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2018-03-19

「凶」その後。

写真と本文はたぶん関係ありません
お正月に大阪天満宮へ初詣をして、おみくじを引いたら「凶」。
で、リベンジしても「凶」。
二度あることは三度あるか…とビビりながら三度目の正直で、
「吉」という、ネバー・ギブ・アップの精神を体現したわけです。
そのことは今年、初めて書いた、このブログを参照していただくとして。
以来、更新せず、もう東京でサクラが開花したというニュースが流れる3月になってしまいました。

2018-01-03

祈り慎み思いきれ!

あけまして おめでとうございます。
初詣は大阪天満宮へ行って
おみくじを引くのが恒例になっています。
昨年は「大吉」。
一昨年は「末吉」。
その前は4年連続で「凶」というレアな体験をしました。

今年も引きました。
大阪天満宮のおみくじは
箱の中からゴルフボールよりふたまわりほど小さい木製のボールをつかみ出して、
巫女さんから、
その番号に該当する、おみくじをいただく方式です。

200円です。

今年は金色の文字の特製「大吉」が登場していました。
もうインスタ映え狙いが見え見えの趣向ですが、
僕も狙いましたよ、当然。

気合を入れて、
まず引いたのが「15」。
巫女さんがゆるく二つ折りにして
申し訳なさそうに渡してくれたので悪い予感…。

で、恐る恐る開くと……。

予感・的中……。
「凶」でした。
【ただ祈るべし】って…。

4年連続「凶」という記録を持っていますから、
「ドンマイドンマイ」と鷹揚に………。
……というわけにはいきません。
凶4連覇達成(?)当時はサラリーマンでしたが、
今はちょっと事情が違います。
気持ちの余裕?

ないです。

きっぱりと言いきれます。
「ない!!!!!」
縁起の悪いのは持ってのほか。

で、考えました。
「なかったことにしよう」

あったとしてもリハーサル、ウォーミングアップや。

2016-11-06

カラスに謝るべきか?

万博記念公園(大阪・吹田市)=2016年11月6日
お風呂で、ちゃんと洗いもせず、短い時間に済ませてしまうことを「烏(カラス)の行水」といいますよね。

実際にカラスが行水をしているところを見たことがありますか?

僕はきょう(2016年11月6日)初めて目撃しました。

2016-05-16

夏の「眼鏡問題」を解決してみた。

「老眼」って、哀しい響きのある文字ですね。
少なくとも僕はそう思います。

以前は加齢臭が漂ってきそうな印象が強かったんです。
自分とは関係なくて月の裏側に存在するような遠い言葉でした。

しかし、それが、もう最近はものすごく近い。
自分に完璧に密着してしまってますもんね。
あんなに離れた存在もう身体の一部ですよ。
まさに眼のなかに入れても痛くないッて感じ…かわいくないけどね。

加齢臭も自分が発散元になったし、
「哀愁」って言葉が「哀臭」のほうがぴったりする気がする、きょうこのごろです。

それと関係ないようで関係ある話です。

夏も近づいて日差しもきつくなってきたから、
外出するときは帽子をかぶります。
キャップとか、パナマ帽なんですけどね。
これがまた、僕は頭が、でかいし顔が丸いんで、
バレーボールに余計な飾り物をのっけた感じになるんです。

決してカッコよくないのはわかっているし、
むしろカッコ悪いんだけど、
やっぱね、髪の毛が多くないもんで、
直射日光は厳しいんで、かぶるわけです。

それはいいんです。

ROUGANなんですよ。
ローマ字で書いたらちょっとはカッコよくなるかと
思ったけど、わかりにくいだけですね。
老眼です。
さらに近眼。
だからパソコンに向かうときなんかは度数が緩めの読書用眼鏡(めがね)をかけてます。

で、外出のときは左右ともに1・0以上の視力になるような遠近両用なんですけど、最近はこのレンズの「近」エリアの能力では小さな文字には対応できないくらいに老眼が進んだので、
電車のなかで新聞や本を読むときは眼鏡を頭に跳ね上げて裸眼にします。

そうなってくると、帽子を脱がないといけない。
で、脱ぐと忘れる…。
この1年で6回忘れて半分は戻ってきませんでした。

何か対策はないかと思っていたところ目に入ったのが、
眼鏡市場が展開する「ALOOK(アルク)」のネット広告
日本のクラブシーンを切り開いたベテランDJの須永辰緒さんと、「Bobby Sings Standard,」のデザイナー、森山秀人さんが、ジャジーな跳ね上げ式アイウエアというセッションを奏でる
…というコピーの「ジャジー(JAZZY)」にグッと心を鷲(わし)づかみされたうえ、
この眼鏡の機能にピンとくるものがあったんです。

2016-04-15

エスカレーターの左側に立つ。

大阪取引所の五代友厚像=大阪・北浜 ※写真と本文は、もちろん関係ありません。
大阪取引所の五代友厚像=大阪・北浜(※写真と本文は、もちろん関係ありません)
大阪市内のデパートに行ったら、上りのエスカレーターの前で、従業員の男性が「1列ではなく2列で、ご利用ください」と繰り返し案内していました。休日で客が多いので、ステップの手前で利用者が滞留して混雑しないようにするためでしょう。

