2017-07-26

カウボーイになった電通マン


「カウボーイって知ってるか?」

そう質問された自分を想像してみてください。
「バカにしとんのか! 知ってるに決まっとるやないか」と思いませんでしたか?

少なくとも僕ならそう思うでしょう…正確に言えば、そう思っていました。

馬にまたがって投げ縄を操りながら牛の群れを追う。もちろんカウボーイハットをかぶっている。そんな姿が頭に浮かべばカウボーイとは何かを知っているという気にはなりますよね。

でも日本人によるカウボーイ体験記である『カウボーイ・サマー 8000エイカーの仕事場で』(旅と思索社)を読んでからはカウボーイのことなんてほとんど何も知らなかったことをあたらめて知ったのです。

電通を辞めてカウボーイ


だいたい西部劇の影響もあってカウボーイとガンマンの区別も曖昧でした。

カウボーイの全盛期も150年ほど前の短い期間だそうですが、歴史の中の時間的な現代との距離感もよく分かっていませんでした。

高校の世界史でもカウボーイについては習わなかった気がします。

「カウボーイ 本」でネット検索をしてみると、日本人の著書は、漫画を除いては、この本と1989年に出版された『カウボーイの米国史』 (鶴谷寿著/朝日選書)くらいしか出てきません。それも後者はもう絶版のようですし、日本人から見たカウボーイの本なんてないも同然。今年(2017年)6月に前田将多さんが上梓した『カウボーイ・サマー』はまさに稀有な本なのです。

1975年生まれの前田さんは東京都立大泉高校を出て、米国ウェスタン・ケンタッキー州立大学社会学・マスコミュニケーション学部を卒業。法政大学大学院社会科学研究科を中退し2001年から広告会社「電通」でコピーライターなどとして働いていました。

ところが、「カウボーイの本質を体験的に見定めたい」という理由で2015年に同社を退職しカナダの牧場で、その年の夏にカウボーイとして働きました。

サラッと書いて、あらためて読み返すと「なんでやねん」とツッコミを入れたくなるほどのシュールな漫才のボケのような経緯や動機です。


駆け回る「なんでやねん」


僕はこの本が出る前に今年3月に出版された『広告業界という無法地帯へ』(毎日新聞出版)の著者として前田さんの存在を知っていまして、SNS「ツイッター」のプロフィールの「元電通コピーライター/カウボーイ見習い/自称コラムニスト…」の「カウボーイ見習い」っていうのは「ショッカー工作員」レベルの軽い冗談だと思い込んでいたんです。

ですから「カウボーイ・サマー」が出ることを知って驚きましたよ。「カウボーイ見習い」が嘘じゃないことがわかり“疑問形”の「なんでやねん」という言葉が頭のなかをグルグルと駆け回りましたもん。

だから、頭のなか暴れ馬のような「なんでやねん」をしずめるためにも僕には、この本を読むことが必要でした。

「カウボーイって、今でもいるの?」という思いがあって「いたとしても観光客向けの役者みたいなもんじゃないの」という認識でしたしね。ロデオ修業に行くようなイメージも持ってました。

で、読んでみて「なんでやねん」という問いに対する明確な答えを自分のなかで構築はできませんでした。しかし、電通コピーライターという職を捨ててまでカウボーイになったことが腑に落ちた気がしました。カントリーミュージック好きの父の影響を受けて憧れ続けたカウボーイになることが、とても自然で違和感を覚えさせない本に仕上がっているからです

カウボーイという幻想


前田さんは…

カウボーイが北米で「映画が絵画に描かれ、歌に刻まれ、文学で謳(うた)われ、男たちに憧れられ、女たちの幻想の対象となるのか、それはある意味では『もういない』からだ」

「厳密に定義された概念でのカウボーイというのは、すでに歴史の中にしかいない、もしくは、人びとの心の中にしか生きていないという考え方も成り立つ」

「カウボーイとサムライが比較されることは多いが、僕はその二つを同列に置くことはあながち間違いではないと考えている。日本人にとってカウボーイの立ち位置が分かりにくい場合、『侍魂』をあまりにも全面に押し出す個人や一企業を鬱陶しく感じる感覚を思ってもらえればいいと思う」

