、

漏れだしてしまった。

ディスクピアのことはほとんど記憶にありません。

「1944円です」と店員さんに言われて、
我に返りました。
老眼のせいで、
「税込み1800円」が、
「1000円」に見えていたことに、
そのときにやっと気づいたほどだったのです。

たぶん何かが僕に憑依していたのです。

CDが入った鞄を隠すように家に帰り、
震える手で、

パンドラの箱をあけるかのごとく、
CDをプレーヤーにセットしました…。

1954年と55年の録音ですけど、
ジャケットの、その数字が見間違いかもと思って見なおしたほどでした。

1950年代といえば、スィングに対抗するかたちで勃興したビバップから、クール・ジャズ、ウエストコースト・ジャズ、ハード・バップが登場したいわゆるモダン・ジャズの流れができる過渡期です。

現代のジャズの典型的なイメージの曲の勃興期ですけど、
抑制の効いたコンテンポラリー性っていうのか、
前衛的な感じと、
ポピュラーな空気が絶妙です。

ファンが多いはずですね。

とはいえ、
バルブトロンボーンをトロンボーン族だと、
認めたわけではありません。

ただ、音だけ聴くと完全にトロンボーン。
これを偽装とみるか、
自然に受け容れるか…。

とりあえず、
あれはバルブトロンボーンという種類楽器だということにしておいて、
トロンボーンかどうかは検討のため保留します。

やはり状況に応じて教義の解釈も状況に合うようにしていかないといけないのかも。

まぁ、同じ「金管族」だというところまでは間違いはないのだけど。

2015-06-09

効く音楽

Vintage Jam Session - 1954
聴いたら、
条件反射的に陽気になる音楽ってありますよね。
「そんなもんはない」というヒトは、置いといて…。
僕はあります。

「僕」というか、
ほぼ確信を持って関西人なら、
とりあえず肩の力は抜ける曲があります。

「吉本新喜劇のテーマ」といえば、
関西では誰もが思い浮かべてしまう、あの曲です。

正確にはJAZZトロンボーン奏者でヴォーカリストの、
Pee Wee Hunt(1907~79年)がバンドリーダーをつとめる曲「Somebody Stole My Gal」で、
訳せば「誰かが僕の彼女を盗っちゃった」でしょうか?

でも日本語にしようが、
モンゴル語にしようが、
このタイトルを聞いてメロディが頭に浮かぶ日本人はほとんどいないはず。

やはり「吉本新喜劇のテーマ」でないと、
ピンとこない。

「ナニワのモーツァルト」こと、キダタロー先生の作曲だと信じている大阪人も少なくないような気がします。

だって、
あのミュートをつけたトランペットの、
♪ほんわか、ほんわか、ほんわか♪
…っていう感じで始まる曲は、
「吉本新喜劇のテーマ」以外の何ものでもありません。

タコ焼きとか串かつのソースのにおいが漂ってくる感じで、
コテコテ感が充満ですもん。

何といいても、あの曲を聞くと、
岡八郎(2003年4月以降は、岡八朗)や花紀京、原哲夫から始まって、
桑原和子、池乃めだか、辻本茂雄、内場勝則…みたいな感じで頭のなかをみなさんの顔が走馬灯のように流れていきます。

もう関西人のソウルミュージックそのもので、
この曲が耳に入ってくると、
陰気な顔はできません。

逆に言うと、
葬式では絶対に流してはいけないBGMだともいえます。

吉本新喜劇の方が亡くなった場合なら別かもしれないけど…。
それでも天寿を全うしたとか、いうケースに限定されるような気がします。

この曲がPee Wee Huntのバンドの演奏だっていうのは知ってたんですけど、
不覚だったのは、
そのHuntがトロンボニストだっていうことは知らなかったことです。

先日、偶然にそれがわかって、、
「えっ、そうなん!」ってことで、
CDを探しましたよ。

ところがです。

この曲が入ったCDが見つからない。

ダウンロード版ばかり…。

…というわけで、
生まれて初めて、
アルバムをダウンロードして買いました。
「Vintage Jam Session - 1954」っていうタイトルです。

CDというパッケージ商品にこだわっていたし、
JAZZの定番アルバムとなると、
ダウンロードの方が高いっていう場合も少なくなったので、
CDで買う方がお得感はあったんですよね。

