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2016-02-17

働かないアリはオジさんへの朗報か?

日本経済新聞web版(2016年2月16日)に掲載された共同通信配信記事によると…。
アリの集団は常に全ての個体が働くより、働かないアリがいた方が長く存続できることを、北海道大大学院農学研究院の長谷川英祐准教授の研究チームが突き止め16日、英科学誌電子版に発表した。働き者のアリが疲れて休んだ時、怠け者とみられていたアリが代わりに働くためという。
「一見無駄な働かないアリも、集団の長期的存続には欠かせない。人間も含め、短期的効率を求めすぎると、組織が大きなダメージを受けることがある」と長谷川准教授。「組織運営に当たり、長期的存続の観点を含めて考えることの重要性が示された。会社で働かないと思われている人も、相対的に腰が重いだけで、ピンチとなれば活躍する可能性はある」と話しているそうです。

会社で、あんまり働かないんで、若手の視線が痛いオジさんオバさんには朗報のようでもあります。

もちろん組織を存続させるためのヒントとしては有効に違いありません。でもオジさん・オバさんへの朗報ではない側面は色濃いと思います。

「俺の時代が来るかも」と明るい日差しを感じて胸をなでおろしたオジさんには悪いけれど…。

2015-10-20

退職後に変わったこと(3)「嘘」について…

「嘘も方便」っていうのは真理なのかもしれないけれど、危険な言葉だと思います。

「思想」や「主義」「理想」「信仰」にもとづく結果に至るためには「嘘」をついてもかまわない…なんていう考えは、その最たるものだ、と、僕は信じています。

それを前置きにして僕の経験を語ってみます。

駆け出し記者時代のことです。支局で先輩ふたりが言い争っていました。

特ダネ・独自ダネを掴んでキャップやデスクに報告するときに、そのネタ元も伝えるべきかどうか…。

ひとりは、伝えるべきだ、という意見です。
そうでないと、それを紙面化するかどうか判断ができない場合があるし、ネタ元を直属の上司に明らかにするのは当たり前だ、という主張でした。

一方は、社内から社外にネタ元がバレる恐れがあるので、報告するすべきではない…と反論していました。

その議論は、さまざまな具体的な事例も交えて延々と続いて、当然のことながら結論は出ませんでした。

両方の意見はもっともです。
で、僕はどうしたか…。

2015-07-15

「生きがいについて」について語るときに僕の語ること

精神科医で、マルクス・アウレーリアス『自省録』(岩波文庫)などの翻訳や、エッセーなどで知られる神谷美恵子(1914~79)の『生きがいについて』(みすず書房)の本文冒頭は、僕にとっては衝撃でした。

<生きがいということばは、日本だけにあるらしい>という一文です。

「生きがい」を手元にある『パーソナル和英辞典』(学研)で引いてみると、
「生き」の項で「生き甲斐 ~がある be worth living」と記されて単語のように独立していない。

「生きがい」も「生きる」+「甲斐」の2語を合わせたものなので、「生きがい」という言葉が日本にしかないとはいえない…とも考えられる。

しかし、僕としては英訳との乖離が大きい気がして“神谷説”のほうが腑に落ちます。

「worth」は「価値」とか「有効性」「財産」という日本語が充てられることが多いけれど、
「生きる価値」や「生きる有効性」と、「生きがい」には隔たりを感じるからです。

2015-07-07

「毒」の功罪

「弱肉強食」という言葉があります。

最近、否定気味に語られることが多いですけどね。

たとえば、
「強いものが生き残るんじゃない。環境の変化に適応できたものが生き残るんだ」とかです。

強いはずのトラは強いが故に繁殖数がそれほど多くないけれど、それだけに毛皮に希少価値があるので、
密猟などで絶滅の危機になるということも、
「弱肉強食」を否定的にみる材料としてよく引き合いに出されます。

