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2017-04-03

バイト落ちた。でも日本生きろ!

写真はサンプルです

恥ずかしい。

現在54歳。磯野波平と同い年で、今年9月には55歳になって四捨五入すると還暦。なのに…というか、だから…というか思い切って申し込んだバイトで不採用になりました。

まぁ先方にも色々と事情はあると思うので、固有名詞は差し控えますし、言ってもわからないと思いますけど、落語の定席です。

日本中に落語の定席はたくさんあるような気がしますから、紛らわしくならないためにもう少し詳しく書くと、大阪にあります。

たぶん、それだけでも雲をつかむような…たとえば、大阪にあるコンビニみたいなもんですから、もうちょっとだけサービスして書くと、天満にあります。天満といっても大阪天満宮界隈だけでも8軒の寄席があったそうですから、いくらそれが戦前のことだとしてもわかりにくいですよね。

でもすみません。ここはオトナなので固有名詞は出しません。

2015-10-29

いくつに見える?

桂枝雀(1939~1999年)の人気の演目のなかで代表格のひとつといえば「代書」です。異論があるかもしれませんが、そういうことにさせてください。

履歴書をつくってもらうために代書屋に来た松本留五郎が“主人公”です。

生年月日を言ってください、と言われたら「セーネンガッピ」と言ってしまうような人物ですから埒(らち)が明きません。

代書屋が「一体お幾つですねん?」と聞くと自信満々で「26です」と答えるのですが、代書屋は怪訝(けげん)な顔で「どう見ても40過ぎてまっせ」。だいたい、ここで客席からは笑いが起こりますね。

留五郎が、親父が死ぬ間際に、そう教えてくれたと言い張ると、小さめの笑い声が上がり、代書屋が「親父さん、いつ死なはったんです?」と聞くと「さあ、今朝もそれ、嬶(かか)と話することだっせ。『早いもんやなあ、おい、親父が死んでもう20年になるでェ』言うて」で大爆笑というような噺です。

年齡といえば、記者時代に取材で困ったことが何度もありました。日本の新聞って、だいたい取材相手の年齡を入れるんですね。芸能人なんかで公表していない場合や、ご覧になるとわかりますけど、政局、海外の政治経済のニュースなんかは別にして、だいたい年齡は入ってます。プロスポーツ選手の年齡をいちいち入れているのなんて日本くらいかもしれません。

駆け出しのころ、イベント取材なんかでコメントを取った来場者の年齡を聞き忘れてデスクに怒られた経験を持つ記者は少なくないはず。

2015-08-04

江戸の「手段」上方の「目的」

近所の「イオン」の特設コーナーで、
本の安売りをやってまして、
そこでDVDも置いてました。
DVD「幻の名人落語 柳家小さん(1)」っていうのがあったので、
買いました。
演題は「猫久」と「粗忽の使者」。
小さん師と、立川談志師の対談や、
談志師の解説も収録されています。

その中で談志師は、
落語の「笑わせる」というのは「手段」であって、
「目的」は人間を語ること…人情…人間の業(ごう)を語ることだとおっしゃってます。

落語っていうのは、
芸術なんだな、と思いました。

もちろん談志師の場合、その手段のレベルが高くて、
ものすごく笑わせてくださったわけですけどね。

しかし、です。
その「手段」論は江戸落語だけのものかもしれません。
もしかしたら談志師だけの思いかもしれません。
でも談志師にはお弟子さんもいらっしゃいますし、
ファンも多いので、
その「手段」と「目的」を支持される方は少なくないのだと思います。

一方、上方落語はどうでしょう。

2015-07-25

「やせ我慢」の美学の落とし穴

『桂米朝 私の履歴書』(日経ビジネス文庫)を読みました。
戦後「滅びた」とまで言われた上方落語を再興させた米朝師の足跡が描かれています。
米朝師にも、高座にお呼びがかかったのに散髪代もなかった時代があったんですねぇ。
着物にも困った時期もあって、
先に舞台に上がった兄弟弟子に借りるため、
足袋と肌じゅばんで楽屋で待っていたとか…。

しかし、
「好きで飛び込んだ芸の世界。端から見たら惨めでも、本人には落語三昧の天国だ」そうです。
自分の仕事を「天国」と言えるのは、
まさに「天国」ですね。
実際、あんまり苦労話は出てきません。

2015-07-02

虎の威を借る軽業師?

「動物園」という落語があります。

明治時代にできた落語だそうで、
「移動動物園」の呼びもののひとつだったトラが死んでしまった。
これでは客の入りに影響が出るので、
死して皮を残すという言葉の通り、
残ったトラの皮を人間が着ぐるみのようにして、
中に入り、檻のなかで見せ物になるという噺です。

いくらなんでも、あのトラの皮を着ぐるみにやなんて、
そんなことができるわけがない。
でもまぁ落語のことなんで…と深くは考えていなかったのです。

ところが、
『上方落語 桂米朝コレクション7 芸道百般』(ちくま文庫)の「軽業」の速記の項で、米朝師が書いた〈口上〉によりますと…

2015-06-25

道頓堀・角座で普通ではない状況が…

2015年6月25日午後 大阪・道頓堀

きょう(2015年6月25日)は代休でした。

梅雨だとは思えないような爽やかな、お天気で。

洗濯を済ませて、
谷町で鍼を打っていただいてから、
日曜日(21日)に食べたばかりだというのに、
また、クリスタ長堀の「インデアンカレー」で、
お昼ごはんをいただきました。

