2015-06-26

嫌よ嫌よも…

いくらユニークなアイデアでも、
簡単にマネができることを、
一番最初にやると、
イニシャルコストが二番煎じグループより大きくなって、
それよりも少ないコストでスタートした後発組(=二番煎じグループ)に負けてしまう…という説があります。

ビジネスの上の話で、
定説なのかどうかは知らないのですが、
どこかで聞いたことなので、
話した方の、その場の思い付きだったのかもしれませんけど、何となく納得できます。

簡単にマネができるというのは、
アイデアそのものが特許的に独占できないケースなんでしょうけどね。

実際、PCのGUIはもともとアップルのアイデアではないし、
ウィンドウズ95が出たときも、
Macファンからは「どこが新しいねん」と突っ込む声が聞こえてきました。

ただ、この流れが簡単にマネができることに当てはまるかどうかがわかりませんし、
簡単にマネをできるのに、
されないケースもあります。

それはビジネスから視線をずらせば、枚挙にいとまがないほど。

たとえば、
毎朝、笑顔で元気にあいさつするとか…。

これくらい簡単なことはなさそうです。
もちろん設備投資が必要なわけじゃないし、
道具も特別の技術を身につけていなくても問題ありません。

食べ過ぎないとか、
飲みすぎないとか、
無駄遣いをしないとか…。

こういうことも簡単です。

でも難しい。

状況により難しいことがあるかもしれませんが、
満員電車で、
お年寄りに席を譲るなんていうのも、
スキルが必要だとか、
検定があるということは聞いたことがありません。

簡単にできて、
良いことなのにやっていないことって多そうです。

逆に簡単にはできないし、
なぜか、多くのヒトがやっていることってないですかね。

良し悪しというフィルターを抜きにすれば、
スポーツや楽器の演奏はそうですね。
道具も技術も鍛錬も必要なのに挑みます。

それは楽しいとか、
勝ちたいなどという動機や報酬のようなものがあるからでしょう。

つまり「快楽」が行動につながっいるようです。

逆に言えば、
「不快」なことはしたくない。

そして、されたくはない。

自分が嫌なことは他人にするな、という、ものすごく簡単な言葉にまとめられます。

ところが、
自分がやられたら嫌なことも、
自分が他人にやるときは、
同じ行動だと認識できなければ、
「自分が嫌なことは他人にするな」という戒めも役に立ちません。

やられたら嫌だというのが明白なことでも、
他人にやってしまうヒトもいます。

これは、
(1)自分は、その嫌なことをされる心配がないからやってしまう
(2)自分されて嫌だったので仕返しをしている
(3)快感だからやっている
…というケースが考えられます。
また(4)嫌がっているのではなく喜んでいると誤解してやっている…のもあるでしょう。

嫌なことをされている場合、
自分がみじめにならないように、
一見、喜んでいるように装うヒトもいるような気がします。

また嫌なことも、色々あります。
スーパーのレジで並ぶのが嫌なので、
割り込んだら、注意された。
その叱責が嫌だったのでキレたという「嫌」もあるわけで…。

こうなると、
自分が嫌なことは他人にしないという戒めは、
単なる無関心になって、
無秩序にもつながってきます。

また、難しいことに、
「嫌よ嫌よも好きのうち」なんていう男女の情の複雑な機微もあって、
なかなか「嫌」ひとつでも一筋縄ではいきません。

つまり、
結局、世の中から「嫌」なことはなくならない。
どうも、完全になくなっても、それはまた難儀のようで…。

「嫌」なことに、どのように対処して、
取り返しのつかないように工夫する、
それしかないんでしょうね。

そういう意味で「嫌煙権」はかなり対処が進んだ例なのでしょうけど、
「嫌煙」という言葉が残るかぎり、
タバコにまつわる「嫌」は存在するということでしょうね。
タバコがこの世から消滅すれば別ですけど、
それが健全だとも思えません。

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