2015-04-30

ゴルゴではなくフランクリン13…。

ベンジャミン・フランクリンの「13徳」を貼った2014年のモレスキン・デイリーダイアリー
たぶん7年くらい前からだと思います。
新しい年を迎えるときに毎年の手帳に貼り付けているものがあります。

アメリカ合衆国建国の父のひとりで政治家や物理学者などとしても知られるベンジャミン・フランクリン(1706-1790年)が掲げた「13徳」(Benjamin Franklin's Thirteen Virtues)をプリントアウトした紙です。

「13徳」は以下の通りです(wikipediaより)
1.節制:飽くほど食うなかれ。酔うまで飲むなかれ。
2.沈黙:自他に益なきことを語るなかれ。駄弁を弄するなかれ。
3.規律:物はすべて所を定めて置くべし。仕事はすべて時を定めてなすべし。
4.決断:なすべきをなさんと決心すべし。決心したることは必ず実行すべし。
5.節約:自他に益なきことに金銭を費やすなかれ。すなわち、浪費するなかれ。
6.勤勉:時間を空費するなかれ。つねに何か益あることに従うべし。無用の行いはすべて断つべし。
7.誠実:詐りを用いて人を害するなかれ。心事は無邪気に公正に保つべし。口に出だすこともまた然るべし。
8.正義:他人の利益を傷つけ、あるいは与うべきを与えずして人に損害を及ぼすべからず。
9.中庸:極端を避くべし。たとえ不法を受け、憤りに値すと思うとも、激怒を慎むべし。
10.清潔:身体、衣服、住居に不潔を黙認すべからず。
11.平静:小事、日常茶飯事、または避けがたき出来事に平静を失うなかれ。
12.純潔:性交はもっぱら健康ないし子孫のためにのみ行い、これにふけりて頭脳を鈍らせ、身体を弱め、または自他の平安ないし信用を傷つけるがごときことあるべからず。
13.謙譲:イエスおよびソクラテスに見習うべし。
…で、
手帳に貼り付けてどうなったか?

結論を言うと、
全くどうにもなりませんでした。

やっぱりね、
「お札(ふだ)」じゃないんですからね、
貼り付けているだけで御利益(ごりやく)があるわけもなく、
どうしょうもありません、
実践しないと。

フランクリンほどの人物でも、
<「道徳的完全に到達する大胆で難儀な計画」を思いついた>
と『自伝』で言っているほどなんで、
もともと簡単じゃないんです。

だから、
毎週1週間を徳目のひとつつに捧げて、年に4回この過程を繰り返した…というんですね。

上の実践方法も
wikipediaからの引用です。
“『自伝』によると”とあるので、
持っているはずの、
その『自伝』(岩波文庫)を探したんですけど、
だいたいいつものことで、
必要とする本はすぐに見つからない。

「3.規律」の「物はすべて所を定めて置くべし」を痛感するわけです。

やっぱり的を射たことを言いますね、よっ大統領…。
あっフランクリンは大統領はやらなかったですね。

さて、
あらためて、
毎週1週間を徳目のひとつつに捧げて、年に4回この過程を繰り返す…という方法について、です。

正直のところ最初、
「そんなもん、めんどくさいわい。これくらいいっぺんにやったるわい」と意気盛んでしたが、
「1.節制:飽くほど食うなかれ。酔うまで飲むなかれ」なんか、
いともたやすく破ってしまいます。
「酔わんかったら酒のむ意味ないやないかい」と、
守らない理由はもういくらでもありますし…。

「2.沈黙」にしたって「自他に益なきことを語るなかれ。駄弁を弄するなかれ」って、
たぶん、これ実践すると、
僕の場合、何もしゃべらない、異常といえるほどに無口な人間になってしまいます。
もはや人間ではなく貝です。
だいたい少なく見積もっても僕が話すことの99%は自他に益なき駄弁ですからね。

…というわけで、
手帳には律儀に「13徳」を貼り付けるのが、
単なる惰性の恒例行事になっています。
政治家が選挙のときに掲げるスローガンと同じです。
それよりはマシかな、
一応やる気はありますからね。

でもね、
もう50も過ぎて、
これではいかんと思うわけですよ。

人生の残り時間も、
たぶんかなり長く見積もって、
あと50年………。
長すぎるかな、まぁいいや。
でも、
そのうちの半分の25年は後期高齢者ですから、
夜、布団に入ったまま、
そのまま冷たくなってもおかしくないというのが日常でしょう。

ですから、
「6.勤勉」の「時間を空費するなかれ」っていうのは、
痛切に響きますね。

じゃぁ「それでどうなるの」と詰め寄られても、
「すみません」って謝るしかないのだけど、
凡庸さに比例して、
「このままではあかん」と思うんでしょうね。
まぁ物心ついたときから、
そう思い続けてきたような気もするけど…。

それに恥ずかしい話、
毎週1週間を徳目のひとつに捧げて、年に4回この過程を繰り返す、…この肝心な方法を忘れて、
単に手帳に貼り付けていたことに、
何と本日きょう2015年4月30日、
気づいたんです。

「そんなもん、めんどくさいわい。これくらいいっぺんにやったるわい」という最初の意気込みだけが毎年、空回りして生き残ってきて、
もともとの基本を忘れていたわけです…。
こういうの何ていうんでしょう?
仏つくって魂入れず…。
違うな。
空念仏…。
微妙に違うな。
豚に真珠…。
なんか違うけど、
そういうことのような気がします。
う~ん、もっと適切なたとえ…。
ブルーレイレコーダーにCD-ROMを入れるようなもの…。
さらに離れたな。

