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2017-04-03

バイト落ちた。でも日本生きろ!

写真はサンプルです

恥ずかしい。

現在54歳。磯野波平と同い年で、今年9月には55歳になって四捨五入すると還暦。なのに…というか、だから…というか思い切って申し込んだバイトで不採用になりました。

まぁ先方にも色々と事情はあると思うので、固有名詞は差し控えますし、言ってもわからないと思いますけど、落語の定席です。

日本中に落語の定席はたくさんあるような気がしますから、紛らわしくならないためにもう少し詳しく書くと、大阪にあります。

たぶん、それだけでも雲をつかむような…たとえば、大阪にあるコンビニみたいなもんですから、もうちょっとだけサービスして書くと、天満にあります。天満といっても大阪天満宮界隈だけでも8軒の寄席があったそうですから、いくらそれが戦前のことだとしてもわかりにくいですよね。

でもすみません。ここはオトナなので固有名詞は出しません。

2015-11-18

中心のない生命体としての吉本興業

産経新聞大阪本社情報サイト「産経関西」も完全に閉鎖されたようなので、自分で書いて掲出していた『吉本興業の正体』(増田晶文著/草思社文庫)の紹介記事をもとにブログ用に書きなおしてみた。今後の吉本興業の動きにはとても興味があるので、現時点での自分用の目印を作っておきたいというのが動機である。著作権上は問題がないと判断している。

…というわけで。

「○○の正体」と銘打ったタイトルは、本や雑誌、そしてTV番組では「○○の秘密」や「○○の裏技」に匹敵するくらい、珍しくない。

で、読んで「どこが正体やねん!」と腑に落ちない思いをしたことも、また、珍しくない……はずだ。(「裏技」には感心することがあるけどね)

それが記憶や偏見に基づいた“正体本”への評価だった。

この本もまた、その類(たぐい)だろうと思っていた。何しろ素材があの「吉本」である。まず、お笑いや演芸という掴みどころがなく、時代の流れに影響されやすい“商品”を扱う会社に「正体もへったくれもないやろ…」という先入観があった。だから結局は「正体のわからない会社でした」という“オチ”で当然だと考えていた。

「○○の正体」という場合、「○○」にあたる対象が清く正しく高潔であればあるほど、「正体」とのギャップの大きさでインパクトが増幅される。そのうえ、最近は清純に見えるアイドルが実は元ヤンキーで…くらいのギャップではほとんどインパクトはない。なのに、その正体を暴かれる対象が「吉本興業」。ちょっとやそっと「エゲツナ~」(岡八郎さんを思い出して読んでください)な“素顔”が見えても驚かない…というのは少なくとも関西で生まれ育った人間のフツーの感覚である。

しかし、違った。

2015-08-04

江戸の「手段」上方の「目的」

近所の「イオン」の特設コーナーで、
本の安売りをやってまして、
そこでDVDも置いてました。
DVD「幻の名人落語 柳家小さん(1)」っていうのがあったので、
買いました。
演題は「猫久」と「粗忽の使者」。
小さん師と、立川談志師の対談や、
談志師の解説も収録されています。

その中で談志師は、
落語の「笑わせる」というのは「手段」であって、
「目的」は人間を語ること…人情…人間の業(ごう)を語ることだとおっしゃってます。

落語っていうのは、
芸術なんだな、と思いました。

もちろん談志師の場合、その手段のレベルが高くて、
ものすごく笑わせてくださったわけですけどね。

しかし、です。
その「手段」論は江戸落語だけのものかもしれません。
もしかしたら談志師だけの思いかもしれません。
でも談志師にはお弟子さんもいらっしゃいますし、
ファンも多いので、
その「手段」と「目的」を支持される方は少なくないのだと思います。

一方、上方落語はどうでしょう。

2015-06-25

道頓堀・角座で普通ではない状況が…

2015年6月25日午後 大阪・道頓堀

きょう(2015年6月25日)は代休でした。

梅雨だとは思えないような爽やかな、お天気で。

洗濯を済ませて、
谷町で鍼を打っていただいてから、
日曜日(21日)に食べたばかりだというのに、
また、クリスタ長堀の「インデアンカレー」で、
お昼ごはんをいただきました。

それからテクテクと心斎橋商店街を歩き、
戎橋から道頓堀へ出て、
「角座」の「日中(ひなか)はなしの会」を聞かせていただきました。

開演は午後1時です。

座席は126だそうで、
70歳以上とみられる方を中心に、
8割くらいの入りだったと思います。

笑福亭飛梅さんの開口一番(動物園)のあと、
笑福亭呂好さんが「狸(たぬ)さい」を演じられまして、
もともと、
お年寄りの私語が多かったんですけど、
どうもザワザワしている。

次の桂咲之輔さんが登場してマクラに入るものの…。
客席が普通ではない状況で…という話になりました。
ここで、
最前列に座っていた僕が咲之輔さんの目線の先を追うと、
救急隊員さんが劇場に入ってくるではありませんか。
その様子を咲之輔さんが説明するように“実況”されまして、
客席で80歳くらいの男性が体調を崩したらしく、
救急車が呼ばれたようです。

その男性は、意識もあって、その場ではそれほどの重篤でもなかったようで、
救急隊員さんに付き添われて客席の外へ出ていかれました。

気にかかる…。

そんな空気が会場に充満してまして、
咲之輔さんは、
お客さんに、お願いし、
舞台への登場から仕切り直されました。

不思議なもんですね。

アクシデントというか事件を共有した効果なのか、
客席の一体感が高まりまして、
それまで、おばちゃんの私語や、
数人のグループでタコ焼きを分けあって食べていた混沌とした空気が変わったんです。

