| 気功の学校 |
「想いはかなう」…があります。
まず「想」を充てるのも何だか不自然な印象があって、
「思」でいいんじゃないのと“思”うわけです。
『字通』にも「想」は「…その形容を思い浮かべることをいう。その人を慕う意がある」とあり、
なにかカタチあるものを思い浮かべたり、
好きなヒトへの恋愛成就を願うのなら、
「想」でも気になりませんけど、
単に「夢はかなう」みたいな意味でつかってほしくないですね。
なんだか頑固ジジイのようで、
少々自己嫌悪もしてしまうけど、
これは譲れない。
そもそも「夢」にしたって、
「I Have a Dream(私には夢がある)」と演説で語ったキング牧師(1929~68年)の人生をかけた壮大な思いにこそふさわしい。
タモリは「夢があるようじゃ人間終わりだね」とテレビ番組で語ったそうだけど、
たぶん好きでやり続ければかなうような「夢」を否定しているんだと思う。
「想いはかなう」に話を戻すと、
だいたい、この言葉を口にするヒトって、
ちょっと力(りき)んでるんですよ。
気合いで思えば願いはかなうみたいな感じじゃないですか。
「想」うことを何よりも優先させて、
何も行動してないんじゃないか、というような方もいます。
力んで「想」えば、
何か結果が出ると信じているかのような…。
たぶんオナラくらいしか出ないと思うけど。
力むといえば、
西川きよし師匠が頭に浮かびますけど、
あれは作られた芸風で、
まともにずっと肩に力を入れてやってたら、
あんなに売れるわけがない。
カラダから余計な力を抜いて、
自然な状態になったときに、
人間は能力を最大限に発揮できると思うからです。
とはいえ、
実は僕も肩に力が入いるタイプです。
脱力しようと思えば思うほど力が入ってしまうし、
カラダから余計な力を抜くのが難しいのは痛感しています。
なんとか自然体になりたいと思って、
最近興味を持っているのが「気」です。
東洋医学なんかでいう「気」。
「気功」の「気」ですね。
それでこの間、読んだのが『気功の学校』(天野泰司著/ちくま新書)です。
このなかには、
「『願いはかなう』のが自然です」と書かれています。
「えっ!」そうなのという感じで先を読むと、
「ごく身近な例でいうと、たとえば、お茶が飲みたいと思う。お湯を沸かす、急須に茶葉を入れてお湯を注ぐ、しばらく待つ、お茶を湯のみに注ぐ。そしてお茶を飲む、というように願いをかなえます」とありまして、
何だかさっきの「えっ!」が「えっ?」になった感じもします。
でも、
考えてみたら、
願いというのは、
お湯を沸かし方や、お茶の入れ方を知っていて、
ちゃんと実践すれば、
水が高いところから低いところに流れるように、
かなうものなのかもしれません。
湯のみだけ用意して、
いくらお茶のことを「想」って待っていても、
お茶が飲めないのは当然です。
自然の法則に従い、
カラダから余計な力を抜いて、
正しい方法を積み重ねながら得たい結果に向っていけば、
願いはかなうわけですね。
何かがうまくいかないのは、
不自然なことをしているのが原因なのかもしれません。
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