…というわけで、
まず、きょうから1週間、

「1.節制:飽くほど食うなかれ。酔うまで飲むなかれ」で行きます。

来週は
「2.沈黙」なんで、
あんまりしゃべりませんが、
そういうことなんで、
怪しまないでください。

ちなみに、
「4.決断」は楽勝かな。
なすべきことを何も決心しなければ、いいんですもん。

「12.純潔」はもっと簡単。
この週は「13徳」の休憩期間と同じですな。

今回で、このブログを開設して、
13日連続で更新できたので、
「13」にちなんだテーマにしてみました。

2015-04-29

戦争と『幸福論』


「そんなことは説明されないでもわかっている」

…と声を張り上げて怒る人間も、
たぶん…
いないだろうから書きます。

『幸福論』はフランスの哲学者、アラン(1868-1951年)の著作で、新聞に連載していたプロポ(哲学断章)のうち、
幸福に関する93の文章をまとめたものです。

文章のそれぞれの末尾に日付けが入っているけれど、
それが新聞に掲載された日なのか、
執筆日なのかは、
僕が持っている岩波文庫版(神谷幹夫訳)では不明です。

誰か知っていたら教えてください。

それぞれのプロポが、
時系列に並んでいないので、
ひとつずつ確認したら、
日付けは、1906年8月29日が一番古くて、
1926年12月20日が一番新しい。

つまり第一次世界大戦(1914-1918年)を挟んだ期間の著述となります。

そのなかで筆頭に収められているのが、
1922年12月8日の日付けがある、
「名馬ブケファラス」です。

マケドニア王アレクサンドロス三世(紀元前356-323年)に贈られた荒馬のエピソードなどをもとに「恐怖」についての思索が表現されています。

まったく危険のないものでも不意をつかれると怯えてしまうことや、
他人のいらだちの理由は意外に単純なことで、
その原因を取り除けば、いらだちも簡単に解消することを説明して、
「一九一四年の不幸(第一次世界大戦)」に言及しています。

その不幸は「要人たちがみんな、不意打ちをくらったことから生まれたのだ」「人間が怖がると、怒りは遠からず起こる」「興奮するとすぐにいらだつ」「休息している時から、突然よびもどされるのは好ましい状況ではない」「そういう時はよく気分が変わる」「寝ていて不意に起こされた時のように、目が覚めすぎてしまうのだ」と述べています。

wikipediaによると、
「第一次世界大戦が始まると46歳で自ら願い出て志願兵となり、戦争の愚劣さを体験するために好んで危険な前線に従軍した」とありますから、
「不幸」は痛感していたのでしょう。

結局「不幸」の教訓は生かされなかったわけですが、
その次の「不幸」の教訓は今のところ生かされていると言ってよいかもしれません。

しかし、油断は禁物。

国内外ともに、
不意打ちくらって、
怖がり怒るような「要人」には注意しないといけませんね。

2015-04-28

大阪都構想と「大大阪」


現在の大阪市を廃止して5つの特別区を設けるいわゆる「大阪都構想」の賛否を問う住民投票がきのう4月27日(2015年)に告示されました。


大阪市選挙管理委員会のwebサイトによると正式には、
この住民投票は「特別区設置住民投票」というようです。

投票日は5月17日。

僕は大阪市民ではないので、
投票権はありませんが、
大阪市に勤務先がありますし、
「大阪都」になるかもしれない「大阪府」の住民なので、
もちろん関心はあります。

「大阪市」がなくなってしまうのか、存続するのか、
考えてみれば、というか、
考えてみなくても歴史的な投票ですね。

だから関心も「もちろんある」どころか、
「もうめちゃくちゃある」。

僕の「大阪都構想」への賛否は、
ここではひとまず置くとして、
1冊の本を読み始めました。

法制史・日本史研究者、三浦周行(みうら・ひろゆき、1871-1931年)の『大阪と堺』(岩波文庫)です。

「都構想」が話題になり始めた何年か前に買っていたのに、
まだページも開いていませんでした。
いよいよ、真剣に読むときが来たという感じでしょうか。

「中世の大阪」「町人の都」など5つの論文で構成されています。

1925(大正14)年、大阪市が当時の西成・東成の両郡全域を合併し、人口211万人の世界で6番目に人口の多い、日本一の大都市となった頃に著された文章です。

いわゆる「大大阪時代」の幕開けの時期、
大阪市は当時の東京市をしのいでいたのです。

今や夢…嘘のような話です。
が、
歴史的な事実だったのですね。

もちろん単純に、
「大きいことはいいことだ」
とは思いません。
チョコレートじゃないんですから…。
(この意味がわかるヒトはどれくらいいるのかしらん)


しかし、
東京一極集中による、
地方の空洞化が問題になるなかで、
「大阪都構想」は、
その解決策になるのか。

また喫緊の課題ともいえる大阪府・市の「借金」軽減に役立つのか。

そんなことを考えるヒントとして、
この本を読み始めるわけです。

機嫌よく暮らすためには、
環境は大切です。
どんな環境にも適応して、
「住めば都」と感じるのが正解だとはいえ、
あえて環境の悪いところに住むのが本末転倒なのは言わずもがな。

「5・17」が歴史的な転換点になるのか。

そんなことを意識つつ、
このブログでは、
「大阪」についても、
僕なりに考えていくつもりですので、

今回は、
そのプロローグということで…。

2015-04-27

希望は細部に宿る

「バスケットボールスピリッツ」という雑誌があります。

vol.1が2013年12月16日、
「2」が 2014年3月29日、
「3」が同年7月17日、
「4」が同年11月26日、
最新号の「5」が今年5月1日の発行で、
次号の発売予定が6月下旬…というんですから、
不定期刊なんでしょうね。

タイトルで説明は不必要だと、
思いますが、
バスケットボールの専門誌です。

興味のない方には、
国内に2つある男子の2リーグの統一問題から、
海外で活躍する日本人選手の話題まで、
幅広く取り上げていると前置きして、
詳細を説明しようとすると、
そのまま別のページに行かれてしまいそうなんで、
そんなことはしません。
したいけれど…。

で、クイズです。

同誌の最新号(vol.5)の中の1ページを写真に撮って、
掲出してみました。


違和感を覚えませんか?