ところが、客はその声が聞こえているのか、いないのか、みんな右側に一列で乗っていきます。

小学生くらいの女の子と、そのお母さんらしき2人連れですら、そうなんです。

僕は指示に従って見知らぬ方の左側に立ったのですが、
前後に誰もいないまま2階に。

3階に向かうために乗り換えたときも左側に立ったものの、やはり僕1人だけ。

あまりに目立つので4階に向かうときは右側に立ちました。

もちろん左側のステップは上から下まで誰もいませんでした。

で、別の日。

2016-03-25

探しものを見つける方法。


本棚は、だいたい著者別に整理しているんですけど、
50音順で整理しているわけじゃありません。

だから1冊しか持ってない著者の本…これがほとんど…の場合、どこに置いたのがわからなくなることが多いです。

実は今も、
ある本を読む必要があって探したのだけど、
なかなか見つからない。

処分してしまったのかもしれない。
あきらめてAmazonで、同じのが中古本でないか、探そうと思い始めたところで、
電話がかかってきたので出たんです。

椅子に座って携帯で話しながら、ボーっと本棚を見つめていたら、
探していた本が目に入ったんです。

無事、探しものが見つかったわけですが、
なぜ、一所懸命に探していたときは見つけられなかったのか。

答えは簡単です。

2016-02-17

働かないアリはオジさんへの朗報か?

日本経済新聞web版(2016年2月16日)に掲載された共同通信配信記事によると…。
アリの集団は常に全ての個体が働くより、働かないアリがいた方が長く存続できることを、北海道大大学院農学研究院の長谷川英祐准教授の研究チームが突き止め16日、英科学誌電子版に発表した。働き者のアリが疲れて休んだ時、怠け者とみられていたアリが代わりに働くためという。
「一見無駄な働かないアリも、集団の長期的存続には欠かせない。人間も含め、短期的効率を求めすぎると、組織が大きなダメージを受けることがある」と長谷川准教授。「組織運営に当たり、長期的存続の観点を含めて考えることの重要性が示された。会社で働かないと思われている人も、相対的に腰が重いだけで、ピンチとなれば活躍する可能性はある」と話しているそうです。

会社で、あんまり働かないんで、若手の視線が痛いオジさんオバさんには朗報のようでもあります。

もちろん組織を存続させるためのヒントとしては有効に違いありません。でもオジさん・オバさんへの朗報ではない側面は色濃いと思います。

「俺の時代が来るかも」と明るい日差しを感じて胸をなでおろしたオジさんには悪いけれど…。

2016-01-05

喪中ですけど…。

昨年9月末で産経新聞社を離れて半分フリーターのような生活を送っているので、なんだか日常のリズムにメリハリが欠けてました。
やっと、それにも慣れてリズムができてきたと思ったら年末年始っていうわけで、どうもまた拍子が変になってしまいました。
とはいえ長年の会社員生活が身体(からだ)に染み付いているのか、三が日明けが月曜日っていうのはプレッシャーを覚えます。
休んでいたのにいきなり長距離走かよっ!って気分です。
別にたいしたことはしてないんです。
でも、とりあえず空回りだけでもしとかないと申し訳ないような…。

それはさておき。
退職の直前に父が亡くなったので今は喪中なんで、「おめでとう」とは言えないんですけど、3日に大阪天満宮に初詣をしました。

ここ10年くらいはずっと行ってまして確か7年前くらいから、続けて、おみくじも引いてます。

1年前は「凶」でした。
その前が「末吉」。
で、さらにその前までの4年間は連続で「凶」…。
大阪天満宮のおみくじは、大吉、吉、中吉、小吉、末吉、凶の6種類だそうですから、大吉から凶まで全部が同じ数入っていたとしても奇跡的な確率ですよ。
プロ野球なら過去6年間、“最下位”5回、ブービーが1回みたいなもんで、かつてのヤクルト・スワローズとか、その前身のサンケイ・アトムズよりもひどい。

それがですよ、今年はいきなり「大吉」でした。

2016年1月3日、大阪天満宮

2015-10-12

秋の夜長のネコ

秋の夜長ですね。
夜行性のネコは時間を持て余して、
真夜中も寝ていますけど、
昼間も宵の口も寝ています。
…というわけで、
行動時間に備えて寝ている雷蔵くん(ネコ、サバトラ、♂、3歳、愛称:雷ちゃん)と球太郎くん(ネコ、シロキジ、♂、1歳、愛称:Qちゃん)にカメラ(キヤノンPowerShotA1400)を向けてみました。

キャットタワーのてっぺんにいたQちゃんは…
「何やねんな。いきなり、不細工に映ってしまうやろ!」と不機嫌です。

で、まぎれもなくアゴの肉がたるんで不細工です。
「寝起きドッキリか?」みたいな感じで迷惑そうでした。

2015年10月12日

2015-10-09

退職後に変わったこと(2)

きょうは10月9日ですから、
退職して9日目です。
…というわけで変わったことシリーズの2回目です。
実はまだ実感がないというか、
やめる前とやっていることが、そんなに変わらない気がするんで、
気分的には大きな変化はなし…。
起きる時間というか、
雷蔵くん(ネコ、サバトラ、♂、3歳)と球太郎くん(ネコ、シロキジ、♂、1歳、愛称:Qちゃん)に起こされる時間もだいたい午前5時前後なので変わりなし。
ただ、家で仕事をすることが多いので、
平日に、ほとんど外で飲まなくなりました。
数えてみたら週に2~3回は会社の帰りに軽く呑みに行っていたのに辞めてからは、きのう(8日)が初めて。
梅田に出る用事があったので、
ご無沙汰している店の暖簾をくぐったら、
「生きてたの?」と言われました。

