日本経済新聞(電子版)=2015年6月13日=によると、
“英総合月刊誌「モノクル」は2015年の「世界の住み良い都市ランキング」で東京が1位になったと発表した。昨年の2位から順位を上げた。巨大都市にもかかわらず平和で静かな環境を実現している点が高く評価された。福岡が12位、京都が14位と日本の他の都市も上位に入った”。
海外には観光や仕事でしか行ったことがないので、
外国のことはよくわかりません。
でも、
東京が1位なのもよくわかりません。
円安の影響はあるでしょうけど…。
僕は1年足らずの短い期間でしたけど、
東京には住みました。
その他でいうと、
和歌山で生まれて高校卒業まで暮らし、
そのあとは大学時代は京都で4年、
就職して初任地の神戸で4年、
そのあとは東京勤務時代を除いて大阪です。
このなかで一番住みにくかったのが東京でした。
比較の問題なので、
東京がダメというんじゃないです。
部屋を借りたのは谷中(やなか)で、
東京メトロ千代田線を使えば最寄りの千駄木駅から大手町までは10分ほど。
「谷根千(やねせん)」といわれる昔の風情を残した地域です。
「谷根千」というのは、寺町の谷中、下町の根津、武家町の千駄木の総称で、台東区と文京区と荒川区が重なっています。
商店街(谷中ぎんざ)もあって買い物も便利だし、
部屋から、
千駄木駅まで徒歩5分弱、
JR日暮里駅にも10分かからない。
近所には歩いて3分から10分圏内に銭湯が3軒もあったし、
快適ではありました。
でも先にも書いたように比較の問題にすると、
関西より住みやすいとは感じませんでした。
具体的にいうと、
気軽に京都に行けないとか、
「大衆的」に見える飲み屋の勘定が関西に比べて高いとか、
昼ごはんを食べに行くと定食が、
ご飯とメーンのお皿と味噌汁だけというところがけっこうあって、
値段も関西より100円から300円高い印象でした。
それから、
全国的にみると、
地方の県の県庁所在地で一番乗降客が多い駅よりも、
賑やかな駅がいっぱいあって、
人が多い。
アメ横なんて、いつも大晦日か!って思いました。
ケチをつけるとすればそれくらいで、
情報は集めやすいし、
展覧会や文化イベントは多いし、
見るべき施設も多く、
さすが日本の「首都」って感じです。
何よりも、
あれだけヒトが生活しているのに、
大阪に比べると不法駐輪がものすごく少ない(…これは感心しました)。
そういう意味で、
東京が優れた都市だというのは認めざるを得ません。
ただ、僕には暮らしにくかった。
俗に言う「水が合わない」という感覚ですね。
東京勤務期間中は、
関西に帰ってくると、
心底ホッとしました。
東京の人混みに比べると、
大阪の地下街なんて人通りが少ないくらいに感じて、
それまで少々鬱陶しいと感じていた混雑も苦にならなくなりましたしね。
正直に言うと、
大阪の方が人が少ないことが口惜しいくらいでした。
で、そんな東京で生活していたある日、
新幹線でJR新大阪駅に着いてから、
大阪駅まで、ひと駅在来線で乗り継いで梅田の地下街に着いて気づいたことがありました。
電車のなかでも、
なんだか東京と様子が違うなぁとは感じていたんですが、
その理由がわかったんです。
東京より人の数は少ないのに、
大阪のほうがやかましい。
ひとりひとりの声が大きいうえに、
会話している割合が多いからでしょう。
もしかしたら、
東京に「水が合わない」のはこんな雰囲気に慣れてしまったせいかも、と思いました。
反対にいうと、
首都圏で長く暮らした方は、
大阪のこんな空気には「水が合わない」かもしれませんね。
ただ東京が住み良い都市で世界一になったという記事に話題を戻すと、
僕はそれが必ずしもいいことだとは思えません。
暮らしやすさにつながる日本人の礼儀正しさや大人しさを利用しようとする人間もいるからです。
僕は実際に、
ある外国人から「日本人は自分の母国の人間に比べたらチョロいと考えている知り合いは少なくない。だから日本の方が商売がしやすいみたい」と聞いたことがあります。
さらに「ただ大阪だけはちょっと事情が違うけど…」とも。
この言葉が耳に残っているので、
都市はワイルドな部分が残っているほうが良いと考えています。
「巨大都市にもかかわらず平和で静かな環境を実現している点が高く評価された」というのは、
眼に見えにくいところで、
外部の人間によって深い闇のような空間が作られやすいということだからです。
産経新聞の神戸支局や大阪の社会部、文化部で記者やデスクを経てデジタルメディア担当専門委員としてwebメディア編集長をつとめました。2015年10月から海外向けSP会社の取締役として第2の社会人生活を始めました。趣味はトロンボーン(和名:伸縮自在真鍮製曲金発声器)や落語鑑賞など。ITパスポートと2級FP技能士資格あり。JAZZと落語とコロッケが好き。 和歌山市出身。大阪・千里在住。
2015-06-16
2015-05-24
「仕事」で過労死はしない
今年1月、にスイス・チューリッヒで開かれたFIFA(国際サッカー連盟)主催のバロンドール表彰式で、
サッカーライターの賀川浩氏が日本人初となるFIFA会長賞を贈られました。
webニュース「産経WEST」(2015年5月5日【サッカーなんでやねん】)によると、ジャーナリストとして世界で初めてでもあったそうです。
昨年12月に満90歳になられた賀川さんは元サンケイスポーツ編集局長で、
サッカー・ワールドカップ(W杯)の1974年・西ドイツ大会(当時)から2014年のブラジル大会まで計10大会を現地取材されました。
