「仕事」という作品を引用して、
自分で生きるために宝をさがす人のように深く掘らないと、ということを書いたことがあります。
意図もニュアンスもちょっと違いますけど、
村上春樹も「走る小説家」として自分自身について綴った本『走ることについて語るときに僕の語ること』(文春文庫)で、
「掘る」ことに言及しています。
小説家にとって一番重要な資質は「才能」で、
次に「集中力」、続いて「持続力」だと書いている文章のなかで、
「才能にそれほど恵まれていない」作家たちは「集中力」を養い「持続力」を増進させて「才能」の「代用品」として使うことを余儀なくされる…と述べています。
そして、そこで培われた「筋力」で、
「スコップを使って、汗水を流しながらせっせと足元に穴を掘っているうちに」「自らの中に隠されていた本物の才能に巡り合うこともある」と書いているのです。
その「本物の才能」を「秘密の水脈」とも形容しています。
僕は小説家を、
神さまに選ばれた特別の人間だと思っています。、
幸か不幸か、
僕は選ばればなかった世間の大半のグループの住人です。
(そもそも小説家になろうと思ったことがない…)
だけど、村上春樹自身は走ることから学んだという「集中力」と「持続力」による「筋力」のたとえは、
さまざまなことに応用できます。
あえて僕が「応用できます」と書く必要がないくらいに、
自然な思考の流れですね。
されに小説家にこだわらなければ、
「才能」「集中力」「持続力」という大切さ順番にこだわる理由もない気がします。
まず「持続力」で「集中力」を養って、
育成した筋肉で、
穴を掘って「水脈」を探すこともできるはずです。
村上春樹も書いているように、
「本物の才能に巡り合うこともある」ので、
もちろん巡り合わないことの方が多いんでしょう。
でも、
「持続力」と「集中力」で「筋力」をつけて、
穴を掘るのは苦しいかもしれないけど、
やりがいのある楽しいことだと思います。
ただ、穴を掘ることが目的になってはいけないんでしょうね。
結果として、
穴を掘っただけになったとしても、
探し求める対象は必須だと思います。
そして、
その対象は「夢」や「理想」という言葉に置き換えてはいけないと信じています。
「夢」や「理想」は実現しなかったときの言い訳になりやすい…というか、
あらかじめ実現しなかったときの言い訳として存在するからです。
僕は、そこの部分は頑固に確信しています。
何だかまた、
加齢臭を放つ、アホな訓示めいた感じになってしまいました。
もっと、うまく書けるように精進します。
一応、書きながら毎回、
恥もかいている自覚はあるのです。
ただ齢(よわい)を重ねて、
そこの羞恥心が弱まってきているだけです。
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