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2015-11-27

『ブルースエット』は、どこが「女」なのか。

「でもとにかく、A面の一曲めに『ファイブスポット・アフターダーク』っていう曲が入っていて、これが ひしひし ( ・・・・ ) といいんだ。トロンボーンを吹いてるのがカーティス・フラーだ。初めて聴いたとき、両方の目からうろこがぽろぽろ落ちるような気がしたね。そうだ、これが僕の楽器だって思った」=村上春樹著『アフターダーク』(講談社文庫)
僕は「トロンボーン奏者が出てくる村上春樹の小説がある」と聞いて『アフターダーク』を読みました。

トロンボーンを始めた直後ですから2006年の10月くらいだったはずです。で、『ファイブスポット・アフターダーク』が収録されている『ブルースエット』を買いました。もちろんレコードではなくてCDなのでA面もB面もありません。


目からうろこが…というようなことはなくて、出だしのベニー・ゴルソンのテナーサックスと、トロンボーンの音の区別がつかなかったくらいの時期でした。

2015-07-11

音楽CDとライブの法則

Tapestry
こんなことってないですか?

JAZZの生のライブに行って感激したので、
会場で、
そのミュージシャンのCDを買います、
サインなんかをしてもらったうえ、
握手までしてもらって、
もう胸がいっぱいになって帰宅します。

そんなときはライブハウスでビールなんかも呑んでいるし、
夜も遅いので、
そのまま寝ます。

で、
翌日、仕事から帰ってきて、
「そういえば、きのうCDを買ったんだ」と思い出して、
プレーヤーにセットして再生すると、
「えっ」と思います。
まず「音が悪い」「生で聴いた細やかさが全然ない」…。

ちょっと、この録音ひどいんじゃないの!…とがっかり。
いくら最近、CDが売れないからって、
手を抜きすぎているんじゃないの、と非難めいた言葉もアタマをよぎります。

それで、このCDはもう聴かないかもな…なんて思ってラックにしまい込みます。

でも、
1カ月くらいして何かBGMがほしいなと思って、
CDラックを探していたら、
そのアルバムが目について、
まだ1回しか聴いてないから…っていう、
もったいないみたいな気持ちもあって、
またプレーヤーに差し込んでみます。

すると…。

2015-06-10

バルブという蹉跌

ザ・デュアル・ロール・オブ・ボブ・ブルックマイヤー
とうとうやっちまっった…。
心配はしていたんです。


一線を越えてしまった…かも…。

僕はですね。
スライド管があって、
伸縮自在なのがトロンボーンの神髄だと思っています。
伸び縮みしないものは、
トロンボーンじゃないというのは教義だと考えるほどの、
「伸縮自在教」の信者だと自認しています。

だから、
ピストンバルブがついて、
スライドが伸び縮みしない、
バルブトロンボーンなんていうのは、
邪道の極み!
「テナーバス・トランペットと名乗りなさい」という感じで指をさして、
トロンボーンの王国からの追放を宣言したいほどでした。

「でした」と、過去形になるのは、
その教義を守らず、
ついに異端の道に足を踏み入れてしまったからです。

あれほど、
目をそむけていたボブ・ブルックマイヤー(Bob Brookmeyer)=1929~2011年=のCDアルバムを買ってしまったのです。ブルックマイヤーといえば、
バルブトロンボーン。
ジャズでバルブといえば
ブルックマイヤーという感じでしょうか。

場所は大阪・日本橋のディスクピア…。
仕事からの帰りでした。
魔がさしたというのか、
気がついたらレジで「ザ・デュアル・ロール・オブ・ボブ・ブルックマイヤー(The Dual Role of Bob Brookmeyer)」を手にしていました。

たとえば、ジャズトロンボーンのジャイアンツの代名詞のひとりとも言えるJ・J・ジョンソン(1924~2001年)なんて、
スライドさばきが速くて、
アルバムのジャケットにわざわざ「バルブトロンボーンじゃありません」と但し書きがあったほど。

ハンディキャップともいえる、
伸び縮みを克服、
スピード感もアピールして
生き残り、
一音一音を切らないグリッサンド演奏では管楽器の頂点に君臨してきたわけですよ。

僕みたいなトロンボーン信者にとっては、
伸縮するスライドは教義のシンボルなわけです。

そもそも僕はF管がついてレバーで息の通り道を変えられるテナーバスや、
ロータリーバルブなんかがついたバストロンボーンですら、
“純血”のトロンボーンじゃないのでは、と考えるときがあるほどの人間です。
シンプルさを極めたテナートロンボーンが楽器のなかで一番美しいと信じて疑わない人間です。

