2015-08-20

能町みね子さんという発見とリスク

ニュース記事の見出しだけを読んで、
適当に内容を判断して中身を誤解していたということはありませんか。

実は、これまでそういうことはほとんどなかったのだけど、
とうとうやってしまいました。

能町みね子さんってご存じですか。
新聞報道によると36歳だそうで、
エッセイストとしてTVなんかにも出演なさっています。
その能町さんが、
今月4日に放送放送されたTV番組「今夜くらべてみました」(日本テレビ系)で、ご自身がが「オネエタレント」のひとりとして紹介されたことに抗議した…というニュースを以前、ネットでチラッとみていたんです。

僕は能町さんが女性なのに、いわゆる「おかま」とか「ニューハーフ」などとも呼ばれる男性に間違えられたという“笑い話”だと考えていたんです。

2015-08-15

30年前の8月15日。

1985(昭和60)年8月15日の具体的な記憶はないのだけれど、
阪神甲子園球場(兵庫県西宮市)にいたことは間違いない。

当時、神戸支局の“駆け出し”で、高校野球の取材をしていた。

ちょうど30年前になる。

この年の3月に大学を卒業し、
4月から新聞社に入社した。
慌ただしい年だったと思う。

2015-08-11

本日、休みます。

あんまりなことがあって、
脱力状態なので、
きょうはブログを休みます、と書いて、
姑息に連続更新をします。

しかし、生きていると、
こういうこともあるんですね。

2015-08-10

きょうから、たすき掛け。

BAGGY PORTロウ引き帆布ショルダーバッグACR-471
社会人になってから仕事では、
ずっとショルダーバッグを使い続けて、
6年ほど前からリュックに変更し、
ユニクロとDIMEのコラボや、NOMADICなど高くないものを使ってきました。
でも、
きょう(2015年8月10日)から、
またショルダーに戻しました。

一時、肩こりがひどく、
ショルダーバックで身体の左右のバランスが崩れているせいかも、と思って、
リュックに変えたら両手が空く開放感が気に入って、
ずっと使ってきました。

ところが、
リュックは
財布やカメラを取り出すのが面倒くさいのが我慢できなくなって、
やっぱりショルダーとなったわけです。

2015-08-09

剣はペンよりも弱いか。

「安保法制法案」などの問題もあって、
「8月15日」を前に「戦後70年」に関する論議や考察が重ねられています。

僕も今、昭和史や、戦争とメディアに関する本を立て続けに読んでおりまして、
咀嚼(そしゃく)して、どのように自分の知識や意見としていけば、
いいのか検討しているところです。

「何を今さら」という叱責も聞こえてくるような気がしますが、
いろんなものを読めば読むほど、
一筋縄ではいかないという思いが強くなるんです。
その半面、
読むものの幅を広げていくと、
学問的な検証などで「間違い」だと言い切っても許されるようなことを「真実」の前提として語っているような意見もあるような気がして、
人々のアタマのなかになる歴史の多様さに、
唖然としているような次第です。

一方「新聞」というメディアの一般論にしていいのか、どうかはわからないのですが、
抽象的には「大東亜戦争=太平洋戦争」に関しては、
「新聞」が「国民」を駆り立てたというのは間違いないという気はしています。
ただ、当時、どれくらい「新聞」が影響力を持っていたのかが実感として分からず、
実質的な関与の度合いが僕の想像力では心もとない部分もあります。

それに関する話ですけど、
「ペンは剣よりも強し」という言葉があります。
言論は暴力を凌駕するということで、
ジャーナリズムの「力」を示す象徴的な言葉となっています。
ですから、
ジャーナリストは言論弾圧に屈してはいけないことになっていますし、
言論が統制されるような社会は不健全だということになっていて、
たぶん、それに異議をとなえる方はいらっしゃらないだろうし、
もし、いらっしゃったとしても、極めて少数に違いありません。
僕も、そのこと自体には異議は全くありません。
ただ、歴史のなかで、