覚えませんか…。
印刷、出版関係の方なら、
もうすでに、
「けしからん!!!!!」と頭に湯気状態の方もおいでかも…。

でも、それはバスケに興味のない印刷・出版関係の方でしょうね。

ふふふふふっ(笑いです)。

写真のページは、
国内に2つある男子リーグ、bjリーグとNBLそれぞれの、
レギュラーシーズン終了後のリーグ覇者を決める決戦のスケジュールです。

つまり「PLAY OFF」の記事なんですが、
上段bjリーグはカタカナで「プレイオフ」、
下段NBLは「プレーオフ」になっていますよね。

ミスでしょうか。

いえ違います。

それぞれのリーグのカタカナ表記が違うのを厳密に反映しているんです。

ちなみに新聞は、
どちらのリーグも「プレーオフ」と表記します。

でも、
1枚のページにこんな厳密なこだわりをするのは、
僕個人として嫌いではありません。

バスケは野球、サッカーに比べると、
プロとしては発展途上のスポーツですけど、
こんなこだわりのある雑誌の発行元(株式会社アートグラフィック新潟)が、
「新潟県北蒲原郡聖籠町」っていう、
どんなところか僕には想像もできない町にあるのは、
将来に希望を感じますね。

まだ3ポイントシュートがない時代から、
バスケをやっていた人間としては、
しみじみします。

2015-04-26

ネコが悪いか

マウスピースを手前にして吹く体勢に近いアングルで撮影するとこんな感じ

ブログのタイトルの一部に、

「トロンボーン主義」なんて入れながら、
これまでの本文では、
この楽器について触れていませんでした。

うっかりしていたわけじゃないんです。

正直に申し上げると…。

逃避だったような気がします。

トロンボーンについて語るに当っては、
写真も入れたい。

が…です。

このブログを始めて以降、
まったく楽器にさわっておらず、
写真を撮る機会はありませんでした。

でも、
昨日、今月になって2回目くらいの練習のために、
楽器をケースから出して、
組み立てたので、
写真を撮る機会があって、
やっとトロンボーンをテーマにすることができたわけです。

ブログを始めたので、
吹く時間がなくなったというわけではありません。

始める前も同じような情況だったからです。

まぁものすごく簡単に言うと、
怠けていただけです。

四十の手習いで、
始めたのが2006(平成18)年9月でした。
当時の日記で調べると、
9月2日土曜日に大阪・心斎橋の三木楽器で、
ビギナー用のヤマハ「YSL-354」を買って、
その日から吹き始めました。

その動機は長くなるので、
後日に譲るとして、
今年の9月でもう丸9年になるんですね。

感じとしてはね、
まだ1年くらいかな…という実力。
自慢じゃないけど、
謙遜じゃないですよ。

いやね、最初の1年くらいは、
毎日練習していました。

その後も毎週「ヤマハ大人の音楽レッスン」にも通い、
確か発表会にも3回、出ました。

たぶん、
うまくならないのは、
楽器が安いせいかも、
とも考えて、
同じヤマハの「YSL-697Z」も、
新たに買いました。
それまで使っていた「YSL-354」の倍以上の値段でして、
吹いてみて実感したのは、
値段に比例した楽器の良さですね。

僕の実力を、
これまでよりさらに忠実に反映するので、
さらに下手さが際立ちました。

嘘だと思うでしょ?

楽器をやっている方なら、
分かると思いますけど、
本当です、真実です。

でも、まぁ4、5年前までは、
週に3、4日は練習していたんですが、
それが週2日、週1日となり、
2年ほど前からは、
2カ月に3回なんてことに…。

楽器は1日サボると、
3日後退するとも言われます。

その「法則」で、
単純に計算してみると、
僕は楽器を始める前より下手になっているという、
マイナス状態です。

でもまぁいくら何でも、
そんなことはないかと申しますと、
そうでもなくて、
楽譜を追う視力、
それを演奏に反映する運動神経、
肺活量、
金管楽器の要となる唇まわりの筋肉の力…。
加齢に従って、
そんな諸々が老化して衰えますからね。
マイナスになるのも荒唐無稽とまでは言い難い。

で、
なんで練習しなくなったか。
ひとつは、
仕事が忙しくなった…か?
考えてみれば、
そうでもありません。
ただ、
仕事の内容の変化で、
レッスンに通うのが難しくなって、
退会したら、
「宿題」ができていなくても恥をかく場がなくなったので、
「まぁ、ええか、きょうは」が2日続き、1週間続き…という次第ですね。

それと、
ネコです。
そう、あのニャァニャァ鳴く、
英語でいうとCATという動物です。

2012年11月に、
サバトラのオス、雷蔵くん(当時生後4カ月くらい)と、
一緒に暮らすようになってから、
帰宅すると、
まず、雷ちゃん(雷蔵くんの愛称のひとつ)の相手をするというか、
相手をしてもらうというかで、
トロンボーンは、
「まぁ、ええか、きょうは」が「きょうも」になって…。
さらに去年の6月にはシロキジのオス、球太郎くん(当時生後2カ月半くらい、愛称:Qちゃん)も来てからは、
「きょうも」すらなくなり…。

ネコのせいで、
もう「トロンボーンが趣味」とはいえないくらいの情況で…。

すみません。
言い訳です。
雷ちゃんもQちゃんも悪くはありません。
彼らには濡れ衣です。

悪いのは「政治」と「社会」です。
だいだい物事の責任は政治と社会に押し付けてしまえば、
丸く収まりますし、
誰の責任にもならないので、
そうしておきます。

いったい何が言いたいんでしょう?