それからテクテクと心斎橋商店街を歩き、
戎橋から道頓堀へ出て、
「角座」の「日中(ひなか)はなしの会」を聞かせていただきました。

開演は午後1時です。

座席は126だそうで、
70歳以上とみられる方を中心に、
8割くらいの入りだったと思います。

笑福亭飛梅さんの開口一番(動物園)のあと、
笑福亭呂好さんが「狸(たぬ)さい」を演じられまして、
もともと、
お年寄りの私語が多かったんですけど、
どうもザワザワしている。

次の桂咲之輔さんが登場してマクラに入るものの…。
客席が普通ではない状況で…という話になりました。
ここで、
最前列に座っていた僕が咲之輔さんの目線の先を追うと、
救急隊員さんが劇場に入ってくるではありませんか。
その様子を咲之輔さんが説明するように“実況”されまして、
客席で80歳くらいの男性が体調を崩したらしく、
救急車が呼ばれたようです。

その男性は、意識もあって、その場ではそれほどの重篤でもなかったようで、
救急隊員さんに付き添われて客席の外へ出ていかれました。

気にかかる…。

そんな空気が会場に充満してまして、
咲之輔さんは、
お客さんに、お願いし、
舞台への登場から仕切り直されました。

不思議なもんですね。

アクシデントというか事件を共有した効果なのか、
客席の一体感が高まりまして、
それまで、おばちゃんの私語や、
数人のグループでタコ焼きを分けあって食べていた混沌とした空気が変わったんです。

これがナマの劇場の醍醐味ですね。

寄席は「一期一会」だという噺家さんは多いですけど、
それを実地に学んだ気がします。

高座に上がる噺家さんはマクラで、
寄席は客席と舞台の共同作業だと強調されることが多いです。

その日のお天気、世情、季節、観客の構成…。
同じ組み合わせは奇跡でもない限りありえないわけで、
「一期一会」はアタマではわかっていたんです。

でも、きょうみたいなアクシデントがあると、
腑に落ちる深さが違いますね。

単純に、
ライブで同じ空間にいるのがよくて、
生中継や録画のほうが劣るというわけじゃないんです。

ここが説明しにくいんですけど、
ライブで会場で観るのほうが価値が高いといいたいわけじゃないんです。
生中継や録画のほうが、
面白く見られる場合もあるでしょからね。

ただね、
きょうみたいなアクシデントの空気は会場では独特のものがあります。
なぜなら、
同じ空間を共有している人々があらゆるかたちで当事者意識を持ちやすいからです。

でもね、
メディアを通じた生中継や録画、
さらにはものすごく古い記録でも、
本当は当事者意識を持つことが必要なものが多いんではないのかな、と、あらためて思いました。

メディアを仲介すると、
当事者意識が薄まるのは、
メディアを担っている人々が他人事だと思っている度合いにもよるかもしれません。

ただ、
難しいのは、
事柄によっては他人事だと突き放さなければ、本質が見えない事象もあることです。

つまり思い入れし過ぎたり、
自分の考えを正当化するために当事者になりすぎると、
誇張や歪曲が生じる可能性があるということです。

ここで「だからマスゴミは…」といってもどうしょうもありません。

「事象」と自分との関係性を的確に把握できる能力の涵養が大切だということです。

ちょっと視点をずらして言い換えれば、
「いい人」の言うことが正しいとは限らないということです。

SNSでもそうなんですけど、
人気者や自分が好きな人間の主張が自分にとって「いいね!」とは限らないという単純な話です。

2015-06-06

12年前の「耳」


キノコの類いでも、
卑猥なものでもありません。

写真は、
僕の左耳です。

正確に言うと、
僕の左耳を型取りして、
そこに石膏を流し込んだモノです。
わかりますよね。
でも念のために言うておくのでございます。


2003年の4月から半年間、
当時、大阪・吹田の万博記念協会ビル内にあった、
インターメディウム研究所・IMI「大学院」講座へ通っていたときに、
現代美術作家のヤノベケンジさんが講師をされた授業の実習で製作しました。

IMI(インターメディウム研究所)っていうのは「メディア表現者育成学校」で、
「アートと技術の融合」をテーマとしたマルチメディアの研究を行う機関で、産学協同・実務研究プロジェクトなどを行っていました。

IMIは写真家の畑祥雄さん(現・関西学院大教授)や伊藤俊治さん(東京芸術大学美術学部先端芸術表現科教授)らが中心になって創設されまして、
僕が確か第8期グループでしたので、
1997年から活動が始まったことになるのでしょうか。
講師にはヤノベさんをはじめ著名なアーティストや研究者がたくさんいらっしゃいました。


残念ながら、もう当時のスタイルでは残っていません。

会社に「国内留学」というのができて、
自分で受け入れ先を見つけたら
会社から給料をもらいながら学生生活を送らせていただけるという制度です。
これを利用して通ったんです。

大阪での適用第1号でした!
といっても、誰も、
そんな制度を利用しようと考えなかったためで、
厳しい競争を勝ち抜いたわけではありません。

授業は主に土日に集中していて、
平日は併設する工房「彩都メディアラボ」という、webサイトや映像などを制作している会社で、

実習生をしていました。

月に1回、会社にレポート書いて、
期間終了後に報告論文を書けばいいという有り難い日々です。

そのときの初レポートに「あらためて落語家はエラいと思った」と書いたことを憶えています。

授業のやり方が僕の大学時代とは違って、
講師のパソコンの中味をプロジェクターで映しだして、
パワーポイントでつくった資料や動画、写真、図版、音を駆使して講義してくださるわけです。
板書なんてのもほとんどないし、
プロジェクターの先のスクリーンに視線が行きますから、
講師の顔や身振り手振りなんていうのもあんまり見ません。
教室を暗くすることも多いので、
見えないし。