2015-08-08

Panasonic「LUMIX(ルミックス)DMC-LX100」(1)

きのう、このブログでお披露目した、
パナソニックのコンパクトデジカメ
「LUMIX(ルミックス)DMC-LX100の紹介を続けます。
これからが本編というところでしょうか。

まず、
カメラの命とも言えるレンズ周りから。

使ってないときにレンズを保護するキャップは付属品として最初から同梱されています。
ヒモをついていて
カメラの本体とつないで外してもなくさないようになってます。

付属品のレンズキャップ。ヒモは自分で付けます

しかし、
いちいち外すのは面倒だというヒトにために別売りの、
「自動開閉キャップ」があります。

2015-08-07

Panasonic「LUMIX(ルミックス)DMC-LX100」プロローグ

開封前に撮った写真。実際にこのなかに“ブツ”は入ってます

いやぁ、もうなんちゅうか。
期待というか思い入れが先行してね。
冷静になれないんです。

とうとうゲットしたんです。
パナソニックのコンパクトデジカメ
「LUMIX(ルミックス)DMC-LX100
絞りとシャッター速度が昔の一眼レフのようにアナログ式で、
4K動画が撮影できて、
現状の実売価格が7万円前後!

カメラに興味はあっても、
「アナログ」がどうのこうのと言われても、
「それが、どないしたん?」というヒトには響かないかもしれません。

でも、
僕には嬉しい!!

2015-08-06

大学教育のリスク

「俺のモノづくりはフリージャズなんだ。アドリブで客を楽しませ、アイデアをいっぱい盛り込んで発注元を喜ばせるんだ」

…というのは東京都墨田区の町工場「岡野工業」社長、岡野雅行さん(1933年~)の著書『心が折れない働き方』(青春出版社)の中の言葉です。

細野さんは穴の直径が0・08ミリの世界一細い「痛くない注射針」の量産化に成功するなどの業績で知られます。

先に引用した「フリージャズ」の下りは岡野さんは図面が描けないんで、
複雑な構造の機械も図面なしで作ってしまう、という話の一部分です。

「痛くない注射針」にしたって、
物理的に不可能とされたことを実現させてしまったわけですが、
もしかしたら、
岡野さんが図面を描きながら考えていたら、
この世界が注目した技は生まれなかったかもしれません。

2015-08-05

官僚は「豪放磊落」で「気さく」なんです

最近はどうだか、よく知らないけど、
新聞なんかで官僚なんかが昇進したときに、
その人柄を紹介する記事で、
「官僚のイメージとはかけ離れた豪放磊落な雰囲気」とか、
「これまでの経歴とは重ならない気さくな語り口」とかいった表現があったように記憶しています。
もしかしたら、
本当はないのかもしれませんけど、
僕の記憶にはあります。

なぜなら読みながら、
「よくもこんな原稿が活字になったなぁ」と思った覚えがあるからです。

2015-08-04

江戸の「手段」上方の「目的」

近所の「イオン」の特設コーナーで、
本の安売りをやってまして、
そこでDVDも置いてました。
DVD「幻の名人落語 柳家小さん(1)」っていうのがあったので、
買いました。
演題は「猫久」と「粗忽の使者」。
小さん師と、立川談志師の対談や、
談志師の解説も収録されています。

その中で談志師は、
落語の「笑わせる」というのは「手段」であって、
「目的」は人間を語ること…人情…人間の業(ごう)を語ることだとおっしゃってます。

落語っていうのは、
芸術なんだな、と思いました。

もちろん談志師の場合、その手段のレベルが高くて、
ものすごく笑わせてくださったわけですけどね。

しかし、です。
その「手段」論は江戸落語だけのものかもしれません。
もしかしたら談志師だけの思いかもしれません。
でも談志師にはお弟子さんもいらっしゃいますし、
ファンも多いので、
その「手段」と「目的」を支持される方は少なくないのだと思います。

