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2015-06-29

「才能」の「代用品」

以前、『ウンベルト・サバ詩集』(みすず書房)から
「仕事」という作品を引用して、
自分で生きるために宝をさがす人のように深く掘らないと、ということを書いたことがあります。

意図もニュアンスもちょっと違いますけど、
村上春樹も「走る小説家」として自分自身について綴った本走ることについて語るときに僕の語ること』(文春文庫)で、
「掘る」ことに言及しています。

小説家にとって一番重要な資質は「才能」で、
次に「集中力」、続いて「持続力」だと書いている文章のなかで、
「才能にそれほど恵まれていない」作家たちは「集中力」を養い「持続力」を増進させて「才能」の「代用品」として使うことを余儀なくされる…と述べています。

そして、そこで培われた「筋力」で、
「スコップを使って、汗水を流しながらせっせと足元に穴を掘っているうちに」「自らの中に隠されていた本物の才能に巡り合うこともある」と書いているのです。
その「本物の才能」を「秘密の水脈」とも形容しています。

2015-06-05

自分で生きるために深く掘る

ウンベルト・サバ詩集
須賀敦子訳『ウンベルト・サバ詩集』(みすず書房)のなかに、
「仕事」という短い作品が納められています。

ずっとむかし、
ぼくは楽々と生きていた。土は
ゆたかに、花も実も、くれた。

いまは、乾いた、かたい土地を耕している。
鍬は、
石ころにあたり、藪につきあたる。もっと深く
掘らなければ。宝をさがす人のように。

以上が、その全文で、
改行も同書掲載のままです。

随筆家でイタリア文学者の須賀敦子さん(1929~1998年)のファンは少なくないので、
サバのこともご存じの方は多いでしょうが、
20世紀最大のイタリア最大の詩人のひとりといわれています。
1883年に生まれ、1957年に亡くなりました。

引用したのは僕が好きな詩のひとつです。

この「ぼく」はサバ自身のことなのか、
人間一般のことなのか、
正確なことはわからないのですけれど、
僕自身は土が花も実もくれた楽々と生きた経験がないので、
後者を想定しています。

自然災害や、違う“部族”からの攻撃による脅威はあったにせよ、
生きる糧は自然がくれた。
もちろん収穫などの労働は必要だったでしょうけれど…。

その労力さえ厭わなければ、
生きていけたようです。

ところが、
現代の先進国をはじめとした社会ではそうはいきません。
だから「あした」の糧に思い煩うことになり、
「おカネ」がないと、どうしょうもない。

だから「組織」なり「制度」なりに期待するし、依存することになります。

いくら高い学歴があったり、地位に恵まれ、公認の資格・免許を持っていても、
「組織」や「制度」に依存しなければ、
不安になるわけですね。

僕も例外ではありません。

つまり裸一貫で「稼ぐ力」がないと、
変化を恐れることになります。

そこで希望と勇気を与えてくれるのは、
この詩です。

つまり「石ころ」とか「藪」といった障害はあるけれども、
もっと深く掘れば「宝」に行き着くと、
叱咤激励してくれています。

たとえば「郷土愛」など…。
保身のために「愛」を隠れ蓑にして、
自主性を偽装したくはありません。
もちろん純粋な「愛」もあるだろうけど…。

考えてみれば、
僕は掘ろうとしたことがないのかもしれません。
「宝」はもっと浅いところにあると思っていたので…。


だから、
僕はもっと深く掘ろうと思います。