でも、
与えられる情報量は多いわけです。

だから、
逆に、

着物姿で演じ、
扇子や手ぬぐい、
せいぜいお囃子や小拍子(=小さな拍子木みたいなものです)で見台を叩く音の演出だけ見るものの頭のなかに「世界」を作ってしまう落語家はエラいと思った次第なんです。

でも、
プロジェクターを使う先生のやり方がダメって言っているわけじゃないですよ。
芸は噺家さんには劣るでしょうし、
まぁ先生より話芸の劣る噺家さんもいらっしゃるかも
しれませんけど…。
落語っていうのは情報伝達の基本が詰まっていると思います。
だから学ぶことの宝庫です。
世の中は複雑です。
それは重々承知しています。
でも、

食べすぎ飲みすぎは身心に毒だとか、
泥棒はいけない…といった原理原則はシンプルですよね。
それと同じように、
どんなに技術が発展して世の中が便利になっても、
シンプルな基本が大切。
もうあれから干支がひと廻りした12年前、
「国内留学」期間に一番痛切に実感し、
学んだのは、
それでした。

そして今、最も痛感しているのは、
正しいシンプルなことほど継続・実践するのは難しいということ。

他人と対話するときは、
聞くのが「8」、話すのが「2」の割合くらいで、
ちょうどいい。
良い関係はまず「聞く」ことから…というのはわかっているのですけど、
これが全然できない。

結局、表現するために重要なのは、
まず「聞く」ことだというのも分かってきました。
僕の経験の範囲内で言うと、
饒舌そうな印象のある方でも、
すぐれた表現者は「聞く」のがうまいです。


…というわけで、
石膏で型どった自分の「耳」を見て、

あらためて反省しています。

で、
こんな僕でもさすがに落語は、
笑いはするけど基本は黙って聞くわけでして、
そういう意味でも落語家はエラい。
「それは当たり前だ」っていう声も聞こえてきますけど、
「学級崩壊」なんていうことを耳にすると、
そうだともいえないわけで…。


2015-06-01

「ユリイカ」の「桂米朝」特集


久しぶりに「ユリイカ」を買いました。
知らない方も多いでしょうけど、
「ヤリイカ」とか「スルメイカ」とは関係ありません。
お造りにしたら、
醤油にワサビでもショウガでもいけそうですが、
「詩と批評」の月刊誌です。

正直の話、もう休刊とか廃刊になっているのでは、
と思っていまして…。

不謹慎にも、
乾物のほうの「スルメ」が頭に浮かんできてしまいました。

最近、書店の文芸雑誌のコーナーに行くこともほとんどなかったし…。
大学時代とか就職して文化部勤務のときは、
けっこう読んでいたのですけどね。

そんな意識の範疇外になっていた雑誌を手にしたのは、
6月号が「桂米朝」特集だったからです。
「ユリイカ」が「米朝」特集をしていたのを知ったのはネット上で、
たまたま。
もう少しで一生気づかなかったかもしれません。

勤務先の大先輩、先輩も執筆なさっていました。

何よりインタビューがたっぷりあるのがいいです。
桂ざこば師、桂米團治師、月亭可朝師、上岡龍太郎師…。
特に可朝師には「毒舌」とも言ってもいい内容もあって、
テレビなんかではオンエアできないかもという部分も…。

小学校教諭をされているお孫さんが大学の卒業論文を改稿された「米朝一門の師弟愛」という記事には、
内弟子生活のスケジュールのほか、
お弟子さんから見た「米朝」像などがアンケート形式でまとめられて、
普通にはない趣向です。

僕はナマの高座は2回しか見たことがないのですが、
この特集を読むと、
「米朝」という人間がすごく立体感を帯びてくるというか、
もしかして近くで拝見したら、
こんな顔にはどのような皺(しわ)があって、
匂いはこういう感じで…と思えるような内容です。

亡くなって、
さらに生きている。

まさに「名人」のお手本ですね。

米團治師が、
「落語というのは想像の芸ですから、落語会に足を運んでいただいてもいいし、録音を聴いていただいても、本で読んでいただいてもいいのです。どんなスタイルであれ自分の頭のなかに世界が描ける。落語というのは庶民の日常、市井が描かれている作品がほとんどです。ああ、今日も生きてきてよかったな、きょうも平凡やけど、幸せやったなと言いながらいつしか死んでいくという、本当に日常なんだけども平和で幸せな空間のお話なんです。落語の世界の奥深さ、嫌なひとの出てこない、みんなでなんとかしようやという現世肯定のひとの生きざまの世界です。それを想像できる芸なので、どんなかたちでもいいから、なかなかいいものですよ、よかったら落語の世界に首を突っ込んでみてください」
…とおっしゃっています。

米團治師が「庶民」かどうかは別にして、
当たり前だけの説明なんですけど、
落語の魅力を伝える良い言葉ですね。


2015-05-29

落語を「きく」か「みる」か


きのう(2015年5月28日)は、
平日・木曜でしたが、
代休でしたので、
大阪・ミナミの「道頓堀角座」へ参りました。

かつては「浪花座」「中座」「朝日座」「弁天座」と並んで、
「道頓堀五座」の名門の流れをくむ劇場で、
現在の建物は座席数126の2013年7月28日に開業した“ミニシアター”という趣きです。