でも、
人間が丸腰で、
トラと対決したら、
かなりの確率で負けることは想像できますよね。

やはり1対1で勝負すると、
「弱肉強食」は真理の色合いを強めます。

とはいえ、
食べたら不味いものは、
見逃してもらえそうなんで、
生き残るために、
非力な生き物は自分を不味くするという戦術が考えられます。

2015-07-05

安全に生き抜くための13カ条

このブログの趣旨は、
「生きる名人」になりたいということで、
いつ死んでもいいように、いかに機嫌よく暮らしていくか、を考え、実践する…なんです。

でも、あんまり、そのテーマに沿ったことができていません。

そこで、今回は、
とりあえず「安全に生き抜くための13カ条」っていうのをひねりだしてみました。

2015-06-18

人生に勝ち負けはないけれど

僕がバイブルとしている本のひとつです
webサイト「ほぼ日刊イトイ新聞」(略称:ほぼ日)のトップページにある「今日のダーリン」(2015年6月18日)で、
糸井重里さんが「勝ち負け」について書いています。

劇画家の上村一夫さん(1940~86年)が昔、
“ギターを小脇に抱えて、少し酔った口調で、
「恋愛は勝ち負けじゃありません」と言った”そうなんですね。

それで糸井さんは、
“この「勝ち負けじゃありません」という言葉は、
恋愛ばかりじゃなく、あらゆるものごとに
すべて言えるのではないかということだ”
と考えて、
“生きることなんて、ほんとに、勝ち負けじゃないものな”
と、おっしゃいます。

一時期「勝ち組」とか「負け組」とかいう言葉がよく使われましたけど、
最近あんまり聞かなくなりましたね。
経済誌の見出しなんかで時々眼にする程度かも。

いずれにせよ、
「生きることなんて、ほんとに、勝ち負けじゃない」ですね。

それはたぶん、
生きることがゲームじゃないからじゃないでしょうか。

ただ、ゲームじゃないけど、
ゲームに必要なルールはある。
これが面白いところですね。

ルールは法律であったり、
宗教上の教義であったり、
組織の規則であったり、
そして友達との約束だったりするわけですね。

勝敗がないのに、
なぜルールあるのか。

それは単に権力者の都合で作られるケースもありますけど、
基本的には、
他人に迷惑をかけたり集団の秩序を見だすとペナルティを科しますよ…ということで、無茶な行動を抑制して、多くの人間が快適に暮らせるようにしようという目的があるんでしょうね。

賭け事には勝敗がつきものですから、
「人生はギャンブルだ」ということを信条にされているヒトがいたとしたら、
その方の人生には勝ち負けがあるのかもしれないけれど、
どの時点で、
勝敗を決するのかがものすごく難しそうです。

自分の葬式に香典が○○円以上集まったら勝ち、
とか?
あっそのときにはもう死んでるから違うか…。

それはさておき、
人生に勝ち負けがないということは、
「引き分け」もないということなんでしょうか。

もしかしたら、
人生は「引き分け」しかないゲームなのかもしれないとも思いました。
だからその道程でのトラブルの合理的な解決策としてルールが必要なんでしょうか。

2015-06-12

憂患と安楽

中国・戦国時代(紀元前403~同221年)の儒学者、孟子の言葉に、
「憂患に生き、安楽に死す」というのがあります。

守屋洋著『中国古典 逆境を生き抜くためのすごい言葉一〇〇』(角川SSC選書)によると、
「心配や悩みがあるからこそ生き残ることができる。安楽にひたっていたのでは破滅を免れない」ということだそうです。

最初に読んだとき「逆と違うのん?」と思いました。
心配や悩みは身心にも悪いと聞いていたし、
「新約聖書」にも「思い煩うな」と書いてあります。

でも、
考えが変わってきました。
30歳前後から身心の不調に悩んで、
まさに憂患の日々を送ってきました。
でも、
45歳くらいから、
いろんな事がが好転して楽しく生きられるようになったのだけど、
この安楽を守ることを考えるようになってきた気がしています。

50を越えれば、
体力も落ちるし、
それはそれで仕方ないのかも、
とも思うのですが、
このままだと生き残るための「勘」が鈍ってしまいそうな気にもなってきたんです。

取り越し苦労の必要はないでしょうけど、
問題の大小を正確に判断して、
正しく心配する、正しく悩むことは必要に違いありません。

つまり今、現実にある「危機」を正確に把握して、
対応を自分なりに考え実行することが大切なのは言うまでもない。

他人任せの安楽は破滅への道なんでしょうね。

なんだか説教臭いですね。

自分に説教しているのですから、
それも当然だということで!

