ふと昨年1月に91歳で亡くなった小野田寛郎さんのことが頭に浮かびました。
和歌山生まれで、敗戦から後の29年間も、戦いを続けたて、フィリピン・ルバング島から日本に帰還した人物です。
帰国は1974(昭和49)年でした。
おいくつのときだったのか、と思ってしらべたら、
誕生日(3月19日)の1週間前の3月12日に羽田空港に降り立っておられます。
51歳のとき…52歳になる直前ですから、
ほぼ今の僕と同じ年齢です。
そのとき、僕は小学5年ですから、
当時の自分の年齢の3倍近い期間、
ジャングルに潜伏して戦闘を続けていたというのは、
ドラマでもないようなことだと驚きましたし、
今でも、その感覚は変わらないのですが、
当時の印象を思い浮かべても、
小野田さんが51歳だったとは思えません。
当時の平均寿命は今よりも短かったはずなのに、
もっと若くみえましたし、
このときの写真や映像を見返しても、
やはり51歳にしては若々しい雰囲気を感じます。
ただ若々しいという言葉とは、
また違うエネルギーのようなものも感じます。
よく見ると、
今の日本人とは明らかに違う表情をしています。
もしかしたら小野田さん世代の人間のなかでも異例の空気を発散されていたのかもしれません。
その表情を見て、
もうひとつ思い出したのが、
今年1月に90歳で亡くなった作家の陳舜臣さんの言葉です。
陳さんは戦後の日本の繁栄を「天佑」だとおっしゃいました。
つまり自分の努力というより、
天や神のおかげのようなものだというわけです。
1973(昭和48)年には「石油ショック」もありましたが、
まだまだ日本は将来の成長に疑いをもたなかった時代でした。
僕はルバングから帰還した小野田さんは、
「天佑」から取り残された人間だと考えていたのですが、
誤解だったように思えてきました。
小野田さんは日本の豊かさは、
表層的な“まぐれ”であることを見抜いていたような気がするのです。
ここでは詳述はしませんが、
小野田さんのルバングでの戦闘は、
「敗戦」ということが抜け落ちている以外には、
かなり緻密のようでした。
だからこそ、
戦後30年近くも生き延びることができたわけで、
「敗戦」という情報が抜け落ちたというより、
敢えて負けないために知ることを避けたとも思えるほどです。
50歳を過ぎて祖国に帰還し、
そのまま余生を送ることもできたのに、
ブラジルに渡って牧場経営も成功させました。
目的を達成するために必要な行動が適切にわかり、
それを実行する能力が抜群なのでしょう。
だから日本で事業を展開しても、
軌道にのせることは難しくなかったような気がします。
でも、
“まぐれ”を自分の力だと誤解して、
胸を張っている同胞が根のない浮き草のように見えたのかもしれません。
なぜ、
そんなことを思ったのか…。
簡単な話で、
本当に戦後の日本の繁栄が、
日本人の努力や勤勉さ、優秀さによる結果なのだとしたら、
今のような閉塞感に満ちた状況にはなっていないと思うんです。
最近、日本を見直そう、とか、自信を取り戻そうみたいな声をよく聞きます。
もちろん「主義」によって、
歪められた「史観」で自虐的に自国のことを語るのは愚の骨頂です。
でも、
日本は経済とか政治、創造力みたいな点から見ると、
自分自身で戦争の総括や反省をして、
自分のアタマで将来に活かすことがまだできていないのかも、
と考えてみることが必要な気がしています。
どうも「失敗」の教訓を自分で咀嚼して、
血肉にできていないような猜疑心のようなものが湧いてきたんです。
新しい国立競技場を建てるだけで、
あんな見え見えの馬鹿なことをしてるんですから、
医療行政とか、
年金の計画とか、
財政とか、
大学改革とか、
国防がまともにできるような気もしないんですわ。
小野田さんは日本人が「反省させられた」時期に、
日本にいなかったので、
そこの部分がよく見えたのではと考えています。
ところで、
冒頭に出した、
「たま」といえば、
ただ居るだけで、
意味がありましたよね。
存在が福を呼ぶわけです。
そんなスゴい生き方ができれば、
言うことはないのですが、
到底、僕ごときには無理。
小野田さんが帰還したときと同世代の僕は、
もちろん小野田さんとは比べるのもおこがましい以前の話ですけど、
これから、まだひと働きできるはず。
どこかに「帰還」した気分で、
本当に失敗の教訓を生かして、
自分自身で反省して、
再出発したいもんです。
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