…と書いています。

カナダの牧場に行く前に日本でカウボーイについて聞かれると「基本的に牛を育てて食肉業者に売る。これが仕事。それをどうやっているのかを、これから見てくる」と答えていて、実際に、その仕事を体験します。

2015年の夏をカウボーイ見習いとして過ごすわけです。本を読むと、360度地平線というような広大な土地なので仕事は日本とはスケールが違うダイナミックさが伝わってくるのですが、仕事はまさに牛を育てることで、それ以外の何ものでもありません。

その仕事には、電気、ガス・水道管の設置工事なども含まれ、畜産だけでなく土木作業や、そのための機械操縦の技術も必要で、求められるスキルと知識だけをみても、日本人が抱くカウボーイのイメージとはかなり違いますよね。

ちなみに除草剤のタンクを肩に掛けてスプレーして回るのが前田さんのカウボーイとしての初仕事でした。

牛に焼印を捺(お)すブランディングの作業も描かれ、そのときはカウボーイが馬にまたがって投げ縄で仔牛を捕まえる様子も描かれていますが、この技は高度らしく前田さんの仕事ではありません。

「壊す」という意義


オスの仔牛の去勢も行われるブランディングの現場は阿鼻叫喚のようで前田さんは「獣たちの咆哮(ほうこう)と、カウボーイたちの迫力に気圧されて、全くなす術がなかった」と書いています。

それから直径が180センチもあるドラム缶のお化けのような形に干し草を巻いたヘイベイルを作ったり、歩行困難なうえ病気だったため死んだ牛を犬のエサにするために処理をしたり、有刺鉄線の修理をしたり、SF映画にしか出てこないような乗り物で麦を刈ったり…。前田さんは日本で暮らすふつうの人間が絶対に経験しない作業をします。

トラックを運転すれば、ぬかるみで動かない状態にしてしまうなど「『初めてやることは必ず失敗する』ということが法則のように忠実に、僕の身に降りかかっていた」と前田さんも落ち込みます。

しかし牧場の人々は「何も壊していないのは、何もやっていないのと同じだ」となぐさめてくれます。

あんまり現代の日本では忘れらたようなセリフなんで、僕は色々な意味で目頭が熱くなりました。

牧場での生活は朝から晩まで作業の連続です。読んでいて感心するほどカウボーイは働きます。でも、そこに陰湿な“ブラックさ”はないようです。


一匹狼になる儀式


前田さんは日々の作業を綿密にメモに残し写真とともに歴史の説明もまじえながら、この本で披露してくれていて、家畜や自然に対するカウボーイたちのナマの姿を活写。日本で暮らす人びとの明らかな違いや、共通点も浮き彫りにしており、北米の文化や人間性を現代のカウボーイの生活を通して日本に伝える貴重な記録となっています。

「仕事」について悩んでいる若い人々や、自分の将来を考える学生が読めば、目の前が開かれた気分になるに違いありません。

啓発書やビジネス書のようなノウハウは書いていません。でも、仕事への視点を変えたり、生きるパワーを与えてくれたりするはずです。

この本にも書かれていますが、「所有者不明の焼印のない牛」のことを「マーベリック」というそうです。転じて「無所属の者」「異端児」「一匹狼」という意味になりました。

人間を牛にたとえるのは失礼かもしれませんが、前田さんはカウボーイでもありますが、僕には「マーベリック」に見えます。

日本の多くの「会社員」にとって企業の「焼印」を消してマーベリックになるためにはイニシエーション(儀式)が必要なのかもしれません。

前田さんはカウボーイ修業というイニシエーションを経て、本当のマーベリックとして生きているのではないでしょうか。

前田さんは7月に修業先のカナダの牧場に本を持って訪ねていて、その様子をSNSなどで発信しています。この本は、そんな情報とも連動して、今も物語を紡ぎ続けています。

0 件のコメント:

コメントを投稿