ところが、
最近は円安の影響で、
輸入CDが高くなってきました。

もしかしたら、
CDがレコードに取って代わったように、
日本でもダウンロードのデジタル音楽が主流になる転機かも。
JAZZの名盤は軒並み安くなってきましたしね。

あと5年もしたら、
「あれが分岐点だったなぁ」という話なんかするんでしょうかね。

ただね、
僕の場合、
その歴史的かもしれないときに買ったのが“新喜劇のテーマ”なんですよね。

この曲を心に思い浮かべれば、
難しい顔はできないわけです。

たぶん、
これからダウンロード音楽の話題になると、
僕の頭のなかには、
「Somebody Stole My Gal」が条件反射のように流れるのは絶対確実です。

それにしても、
この曲を聴いて陽気な気分にならない関西人っているんでしょうかね。

沈んだ気分を上げる特効薬!
聴けば効くって感じですもん。
富山の置き薬より強力かも…って、
まだ富山の置き薬ってあるんですかね。

それはさておき、
「Somebody Stole My Gal」。
大阪の家庭にとっては、
タコ焼き器のような存在かもしれません。

2015-05-18

繁昌亭で「お囃子JAZZ」初体験

「お囃子JAZZ『音伎噺』」CDジャケット

きょうは仕事帰りに、

天満天神繁昌亭に行ってきました。

「お囃子JAZZ~音伎噺」CD発売記念落語会を拝見拝聴してきたんです。

大阪で唯一「女道楽」(三味線慢談)を継承し、
平成24(2012)年度「文化庁芸術祭大衆芸能部門大賞」に選ばれた内海英華さんと、
日本のJAZZトロンボーン界の重鎮中の重鎮、宗清洋さんが中心となって、
和洋折衷の音楽活動を繰り広げているメンバー総勢8人が出演する舞台で、
前半が演奏、後半が落語と女道楽。

グループのフルネームは、
「内海英華with宗清洋と粋(すい)~てすとさうんど」です。

和楽器は三味線と、噺家さんの横笛、太鼓や小鼓などの鳴り物、
洋楽器はトロンボーンのほかドラムス、ベース、ピアノという編成で、英華さんがヴォーカルもつとめます。

2005年12月から「お囃子JAZZ」として活動されていたそうなんですけど、
誠に面目ないことに、
僕が、その存在を知ったのは、
先週木曜(5月14日)でした。

大阪・動物園前の寄席「動楽亭」で手にした月刊の「上方落語情報フリーペーパー よせぴっ」を読んで「何それ!」となったわけです。

JAZZトロンボーン関係のライブ情報は把握しているつもりだったのに…。
トロンボーンを始めたは2006年9月からなのに…。
ゴッド(神)の異名もとった宗清さんの存在はもちろん存じ上げていたのに…。

「お囃子JAZZ」は全く僕の情報網をすり抜けていたのです。
不覚としか言いようがない。

…というわけで、
先週末、繁昌亭に前売り券を買いにいったら、
1階席はソールドアウト…。
2階席も最後列に空きがあるのみ…。

「みんな知ってたんや…」

愕然としましたね。

「トロンボーン主義」とか言っているのに、
情けない話で、
ものすごい敗北感。

常に網を張っているつもりでも、
大事な情報が抜け落ちることがあるのは経験的に知っていたけど、
見事に取り逃がしたというか、
新聞的に言うと、
自社だけネタが紙面に出ない「特オチ」をした気分です。
大げさでなく、真面目に…。

それはさておき、
じゃぁライブはどうだったか。
今、会場で買ったCDをBGMにしていますけど、
想像をはるかに超えてよかったです。

「イン・ザ・ムード」などのビッグバンドJAZZの定番や、
エレキギターといえば、この曲ともいってもいい「ダイヤモンド・ヘッド」をはじめ、
誰でもが耳にしたことのある俗曲の「深川」が、
いい塩梅にアレンジされて、
とってつけたような不自然さが全くありません。

そもそも、
邦楽ってハーモニーという概念とは無縁だと思っていたのだけど、
三味線と横笛とトローンボーンとピアノの音がちゃんとハーモニーになっているのが驚いた。

正確にいうと、
あんまり自然にハーモニーになっていたので、
驚くのを忘れているのに気づいたのが遅くて、
それに驚きました。

これまでも邦楽と洋楽のコラボは聴いたことはあったのだけど、
洋楽器が邦楽を、
和楽器が洋楽を演奏していることを意識させるものが多くて、
それはそれで楽しいのだけど、
きょうのお囃子JAZZは違いました。

どう、たとえればいいんでしょう。

近いのは…
「えっ、アロハシャツって、
もともとは日本の着物の生地だったの?」みたいな感じかな。

食べ物でいうと、
「チョコレートとかビスケットだとかは外国のお菓子だったけど、
『きのこの山』って日本のお菓子だよね」みたいな?