僕は今回、初めて中に入りました。


プログラムのタイトルは「角座日中(ひなか)はなしの会~角座の昼の落語会」で、午後1時の開演です。

当日券が1500円、前売りは1300円というリーズナブルな設定で、
出演は、桂治門▽桂咲之輔▽笑福亭呂竹▽笑福亭由瓶▽笑福亭喬介▽桂壱之輔…ですから、
最年長の由瓶(1971年5月21日生まれ)が44歳で、
最年少の咲之輔(1983年11月18日)が31歳という、
これから中堅になる若手という顔ぶれです。

どの噺家さんが、どのネタを口演したかというのは、
メモを取っていなかったので、
少々心もとないのですが、

先に列挙した登場順に沿うと、
「つる」「桃太郎」「青菜」「試し酒」「犬の目」「寝床」のはず…。

印象に残ったのは「試し酒」で、
これは中入り前に由瓶が演じました。

扇子を一升が入る大杯に見立てて5杯の酒を飲み干す姿は圧巻で、
客席からも大きな拍手が起こりました。

客の入りは6割くらいでしたでしょうか。
空調も丁度よかったのですが、
由瓶の顔は汗だく。

その汗が演出の効果にもなっていたわけです。

そこで、
思ったのは落語というのは、
「みる」ものなのか、
「きく」ものなのか…ということ。

寄席に行く場合、
「落語をききにいく」というのが一般的ですし、
「話芸」といわれますから、
やはり「聴覚」に重きがおかれているのでしょう。

とはいえ、
最近、桂米朝師の口演の速記録をまとめた本のシリーズを読んでいて、
思いますが、
少なくともテレビなどで映像で、
演じる米朝師の姿でをみたことがないと、
面白さは半減する気がしました。

CDは、
それよりは実際の面白さが伝わるでしょうが、
「声」のない部分の間で、
噺家さんがどのような表情・しぐさをしているかの想像がつくつかないでは大違い。

で、
ものすごく不思議なのは、
本来は20分の長さの口演の速記を、
5分くらいで流し読みしても、
頭の中では、
噺家が通常のスピードで演じている声が頭のなかで再生されます。

ここ5、6年は、それ以前よりも、
足繁くナマの高座に通うようになってまして、
その不思議な“現象”が顕著なので、
速記録でも、かなり楽しめるようになってきました。

これは、ものすごく嬉しい。

その喜びに比例して、
ますますナマの寄席に行きたいという気分の中毒度が高まってくるのです。

何がいいたいのかというと…。
落語はナマで「みる」ものだということです。

着物と扇子と囃子といった最低限の演出コストで、
いろんな「映像」を「みる」ことができる落語はやはり、
スゴいエンターテインメントです。

2015-05-18

繁昌亭で「お囃子JAZZ」初体験

「お囃子JAZZ『音伎噺』」CDジャケット

きょうは仕事帰りに、

天満天神繁昌亭に行ってきました。

お囃子JAZZ~音伎噺」CD発売記念落語会を拝見拝聴してきたんです。

大阪で唯一「女道楽」(三味線慢談)を継承し、
平成24(2012)年度「文化庁芸術祭大衆芸能部門大賞」に選ばれた内海英華さんと、
日本のJAZZトロンボーン界の重鎮中の重鎮、宗清洋さんが中心となって、
和洋折衷の音楽活動を繰り広げているメンバー総勢8人が出演する舞台で、
前半が演奏、後半が落語と女道楽。

グループのフルネームは、
「内海英華with宗清洋と粋(すい)~てすとさうんど」です。

和楽器は三味線と、噺家さんの横笛、太鼓や小鼓などの鳴り物、
洋楽器はトロンボーンのほかドラムス、ベース、ピアノという編成で、英華さんがヴォーカルもつとめます。

2005年12月から「お囃子JAZZ」として活動されていたそうなんですけど、
誠に面目ないことに、
僕が、その存在を知ったのは、
先週木曜(5月14日)でした。

大阪・動物園前の寄席「動楽亭」で手にした月刊の「上方落語情報フリーペーパー よせぴっ」を読んで「何それ!」となったわけです。

JAZZトロンボーン関係のライブ情報は把握しているつもりだったのに…。
トロンボーンを始めたは2006年9月からなのに…。
ゴッド(神)の異名もとった宗清さんの存在はもちろん存じ上げていたのに…。

「お囃子JAZZ」は全く僕の情報網をすり抜けていたのです。
不覚としか言いようがない。

…というわけで、
先週末、繁昌亭に前売り券を買いにいったら、
1階席はソールドアウト…。
2階席も最後列に空きがあるのみ…。

「みんな知ってたんや…」

愕然としましたね。

「トロンボーン主義」とか言っているのに、
情けない話で、
ものすごい敗北感。

常に網を張っているつもりでも、
大事な情報が抜け落ちることがあるのは経験的に知っていたけど、
見事に取り逃がしたというか、
新聞的に言うと、
自社だけネタが紙面に出ない「特オチ」をした気分です。
大げさでなく、真面目に…。

それはさておき、
じゃぁライブはどうだったか。
今、会場で買ったCDをBGMにしていますけど、
想像をはるかに超えてよかったです。

「イン・ザ・ムード」などのビッグバンドJAZZの定番や、
エレキギターといえば、この曲ともいってもいい「ダイヤモンド・ヘッド」をはじめ、
誰でもが耳にしたことのある俗曲の「深川」が、
いい塩梅にアレンジされて、
とってつけたような不自然さが全くありません。