この間まで使っていた二つ折り財布。確か東日本大震災の年(2011年)の誕生日に買ったから4年くらい使いました。グリーンです

2015-09-04

「助走」と「準備」を混同していた

「安定」のためにスタビライザーを買いました。映像撮影ためで、人生がブレないようにするためではありません…

今月末(2015年9月30日)をもって、1985(昭和60)年4月から在籍した新聞社を離れて第2の社会人生活をスタートさせます。

今後のことは10月1日以降に書くとして、現在は有給休暇も未消化のまま残っているので、用事や仕事があるとき以外は出勤はせず、次の暮らしに備えています。和歌山の父が入院して緩和ケアを受けている状況なので泊まり込みで付き添っている母の代役のための帰省もしています。病院の個室の簡易ベッドで夜を過ごすと、神戸支局や社会部時代の泊まり勤務を思い出しますね。実際に熟睡するのは2時間くらい。その状態で朝を迎える感覚が泊まり勤務明けと似ているんです。

退職を決めたのは何時(いつ)なのかは、色々とあってまだ明言はしないけれど…それ(退職を決めた時期)以降は「離陸」のための「助走」期間のように考えていました。

でも、実際に退職が近づくと、違っていたことがわかりました。

2015-06-16

「住み良い都市」は「良い都市」か

日本経済新聞(電子版)=2015年6月13日=によると、

“英総合月刊誌「モノクル」は2015年の「世界の住み良い都市ランキング」で東京が1位になったと発表した。昨年の2位から順位を上げた。巨大都市にもかかわらず平和で静かな環境を実現している点が高く評価された。福岡が12位、京都が14位と日本の他の都市も上位に入った”。

海外には観光や仕事でしか行ったことがないので、
外国のことはよくわかりません。
でも、
東京が1位なのもよくわかりません。
円安の影響はあるでしょうけど…。

僕は1年足らずの短い期間でしたけど、
東京には住みました。
その他でいうと、
和歌山で生まれて高校卒業まで暮らし、
そのあとは大学時代は京都で4年、
就職して初任地の神戸で4年、
そのあとは東京勤務時代を除いて大阪です。

このなかで一番住みにくかったのが東京でした。

比較の問題なので、
東京がダメというんじゃないです。

部屋を借りたのは谷中(やなか)で、
東京メトロ千代田線を使えば最寄りの千駄木駅から大手町までは10分ほど。
「谷根千(やねせん)」といわれる昔の風情を残した地域です。
「谷根千」というのは、寺町の谷中、下町の根津、武家町の千駄木の総称で、台東区と文京区と荒川区が重なっています。

商店街(谷中ぎんざ)もあって買い物も便利だし、
部屋から、
千駄木駅まで徒歩5分弱、
JR日暮里駅にも10分かからない。
近所には歩いて3分から10分圏内に銭湯が3軒もあったし、
快適ではありました。

でも先にも書いたように比較の問題にすると、
関西より住みやすいとは感じませんでした。

具体的にいうと、
気軽に京都に行けないとか、
「大衆的」に見える飲み屋の勘定が関西に比べて高いとか、
昼ごはんを食べに行くと定食が、
ご飯とメーンのお皿と味噌汁だけというところがけっこうあって、
値段も関西より100円から300円高い印象でした。
それから、
全国的にみると、
地方の県の県庁所在地で一番乗降客が多い駅よりも、
賑やかな駅がいっぱいあって、
人が多い。
アメ横なんて、いつも大晦日か!って思いました。

ケチをつけるとすればそれくらいで、
情報は集めやすいし、
展覧会や文化イベントは多いし、
見るべき施設も多く、
さすが日本の「首都」って感じです。
何よりも、
あれだけヒトが生活しているのに、
大阪に比べると不法駐輪がものすごく少ない(…これは感心しました)。

そういう意味で、
東京が優れた都市だというのは認めざるを得ません。

ただ、僕には暮らしにくかった。
俗に言う「水が合わない」という感覚ですね。

東京勤務期間中は、
関西に帰ってくると、
心底ホッとしました。

東京の人混みに比べると、
大阪の地下街なんて人通りが少ないくらいに感じて、
それまで少々鬱陶しいと感じていた混雑も苦にならなくなりましたしね。
正直に言うと、
大阪の方が人が少ないことが口惜しいくらいでした。

で、そんな東京で生活していたある日、
新幹線でJR新大阪駅に着いてから、
大阪駅まで、ひと駅在来線で乗り継いで梅田の地下街に着いて気づいたことがありました。
電車のなかでも、
なんだか東京と様子が違うなぁとは感じていたんですが、
その理由がわかったんです。
東京より人の数は少ないのに、
大阪のほうがやかましい。
ひとりひとりの声が大きいうえに、
会話している割合が多いからでしょう。