宗清さんと英華さん以外の出演メンバーと口演された落語は次の通りです。敬称略。

中嶋俊夫(ドラムス)=澤雅一の代演▽笠松聡也(ベース)▽石田ヒロキ(ピアノ)▽桂枝女太(太鼓)=「転失気(てんしき)」▽桂阿か枝(鳴り物)=「子ほめ」▽笑福亭喬若(笛)=「野ざらし」

2015-05-01

武器と楽器

『魂の錬金術 エリック・ホッファー全アフォリズム集』

「多くの武器や道具は、もともと玩具だった。弓は武器になる前は楽器だったし、車輪は道具として使用される前は玩具であった」(『魂の錬金術 エリック・ホッファー全アフォリズム集』作品社)


エリック・ホッファーの著述のなかで、
一番好きなのが先に挙げた「遊び」に関する格言のなかの一節です。

この部分だけを読めば単に事実として物事を述べたにすぎず、
「芸術は実用品の製作よりも古く、遊びは労働よりも古い。〈中略〉人間の独自性と創造性の源泉は、その子どもじみたところに隠されているのであり、遊び場はその能力と才能を開花させる最適な環境なのである」
…という結論を補強する部分でしかないわけです。

でも、
武器としてよりも楽器としての弓のほうが先だったというのを初めて読んだときは嬉しかったのです。

人間がいて、
社会、国家がある限り、
「戦い」は不可避で、
だから「戦争はなくならない」という声もあるけれど、、
その戦争につきものの武器よりも、
同じ形をしているものでも、
楽器のほうの用途が先だったというのは、
論理を超えて、
嬉しい気がしませんか?

もちろん、
ホッファーは武器としての弓よりも、
楽器としての弓のほうが古いということを、
厳密な事実をもとに書いているわけではありません。
でも、
全く根拠のないことではないのでしょう。

いずれにせよ、
日本では戦時中に、
「遊び」は抑制されたようですが、
人間にとって、
楽器を奏でて遊ぶことよりも、
戦争の方が重要だとは言い切れないようですね。

もしかしたら、
ある種の“ユニーク”な人間が、
「遊び」の延長として“道楽”で、
人々を「戦争」に駆り立てている場合もあるかもしれません。

それはさておき、
「遊び」が独自性と創造性の源泉であるというのは、
納得できる話です。

だから「遊び」は真剣にやらないと面白くないのかもしれません。

ただ気をつけないといけないのは、
真剣さが行くつく先は、
「命」をかけるくらいでないと面白くなくなってくる可能性があるということです。

命をかけるのを完全に否定するわけではありません。
ただ、他人を巻き込むのはいけませんよね。

もしかして、
(それは本当に「戦争」という形かもしれないけれど)
自分の「遊び」の楽しさを追求するあまり、
真剣になりすぎて、
他人の生死にまで干渉するのは勘弁…。

本当は「遊び」なのに、
自覚せず、
何かの主義や正義、信条を盾にして、
「命」をかけるのは当然だと、
悲壮な顔をして、
他人を巻き込むのはやめてほしいですね。

遡れば、
「支配欲」というのも、
単なる「遊び心」から出ているものかもしれないし…。

とはいえ、
理不尽な抑圧への抵抗としての「戦争」もあるでしょう。
それに対して、
多くの「戦争」は理不尽への抵抗という美名のもとに始まるという意見もあるでしょう。

ただ、
どんな「戦争」からも逃避する「道」を残しておくことは必要なのだと考えています。

「自由」から逃げることを避けるためにも。

ちなみに、
どうでもいいことなんですけど、
トロンボーンって、
ロケットランチャーみたいな感じがしませんか。
僕は、します。
で、
そんなフォルムもトロンボーンの魅力だと思っています。

2015-04-26

ネコが悪いか

マウスピースを手前にして吹く体勢に近いアングルで撮影するとこんな感じ

ブログのタイトルの一部に、

「トロンボーン主義」なんて入れながら、
これまでの本文では、
この楽器について触れていませんでした。

うっかりしていたわけじゃないんです。

正直に申し上げると…。

逃避だったような気がします。

トロンボーンについて語るに当っては、
写真も入れたい。

が…です。

このブログを始めて以降、
まったく楽器にさわっておらず、
写真を撮る機会はありませんでした。

でも、
昨日、今月になって2回目くらいの練習のために、
楽器をケースから出して、
組み立てたので、
写真を撮る機会があって、
やっとトロンボーンをテーマにすることができたわけです。