そもそも、
邦楽ってハーモニーという概念とは無縁だと思っていたのだけど、
三味線と横笛とトローンボーンとピアノの音がちゃんとハーモニーになっているのが驚いた。

正確にいうと、
あんまり自然にハーモニーになっていたので、
驚くのを忘れているのに気づいたのが遅くて、
それに驚きました。

これまでも邦楽と洋楽のコラボは聴いたことはあったのだけど、
洋楽器が邦楽を、
和楽器が洋楽を演奏していることを意識させるものが多くて、
それはそれで楽しいのだけど、
きょうのお囃子JAZZは違いました。

どう、たとえればいいんでしょう。

近いのは…
「えっ、アロハシャツって、
もともとは日本の着物の生地だったの?」みたいな感じかな。

食べ物でいうと、
「チョコレートとかビスケットだとかは外国のお菓子だったけど、
『きのこの山』って日本のお菓子だよね」みたいな?

宗清さんと英華さん以外の出演メンバーと口演された落語は次の通りです。敬称略。

中嶋俊夫(ドラムス)=澤雅一の代演▽笠松聡也(ベース)▽石田ヒロキ(ピアノ)▽桂枝女太(太鼓)=「転失気(てんしき)」▽桂阿か枝(鳴り物)=「子ほめ」▽笑福亭喬若(笛)=「野ざらし」

2015-05-08

「げん」の話


生きていると、

驚くことはよくあるもので…。
…といっても、
死んだら驚くことがないかどうかは、
死んだ経験はないので、
わからないのですが、
とりあえず、
「生きていると」と、
紋切り型でやってみる次第です。

きょう『桂米朝コレクションI 四季折々』(ちくま文庫)という本を読み始ました。

米朝師の落語を収めたシリーズ全8巻の第1巻でして、
『けんげしゃ茶屋』『正月丁稚』など11のネタで構成されています。

それぞれの噺の前に〈口上〉として、
米朝師の解説があります。

もうその、のっけから驚きました。

知っている方は知っているのでしょうか、
「げんが悪い」とか「げんをかつぐ」とかの「げん」。

ふだん、何も考えず使っておりまして…。
もちろん、

他の言葉はそんなに深く考えて使っているというわけでもないのですけれど…。

気弱な人間なもので「げん」は気にしていたのに、
「げん」という言葉は気にしてなかったという頼りない話です。

〈口上〉によれば、
「この『げん』という言葉も『ぎえん』――縁起をさかさまにした洒落(しゃれ)ことばです」。

驚くでしょ?

僕なんか、何にも考えず、意識せずに使ってました。


「えんぎ」のさかさまなら「ぎんえ」ではないでしょうか?…と人間国宝に聞くのは、もうそれこそ、げんの悪いことで、
何より、もう米朝師はこの世にはいらっしゃらないのですから、
聞きようもありません。

いずれにせよ、
縁起でもないことを忌み嫌って、
それに障(さわ)りのあるような言葉とからめるときは、
さかさまにして念を入れる、
言葉を大切にしていた証拠ですね。

「言霊(ことだま)」とはよく言ったものです。

日本は言霊の幸(さき)わう国ですね。

もちろん、
グローバリズムがどうのといわれる時代に英語が大切なことはよくわかりますけど、
まず、自分の言葉の「芯」になるものはしっかりとさせておきたいものです。

たぶん、そうでないと、どんなにたくさんの言語ができても、
何も語れないのかもしれません…というのも、
オチとしては今ひとつですね。

2015-05-07

名人はあの世からでも…

2015(平成27)年5月7日の動楽亭(大阪・動物園前)

暦のうえでは、

今年のゴールデンウィークはきのう(6日)で終わりでした。
でも、暦にあまり関係のない僕はきょう(7日)が代休でして、
今月初めて大阪・動物園前の寄席「動楽亭」に行ってきました。

ちょっと仕事めいたものが長引いて、
開演の午後2時を数分過ぎたあたりに入りました。
連休も終わったので、
ガラガラかと思いきや、
約60ある席はほとんど埋まっていて、
僕は最後尾列のパイプ椅子でした。

中入り前の開口一番の前座から3番目に上がったのが、
今年3月19日に亡くなった桂米朝師(享年89)の弟子で長男の、
桂米團治さん。

マクラで、父であり師匠でもある人間国宝のことを“ネタ”にされました。

だいたい、平日にはそんなにお客さんは多くない寄席なのですが、
この日は米朝師の息子の米團治さんを見たいということで、
ほぼ満席になった空気を読まれたのか、
「こんなにたくさんの方が来てくだったのも、
米朝が亡くなった、お陰でして」と、
ブラックなのに、
そんな空気を感じさせずに笑いをとってから、
3月25日、大阪・吹田市で営まれた葬儀の話題に入ったのでした。

もともと、
米朝師は3年ほど前に自分の葬儀は家族葬で、
と希望しておられたそうですが、
まず一門が大人数で、
家族とそうでない方の線引きが難しい…。
さらに葬儀に(桂)文枝さんがいらしたら、
帰ってもらうわけにはいかないでしょう?
「そうやなぁ」と当時の米朝師…。
(笑福亭)鶴瓶さんが来はったら
「それは帰ってもろて…」と笑いをとりながら、
結局、1500人が参列する大きな式になったと説明。

米團治さんを喪主とする親族(中川家)、
米朝事務所、
一門の3者によって営まれ、
一門は米朝師の直系弟子最年長の桂ざこばさん(67歳)と、
月亭可朝さんが代表をつとめられたそうです。
可朝さんは、
3代目林家染丸師の弟子を経て米朝師に再入門し、
一時は2代目小米朝を襲名していた一門の最年長(77歳)なのです。