もしかしたら、
東京に「水が合わない」のはこんな雰囲気に慣れてしまったせいかも、と思いました。

反対にいうと、
首都圏で長く暮らした方は、
大阪のこんな空気には「水が合わない」かもしれませんね。

ただ東京が住み良い都市で世界一になったという記事に話題を戻すと、
僕はそれが必ずしもいいことだとは思えません。

暮らしやすさにつながる日本人の礼儀正しさや大人しさを利用しようとする人間もいるからです。
僕は実際に、
ある外国人から「日本人は自分の母国の人間に比べたらチョロいと考えている知り合いは少なくない。だから日本の方が商売がしやすいみたい」と聞いたことがあります。
さらに「ただ大阪だけはちょっと事情が違うけど…」とも。

この言葉が耳に残っているので、
都市はワイルドな部分が残っているほうが良いと考えています。

「巨大都市にもかかわらず平和で静かな環境を実現している点が高く評価された」というのは、
眼に見えにくいところで、
外部の人間によって深い闇のような空間が作られやすいということだからです。

2015-06-11

男のねたみ 女の自信

朝日新聞デジタルの「(異才面談)脳科学者・中野信子さん 脳から考える、男女の差・起業の差」(2015年6月8日)によると…。

「脳科学的には、リーダーは男と女、どちらがいいですか」という質問に対して中野さんは、

「時代や経済環境でいちがいには言えないです。英科学雑誌ネイチャーに2006年に載った論文によると、ねたみ感情は男のほうが強くなる。外部との争いがなく、組織をまとめるときのリーダーは、男性にあまり向いていないでしょう。『あいつは同期なのになぜ社長なのか』といった感情が生まれると、組織はばらばらになります。男同士では組織内で足の引っ張り合いが起きかねません。性別が異なるほうが、ねたみは少ない。男性と女性を交ぜたほうが、組織内の対立は緩和されるでしょう」

…と答えてらっしゃいます。

「外部との争いがなく、組織をまとめるときのリーダーは、男性にあまり向いていない」ということは、既得権があってビジネスモデルが安定している会社や公務員の世界のリーダーっていうのは男には向いていないということになるかしらん。

だからやたらめったらポストがある会社とか、
高級官僚の世界では同期が事務次官になったら、
退官するとかいうようなことがあるんでしょうか。

ただ「あいつは同期なのになぜ社長なのか」って、
そもそも社長の椅子の争奪競争に参加している人間なんてそんなにいてへんやろっ!ってツッコミをいれたくなります。

大企業で銀河系の星の数ほど子会社があるようなケースはまたニュアンスが違ってくるんでしょうけど…。

一方で、
「リーダーは無理」って自覚しているヒトもいますからね。
ちなみに僕です。
みんなで一緒に同じものを食べたり、同じことをするのが苦手で、
小学校のときは給食や運動会、遠足が苦痛でした。
つまり集団行動が嫌いなんで、
いろいろと他人の指示することに向いていない。
好き放題できる独裁者ならば大丈夫じゃないの?―という意見もあるでしょうけど、
やったことがないし、
これからなる予定もないので、
何ともいえません。

とはいえ、
「ねたみ感情は男のほうが強くなる」っていうのはわかる。
これはリーダー指向云々に限りませんもんね。

厳密にいえば、
男女の比較ではよくわかってなくて、
自分に照らしあわせてのことです。

もう朝から晩まで、ねたんでいる気がします。

たとえば、
出勤前に時計代わりにつけているTVでCMに西島秀俊が出てくると、
「ええよな、男前やし、国立大学に入ってるし、お腹でてないし…」とか。

通勤電車のなかで、
男子大学生が女子大学生と楽しそうに話していると、
「そういえば二十歳(はたち)前後の女の子と会話するなんて、
コンビニやカフェでバイトの女の子に注文するときぐらいやで」とか。

会社の帰りに居酒屋に行ったら、
注文したカウンターの隣の客の冷奴のほうがちょっと大きいとか…。

なんかもう僕のアイデンティティは、ねたみで成立しているみたいな…。

世間では、
こういう男を、
「女の腐ったみたいな奴」とも言いますね。
だいたい、これを男に言うのは女性が多いような気がしますけど、
この場合、
「僕が女の腐ったみたいな奴やったら、
あんたは、単に腐った女や」と言い返しますね、
もちろん心の中で、
それも蚊の鳴くような声で…。

男の方が女より、ねたみ感情が強いのだとしたら、
それはたぶん、
自信がないからでしょうね。
他人からどう扱われているか、
どのように評価され、
どんな地位にあるかでしか、
自分を評価できないからではないでしょうか。

女性にも、
もちろんそういう部分はあるでしょうけど、
評価される基準のバリエーションが豊富なので、
敗者復活みたいなことが男より簡単なのかもしれません。
他者の客観的指摘を、
単なる悪口だとが、
誹謗中傷だと、
はねつけることができる力は男性より強いかも。
ぶれない・揺るがない…。
で、ぶれても揺らいでも開きなおれる…。
「私がバイブルなのよ!」って判断基準も盤石です。
(…以上、あくまでもそういう方が少なくないという推定です)

本来、文章の基本としては、
ここに、
その具体例をいくつか示すのが基本なんですけど、
一部の女性から、
「それが女をバカにしてるっていうんだよ」とか、
「女性蔑視の裏返しだ」とか、
「だから、そんなに加齢臭がするんだよ」とか…。
ボコボコにいわれるかもしれないんで、
やめておきます。