自分でもわからなくなってますけど、
このブログの「伸縮自在通信」というのは、
トロンボーンの和名の、
「伸縮自在真鍮曲金発声器」に由来するわけで、
そんな伸縮自在な感じから、
タイトルの中に、
「トロンボーン主義」(trombonism)
という言葉を入れました。

どんな悲惨な情況で最期を迎えようとも、
「ああ面白かった」と思える、
「生きる」ことの「名人」になる方法を探るために、
このブログを続けていきたいと考えています。

ちなみに、
きのうトロンボーンの写真を撮ったら、
満足して肝心の練習はしなかったことを今、
思い出しました。

2015-04-25

自由帳の憂鬱


本などをいただいたときに、
著者の方に御礼の葉書を送るというのはよくあることです。
僕は完全には実践できませんが、
それがまぁ基本的な礼儀というのは間違いないでしょうね。

作家、文化人にちなんだ展覧会やイベントなんかでは、
著名人が差し出した葉書や手紙が展示されていることもあります。

大作家といわれるような方は字にも趣きがあって、
単に「只今落掌。さっそく拝読します」とお書きになっているだけで、
絵になりますね。

届いてすぐに葉書を送るっていうのには、
「おお早々と義理堅い」と思っていただけるという効果もありますが、
送る方からすれば、
感想を書く必要がないので、
手間が省けて楽ちん…というのも、
耳にしたことがあります。

大作家ともなると、
お世辞にも上手いとはいえず、
文字の大きさも、
行の左右も乱れ、
時には判読不能でも、
「味がある」ということになって、
我々素人が実際に見ても、
何とも言えない、
有り難いような雰囲気を感じますね。

最近は、そんな礼状もe-mailなんかで送るほうが主流になっていますが、
やはり、そんなもので送られると失敬だと感じる方や、
もともとパソコンを持っていないし、
携帯メールもやらないという大家もおいでです。

そうすると、
やはり葉書となるわけです。

僕は、あの葉書が苦手です。

字が下手で、
まさに金釘の小学生。
とても50すぎの男が書いたものだとは思えない。
横に書けば、
行が右上がりになったり、
下がったり…。
縦に書けば、
まさに比喩抜きでミミズの這ったあと…。

郵政民営化前は、
当時の官製葉書、今でいう「郵便はがき」にも、
罫線入りのがあったんですが、
今はなくなりました。

「郵便はがき」は切手を貼る必要もないので、
ささっと書いて、
ポンとポストに投函すれば、
いいだけ。

便利なんですけど、
字に自信がない人間には苦痛です。
白紙に文字を書くのは難しい。

宛名も何もかも、
パソコンで打ってプリントアウトするという方法もありますけど、
だいたいパソコンも持たない、
携帯メールもやらない、
という方は、
そのような葉書は失敬だと感じる方も多いようなので、
始末が悪い…。
まぁ始末が悪いっていうのも、
相手に失礼なこちらの事情なんですけどね。

だから、
どうしても筆不精になってしまいます。
e-mailなら簡単に遅れるものが、
葉書、手紙になると、
同じ内容を送るにしても、
億劫さは天と地の差です。

通天閣の展望台までエレベーターで昇るのと、
「あべのハルカス」の最上階まで階段で行くくらいの差があります。

ネット時代になってくると、
筆不精っていうのが単に、
文章をつくるのに不精というという本来の意味とは、
違うケースも出てくるわけですね。

ノートも、
僕は方眼罫が一番つかいやすい。
縦書きも横書きにも罫線があるのと同じですからね。

やっぱり一番苦手なのが白紙の罫線なし。

ところが、
白紙のノートにも、
縦に書けば、地面と90度、
横には地面と平行に、
まるで罫線があるように文字が書ける方がいますね。

あれはうらやましい。

だいたい絵心がある方には、
そういう方が多い印象があって、
平面や空間の認識力・再現力が優れているんでしょうね。

僕なんか、
あとで消しゴムを使えばいいやということで、
葉書に鉛筆と定規で等間隔の線を薄く引いて、
罫線をつくることがありますが、
情けないことに、
この罫線すら、
右上がり右下がりになることもあるくらいです。

だから罫線のない白紙の自由帳を前にすると、
呆然とすることがあります。

まず、
字の大きさから悩みますからね。
その次が縦書か横書きか…。

もうそれだけで面倒になって、
「明日にしよう」と投げ出すことがあります。

そういう意味で、
「自由」っていうのは、
とりとめもなく、
頼りないものかもしれません。

エーリッヒ・フロム(1900-1980年)は著書『自由からの逃走』で、自由が呪縛となって全体主義に傾斜していく危険性を指弾したそうですが、それはさておき…。

自由を突き詰めれば、
「般若心経」などで説かれるところの仏教の「無」につながるという考えもあるそうです。
「私」「個人」なんてものは、
現世の仮初めというわけですね。