可朝さんの式での挨拶は、
「あの世」の師匠に呼びかける内容だったみたいで、
話が進むに連れてユニークさが増したようでした。
会場の前から3列目に座っていて、
金髪で誰が見ても、それとわかる春風亭小朝さんが声を出して笑ったことで、
やっと周囲の方々も「笑ってもええんやな」という空気になり、
笑いが巻き起こるなか、
ざこばさんが子供のように大泣きしていて、
まさに松竹新喜劇の泣き笑いの世界だったとのことです。

しかし、まぁ、
亡くなったあとも多くの方から笑いをとり、
そして笑った人々も、
それが供養になると納得できる…。
この世の人でなくなっても、
落語の名人、そして生き方の名人ですね。

「生きる名人」については、
僕もいろいろと定義とか条件とかを考えていますけど、
仕事という軸があって、
それが生きることと一体になり、
…ということが代表的な一例だと思っています。

たぶん、それは仕事でなくてもいいんでしょうね。

極めるに足る信じられるものをお持ちになっていて、
それが他人様(ひとさま)にも喜んでもらえるものならば言うことはありません。

この流れで行くと、
まず何か、極めた「軸」が重要になってきそうですが、
本当に大切なのは、
他人様が喜んでいただけるかどうかではないでしょうか。

僕は最近、他人様に喜んでいただくことに勝る快感はないのではないか、と考えるようになってきたからです。

とはいえ、
ただ、存在しているだけで、
他人様に喜んでもらえるようになるというのは、
本当に難しいことでして、
方法が想像もつきません

近道のひとつが芸や仕事などを追求することのような気がします。
つまり、
ものすごくハードルが高いわけです。

ただ、もちろん、それは一例で、
全く違ったスタイルで、
機嫌よく生きて死んでいく方法もあるのでしょう。

たとえば、
全く他人と関わらず、
自分の内側だけで悟りを開いたように生きて死ぬ……。

でも僕には社会のなかで自分以外と無縁で孤独に機嫌よく生きて死んでいく素質はないようです。

他人とつながろうとすればするほど、
「自分」とか「我」といったものへの過剰な意識をなくしていくことが必要だと思うようになってきましたし…。

これは、自己犠牲とか、
誰にでも好かれる善人を演じることとはもちろん違うようです。

2015-05-04

「阪急そば」の罠

阪急梅田駅1番ホームの「阪急そば」の看板

落語のネタでも江戸が「時そば」なら、

上方は「時うどん」です。

大阪は、そばよりも、うどんということになっています。

昨日(3日)、大阪・阪急梅田駅のホームで、
看板を見かけました。
もちろん、
これまでも見ていたに違いないのですが、
きのうはちょっと気づいた、
というか気になることがあったんです。。

それが駅の一番東側の1番ホームにある「阪急そば」の看板です。

ちなみに「阪急そば」は、
運営する株式会社阪急・阪神レストランズのwebサイトに、
“「旨い」「早い」「安い」をコンセプトに創業48年を超える駅そばのパイオニア”とあります。

wikipediaによると、
“1967年(昭和42年)に阪急電鉄十三駅構内に関西私鉄で初めての立ち食いそば・うどん店として十三店を開いたのが始まりである”とのこと。

阪急電鉄は関西の企業で大阪に拠点があるんですから、
「阪急うどん」ではダメだったのか…と、
いまさらながら考えたわけです。

“関西私鉄で初めての立ち食いそば・うどん店”ということは、
関西私鉄以外で、
先例があったということなんでしょうね。
鉄道の駅にある立ち喰いそばの店には「駅そば」という呼び方が以前から、
あったそうですから、
やっぱり駅に開設する場合は、
「そば」が当たり前で、
阪急の関係者の中からも、
「駅なんで、そば、ってことで」と、深く考えず、
名前をつけてしまったのかもしれません。

もしかしたら、
名前を決める会議で気の弱い関係者もいて、
「大阪やから、うどんのほうがええのと違うやろか…」と内心、悶々としてたけれど、
「駅」は「そば」という既成の趨勢に流されて、
言い出せなかったのかもしれません。

一方で、
阪急の社員のなかには船場の老舗繊維問屋とかの次男、三男の方がいて、
「立ち食いみたいなもんに『うどん』です、と看板だして、
味に、うるさい大阪の客に『こんなん、大阪で、うどん言われたら、どんならん』と文句いわれたあかんさかい、ここは、もう定着してる『そば』で」という強い意志を持って名づけたのかもしれません。

それはさておき、
この看板、ご覧になっていただいたら一目瞭然、
文字には「そば」という文字しかないのに、
写真はちゃんと「きつねうどん」…大阪でいうところの「けつねうろん」です。

普通、これが印刷物を扱う世界なら、
「うどんという言葉がひとつもないのに、
写真は、うどんっていうのは変でしょう」となるはず。
「どこかに『うどん』という言葉を入れないと、
ミスだと思われます」と、
しつこく主張する方は必ずいる……ような気がします。

しかし、
あんまり違和感は覚えません。

「阪急そば」で、うどんを食べるのは、
当たり前のこととして定着しているからでしょうか。
実際、阪急そばに行くと、
そばよりも、うどんを食べてる客のほうが多い気がしますし、