2015-06-03

梅雨を快適に楽しく過ごす


朝、起きたら雨音が…。
それももう舐めまわすというか、
大粒の雨が隙間なく地面を打ち付ける容赦のない音です。

大阪も今週中…遅くても来週初めには梅雨入りするという予報です。

ところで、
最近、待ち遠しいという気分になることが少なくなりました。
ちなみに年齢を重ねると、
月日の経つのを早く感じる原因のひとつが、
この待ち遠しいという楽しみが少くなるからだと聞いたことがあります。
お年寄りのなかに、
「もう死ぬのが待ち遠しい」
「早くお迎えが来てほしい」
…とおっしゃる方がいますけど、
そんな方のなかにも、
「朝、起きたと思ったら、もう夕方」
「きのう正月を迎えたような気がするのに、もうクリスマス」
…とこぼしている方は少なくないので、
やはり、お迎えが「待ち遠しい」というのは本音ではないかもしれませんね。
ただし、老人特有の症状(ボケともいう)で、
記憶がおかしくなっているだけという可能性もあるけれど…。

それはさておき、
僕も「待ち遠しい」ことは少なくなりましたが、
梅雨明けだけは、待ち遠しいです。
梅雨入り宣言の前から、
梅雨入りが待ち遠しくて、
去年の梅雨明け宣言があった日から、
翌年の梅雨明けが待ち遠しかったほどです。

なんで、
そんなに梅雨が嫌なのか…。
別に決定的に悪い思い出があって、
トラウマになっているわけでもないんです。
農作物が育つのにも欠かせないし、
空梅雨は水不足の原因にもなります。

まぁ、梅雨の間に最低2本の傘をなくす、
洗濯物が乾きにくい、
ジメジメして汗ばんで自分の加齢臭で気を失いそうになる、
…とか色々と理由はありますけど、
やはり、
抑圧感を覚えるせいじゃないですかね。

「夏っ!」っていうと、
解放的で開放感があって、
青い空の下で、
白い砂浜を思っきり駆けるみたいなイメージがあるじゃないですか。
カルピスのコマーシャルみたいで、
実際にそんなことをしたら、
熱中症になったり、
心臓がどうにかなりそうな年頃だけど。

そのスカーッとした夏の到来に、
通せんぼするのが「梅雨」なんで、
なんか赤信号が変わるのを待っている気分になるんでしょうか。

赤信号なら、
「みんなで渡れば怖くない」(byビートたけし)
かもしれないし、
安全を確認すれば、
フライングも可能です。

ところが、
梅雨はそうもいきませんもんね。
日本国民全員が「とにかく梅雨が明けたことにしようぜ」っていっても、
空はおかまいなし。
無視されてジトーっと梅雨は続きます。

でね、
考えたわけです。
梅雨が終わったら悲しい、
いかないで梅雨、
梅雨終わったの?早っ!
…みたいな気分になる方法はないもんでしょうか。

ひとつ思いつきました。
梅雨明けまでは、
雨が降った日だけ酒が飲めるっていうのはどうでしょう。
晴れたら飲めないんです。
で、梅雨明け宣言があったあと1週間禁酒しないといけない。
これなら雨雨ふれふれ、梅雨よ明けるなっていう気持ちになるんじゃないでしょうか。

でも守れそうにもないからやめました。
梅雨の晴れ間のビールは格別ですから。

じゃあ雨を楽しむのはどうか。
たとえば傘を持たない。
カバンにビニール袋だけ用意しておいて、
雨の日はもう服を脱いで、
海パン!
服はビニール袋に入れて、
悠々と雨をシャワーみたいにして歩く。

……すみません。
たぶん警察に通報されて捕まるか、
動画を撮影されてyoutubeで公開されて笑いものになるのがオチですね。

でも若い女性がビキニで街中を歩くのは可かもね。
梅雨限定で。
梅雨の街中用おしゃれ水着なんか発売してほしいです。
それなら梅雨は天国、眼の正月です。
誰かやってくれませんかね。

※写真は「Pixtabay」から

2015-05-22

泥棒コスプレの必須アイテム

唐草模様

きのうの話の続きです。


1960~70年代のマンガやアニメに登場する泥棒(どろぼう)といえば、
ほっかむりに唐草模様の風呂敷づつみを背負っているのが定番でした。

それが泥棒のただしい姿。
窃盗犯のアイコンみたいなものでしたから、
僕なんか唐草模様をみると、
泥棒をイメージしてしまいます。

でも目立ちますよね。
犯罪者のコスプレアイテムみたいなもんですから。

どうして泥棒は唐草模様の風呂敷づつみを背負っているのか。
ググってみたら、
「なるほど!」と膝をパンパン打てる説が見つかりました。

 NTTコムウェアのサイトにあるオンラインマガジン「COMZINE」の連載「ニッポン・ロングセラー考」のバックナンバーに「風呂敷」をテーマにした文章があるんです。

それによると、
“木綿の「唐草風呂敷」を最初に作ったメーカーは定かではないが、明治30年から40年にかけて作られるようになり、大正中期に大量生産されるようになった”そうです。