ブログを始めたので、
吹く時間がなくなったというわけではありません。

始める前も同じような情況だったからです。

まぁものすごく簡単に言うと、
怠けていただけです。

四十の手習いで、
始めたのが2006(平成18)年9月でした。
当時の日記で調べると、
9月2日土曜日に大阪・心斎橋の三木楽器で、
ビギナー用のヤマハ「YSL-354」を買って、
その日から吹き始めました。

その動機は長くなるので、
後日に譲るとして、
今年の9月でもう丸9年になるんですね。

感じとしてはね、
まだ1年くらいかな…という実力。
自慢じゃないけど、
謙遜じゃないですよ。

いやね、最初の1年くらいは、
毎日練習していました。

その後も毎週「ヤマハ大人の音楽レッスン」にも通い、
確か発表会にも3回、出ました。

たぶん、
うまくならないのは、
楽器が安いせいかも、
とも考えて、
同じヤマハの「YSL-697Z」も、
新たに買いました。
それまで使っていた「YSL-354」の倍以上の値段でして、
吹いてみて実感したのは、
値段に比例した楽器の良さですね。

僕の実力を、
これまでよりさらに忠実に反映するので、
さらに下手さが際立ちました。

嘘だと思うでしょ?

楽器をやっている方なら、
分かると思いますけど、
本当です、真実です。

でも、まぁ4、5年前までは、
週に3、4日は練習していたんですが、
それが週2日、週1日となり、
2年ほど前からは、
2カ月に3回なんてことに…。

楽器は1日サボると、
3日後退するとも言われます。

その「法則」で、
単純に計算してみると、
僕は楽器を始める前より下手になっているという、
マイナス状態です。

でもまぁいくら何でも、
そんなことはないかと申しますと、
そうでもなくて、
楽譜を追う視力、
それを演奏に反映する運動神経、
肺活量、
金管楽器の要となる唇まわりの筋肉の力…。
加齢に従って、
そんな諸々が老化して衰えますからね。
マイナスになるのも荒唐無稽とまでは言い難い。

で、
なんで練習しなくなったか。
ひとつは、
仕事が忙しくなった…か?
考えてみれば、
そうでもありません。
ただ、
仕事の内容の変化で、
レッスンに通うのが難しくなって、
退会したら、
「宿題」ができていなくても恥をかく場がなくなったので、
「まぁ、ええか、きょうは」が2日続き、1週間続き…という次第ですね。

それと、
ネコです。
そう、あのニャァニャァ鳴く、
英語でいうとCATという動物です。

2012年11月に、
サバトラのオス、雷蔵くん(当時生後4カ月くらい)と、
一緒に暮らすようになってから、
帰宅すると、
まず、雷ちゃん(雷蔵くんの愛称のひとつ)の相手をするというか、
相手をしてもらうというかで、
トロンボーンは、
「まぁ、ええか、きょうは」が「きょうも」になって…。
さらに去年の6月にはシロキジのオス、球太郎くん(当時生後2カ月半くらい、愛称:Qちゃん)も来てからは、
「きょうも」すらなくなり…。

ネコのせいで、
もう「トロンボーンが趣味」とはいえないくらいの情況で…。

すみません。
言い訳です。
雷ちゃんもQちゃんも悪くはありません。
彼らには濡れ衣です。

悪いのは「政治」と「社会」です。
だいだい物事の責任は政治と社会に押し付けてしまえば、
丸く収まりますし、
誰の責任にもならないので、
そうしておきます。

いったい何が言いたいんでしょう?

自分でもわからなくなってますけど、
このブログの「伸縮自在通信」というのは、
トロンボーンの和名の、
「伸縮自在真鍮曲金発声器」に由来するわけで、
そんな伸縮自在な感じから、
タイトルの中に、
「トロンボーン主義」(trombonism)
という言葉を入れました。

どんな悲惨な情況で最期を迎えようとも、
「ああ面白かった」と思える、
「生きる」ことの「名人」になる方法を探るために、
このブログを続けていきたいと考えています。

ちなみに、
きのうトロンボーンの写真を撮ったら、
満足して肝心の練習はしなかったことを今、
思い出しました。