そこまでのレベルになると、
輪廻と無我の矛盾を“和解”させた「唯識論」なんていうのを勉強する必要があるらしいけれども、
とりあえず、
白紙を与えられても、
呆然とせず、
自由を放棄せず、
何かを書ける・描ける人間になりたいもんですね。

そんなことを思いながら、
「オカザえもん自由帳」の白無地のページを前に、
腕を組んでいます。

2015-04-24

身辺整理のために

機嫌よく暮らしたい、
「生きる」ことの「名人」になりたい…っていうように、
「たい」がつくということは、
取りも直さず、
まだ、その状態が実現していないということですね。

…って、
日本語会話教室みたいな出だしになってしまいました。

何がいいたいのか、というと、
どうして、まだ「たい」なのか…。
「イカ」でも「タコ」でも「マグロ」でもないのか……。

………すみません、前の1行、忘れてください。

「名人」はさておき、
なんで機嫌よく暮らせていないのか、
その理由を考えてみました。

健康のために運動したら、
そのあとに飲むビールがおいしすぎて、
食が進む結果、
体重が増えて不健康になる…とか、

で、
あまりビールがおいしくなりすぎないように、
運動を控えても、
適度にビールがおいしいので、
お腹に脂肪がつく…だとか、

英単語を覚えたら、
その元の日本語を忘れて、
英語しか出てこない場合があるのに、
さっぱり英会話の能力が上がらない…とか、

スーパーの1階の日用品売り場で、
トイレットペーパーや、お風呂洗い用洗剤なんかを買ってから、
地下1階の食料品売り場で、
ビールやら、ネギやら、豆腐やらを買ってレジ袋に詰めて、
自宅の玄関近くまで帰ってきたら、
日用品売り場で買った品物すべてを食料品売り場に忘れて、
取りに戻ることが、よくある…とか、

なんていうか、
不可抗力というか、
老化というか、
持って生まれた能力というか、

そういうどうしょうもないころで、
不機嫌になることが少なくないことに気づきました。

これは改善が難しいので、
とりあえず耐えてやり過ごし、
気にしないようにするしかない……のような気がします。

じゃぁ他の不機嫌になる原因は…。

本やら資料やら「紙系」のものが多すぎて、
だいたい必要なときに、
必要なものが見つからず、
不必要なものばかりが目につくのに、
その数時間後、
その不必要だったはずのものが必要になると、
さっきはあんなに簡単に目についたものが、
宇宙から消滅したように見つかりません。

これは不機嫌の原因の8%くらいはあって、
消費税みたいに、
隙があれば、
10%になってやろうという勢いなことに気づきました。

これは本や資料を整理すれば、
なんとかなる。

つまり改善の余地があることに気づきました。

で、
いざ、その整理を始めても、
片付きません。

なぜか?

考えました。

で、
わかりました。

全体の量が減らないからです。

つまり捨てないといけない。

本は折をみて処分しているのですが、
意外にスペースを占めているのが仕事関係の資料や書類、メモです。
もう二度と必要はなく、
保管の必要もないということはわかるのですが、
職業柄、迂闊に捨てるのは怖いものもあります。
…というか、それだからこそ、
捨てられずに持っているのだけど。

大きな庭があれば焚き火で燃やしたり、
深さ30メートル・直径10メートルほどの穴を掘って埋めたり、
また、
サンタクロースが苦労せずに入ってこれるような暖炉があれば、
そこに投げ燃やす…ということもできますが、
そのすべてがありません。

どうするか…。

会社に持っていって、
シュレッダーにかけてしまえばいいわけですが、
ここで先に書いたような僕の「能力」…不可抗力的な問題があります。

僕はものを失くしやすい。
帽子だけで、
この半年に5回忘れて、結局3つなくし(忘れて戻ってきてまた失くしたものがあるということです)。
財布も一昨年11月から、
これまで4回失くし、
これは幸い毎回返ってきました(日本に生まれてよかったです)。

そういえば初めて買ったiphoneは5日で失くし、
戻ってきませんでした。

ですから、
そんな「怖い」書類を持ち出すのは危険です。
それもあって自宅に眠っていたという事情もあるんです。

…というわけで、
梅田のヨドバシで、
買いました、
そうシュレッダーです。

1回にA4判用紙が6枚処理できるのと、
家に置くには大きさが手頃。
さらに値段が3,250円(税込み)で、
たまったポイント内で全額充当できるというのをゲット!!!



勇んで書類の処理を始めました。

26年前のものからありまして、
量もなかなかのもの…。

値段のわりにサクサクといくんですが、
目いっぱい使うと連続稼働時間が2分…。
で、
30分くらいの休憩が必要で…というわけで…。

今、シュレッダーの復活を待ちながら、
シュレッダーという「荷物」がまた増えただけではないか、
と考えているところです。

2015-04-23

「THE 米朝」


桂米朝さんが亡くなったのが先月19日ですから、

もう、ひと月以上…前のことなんですね。

「ひと月以上」のあとに「も」をつけるかどうかが微妙です。

「もうそんなになるかな」という思いと、
花見の季節を、またいだせいか、
訃報に驚いたのが、
ずいぶん前のようにも感じる気持ちが交じり合います。

昨晩そんなことを考えながら、
DVDとCDが各1枚で2枚組になった「THE 米朝」を観て聴きました…きょうびのことですから、
Amazonで買って家で視聴したわけです。

DVDには「百年目」<NHK「夜の指定席」=大阪厚生年金会館中ホールで収録、昭和57(1982)年4月16日放送分>と、
「本能寺」<毎日放送「特選落語全集」=コスモ証券ホールで収録、平成10(1998)年10月25日放送分>、