なぜ唐草模様かというと、
風呂敷の模様はもともと江戸時代には植物をモチーフにするものが多くて、
それに縁起の良さが重視されるようになったので、
吉祥紋様のひとつ唐草は、
“四方八方に伸びていくつるが長寿や延命を象徴し、ひいては子孫繁栄につながる”と受け止められて普及し、
どこの家庭にもあるようになったそうです。

そこで、
手ぶらで入った泥棒が、
“タンスの一番下の段に入っている大判の「唐草風呂敷」に盗んだ荷物を入れて運び出していたわけだ。誇張はあるが、「唐草風呂敷」を使う泥棒のイメージは、こうした世相が面白おかしく伝聞された結果かもしれない”とのこと。

説得力がありますよね。
もう、これを定説にしてもいいくらい。

どうして、
「風呂敷」かということも、
書かれていて、
室町時代に、
“将軍・足利義満は京都の室町に大湯殿(おおゆどの)を建て、諸国の大名を蒸気風呂に入れてもてなした。大名たちは脱いだ衣服を取り違えないよう家紋を付けた布で包み、風呂から上がった後はこの布の上で身繕いをしたという”ことが起源となっているようです。

そういえば、
僕が神戸や大阪で司法担当をしていた1980年代後半から、
90年代初めは
裁判所では、
検察官は書面を風呂敷に包んで、
法廷に入っていました。

当時、裁判官が、
転勤で引っ越したときは、
官舎の隣近所への、ご挨拶の品の定番のひとつが風呂敷だとおっしゃっていた記憶がありますから、
今はどうか知りませんが、
司法の場でも重宝されていたようです。

唐草模様の画像は「FLAT DESIGN:手書きのフリー素材、かわいいイラスト&ベクター素材のサイト」からいただきました。

2015-05-20

「公害」の原因は親のしつけの悪さ?


この間、真っ昼間に大阪・千日前通の歩道を、

難波から日本橋の方へ東に向かって歩いていたら、
トラックの運転手らしき40歳くらいの男が車道脇の植え込みみたいなところに入って、立ち小便をしていました。

車道に背を向けていたんで歩道からは局部がまる見え…。

運転しながらよほど我慢ができなくなったのでしょうか…。

そうならば、もっと遠慮気味にやればいいのに、
堂々としていましたから、
この男には日常の習慣なのかもしれませんが、

最近の日本では珍しい光景です。

1990(平成2)年に祥伝社から刊行され、
93年に集英社文庫になった『毒舌 仏教入門』という今東光さんの著書があります。

この本に「日本人くらい行儀悪く立ち小便をする人種はおまへんのやで。外国へ行くと、残念ながらけったいなオッサンでも立ち小便はしていません。これはお出(い)でになればわかります。ほんとに口惜(くや)しいほど、あいつらは……」という一節があります。

今の若い方が読むと違和感を覚えるのではないでしょうか。
確かに、今でも立ち小便を堂々とやっていオッサンがいないことはないですけど、
酔っぱらいなんかがほとんどですよね。

でも1980年代半ばまでくらいは昼間でも、
やっているオッサンが極めて珍しいとはいえないのが実情だったような気がします。

少なくとも今よりははるかに多かった。
公衆トイレの整備が進んでいなかったことも理由のひとつなんでしょうけどね。

東光和尚は、この立ち小便の問題を公害の原因と絡めて語っておられます。

立ち小便の原因をたどれば、
親の教育が悪いからだ、とおっしゃっています。
つまり、子供が「おかあちゃん、おしっこ」というと、
子供だからというんで、
「そこでしときなさい」というような習慣がダメなんだというわけです。

東光和尚によれば、
公害も人間のしつけの問題だと断言し、
「しつけというのは、世の中、自分一人で生きているわけじゃない、人の迷惑になることはしちゃいけないっていうことでね。それが最低の社会人としての条件で、その先で人のために何をするかということになる」と説きます。

ものすごく当たり前のことなんですが、
某国からの観光客が街中で、
子供に立ち小便をさせたとかいう批判や、
原発はトイレのないマンションだ、といった意見が飛び交っている現代、色んな意味で示唆深いです。

もちろん、この立ち小便問題は、
地平線以外に何も見えないような大平原とか、
獣道すらないような密林の話ではなく、
人間が社会生活をおくる「まち」での云々される話ですよ。
ここで原理的すべての立ち小便が「悪」ということにすると、
また話が違ってくる。
東光和尚のおっしゃるように「人の迷惑」っていう範疇でのこと。

とはいえ、
ここの塩梅が大事で、
難しい。

地球って、つながってますからね、どのどの地域も。

で、
確かに経験的に沿って考えてみれば、
日本では、
立ち小便の減少に比例するように、
公害・大気汚染問題も解決してきたという気がします。

もし世の中の「汚れ」がが目立ってきているのだとしたら、
親のしつけが原因なのでしょう。

親の責任にすると、
「生まれてすぐ親を亡くした子供はどうなる!」
「社会の問題を家庭に押し付けるな」
…といった意見が聞こえてくるような気がしますが、
万が一、そのような声が本当にあるならば、
僕には心の貧しさを浮き彫りにしているように思えます。

2015-05-19

「住民投票」の意味を誤解してないか!