これがナマの劇場の醍醐味ですね。

寄席は「一期一会」だという噺家さんは多いですけど、
それを実地に学んだ気がします。

高座に上がる噺家さんはマクラで、
寄席は客席と舞台の共同作業だと強調されることが多いです。

その日のお天気、世情、季節、観客の構成…。
同じ組み合わせは奇跡でもない限りありえないわけで、
「一期一会」はアタマではわかっていたんです。

でも、きょうみたいなアクシデントがあると、
腑に落ちる深さが違いますね。

単純に、
ライブで同じ空間にいるのがよくて、
生中継や録画のほうが劣るというわけじゃないんです。

ここが説明しにくいんですけど、
ライブで会場で観るのほうが価値が高いといいたいわけじゃないんです。
生中継や録画のほうが、
面白く見られる場合もあるでしょからね。

ただね、
きょうみたいなアクシデントの空気は会場では独特のものがあります。
なぜなら、
同じ空間を共有している人々があらゆるかたちで当事者意識を持ちやすいからです。

でもね、
メディアを通じた生中継や録画、
さらにはものすごく古い記録でも、
本当は当事者意識を持つことが必要なものが多いんではないのかな、と、あらためて思いました。

メディアを仲介すると、
当事者意識が薄まるのは、
メディアを担っている人々が他人事だと思っている度合いにもよるかもしれません。

ただ、
難しいのは、
事柄によっては他人事だと突き放さなければ、本質が見えない事象もあることです。

つまり思い入れし過ぎたり、
自分の考えを正当化するために当事者になりすぎると、
誇張や歪曲が生じる可能性があるということです。

ここで「だからマスゴミは…」といってもどうしょうもありません。

「事象」と自分との関係性を的確に把握できる能力の涵養が大切だということです。

ちょっと視点をずらして言い換えれば、
「いい人」の言うことが正しいとは限らないということです。

SNSでもそうなんですけど、
人気者や自分が好きな人間の主張が自分にとって「いいね!」とは限らないという単純な話です。

2015-06-09

効く音楽

Vintage Jam Session - 1954
聴いたら、
条件反射的に陽気になる音楽ってありますよね。
「そんなもんはない」というヒトは、置いといて…。
僕はあります。

「僕」というか、
ほぼ確信を持って関西人なら、
とりあえず肩の力は抜ける曲があります。

「吉本新喜劇のテーマ」といえば、
関西では誰もが思い浮かべてしまう、あの曲です。

正確にはJAZZトロンボーン奏者でヴォーカリストの、
Pee Wee Hunt(1907~79年)がバンドリーダーをつとめる曲「Somebody Stole My Gal」で、
訳せば「誰かが僕の彼女を盗っちゃった」でしょうか?

でも日本語にしようが、
モンゴル語にしようが、
このタイトルを聞いてメロディが頭に浮かぶ日本人はほとんどいないはず。

やはり「吉本新喜劇のテーマ」でないと、
ピンとこない。

「ナニワのモーツァルト」こと、キダタロー先生の作曲だと信じている大阪人も少なくないような気がします。

だって、
あのミュートをつけたトランペットの、
♪ほんわか、ほんわか、ほんわか♪
…っていう感じで始まる曲は、
「吉本新喜劇のテーマ」以外の何ものでもありません。

タコ焼きとか串かつのソースのにおいが漂ってくる感じで、
コテコテ感が充満ですもん。

何といいても、あの曲を聞くと、
岡八郎(2003年4月以降は、岡八朗)や花紀京、原哲夫から始まって、
桑原和子、池乃めだか、辻本茂雄、内場勝則…みたいな感じで頭のなかをみなさんの顔が走馬灯のように流れていきます。

もう関西人のソウルミュージックそのもので、
この曲が耳に入ってくると、
陰気な顔はできません。

逆に言うと、
葬式では絶対に流してはいけないBGMだともいえます。

吉本新喜劇の方が亡くなった場合なら別かもしれないけど…。
それでも天寿を全うしたとか、いうケースに限定されるような気がします。

この曲がPee Wee Huntのバンドの演奏だっていうのは知ってたんですけど、
不覚だったのは、
そのHuntがトロンボニストだっていうことは知らなかったことです。

先日、偶然にそれがわかって、、
「えっ、そうなん!」ってことで、
CDを探しましたよ。

ところがです。

この曲が入ったCDが見つからない。

ダウンロード版ばかり…。

…というわけで、
生まれて初めて、
アルバムをダウンロードして買いました。
「Vintage Jam Session - 1954」っていうタイトルです。

CDというパッケージ商品にこだわっていたし、
JAZZの定番アルバムとなると、
ダウンロードの方が高いっていう場合も少なくなったので、
CDで買う方がお得感はあったんですよね。

ところが、
最近は円安の影響で、
輸入CDが高くなってきました。

もしかしたら、
CDがレコードに取って代わったように、
日本でもダウンロードのデジタル音楽が主流になる転機かも。
JAZZの名盤は軒並み安くなってきましたしね。

あと5年もしたら、
「あれが分岐点だったなぁ」という話なんかするんでしょうかね。

ただね、
僕の場合、
その歴史的かもしれないときに買ったのが“新喜劇のテーマ”なんですよね。

この曲を心に思い浮かべれば、
難しい顔はできないわけです。

たぶん、
これからダウンロード音楽の話題になると、
僕の頭のなかには、
「Somebody Stole My Gal」が条件反射のように流れるのは絶対確実です。

それにしても、
この曲を聴いて陽気な気分にならない関西人っているんでしょうかね。

沈んだ気分を上げる特効薬!
聴けば効くって感じですもん。
富山の置き薬より強力かも…って、
まだ富山の置き薬ってあるんですかね。

それはさておき、
「Somebody Stole My Gal」。
大阪の家庭にとっては、
タコ焼き器のような存在かもしれません。