| ウンベルト・サバ詩集 |
「仕事」という短い作品が納められています。
ずっとむかし、
ぼくは楽々と生きていた。土は
ゆたかに、花も実も、くれた。
いまは、乾いた、かたい土地を耕している。
鍬は、
石ころにあたり、藪につきあたる。もっと深く
掘らなければ。宝をさがす人のように。
以上が、その全文で、
改行も同書掲載のままです。
随筆家でイタリア文学者の須賀敦子さん(1929~1998年)のファンは少なくないので、
サバのこともご存じの方は多いでしょうが、
20世紀最大のイタリア最大の詩人のひとりといわれています。
1883年に生まれ、1957年に亡くなりました。
引用したのは僕が好きな詩のひとつです。
この「ぼく」はサバ自身のことなのか、
人間一般のことなのか、
正確なことはわからないのですけれど、
僕自身は土が花も実もくれた楽々と生きた経験がないので、
後者を想定しています。
自然災害や、違う“部族”からの攻撃による脅威はあったにせよ、
生きる糧は自然がくれた。
もちろん収穫などの労働は必要だったでしょうけれど…。
その労力さえ厭わなければ、
生きていけたようです。
ところが、
現代の先進国をはじめとした社会ではそうはいきません。
だから「あした」の糧に思い煩うことになり、
「おカネ」がないと、どうしょうもない。
だから「組織」なり「制度」なりに期待するし、依存することになります。
いくら高い学歴があったり、地位に恵まれ、公認の資格・免許を持っていても、
「組織」や「制度」に依存しなければ、
不安になるわけですね。
僕も例外ではありません。
つまり裸一貫で「稼ぐ力」がないと、
変化を恐れることになります。
そこで希望と勇気を与えてくれるのは、
この詩です。
つまり「石ころ」とか「藪」といった障害はあるけれども、
もっと深く掘れば「宝」に行き着くと、
叱咤激励してくれています。
たとえば「郷土愛」など…。
保身のために「愛」を隠れ蓑にして、
自主性を偽装したくはありません。
もちろん純粋な「愛」もあるだろうけど…。
考えてみれば、
僕は掘ろうとしたことがないのかもしれません。
「宝」はもっと浅いところにあると思っていたので…。
だから、
僕はもっと深く掘ろうと思います。
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