2015-06-11

男のねたみ 女の自信

朝日新聞デジタルの「(異才面談)脳科学者・中野信子さん 脳から考える、男女の差・起業の差」(2015年6月8日)によると…。

「脳科学的には、リーダーは男と女、どちらがいいですか」という質問に対して中野さんは、

「時代や経済環境でいちがいには言えないです。英科学雑誌ネイチャーに2006年に載った論文によると、ねたみ感情は男のほうが強くなる。外部との争いがなく、組織をまとめるときのリーダーは、男性にあまり向いていないでしょう。『あいつは同期なのになぜ社長なのか』といった感情が生まれると、組織はばらばらになります。男同士では組織内で足の引っ張り合いが起きかねません。性別が異なるほうが、ねたみは少ない。男性と女性を交ぜたほうが、組織内の対立は緩和されるでしょう」

…と答えてらっしゃいます。

「外部との争いがなく、組織をまとめるときのリーダーは、男性にあまり向いていない」ということは、既得権があってビジネスモデルが安定している会社や公務員の世界のリーダーっていうのは男には向いていないということになるかしらん。

だからやたらめったらポストがある会社とか、
高級官僚の世界では同期が事務次官になったら、
退官するとかいうようなことがあるんでしょうか。

ただ「あいつは同期なのになぜ社長なのか」って、
そもそも社長の椅子の争奪競争に参加している人間なんてそんなにいてへんやろっ!ってツッコミをいれたくなります。

大企業で銀河系の星の数ほど子会社があるようなケースはまたニュアンスが違ってくるんでしょうけど…。

一方で、
「リーダーは無理」って自覚しているヒトもいますからね。
ちなみに僕です。
みんなで一緒に同じものを食べたり、同じことをするのが苦手で、
小学校のときは給食や運動会、遠足が苦痛でした。
つまり集団行動が嫌いなんで、
いろいろと他人の指示することに向いていない。
好き放題できる独裁者ならば大丈夫じゃないの?―という意見もあるでしょうけど、
やったことがないし、
これからなる予定もないので、
何ともいえません。

とはいえ、
「ねたみ感情は男のほうが強くなる」っていうのはわかる。
これはリーダー指向云々に限りませんもんね。

厳密にいえば、
男女の比較ではよくわかってなくて、
自分に照らしあわせてのことです。

もう朝から晩まで、ねたんでいる気がします。

たとえば、
出勤前に時計代わりにつけているTVでCMに西島秀俊が出てくると、
「ええよな、男前やし、国立大学に入ってるし、お腹でてないし…」とか。

通勤電車のなかで、
男子大学生が女子大学生と楽しそうに話していると、
「そういえば二十歳(はたち)前後の女の子と会話するなんて、
コンビニやカフェでバイトの女の子に注文するときぐらいやで」とか。

会社の帰りに居酒屋に行ったら、
注文したカウンターの隣の客の冷奴のほうがちょっと大きいとか…。

なんかもう僕のアイデンティティは、ねたみで成立しているみたいな…。

世間では、
こういう男を、
「女の腐ったみたいな奴」とも言いますね。
だいたい、これを男に言うのは女性が多いような気がしますけど、
この場合、
「僕が女の腐ったみたいな奴やったら、
あんたは、単に腐った女や」と言い返しますね、
もちろん心の中で、
それも蚊の鳴くような声で…。

男の方が女より、ねたみ感情が強いのだとしたら、
それはたぶん、
自信がないからでしょうね。
他人からどう扱われているか、
どのように評価され、
どんな地位にあるかでしか、
自分を評価できないからではないでしょうか。

女性にも、
もちろんそういう部分はあるでしょうけど、
評価される基準のバリエーションが豊富なので、
敗者復活みたいなことが男より簡単なのかもしれません。
他者の客観的指摘を、
単なる悪口だとが、
誹謗中傷だと、
はねつけることができる力は男性より強いかも。
ぶれない・揺るがない…。
で、ぶれても揺らいでも開きなおれる…。
「私がバイブルなのよ!」って判断基準も盤石です。
(…以上、あくまでもそういう方が少なくないという推定です)

