2015-06-29

「才能」の「代用品」

以前、『ウンベルト・サバ詩集』(みすず書房)から
「仕事」という作品を引用して、
自分で生きるために宝をさがす人のように深く掘らないと、ということを書いたことがあります。

意図もニュアンスもちょっと違いますけど、
村上春樹も「走る小説家」として自分自身について綴った本走ることについて語るときに僕の語ること』(文春文庫)で、
「掘る」ことに言及しています。

小説家にとって一番重要な資質は「才能」で、
次に「集中力」、続いて「持続力」だと書いている文章のなかで、
「才能にそれほど恵まれていない」作家たちは「集中力」を養い「持続力」を増進させて「才能」の「代用品」として使うことを余儀なくされる…と述べています。

そして、そこで培われた「筋力」で、
「スコップを使って、汗水を流しながらせっせと足元に穴を掘っているうちに」「自らの中に隠されていた本物の才能に巡り合うこともある」と書いているのです。
その「本物の才能」を「秘密の水脈」とも形容しています。
僕は小説家を、
神さまに選ばれた特別の人間だと思っています。、
幸か不幸か、
僕は選ばればなかった世間の大半のグループの住人です。
(そもそも小説家になろうと思ったことがない…)
だけど、村上春樹自身は走ることから学んだという「集中力」と「持続力」による「筋力」のたとえは、
さまざまなことに応用できます。

あえて僕が「応用できます」と書く必要がないくらいに、
自然な思考の流れですね。

されに小説家にこだわらなければ、
「才能」「集中力」「持続力」という大切さ順番にこだわる理由もない気がします。

まず「持続力」で「集中力」を養って、
育成した筋肉で、
穴を掘って「水脈」を探すこともできるはずです。

村上春樹も書いているように、
「本物の才能に巡り合うこともある」ので、
もちろん巡り合わないことの方が多いんでしょう。

でも、
「持続力」と「集中力」で「筋力」をつけて、
穴を掘るのは苦しいかもしれないけど、
やりがいのある楽しいことだと思います。

ただ、穴を掘ることが目的になってはいけないんでしょうね。

結果として、
穴を掘っただけになったとしても、
探し求める対象は必須だと思います。

そして、
その対象は「夢」や「理想」という言葉に置き換えてはいけないと信じています。

「夢」や「理想」は実現しなかったときの言い訳になりやすい…というか、
あらかじめ実現しなかったときの言い訳として存在するからです。

僕は、そこの部分は頑固に確信しています。

何だかまた、
加齢臭を放つ、アホな訓示めいた感じになってしまいました。
もっと、うまく書けるように精進します。

一応、書きながら毎回、
恥もかいている自覚はあるのです。
ただ齢(よわい)を重ねて、
そこの羞恥心が弱まってきているだけです。

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