一昨日の日曜(5月17日)に、

「大阪都構想」の是非を問う住民投票が大阪市で行われました。

結果はご存じのように、
「反対」が70万5585票で、
「賛成」69万4844票。
反対が賛成を1万741票上回り、
大阪市を廃止して5つの特別区に分割する案は否決されました。投票率は66.83%。

住民投票前に、
「反対派」からは「都構想は毒饅頭」という批判がありました。
とはいえ、
「都構想」が実現しなくても、
従前のままの大阪府・市政運営なら、
毒饅頭を食らったのと同じなのはいうまでもありません。
というより、
現状はすでに毒饅頭がお腹のなかにある状態で、
それをどのように、
うまく排泄するか、が問題になっていると考えるべきでしょう。

今回の「住民投票」で問われたのは、
財政危機状態の大阪府・市の状態を、
「変えるか」
「そのままにするか」
ではありません。

変化しなければ、
座して死を待つだけですから、
「どのように変化するか」が問われたわけです。

つまり「反対派」は大阪市を残したままで、
「変化する」ことを選んだことになります。

ここで「話が違う」と叫ぶ「反対派」がいたとしたら、
もう毒饅頭がすでに腹のなかにあるのに、
毒が回りかけていることに気づかない、
ゾンビ寸前のバカでしょう。

そこを理解していない「反対」は、
単なる利己主義です。
ここで誤解しないでください。
利己主義が悪いと言っているのではありません。
利己主義に無自覚だったとしたら、
問題だと申し上げているわけです。

一方、
50代以下では賛成が上回ったのに、
反対に回った60代以上の票が結果に大きく影響したといわれ、
「既得権」を守ろうとした“老害”を批判する声も聞こえてきます。

結局、各年代の投票率の問題になってくるような気がしますが、
それはさておき…。

賛否が拮抗したことで、
今後は二重行政の解消や、
財政の健全化の推進がこれまでにも増して注目されることになりました。

たとえば、
「都構想」が実現していた場合、
各特別区の住民は、
行政サービスの低下に神経質になり、
その対策に向けたコストがかさむ蓋然性は低くはなかったと思います。

反対派もネチネチと追及するでしょうから、
それをかわすコストが必要になってくる。
賛成派は行政サービスの低下はないと言っちゃったんですから…。

ところがですよ、
誰も痛みを感じない変化ってあると思いますか。

あるとしたら、
もう魔法の領域です。

普通のアタマで考えたらわかることで、
工夫もなし、
痛みもなしの、
従前の施策の漫然とした継続は大阪市の破綻を意味しますからね。

これまでの“実績”でも分かるように、
税収を増やそうとして、
行政が産業振興をしても、
それが結果に結びつかないことは鮮明です。

つまり支出の抑制・管理が行政と地元議員の最も大きな課題となります。
痛みが伴わないわけがない。

その流れのなかで、
高齢者への行政サービスを見直せという意見も出てきています。

もちろん過剰な福祉施策を縮小するのは当然ですが、
老人を悪人のように指弾して、
「敬老優待乗車証」などまで云々するのはいかがなもんでしょうか。

僕は短絡的な考えだと思います。

高齢者の社会保障費が負担の増加は、
過剰な医療・介護に大きな原因があるというのが僕の印象です。

医療や介護が適切な程度に配分されるような、
トリアージ(優先順位の判断)が必要で、
その能力を持つ「総合医」の幅広い配置がとても有効です。

これは自明のことなのですが、
実現を阻んでいるのは何か?

それを見極めましょう。

結局、
老人の介護が社会問題化するなかで、
家族の負担の軽減が安心や働く機会を増やすことになりますから、
老人が機嫌よく暮らせる町は、
それが魅力となるはず。

大阪なら高齢の両親と同居しても安心ということなら、
都市の求心力になります。

そうなれば人口減少にも歯止めがかかるきっかけにもなり、
子供も育てやすい環境になるのは必定です。

それはとりも直さず、
独身者が安心して老年を迎えることができる環境にもつながります。

ただフリーランチ(タダ飯)はない、
というのが経済の原則だということは忘れてはいけないだけでしょう。


2015-05-12

「一人」は悪か?


頭山満(とうやま・みつる)という方がいらっしゃいました。


以下すべて敬称略。

小林よしのり著『大東亜論 巨傑誕生編』(小学館)によると、
1908(明治41)年に「冒険世界」という雑誌が募集した「現代豪傑」の人気投票ではダントツの1位で、
戦前の日本では知らない者がいないほど、
国民的人気があったそうです。

生まれは1855(安政2)年で、亡くなったのが1944(昭和19)年。アジア主義の政治団体「玄洋社」の総帥でもありました。

心身統一法を広める「天風会」の創始者で、
京セラ創業者の稲盛和夫が師事したといわれる、
中村天風(1876-1968年)が、
玄洋社の頭山のもとに預けられていたことがあるということで、
名前を知っている方も多いようです。

きょう(12日)、保坂正康著『戦後の肖像 その栄光と挫折』(中公文庫)の「頭山満」の項を読みました。

この本で「まるで雲をつかむような人物像であった」と書かれているように、
伊藤博文をすら恐れさせたほどのエピソードもありながら、
その実像がよくわかりません。

先に引用した小林よしのりの『大東亜論 巨傑誕生編』も、
頭山に焦点を当てた漫画なのですが、
読んでも、その影響力の源泉は「雲をつかむような…」という形容が最も腑に落ちるというのが僕の感想です。