CDには「地獄八景亡者戯」<平成2(1990)年4月22日、京都府立文化芸術会館で収録>が入っています。

まずDVDです。
もう、これは笑いながらビジネスの勉強もできるようになっているんです。
さすが人間国宝です。僭越ながら感心しました。

「百年目」は米朝さんの十八番といわれるネタのひとつ…。
ここに仏教のことも交えながらリーダー論と、商売の機微が織り込まれており、
「なるほど!」と膝を何回も叩きすぎて痣(あざ)ができるほど。

僕は、このネタを大阪・動楽亭で2回、
桂ざこばさんが口演するのを聞きました。

ざこばさんは、
親子にも似た大旦那と番頭の関係を、
師匠の米朝さんと自分に重ねてアレンジしておられました。

ざこばさんは内弟子修業時代、皮膚病にかかっていたとき、
米朝さん自身が臭い薬を、ざこばさんの背中に塗ってくれた思い出を大旦那と番頭の昔話として織り込んで
師弟の人情の機微を強調されており、
米朝さんとは、また違った魅力があります。

そんなことも重ねて、
米朝さんの「百年目」を拝見すると、
落語の面白さを再発見したようで嬉しい気にもなります。

「本能寺」は芸能やスポーツなどのエンターテインメントビジネスに関わる方は必見でしょう。
集客方法の細かい部分まで昔の知恵の再利用を提案してくださっています。

「百年目」も「本能寺」も、
それぞれに僕が感心した「役に立つビジネス情報」は、
まとめて整理して、
ここで再現することもできますが、
米朝一門への営業妨害になるので、
やりません。
ぜひ、実際に視聴してください。

「地獄八景亡者戯」も興味深いです。
その時々の時事ネタなどのニュースをからめるというのが、
昔からの趣向らしく、
このCDでは当時、大阪・鶴見で開催中の「花の万博」会場で起きたウォーターライドの事故のことなどが織り込まれています。
つまり、
口演当時の世相なんかも分かる仕組みです。

僕は米朝さんが亡くなった3月19日も、
その翌日も動楽亭に行ってました。
両日とも、
米朝さんの弟子で長男の米團治さんが出演されていたんです。
僕は米朝さんが亡くなる直前と、
その後の最初の米團治さんの噺をナマで聞くことができました。

そのご逝去後、初の高座で、
米團治さんが演じたのが「地獄八景亡者戯」の前半。
さっそく亡くなったばかりの米朝さんが登場されて、
米團治さんと再会し、
「お前がここに来るのは百年早い!」と一喝されるというサゲでした。

CDで米朝さんの「地獄八景…」を聞くと、
亡くなった落語の名人たちが演じる寄席に、
「桂米朝近日来演」という看板があがっていることになっていまして、
米團治さんはその部分を伏線にして、
演じておられていました。

親子による壮大な大仕掛けみたいなものも感じるわけです。
「とうとうほんまに来ますでぇ」という笑いに変えておられましてね、
このネタは、
レクイエムでもあり、
死ぬこともそう悪くない…という遺族への慰めでもあるのかもしれません。

僕はこの日、前日のプライベートとは違って、
仕事半分で駆けつけたんですが、
開演直前に携帯が亡って、
文化部のデスクから、
童話作家の今江祥智先生が亡くなったことを知らされました(享年83)。

社会部時代から、
お世話になって、
もう20年以上…。
今江先生がご自身の活動をまとめて、
2013年の11月に上梓された、
『子どもの本の海で泳いで』(BL出版)にも、
僕のことを書いてくださっていました。

神戸で開かれた、この本の出版記念パーティーで、
お会いしたのが最後になりました。

訃報を聞いたとき、
まさに、
頭を棍棒で殴られたようなショックで、
ほんとに「ガーン」という音が聞こえたほどでした。

せめてもう一度、お会いしたかったのに…。
…と後悔しても遅い。
落語は耳に入る情況ではなくなっていました。

でも、
月亭八光さんを含めて、
高座に上がった噺家のみなさんが、
しんみりとではなく陽気に、
人間国宝を偲んでおられるのを聞いていると、
少し落ち着いてきました。

そして、
今江先生が米朝さんの弟子の桂枝雀さんのファンだったことなどを思い出して、
米團治さんの口演を聞いていますと、
現世と、あの世の境界もなくなったような気になり、
先生の笑顔が思い浮かび、
落語という芸の有り難さも実感したのでした。

2015-04-22

synchronicity

『上方落語 桂枝雀爆笑コレクション3 けったいなやっちゃ』(ちくま文庫)

他愛もないことに感激することはありませんか?
たとえば偶然の一致(synchronicity)のようなことです。

僕はあります。

で、
きょう(2015年4月22日)もありました。

最近『上方落語 桂枝雀爆笑コレクション』(ちくま文庫)を読み返しています。

この本は枝雀さんの口演の速記をまとめたシリーズで、
全5巻で成っています。

代休だった本日、大阪・梅田に買い物に行った帰りに、
阪急千里線のなかで、
その第3巻「けったいなやっちゃ」を読んでいたわけです。

「宿替え」「青菜」「高津の富」など12のネタが収められたなかの「鷺(さぎ)とり」を楽しんでいました。

上方落語では定番のひとつですから、
ご存じの方も多いはず。

「どないして、ご飯を食べてんね」と仕事…生計の手段をたずねられたら、
「やっぱり左手にお茶碗持ってね、ホイで右手にこうお箸を…」と答えるような男が主人公です。

味醂の搾り粕のお菓子「こぼれ梅」で雀(すずめ)を酔わせて捕まえるとか、
いろんな荒唐無稽の方法で鳥を獲って、
お金にしようという男の噺です。

失敗を重ねるのですが、
夜中に池で爆睡している鷺の集団を見つけます。
鷺たちがいびきをかいているのをいいことに、
何羽も捕まえて、
その首のあたりを自分の着物の腰の帯にびっしりとはさんだ。
そこまではよかったんですが、
夜が明けて、
目を覚ました鷺たちが一斉に羽ばたいたので、
中天高くヒューっと舞い上がってしまう。