とはいえ、
巧妙なフェイントみたいな気もするし…。

なんだか腑に落ちず、
あらためて阪急そばのwebサイトの「季節のおすすめメニュー」をみてみると、
2015年5月4日現在、
「鶏五目そば・うどん」「<冷たい>田舎出し汁そば・うどん」「ポテカレーそば・うどん」と、
律儀にそれぞれ「そば・うどん」と併記しています。
しかし、です。
写真はすべて、うどん。
「鶏五目そば」はないわけです。

さらにもっと、
僕を困惑させたのが、
このラインナップ最も目立つ左端にある、
イチオシとみられるメニュー。
それが、
「ピリ辛!冷やしきしめん」…なんです。

そばでも、うどんでもなく、
きしめん…。

どないやねん。

「おみゃーさん、そりゃ、ややこしいてぃかんで」と名古屋弁が出そうになります。

…と書いていると、
無性に阪急そばで、
きつねうどんが食べたくなってきました

恐るべし「阪急」。

2015-04-23

「THE 米朝」


桂米朝さんが亡くなったのが先月19日ですから、

もう、ひと月以上…前のことなんですね。

「ひと月以上」のあとに「も」をつけるかどうかが微妙です。

「もうそんなになるかな」という思いと、
花見の季節を、またいだせいか、
訃報に驚いたのが、
ずいぶん前のようにも感じる気持ちが交じり合います。

昨晩そんなことを考えながら、
DVDとCDが各1枚で2枚組になった「THE 米朝」を観て聴きました…きょうびのことですから、
Amazonで買って家で視聴したわけです。

DVDには「百年目」<NHK「夜の指定席」=大阪厚生年金会館中ホールで収録、昭和57(1982)年4月16日放送分>と、
「本能寺」<毎日放送「特選落語全集」=コスモ証券ホールで収録、平成10(1998)年10月25日放送分>、

CDには「地獄八景亡者戯」<平成2(1990)年4月22日、京都府立文化芸術会館で収録>が入っています。

まずDVDです。
もう、これは笑いながらビジネスの勉強もできるようになっているんです。
さすが人間国宝です。僭越ながら感心しました。

「百年目」は米朝さんの十八番といわれるネタのひとつ…。
ここに仏教のことも交えながらリーダー論と、商売の機微が織り込まれており、
「なるほど!」と膝を何回も叩きすぎて痣(あざ)ができるほど。

僕は、このネタを大阪・動楽亭で2回、
桂ざこばさんが口演するのを聞きました。

ざこばさんは、
親子にも似た大旦那と番頭の関係を、
師匠の米朝さんと自分に重ねてアレンジしておられました。

ざこばさんは内弟子修業時代、皮膚病にかかっていたとき、
米朝さん自身が臭い薬を、ざこばさんの背中に塗ってくれた思い出を大旦那と番頭の昔話として織り込んで
師弟の人情の機微を強調されており、
米朝さんとは、また違った魅力があります。

そんなことも重ねて、
米朝さんの「百年目」を拝見すると、
落語の面白さを再発見したようで嬉しい気にもなります。

「本能寺」は芸能やスポーツなどのエンターテインメントビジネスに関わる方は必見でしょう。
集客方法の細かい部分まで昔の知恵の再利用を提案してくださっています。

「百年目」も「本能寺」も、
それぞれに僕が感心した「役に立つビジネス情報」は、
まとめて整理して、
ここで再現することもできますが、
米朝一門への営業妨害になるので、
やりません。
ぜひ、実際に視聴してください。

「地獄八景亡者戯」も興味深いです。
その時々の時事ネタなどのニュースをからめるというのが、
昔からの趣向らしく、
このCDでは当時、大阪・鶴見で開催中の「花の万博」会場で起きたウォーターライドの事故のことなどが織り込まれています。
つまり、
口演当時の世相なんかも分かる仕組みです。

僕は米朝さんが亡くなった3月19日も、
その翌日も動楽亭に行ってました。
両日とも、
米朝さんの弟子で長男の米團治さんが出演されていたんです。
僕は米朝さんが亡くなる直前と、
その後の最初の米團治さんの噺をナマで聞くことができました。

そのご逝去後、初の高座で、
米團治さんが演じたのが「地獄八景亡者戯」の前半。
さっそく亡くなったばかりの米朝さんが登場されて、
米團治さんと再会し、
「お前がここに来るのは百年早い!」と一喝されるというサゲでした。

CDで米朝さんの「地獄八景…」を聞くと、
亡くなった落語の名人たちが演じる寄席に、
「桂米朝近日来演」という看板があがっていることになっていまして、
米團治さんはその部分を伏線にして、
演じておられていました。

親子による壮大な大仕掛けみたいなものも感じるわけです。
「とうとうほんまに来ますでぇ」という笑いに変えておられましてね、
このネタは、
レクイエムでもあり、
死ぬこともそう悪くない…という遺族への慰めでもあるのかもしれません。

僕はこの日、前日のプライベートとは違って、
仕事半分で駆けつけたんですが、
開演直前に携帯が亡って、
文化部のデスクから、
童話作家の今江祥智先生が亡くなったことを知らされました(享年83)。

社会部時代から、
お世話になって、
もう20年以上…。
今江先生がご自身の活動をまとめて、
2013年の11月に上梓された、
『子どもの本の海で泳いで』(BL出版)にも、
僕のことを書いてくださっていました。

神戸で開かれた、この本の出版記念パーティーで、
お会いしたのが最後になりました。

訃報を聞いたとき、
まさに、
頭を棍棒で殴られたようなショックで、
ほんとに「ガーン」という音が聞こえたほどでした。

せめてもう一度、お会いしたかったのに…。
…と後悔しても遅い。
落語は耳に入る情況ではなくなっていました。

でも、
月亭八光さんを含めて、
高座に上がった噺家のみなさんが、
しんみりとではなく陽気に、
人間国宝を偲んでおられるのを聞いていると、
少し落ち着いてきました。