一方、上方落語はどうでしょう。

2015-08-03

「ハコモノ」の輝きと「大阪万博」と「進歩と調和」


1970年の「大阪万博」のときは小学校2年生でした。
毎日、これでもかこれでもかというくらいTVで生中継があって、
新聞も「万博」でいっぱい。
和歌山の田舎から両親に連れられて、
会場に身を置いたとき、
メディアの中にある世界だと思っていた場所にいる自分が信じられなくて、
「本当に僕は万博の会場にいるんだろうか」と、
名状しがたい気分になったのを今もリアルに覚えています。
それはなぜか不安に似た感覚でした。

で、
ニュースサイト「産経west」によると、
“三井不動産は3日、万博記念公園(大阪府吹田市)の遊園地「エキスポランド」跡地に建設中の大型複合施設「EXPOCITY(エキスポシティ)」を今年11月19日に開業すると発表した”。

“日本最大の高さを誇る大型観覧車のほか、英語の学習施設といった体験型レジャーが充実。水族館「海遊館」(大阪市)が手掛ける新施設や映画館なども入る”

“甲子園球場約5個分にあたる約17万2千平方メートルの敷地内には中核施設として、三井不動産が運営する商業施設「ららぽーと」が開業。昭和45年に開催された大阪万博のメーンモニュメント「太陽の塔」を一望できる約1200席のフードコートや、大阪万博で人気があった各国の料理を再現した「万博食堂」が登場し、万博気分を味わえるようにした”

…とのことです。

大人げないですけど、
興奮します。
なんだか「万博」がまた来たぁ!!!みたいな気分です。

2015-08-02

自家中毒の「死角」 『大東亜戦争 敗北の本質』を読む

『大東亜戦争 敗北の本質』(ちくま新書)は、
この本のなかでも引用されている儒教・四書五経のひとつ『大学』の「心ここに在らざれば視れども見えず」という警鐘が戦前の日本軍部で生かされなかった実態をデータで証明しています。

「心ここに在らざれば…」とは、人間に見たくないものはとにかく見えないということです。

日本は米国と戦っても国力の差で勝てないという分析が戦前からあったのに、
日露戦争の勝因を背景にして醸成された「空気」のなかで1941(昭和16)年12月8日の開戦に踏み切り、
無計画さが戦時中に露呈していくなかで弥縫策と「精神論」でしのごうとした無謀さが淡々と記され、
読んでいくと唖然とさせられる箇所がいくつもあります。

著者は戦史研究家で元防衛大学校教授の杉之尾宜生(すぎのお・よしお)さんです。

2015-08-01

暴力と宗教とカネと…

早いです。
「早い」というのを客観的に表現する方法がわからないのですが、
「えっ、もう」という実感はものすごいです。
何がかというと、
きょうから8月だということがです。

8月15日で「敗戦」から70年ですけど、
もしかしたら、あっという間だったのかしれません。

現在の歴史に僕というものが参入して、
52年と10カ月ほどなんで、
もっと長い期間「戦後」を生きているヒトはどうなのか、
反対に最近、参入した若い方はどんな感じなのか、
その感覚の共有は難しいです。

「時間」は絶対的な尺度のはずなんですけど、
陸の上を走る10秒と、
水の中を泳ぐ10秒は意味が違ってくるように、
「歴史」への遠近感も個人の「立ち位置」によって、
意味が違ってくるのでしょうね。

「世界史」の教科書を読み直すと、
試験に出る重要度をあまり気にしなければ、
「歴史」のバックボーンは「戦闘」でできているような気がします。

そして、
さらに俯瞰すれば、
歴史を変えるのは、
「暴力」と「宗教」と「カネ」がまず基本的な「力」として存在して、
二次的に「政治」があって、
それぞれを「文化」と「技術」が串刺ししているように思えるのですが、いかがですか。