頭山の評伝では松本健一著『雲に立つ 頭山満の「場所」』(文藝春秋)がよく知られていて、
著者は「原像としての頭山満を描き終えて、今後はもう、右翼とは何かというテーマでものを書くことはないだろう、という気がしている」とまで書いていますが、
僕の読解力不足で、
この本を読んでも「雲をつかむような…」状態のままです。

とはいえ、もちろん虚像だったわけはなく、
これらの本を読めば、
実像としての存在感がさらに迫ってくる人物です。

また、どの本を読んでも、
生涯、無位無官で通し、カネに執着せず、私心がない人物だったということは明確です。

そして、
最も僕の心に残っているのは、
『雲に立つ』に書かれていた言葉です。

頭山が玄洋社の若者によく言っていたという
「一人でいて淋しくない人間になれ」
…というのが、その言葉。


この本が刊行されたのが1996年です。
僕は刊行されてすぐに買ったはずなので、
今から19年前に、
初めて読んで以来
「一人でいて…」という言葉が頭に刻まれて、
たぶん何百回ではおさまらないほどに反芻しています。

松本健一も解釈はしていますが、
それはさておき…。
「一人でいて淋しくない人間」とは、
どのような人間なのか、と折々に自問してきました。

この「一人」は、
欧米の「個」や「我」の概念とは違い、
東洋的な老荘思想や、
「我」を否定した仏教が輪廻転生について唯識論が説明した「主体」とも重なりにくい気がします。

つまり宗教的で大きなものに任せる受身的なものではなく、
能動的で明確な意志の“かたち”ではないか、
と考えているのです。

安楽や往生を求めない姿勢なのかもしれません。

ただ「淋しい」ということが、
苦しく辛いものであるのは確かなので、
「一人」でも「淋しくない」状態とは、
生き方のひとつの境地なのは間違いないようです。

最近、
一人で淋しいことを恐れ、嘆き、忌み嫌う空気が蔓延していて、
息苦しくないですか。

2015-05-11

機嫌よく生きる秘訣


『ゲーテ格言集』(新潮文庫/高橋健二編訳)という本がありまして、

あの『ファウスト』などを書いたゲーテ(1749-1832年)の言葉を集めています。

その中に、

“気持よい生活を作ろうと思ったら、
済んだことをくよくよせぬこと、
滅多なことに腹をたてぬこと、
いつも現在を楽しむこと、
とりわけ、人を憎まぬこと、
未来を神にまかせること”

…という「処世のおきて」と題された文章があります。

考えてみたら、
「きのう、あんなに飲み過ぎなければよかった」と、
済んだことにくよくよし、
「阪神タイガース、また最下位やん」と腹を立て、
いつも楽しいことは過去と未来にあると思っている…。

あかんやん。

とはいえ、
“人を憎まぬこと”は実践できているかもしれません。
とりあえず、
憎い人間というのが思い浮かびません。

ただ、阪神が負けたら、
相手のチームを恨むことはあるでしょうけど、
さすがに、いちいち恨んでいたら体がもちません。

それから“未来を神にまかせること”…。
これは、どの神さまにまかせていいのか悩みますが、
とりあえず、
明日のことなんかわからない、と思っておけばいいようです。

ということは、
くよくよせず、腹を立てず、とりあえず今を楽しめば、
機嫌よく暮らせるわけですね。

なんだかとても簡単な気がしてきました。

もしかしたら、
僕らは簡単なことを敢えてやらずに、
自分で自分を不快にしているのかもしれません。

とはいえです。
じゃぁ何をすればいいのか?

ヒントが同じ本の中にありました。

“半時間くらいでは何もできないと考えているより、世の中の一ばんつまらぬことでもする方がまさっている”

…というわけなんで、
このブログを書いています。

2015-05-10

明日できないこと

元外務省主任分析官の佐藤優さんが著書『人に強くなる極意』(青春出版社)で、
「明日できることは今日やらない」ということが、
たくさんの仕事をこなすうえで大切な原則だとおっしゃっています。

昔、遠藤周作さんのエッセーで読んだ、
どこかの国の諺(ことわざ)と似ているような気がしましたが、
それはさておき。

たいした量の仕事をしていないのに、
アップアップしていて、
残業をしているような人は、
きょうすべき仕事と、
明日に回してもいい仕事の大きさが一緒に見える…
つまり仕事の遠近感がないので、
優先順位がおかしくなって、
無駄に忙しくなってしまうというわけです。

なんで、
こんなことを書いたかというと、
このブログは緊急でも大事でもないんですけど、
あしたに伸ばしてしまうと、
1日休んで連続更新が途絶えたことになってしまうという奇妙なものです。

つまり毎日の日課なので、
きょうすべきものですが、
緊急でも重大でもない。

矛盾というほどの大したものでもないし、
何かにたとえようにも難しい。

結局、自分との約束や、
ひとりよがりのゲームみたいなものなんですね。

そう考えてみれば、
緊急でも重大でもないけど、
大切なものかもしれません。

きょうのブログは明日には書けない。
あした書くブログはあしたという、きょうに書くブログですからね。