本来、文章の基本としては、
ここに、
その具体例をいくつか示すのが基本なんですけど、
一部の女性から、
「それが女をバカにしてるっていうんだよ」とか、
「女性蔑視の裏返しだ」とか、
「だから、そんなに加齢臭がするんだよ」とか…。
ボコボコにいわれるかもしれないんで、
やめておきます。

2015-05-24

「仕事」で過労死はしない


今年1月、にスイス・チューリッヒで開かれたFIFA(国際サッカー連盟)主催のバロンドール表彰式で、
サッカーライターの賀川浩氏が日本人初となるFIFA会長賞を贈られました。

webニュース「産経WEST」(2015年5月5日【サッカーなんでやねん】)によると、ジャーナリストとして世界で初めてでもあったそうです。

昨年12月に満90歳になられた賀川さんは元サンケイスポーツ編集局長で、
サッカー・ワールドカップ(W杯)の1974年・西ドイツ大会(当時)から2014年のブラジル大会まで計10大会を現地取材されました。

会長賞は、そんなサッカー界への功績が評価されたようです。

今も現役で、
まさに「生きる名人」。
お手本にさせていただきたい方で、
あやかりたい。
昨年8月2日、神戸市立中央図書館で、
賀川さんが開いたW杯ブラジル大会の取材報告会は、
僕も拝聴し、
有り難いことに、ご挨拶までさせていただきました。

やはり、
好きなことを極めてきた人物独特の自由闊達さを感じました。
そのときはまだ「会長賞」は噂にものぼっていないような時期でしたけど、
もちろん、「賞」や「栄誉」を目的に活動されてきたのでありません。
やり続けることができた結果の受賞と栄誉です。

だから体調管理も必要だし、
90歳まで健康に活動できる「運」も関係してくるでしょう。
「神さま」も味方につけないといけないわけです。
その賀川さんの著書に『90歳の昔話ではない。 古今東西サッカークロニクル』があります。
90歳の「現役記者」ともなれば、
個人的な回顧でも充分に読み物になるのでしょうけど、
この本は違います。

序章で、ご自身の「記者稼業」スタートについて、
「当時の産経新聞編集局は、運動部の向こうの文化部に司馬遼太郎がデスクで座っていた頃。運動部にも社会部にも司馬さんと張り合う文章家のデスクたちがいたのも、大きな刺激だった」と書かれているくらいで、
懐古趣味的な部分なくて、
まさにタイトル通り「昔話ではない」。
サッカーの年代記や、
歴代の国内外の選手、
ご自身が取材したW杯について、
客観的な裏付けをもとにした分析などが、
綴られています。

そこには年齢を越えた普遍的ともいえる表現があります。
もちろん経験があっての結果なのでしょうけど…。

それだけに、
この本のなかで、
第三者が賀川さんについて書いた部分は貴重ともいえます。
そのひとつが国吉好弘さん(週刊サッカーマガジン編集部スーパーバイザー)が書かれた「『あとがき』にかえて」。

2002年の日韓W杯開催を目前に控えて、
別冊の発行など過酷な作業が予想された週刊サッカーマガジンの編集部が“本番”前に壮行会的なパーティーを開いたときのこと。

その席に参加した賀川さんは激励のスピーチの最後に、
「仕事が忙しくて、死んだ者はいない」とおっしゃったそうです。

「大変だけど、頑張ってください」というような言葉を漠然と予想していた編集部員たちは、
「肩透かしを食ったというか、妙に納得させられた」といい、
「そりゃそうだよな」という気分で肩の力が抜けたそうなんです。

そのお陰もあってか、
無事に乗り切ってW杯閉会後、通常の生活に戻ったそうなんです。

「仕事が忙しくて、死んだ者はいない」という言葉には異論がある方も少なくないと思います。
「過労死はどうなるんだ」というような指摘ですね。

でも、過労死は、
過酷な勤務・労働が心労になって誘引されるような気がします。

過労死は不幸な「労災」なのでしょう。

賀川さんにとって「仕事」は「労働」とは別のようです。
もちろん無茶な上司の命令に従ったり、、
生活のためだけに、こなしたりするものではない。

だから忙しくても心労が蓄積しないということなのかもしれません。

「仕事」をして生きていきたいと切に思います。