会長賞は、そんなサッカー界への功績が評価されたようです。
今も現役で、
まさに「生きる名人」。
お手本にさせていただきたい方で、
あやかりたい。
昨年8月2日、神戸市立中央図書館で、
賀川さんが開いたW杯ブラジル大会の取材報告会は、
僕も拝聴し、
有り難いことに、ご挨拶までさせていただきました。
やはり、
好きなことを極めてきた人物独特の自由闊達さを感じました。
そのときはまだ「会長賞」は噂にものぼっていないような時期でしたけど、
もちろん、「賞」や「栄誉」を目的に活動されてきたのでありません。
やり続けることができた結果の受賞と栄誉です。
だから体調管理も必要だし、
90歳まで健康に活動できる「運」も関係してくるでしょう。
「神さま」も味方につけないといけないわけです。
その賀川さんの著書に『90歳の昔話ではない。 古今東西サッカークロニクル
90歳の「現役記者」ともなれば、
個人的な回顧でも充分に読み物になるのでしょうけど、
この本は違います。
序章で、ご自身の「記者稼業」スタートについて、
「当時の産経新聞編集局は、運動部の向こうの文化部に司馬遼太郎がデスクで座っていた頃。運動部にも社会部にも司馬さんと張り合う文章家のデスクたちがいたのも、大きな刺激だった」と書かれているくらいで、
懐古趣味的な部分なくて、
まさにタイトル通り「昔話ではない」。
サッカーの年代記や、
歴代の国内外の選手、
ご自身が取材したW杯について、
客観的な裏付けをもとにした分析などが、
綴られています。
そこには年齢を越えた普遍的ともいえる表現があります。
もちろん経験があっての結果なのでしょうけど…。
それだけに、
この本のなかで、
第三者が賀川さんについて書いた部分は貴重ともいえます。
そのひとつが国吉好弘さん(週刊サッカーマガジン編集部スーパーバイザー)が書かれた「『あとがき』にかえて」。
2002年の日韓W杯開催を目前に控えて、
別冊の発行など過酷な作業が予想された週刊サッカーマガジンの編集部が“本番”前に壮行会的なパーティーを開いたときのこと。
その席に参加した賀川さんは激励のスピーチの最後に、
「仕事が忙しくて、死んだ者はいない」とおっしゃったそうです。
「大変だけど、頑張ってください」というような言葉を漠然と予想していた編集部員たちは、
「肩透かしを食ったというか、妙に納得させられた」といい、
「そりゃそうだよな」という気分で肩の力が抜けたそうなんです。
そのお陰もあってか、
無事に乗り切ってW杯閉会後、通常の生活に戻ったそうなんです。
「仕事が忙しくて、死んだ者はいない」という言葉には異論がある方も少なくないと思います。
「過労死はどうなるんだ」というような指摘ですね。
でも、過労死は、
過酷な勤務・労働が心労になって誘引されるような気がします。
過労死は不幸な「労災」なのでしょう。
賀川さんにとって「仕事」は「労働」とは別のようです。
もちろん無茶な上司の命令に従ったり、、
生活のためだけに、こなしたりするものではない。
だから忙しくても心労が蓄積しないということなのかもしれません。
「仕事」をして生きていきたいと切に思います。
2015-05-13
大阪の「未来像」
日本SF界の巨人のひとり、小松左京先生(1931-2011年)の著書『わたしの大阪』(中公文庫)には、
そのタイトルの通り、
大阪に関する先生のエッセーや論考が収められています。
小松先生は大阪市西区京町堀の生まれ。
ここで言う「大阪」とは取りも直さず、
現在の「大阪市」のことです。
それが一目瞭然の、この本のなかに、
1973年に書かれた「大阪の未来のために」という一文があります。
ここで、
関西は「京都、神戸、奈良といった、それぞれ一癖のある都市が近接していて」、
「関東における東京のように、政治、経済、文化的に図抜けた大中心に焦点をむすぶような所ではない」と、おっしゃっています。
さらに、
神戸市は「ミナト神戸」の性格をはっきりとさせ、
京都は学界・思想界に対する発言力で、
日本のなかにユニークな立場を保持し続けている、
としておられます。
これに対して、
「大阪という都市の性格がぼやけてしまっている」と指摘し、
「『都市としての性格・印象の曖昧さ』が大阪の『未来像』の予測を難しくさせているのである」と苦言ともとれる分析をされています。
結局、その後1994年の関西国際空港開港前あたりから、
お笑いやタコ焼きなどの「コテコテ文化」が大阪を語る場合のステレオタイプのイメージとして定着してきたような気がします。
大阪といえば、
テレビでは、
道頓堀のグリコやかに道楽の看板が象徴的な風景として登場します。
それはとても鮮明な原色の「絵」なのですが、
「未来像」の予測が難しいのは相変わらず…。
それどころか、未来の変化がさらに想像できにくくなっています。
そのように大阪(=大阪市)という都市の性格が曖昧なままで、
この地域を分割していいのでしょうか。
分割することによって、
「各区域」のそれぞれの性格が鮮明になり、
未来像が予測しやすくなったとしても、
京都、神戸に対峙する都市としてのパワーを持つことができるのでしょうか。
大阪が「関東における東京のように、政治、経済、文化的に図抜けた大中心に焦点をむすぶような所」になるのなら話は別かもしれません。
しかし、単に関西全体の東京化が進むだけならば、
この地域の文化も経済も痩せてしまうような気がしています。
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