で、空中でパニックに陥って、
やっとこさ落ち着いたのが…
四天王寺の五重の塔のてっぺん、屋根の上。
もう大阪中が大騒ぎという“ストーリー”です。

書いていて思いますけど、
落語って、
あらすじを文字にしても、
あんまり面白くないですね。

それはさておきですよ。

それを読んでいるときに、
右隣りに座った女子高生が居眠りをして、
僕の肩を枕にしてきたわけです。

まぁ何というか、
これが自分と同じような加齢臭を放つオッさんだったら、
不快にもなりますが…。
そうじゃないわけです。
もう天と地。
金箔と、鼻をかんだあとのテッシュ以上の差がありますね。

とはいえ、
感激したのは、
その部分じゃありません、決して。

終点の北千里に着いて、
眠りから覚めた女子高生のカーディガンの左腕の刺繍の文字です。
濃紺にくっきりと白く「四天王寺学園」。
関西の方なら、ご存じ。
四天王寺ゆかりの同寺に隣接する学校です。

「鷺とり」を読んでいるときに、
この偶然。
別になんていうこともないんですけど、
シンクロ具合に感激したというだけの話で、
「生きる名人」への道に関係あるようなないような…。

でも、
見えない力いたいなものが、
『上方落語 桂枝雀爆笑コレクション』を読むのは正解ですよ…と、
親指を立ててGood Jobサインを出してくれたような気がするわけです。

2015-04-21

人生の長さ

寺山修司が『書を捨てよ、町へ出よう』(角川文庫)に書いている。

「どうして親父たちが速いものを嫌いなのかといえば、それは親父たちが速度と人生とは、いつも函数関係にあるものだと思いこんでいるからである。あらゆる速度は墓場へそそぐ――だからゆっくりと行ったほうがよい。人生では、たとえチサの葉一枚でも多く見ておきたい、というのが速度ぎらいの親父たちの幸福論というわけなのだ」

 昭和11(1936)年生まれの寺山修司の親の世代は速いものが嫌いだったのか、どうかはしらない。

寺山修司そのものが、僕の父の世代の人間であり、
僕の父の「親父」は戦死している。
母方もそうだ。

誕生から墓場(=死)までの期間を定められた「距離」と考えるか、
速度に比例して長くなるか、と考えるか…。

「速度と人生」が「函数」(=関数)関係…というのは曖昧な表現で、
人生の客観的な尺度が「距離」的なのか、
時間の「長さ」なのかが明確でない印象を受ける。

しかし、
「あらゆる速度は墓場へそそぐ」という表現に注目すれば、
この文章では、
寺山修司は人生を時間の長さとは別の、
物理的な「距離」に近いものだと考えていると見ていいだろう。

言い換えれば、
人生の長さは、
何時間何日何年という単位ではなく、
何メートル何キロという物理的な長さで想定していたことになる。

人生を何年、生きたか…。

人生を何キロメートル生きたか…。

40年で1000キロメートル生きる人生と、、
80年で1000キロメートル生きる人生の長さを同じと考えるか。

40年で1万キロメートル生きる人生と、
100年で3000キロメートル生きる人生のどちらを選ぶか。

それぞれどちらが正解ということはないのだろうし、
考えることも、
選ぶことも個人の裁量の範囲にはない気はする。

2015-04-20

ネコに「個性」はあるか?


このブログでの自分の名前は「雷球(raiQ)」にしています。
プロフィールを参考にして、
ググれば、
本名なんか、すぐにわかってしまうし、
わかって、
それがどうのこうのっていうことはないので、
別に本名を隠そうとか、
匿名でブログを書こうとかいう意図はありません。

雅号っていうほどのもんじゃないですけど、
なんだか思わせぶりっていうと、
おかしいけど、
ちょっとカッコイイネーミングにしたかったわけですね。

でも結局、思い浮かばなかったので、
一緒に暮らしているネコの名前から一文字ずついただきました。

「雷」は、
「雷蔵(らいぞう)」くん(サバトラ、♂、2歳)=写真左=から、
「球」は、
「球太郎(きゅうたろう)」くん(シロキジ、♂、1歳、愛称:Qちゃん)=同右=から…というわけです。

雷蔵くんは、
2012年の7月4日に大阪・茨木市の公園で、
生まれてすぐにスーパーの買い物カゴに入れてられて放置されているところをボランティアさんに保護されました。
その買い物カゴのなかには、
雷蔵くんのきょうだいと思われる子ネコとか、
もう少し大きめのネコ数匹が一緒に詰め込まれていたそうです。

ウチに来たのは、その年の11月で生後4カ月くらいのときでした。

Qちゃんは大阪市旭区の空き家で、
お母さんとか、きょうだいと野良生活をしているときの保護されて、
ウチに来たのは去年の7月。
ちょうど生後2カ月半くらいのときでした。

「生きる名人」をめざすについては、
ネコに教えられることも多そうなので、
とりあえず簡単に紹介しておきます。

しかし、まぁネコなんて他人の飼い猫や野良をみていると、
柄や大きさの違いくらいしか気づかないんですけど、
一緒に暮らしてみると、
動き方、食べ物の好き嫌い、性格…が全然ちがいますね。