そして、
今江先生が米朝さんの弟子の桂枝雀さんのファンだったことなどを思い出して、
米團治さんの口演を聞いていますと、
現世と、あの世の境界もなくなったような気になり、
先生の笑顔が思い浮かび、
落語という芸の有り難さも実感したのでした。

2015-04-22

synchronicity

『上方落語 桂枝雀爆笑コレクション3 けったいなやっちゃ』(ちくま文庫)

他愛もないことに感激することはありませんか?
たとえば偶然の一致(synchronicity)のようなことです。

僕はあります。

で、
きょう(2015年4月22日)もありました。

最近『上方落語 桂枝雀爆笑コレクション』(ちくま文庫)を読み返しています。

この本は枝雀さんの口演の速記をまとめたシリーズで、
全5巻で成っています。

代休だった本日、大阪・梅田に買い物に行った帰りに、
阪急千里線のなかで、
その第3巻「けったいなやっちゃ」を読んでいたわけです。

「宿替え」「青菜」「高津の富」など12のネタが収められたなかの「鷺(さぎ)とり」を楽しんでいました。

上方落語では定番のひとつですから、
ご存じの方も多いはず。

「どないして、ご飯を食べてんね」と仕事…生計の手段をたずねられたら、
「やっぱり左手にお茶碗持ってね、ホイで右手にこうお箸を…」と答えるような男が主人公です。

味醂の搾り粕のお菓子「こぼれ梅」で雀(すずめ)を酔わせて捕まえるとか、
いろんな荒唐無稽の方法で鳥を獲って、
お金にしようという男の噺です。

失敗を重ねるのですが、
夜中に池で爆睡している鷺の集団を見つけます。
鷺たちがいびきをかいているのをいいことに、
何羽も捕まえて、
その首のあたりを自分の着物の腰の帯にびっしりとはさんだ。
そこまではよかったんですが、
夜が明けて、
目を覚ました鷺たちが一斉に羽ばたいたので、
中天高くヒューっと舞い上がってしまう。

で、空中でパニックに陥って、
やっとこさ落ち着いたのが…
四天王寺の五重の塔のてっぺん、屋根の上。
もう大阪中が大騒ぎという“ストーリー”です。

書いていて思いますけど、
落語って、
あらすじを文字にしても、
あんまり面白くないですね。

それはさておきですよ。

それを読んでいるときに、
右隣りに座った女子高生が居眠りをして、
僕の肩を枕にしてきたわけです。

まぁ何というか、
これが自分と同じような加齢臭を放つオッさんだったら、
不快にもなりますが…。
そうじゃないわけです。
もう天と地。
金箔と、鼻をかんだあとのテッシュ以上の差がありますね。

とはいえ、
感激したのは、
その部分じゃありません、決して。

終点の北千里に着いて、
眠りから覚めた女子高生のカーディガンの左腕の刺繍の文字です。
濃紺にくっきりと白く「四天王寺学園」。
関西の方なら、ご存じ。
四天王寺ゆかりの同寺に隣接する学校です。

「鷺とり」を読んでいるときに、
この偶然。
別になんていうこともないんですけど、
シンクロ具合に感激したというだけの話で、
「生きる名人」への道に関係あるようなないような…。

でも、
見えない力いたいなものが、
『上方落語 桂枝雀爆笑コレクション』を読むのは正解ですよ…と、
親指を立ててGood Jobサインを出してくれたような気がするわけです。

2015-04-18

めざせ桂米朝!


「桂米朝」といえば…
2015年3月19日に亡くなった人間国宝の噺家です。
あえて「三代目」と詳述するほうが、
「それ誰?」という風に違和感がありますね。

上岡龍太郎さんが、
「米朝の名前は永久欠番」(2015年3月25日「デイリースポーツオンライン」)と、
おっしゃっるのも当然。
誰にも異論はないでしょう。
もちろん「永久」とはいえ100年後200年後はわからないけれど…。

米朝さんが亡くなった翌日、
長男で弟子の米團治さんらが大阪市内のホテルで会見しました。
印象に残ったのが、最期を看取った弟子のざこばさんの言葉です。

「昨日は、本当に、亡くなるというのは、こういうこと。大往生というのはこういうことだと思いました。師匠、上手に死にはったなあ、よかった、よかった、おつかれさんと思いました」(2015年3月20日「産経WEST」)

滅びかけていた上方落語を復興に尽力し、
落語に生涯をかけて、
人間国宝に認定され、
演芸界初の文化勲章受章者ともなった…。
ざこばさんの言葉を拝聴すると、
さらに亡くなり方まで見事。
落語だけなく、
生きる名人で、いらっしゃった。

僕も馬齢を重ね52歳です。
もう今から、
プロ野球選手とか相撲取りとか、
ノーベル医学賞とかいうのは、
もう考えるのも無駄という以前の話、
カタツムリが時速300キロで走りたいというレベルです。
とはいえ、
機嫌よくは生きていきたい。

そこで、
もちろん米朝さんの域にまでは無理だとしても、
めざすのは勝手だし、
実現不可能とまでは言えない、ような気がします。
日本最後のガラケー利用者になるのと同じくらいの可能性はあると考えましたので、
生きる名人をめざしてみよう…と思いました。

その過程を記録するために、
このブログを開設したわけです。

よろしくお願いします。