しかし、
意識のどこかで、
隠蔽された欲望のように、
バルブトロンボーンという異端への興味が息を潜めていたんでしょうね。

それがきょうの梅雨の晴れ間の開放的な空気のなかで、
するスルっと、
ちょっと油断した隙に、

漏れだしてしまった。

ディスクピアのことはほとんど記憶にありません。

「1944円です」と店員さんに言われて、
我に返りました。
老眼のせいで、
「税込み1800円」が、
「1000円」に見えていたことに、
そのときにやっと気づいたほどだったのです。

たぶん何かが僕に憑依していたのです。

CDが入った鞄を隠すように家に帰り、
震える手で、

パンドラの箱をあけるかのごとく、
CDをプレーヤーにセットしました…。

1954年と55年の録音ですけど、
ジャケットの、その数字が見間違いかもと思って見なおしたほどでした。

1950年代といえば、スィングに対抗するかたちで勃興したビバップから、クール・ジャズ、ウエストコースト・ジャズ、ハード・バップが登場したいわゆるモダン・ジャズの流れができる過渡期です。

現代のジャズの典型的なイメージの曲の勃興期ですけど、
抑制の効いたコンテンポラリー性っていうのか、
前衛的な感じと、
ポピュラーな空気が絶妙です。

ファンが多いはずですね。

とはいえ、
バルブトロンボーンをトロンボーン族だと、
認めたわけではありません。

ただ、音だけ聴くと完全にトロンボーン。
これを偽装とみるか、
自然に受け容れるか…。

とりあえず、
あれはバルブトロンボーンという種類楽器だということにしておいて、
トロンボーンかどうかは検討のため保留します。

やはり状況に応じて教義の解釈も状況に合うようにしていかないといけないのかも。

まぁ、同じ「金管族」だというところまでは間違いはないのだけど。

2015-06-09

効く音楽

Vintage Jam Session - 1954
聴いたら、
条件反射的に陽気になる音楽ってありますよね。
「そんなもんはない」というヒトは、置いといて…。
僕はあります。

「僕」というか、
ほぼ確信を持って関西人なら、
とりあえず肩の力は抜ける曲があります。

「吉本新喜劇のテーマ」といえば、
関西では誰もが思い浮かべてしまう、あの曲です。

正確にはJAZZトロンボーン奏者でヴォーカリストの、
Pee Wee Hunt(1907~79年)がバンドリーダーをつとめる曲「Somebody Stole My Gal」で、
訳せば「誰かが僕の彼女を盗っちゃった」でしょうか?

でも日本語にしようが、
モンゴル語にしようが、
このタイトルを聞いてメロディが頭に浮かぶ日本人はほとんどいないはず。

やはり「吉本新喜劇のテーマ」でないと、
ピンとこない。

「ナニワのモーツァルト」こと、キダタロー先生の作曲だと信じている大阪人も少なくないような気がします。

だって、
あのミュートをつけたトランペットの、
♪ほんわか、ほんわか、ほんわか♪
…っていう感じで始まる曲は、
「吉本新喜劇のテーマ」以外の何ものでもありません。

タコ焼きとか串かつのソースのにおいが漂ってくる感じで、
コテコテ感が充満ですもん。

何といいても、あの曲を聞くと、
岡八郎(2003年4月以降は、岡八朗)や花紀京、原哲夫から始まって、
桑原和子、池乃めだか、辻本茂雄、内場勝則…みたいな感じで頭のなかをみなさんの顔が走馬灯のように流れていきます。

もう関西人のソウルミュージックそのもので、
この曲が耳に入ってくると、
陰気な顔はできません。

逆に言うと、
葬式では絶対に流してはいけないBGMだともいえます。

吉本新喜劇の方が亡くなった場合なら別かもしれないけど…。
それでも天寿を全うしたとか、いうケースに限定されるような気がします。

この曲がPee Wee Huntのバンドの演奏だっていうのは知ってたんですけど、
不覚だったのは、
そのHuntがトロンボニストだっていうことは知らなかったことです。