これまでネコとひとつ屋根の下で生活するという経験がなかったもので、
ちょっと驚いています。

それが人間でいうところの個性と同じかどうかはよくわからないんです。

もし同じだとしたら、
個性って、
伸ばししたり、
育てたりする類(たぐい)のもんじゃないってことになる気がしています。

2015-04-19

畏れる力

「生きる名人」をめざすにあたって、
さて、
まず、どんなことが大切なんだろうと考えました。

そこで、
ひとつ思いついたのが「畏れる力」を身につけるということです。
なんだか「〇〇の力」っていうと、
ベストセラー狙いの新書のタイトルみたいで、
安いぽいですね。

僕が考えるくらいだから、
本当に安っぽいのかもしれないけれど…。

何がいいたいのかというと…。

やはり人間には加減、塩梅(按配)が必要じゃないかなということです。

狩猟民族と農耕民族っていうのがありますね。
遊牧民や、狩猟農耕折衷型もあるわけですが、
それはさておき、
「タネまきなしに収穫なし」
これは農耕の基本です。
一方、狩猟はどうなんでしょうか。
捕獲の道具を作ったり、
技術や知識を身につけたりといったコストは必要ですけど、
これをタネまきと同じレベルの準備とみていいのか。
(ちなみに焼き畑農業はここでは考えないことにします)
山や海、野で生きている生き物を捕獲して食べる。
食料がタダで手に入るわけですね。
でも労力は使っている。
その結果としての報酬となるわけですが、
それが大規模になって、
経済とか「国益」とかいわれるものが優先になると、
自分たちで消費する以上の分が必要になってきて、
加減や塩梅(按配)とかいうものがなくなってしまう可能性がありますね。

もちろん狩猟だけに限らず、
金融とか、
エネルギーとか、
…最初、農耕と狩猟を分けながら、
矛盾するようですが、

農業だって例外じゃない。
狩猟の経済論理が優先する農耕だってあるような気がしますから、

いろんなビジネスがその危険性をはらんでいるわけで…。

つまり、
地球の天然自然の力のバランスを壊す危険性ですね。

もともと、
日本人には、
人間っていうのは、

自然のバランスを乱す生き物なので、
なるべく、うまく折り合いをつけて無茶なことはしないで、
おこう。
そうじゃないと神様やなんかのバチが当たるんじゃないか、
という思いが意識的にも無意識的にもあったような気がします。

他の国や地域のことはよく知らないので、
他所でもそうだったのかもしれない。

それはさておき、
だから、

天然自然のバランスを壊しすぎて、
海や山の神さまの怒りにふれないようにという遠慮というか、
自制心があったと思うんです。

神事なんかをみても、
自分たちが得て血肉や収入のもとにした収穫物や、
道具への「供養」っていうのが今も残っています。


自分の都合ばかりを優先して、
強欲になると、
結局、まわりまわって災難が降りかかるので、
自制するためにも、
そういう儀式があって、
もしかしたら、
それは何かの経験や教訓にもとづいているかもしれません。

なにか世の中で不自然で行き過ぎた塩梅の悪いことがあると、
それがいくら合理的で理にかなっていても、
無意識みたいなもんが、
「なんか、おかしい」って警告してくれるような気もします。

その警告を聞けるのが「畏れる力」だって思うんです。

もちろん、
間違った旧態依然の悪弊の影響で、
「不自然だ」と感じてしまうこともあるでしょう。
そんなことと、
正しい警告を判別することも含めて、
「畏れる力」。

とにかく、
将来、禍根を残すような流れに棹をさして、
いけない方向への推進力になるようなことをせず、
堂々と死ぬためにも、
「畏れる力」っていうのを涵養したいと願っています。

ですから、
今、その方法を探っているところです。

2015-04-18

めざせ桂米朝!


「桂米朝」といえば…
2015年3月19日に亡くなった人間国宝の噺家です。
あえて「三代目」と詳述するほうが、
「それ誰?」という風に違和感がありますね。

上岡龍太郎さんが、
「米朝の名前は永久欠番」(2015年3月25日「デイリースポーツオンライン」)と、
おっしゃっるのも当然。
誰にも異論はないでしょう。
もちろん「永久」とはいえ100年後200年後はわからないけれど…。

米朝さんが亡くなった翌日、
長男で弟子の米團治さんらが大阪市内のホテルで会見しました。
印象に残ったのが、最期を看取った弟子のざこばさんの言葉です。

「昨日は、本当に、亡くなるというのは、こういうこと。大往生というのはこういうことだと思いました。師匠、上手に死にはったなあ、よかった、よかった、おつかれさんと思いました」(2015年3月20日「産経WEST」)

滅びかけていた上方落語を復興に尽力し、
落語に生涯をかけて、
人間国宝に認定され、
演芸界初の文化勲章受章者ともなった…。
ざこばさんの言葉を拝聴すると、
さらに亡くなり方まで見事。
落語だけなく、
生きる名人で、いらっしゃった。

僕も馬齢を重ね52歳です。
もう今から、
プロ野球選手とか相撲取りとか、
ノーベル医学賞とかいうのは、
もう考えるのも無駄という以前の話、
カタツムリが時速300キロで走りたいというレベルです。
とはいえ、
機嫌よくは生きていきたい。

そこで、
もちろん米朝さんの域にまでは無理だとしても、
めざすのは勝手だし、
実現不可能とまでは言えない、ような気がします。
日本最後のガラケー利用者になるのと同じくらいの可能性はあると考えましたので、
生きる名人をめざしてみよう…と思いました。

その過程を記録するために、
このブログを開設したわけです。

よろしくお願いします。