キノコの類いでも、
卑猥なものでもありません。
写真は、
僕の左耳です。
正確に言うと、
僕の左耳を型取りして、
そこに石膏を流し込んだモノです。
わかりますよね。
でも念のために言うておくのでございます。
2003年の4月から半年間、
当時、大阪・吹田の万博記念協会ビル内にあった、
インターメディウム研究所・IMI「大学院」講座へ通っていたときに、
現代美術作家のヤノベケンジさんが講師をされた授業の実習で製作しました。
IMI(インターメディウム研究所)っていうのは「メディア表現者育成学校」で、
「アートと技術の融合」をテーマとしたマルチメディアの研究を行う機関で、産学協同・実務研究プロジェクトなどを行っていました。
IMIは写真家の畑祥雄さん(現・関西学院大教授)や伊藤俊治さん(東京芸術大学美術学部先端芸術表現科教授)らが中心になって創設されまして、
僕が確か第8期グループでしたので、
1997年から活動が始まったことになるのでしょうか。
講師にはヤノベさんをはじめ著名なアーティストや研究者がたくさんいらっしゃいました。
残念ながら、もう当時のスタイルでは残っていません。
会社に「国内留学」というのができて、
自分で受け入れ先を見つけたら
会社から給料をもらいながら学生生活を送らせていただけるという制度です。
これを利用して通ったんです。
大阪での適用第1号でした!といっても、誰も、
そんな制度を利用しようと考えなかったためで、
厳しい競争を勝ち抜いたわけではありません。
授業は主に土日に集中していて、
平日は併設する工房「彩都メディアラボ」という、webサイトや映像などを制作している会社で、
実習生をしていました。
月に1回、会社にレポート書いて、
期間終了後に報告論文を書けばいいという有り難い日々です。
そのときの初レポートに「あらためて落語家はエラいと思った」と書いたことを憶えています。
授業のやり方が僕の大学時代とは違って、
講師のパソコンの中味をプロジェクターで映しだして、
パワーポイントでつくった資料や動画、写真、図版、音を駆使して講義してくださるわけです。
板書なんてのもほとんどないし、
プロジェクターの先のスクリーンに視線が行きますから、
講師の顔や身振り手振りなんていうのもあんまり見ません。
教室を暗くすることも多いので、
見えないし。
でも、
与えられる情報量は多いわけです。
だから、
逆に、
着物姿で演じ、
扇子や手ぬぐい、
せいぜいお囃子や小拍子(=小さな拍子木みたいなものです)で見台を叩く音の演出だけ見るものの頭のなかに「世界」を作ってしまう落語家はエラいと思った次第なんです。
でも、
プロジェクターを使う先生のやり方がダメって言っているわけじゃないですよ。
芸は噺家さんには劣るでしょうし、
まぁ先生より話芸の劣る噺家さんもいらっしゃるかもしれませんけど…。
落語っていうのは情報伝達の基本が詰まっていると思います。
だから学ぶことの宝庫です。
世の中は複雑です。
それは重々承知しています。
でも、
食べすぎ飲みすぎは身心に毒だとか、
泥棒はいけない…といった原理原則はシンプルですよね。
それと同じように、
どんなに技術が発展して世の中が便利になっても、
シンプルな基本が大切。
もうあれから干支がひと廻りした12年前、
「国内留学」期間に一番痛切に実感し、
学んだのは、
それでした。
そして今、最も痛感しているのは、
正しいシンプルなことほど継続・実践するのは難しいということ。
他人と対話するときは、
聞くのが「8」、話すのが「2」の割合くらいで、
ちょうどいい。
良い関係はまず「聞く」ことから…というのはわかっているのですけど、
これが全然できない。
結局、表現するために重要なのは、
まず「聞く」ことだというのも分かってきました。
僕の経験の範囲内で言うと、
饒舌そうな印象のある方でも、
すぐれた表現者は「聞く」のがうまいです。
…というわけで、
石膏で型どった自分の「耳」を見て、
あらためて反省しています。
で、
こんな僕でもさすがに落語は、
笑いはするけど基本は黙って聞くわけでして、
そういう意味でも落語家はエラい。
「それは当たり前だ」っていう声も聞こえてきますけど、
「学級崩壊」なんていうことを耳にすると、
そうだともいえないわけで…。
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