先日、偶然にそれがわかって、、
「えっ、そうなん!」ってことで、
CDを探しましたよ。

ところがです。

この曲が入ったCDが見つからない。

ダウンロード版ばかり…。

…というわけで、
生まれて初めて、
アルバムをダウンロードして買いました。
「Vintage Jam Session - 1954」っていうタイトルです。

CDというパッケージ商品にこだわっていたし、
JAZZの定番アルバムとなると、
ダウンロードの方が高いっていう場合も少なくなったので、
CDで買う方がお得感はあったんですよね。

ところが、
最近は円安の影響で、
輸入CDが高くなってきました。

もしかしたら、
CDがレコードに取って代わったように、
日本でもダウンロードのデジタル音楽が主流になる転機かも。
JAZZの名盤は軒並み安くなってきましたしね。

あと5年もしたら、
「あれが分岐点だったなぁ」という話なんかするんでしょうかね。

ただね、
僕の場合、
その歴史的かもしれないときに買ったのが“新喜劇のテーマ”なんですよね。

この曲を心に思い浮かべれば、
難しい顔はできないわけです。

たぶん、
これからダウンロード音楽の話題になると、
僕の頭のなかには、
「Somebody Stole My Gal」が条件反射のように流れるのは絶対確実です。

それにしても、
この曲を聴いて陽気な気分にならない関西人っているんでしょうかね。

沈んだ気分を上げる特効薬!
聴けば効くって感じですもん。
富山の置き薬より強力かも…って、
まだ富山の置き薬ってあるんですかね。

それはさておき、
「Somebody Stole My Gal」。
大阪の家庭にとっては、
タコ焼き器のような存在かもしれません。

2015-05-18

繁昌亭で「お囃子JAZZ」初体験

「お囃子JAZZ『音伎噺』」CDジャケット

きょうは仕事帰りに、

天満天神繁昌亭に行ってきました。

「お囃子JAZZ~音伎噺」CD発売記念落語会を拝見拝聴してきたんです。

大阪で唯一「女道楽」(三味線慢談)を継承し、
平成24(2012)年度「文化庁芸術祭大衆芸能部門大賞」に選ばれた内海英華さんと、
日本のJAZZトロンボーン界の重鎮中の重鎮、宗清洋さんが中心となって、
和洋折衷の音楽活動を繰り広げているメンバー総勢8人が出演する舞台で、
前半が演奏、後半が落語と女道楽。

グループのフルネームは、
「内海英華with宗清洋と粋(すい)~てすとさうんど」です。

和楽器は三味線と、噺家さんの横笛、太鼓や小鼓などの鳴り物、
洋楽器はトロンボーンのほかドラムス、ベース、ピアノという編成で、英華さんがヴォーカルもつとめます。

2005年12月から「お囃子JAZZ」として活動されていたそうなんですけど、
誠に面目ないことに、
僕が、その存在を知ったのは、
先週木曜(5月14日)でした。

大阪・動物園前の寄席「動楽亭」で手にした月刊の「上方落語情報フリーペーパー よせぴっ」を読んで「何それ!」となったわけです。

JAZZトロンボーン関係のライブ情報は把握しているつもりだったのに…。
トロンボーンを始めたは2006年9月からなのに…。
ゴッド(神)の異名もとった宗清さんの存在はもちろん存じ上げていたのに…。

「お囃子JAZZ」は全く僕の情報網をすり抜けていたのです。
不覚としか言いようがない。

…というわけで、
先週末、繁昌亭に前売り券を買いにいったら、
1階席はソールドアウト…。
2階席も最後列に空きがあるのみ…。

「みんな知ってたんや…」

愕然としましたね。

「トロンボーン主義」とか言っているのに、
情けない話で、
ものすごい敗北感。

常に網を張っているつもりでも、
大事な情報が抜け落ちることがあるのは経験的に知っていたけど、
見事に取り逃がしたというか、
新聞的に言うと、
自社だけネタが紙面に出ない「特オチ」をした気分です。
大げさでなく、真面目に…。

それはさておき、
じゃぁライブはどうだったか。
今、会場で買ったCDをBGMにしていますけど、
想像をはるかに超えてよかったです。

「イン・ザ・ムード」などのビッグバンドJAZZの定番や、
エレキギターといえば、この曲ともいってもいい「ダイヤモンド・ヘッド」をはじめ、
誰でもが耳にしたことのある俗曲の「深川」が、
いい塩梅にアレンジされて、
とってつけたような不自然さが全くありません。

そもそも、
邦楽ってハーモニーという概念とは無縁だと思っていたのだけど、
三味線と横笛とトローンボーンとピアノの音がちゃんとハーモニーになっているのが驚いた。

正確にいうと、
あんまり自然にハーモニーになっていたので、
驚くのを忘れているのに気づいたのが遅くて、
それに驚きました。

これまでも邦楽と洋楽のコラボは聴いたことはあったのだけど、
洋楽器が邦楽を、
和楽器が洋楽を演奏していることを意識させるものが多くて、
それはそれで楽しいのだけど、
きょうのお囃子JAZZは違いました。

どう、たとえればいいんでしょう。

近いのは…
「えっ、アロハシャツって、
もともとは日本の着物の生地だったの?」みたいな感じかな。

食べ物でいうと、
「チョコレートとかビスケットだとかは外国のお菓子だったけど、
『きのこの山』って日本のお菓子だよね」みたいな?

宗清さんと英華さん以外の出演メンバーと口演された落語は次の通りです。敬称略。

中嶋俊夫(ドラムス)=澤雅一の代演▽笠松聡也(ベース)▽石田ヒロキ(ピアノ)▽桂枝女太(太鼓)=「転失気(てんしき)」▽桂阿か枝(鳴り物)=「子ほめ」▽笑福亭喬若(笛)=「野ざらし」

2015-05-01

武器と楽器

『魂の錬金術 エリック・ホッファー全アフォリズム集』

「多くの武器や道具は、もともと玩具だった。弓は武器になる前は楽器だったし、車輪は道具として使用される前は玩具であった」(『魂の錬金術 エリック・ホッファー全アフォリズム集』作品社)


エリック・ホッファーの著述のなかで、
一番好きなのが先に挙げた「遊び」に関する格言のなかの一節です。

この部分だけを読めば単に事実として物事を述べたにすぎず、
「芸術は実用品の製作よりも古く、遊びは労働よりも古い。〈中略〉人間の独自性と創造性の源泉は、その子どもじみたところに隠されているのであり、遊び場はその能力と才能を開花させる最適な環境なのである」
…という結論を補強する部分でしかないわけです。

でも、
武器としてよりも楽器としての弓のほうが先だったというのを初めて読んだときは嬉しかったのです。

人間がいて、
社会、国家がある限り、
「戦い」は不可避で、
だから「戦争はなくならない」という声もあるけれど、、
その戦争につきものの武器よりも、
同じ形をしているものでも、
楽器のほうの用途が先だったというのは、
論理を超えて、
嬉しい気がしませんか?

もちろん、
ホッファーは武器としての弓よりも、
楽器としての弓のほうが古いということを、
厳密な事実をもとに書いているわけではありません。
でも、
全く根拠のないことではないのでしょう。

いずれにせよ、
日本では戦時中に、
「遊び」は抑制されたようですが、
人間にとって、
楽器を奏でて遊ぶことよりも、
戦争の方が重要だとは言い切れないようですね。

もしかしたら、
ある種の“ユニーク”な人間が、
「遊び」の延長として“道楽”で、
人々を「戦争」に駆り立てている場合もあるかもしれません。

それはさておき、
「遊び」が独自性と創造性の源泉であるというのは、
納得できる話です。

だから「遊び」は真剣にやらないと面白くないのかもしれません。

ただ気をつけないといけないのは、
真剣さが行くつく先は、
「命」をかけるくらいでないと面白くなくなってくる可能性があるということです。

命をかけるのを完全に否定するわけではありません。
ただ、他人を巻き込むのはいけませんよね。

もしかして、
(それは本当に「戦争」という形かもしれないけれど)
自分の「遊び」の楽しさを追求するあまり、
真剣になりすぎて、
他人の生死にまで干渉するのは勘弁…。

本当は「遊び」なのに、
自覚せず、
何かの主義や正義、信条を盾にして、
「命」をかけるのは当然だと、
悲壮な顔をして、
他人を巻き込むのはやめてほしいですね。

遡れば、
「支配欲」というのも、
単なる「遊び心」から出ているものかもしれないし…。

とはいえ、
理不尽な抑圧への抵抗としての「戦争」もあるでしょう。
それに対して、
多くの「戦争」は理不尽への抵抗という美名のもとに始まるという意見もあるでしょう。

ただ、
どんな「戦争」からも逃避する「道」を残しておくことは必要なのだと考えています。

「自由」から逃げることを避けるためにも。

ちなみに、
どうでもいいことなんですけど、
トロンボーンって、
ロケットランチャーみたいな感じがしませんか。
僕は、します。
で、
そんなフォルムもトロンボーンの魅力だと思っています。