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2016-12-21

ボブ・ディランと「北帰行」をめぐる探しもの。

ボブ・ディランのノーベル文学賞受賞が決まったとき、
50歳以上の世代の多くが思い浮かべたのが、
フォーク・ロックグループ「GARO(ガロ)」のヒット曲「学生街の喫茶店」…というような記事を読むか、TVで誰かのコメントを聞くか、した記憶です。

確かに、その世代の僕も、ボブ・ディランという名前を覚えたのは、あの曲がきっかけだったかもしれません。流行ったのは1972(昭和47)年で、僕が小学4年のときでした。

とにかく当時、ヒット曲となれば、テレビ、ラジオ、有線放送で「これでもか」っていうほど、流れていて、だいたい歌詞を見なくても、かなりの人々が歌えてしまうような時代でした。

多くの人々のなかでボブ・ディランが「学生街の喫茶店」とリンクするのも、うなづけます。

でも、今年のノーベル文学賞発表を同賞の公式サイトのライブ中継で見たとき「ボブ・ディラン」と聞いて、「ボブ・ディランっていう名前の詩人か作家もいたんやろか」と思ったあと、アタマをよぎったのは「北帰行」でした。

小林旭(歌手・俳優)らが歌って1961(昭和36)年にヒットした歌じゃなくて小説の方です。

2016-02-10

向井滋春さんの「引き算の美学」

いやぁ参りました。
前回が2004年2月でしたから、12年ぶり。
干支が一周りしてインフルエンザ(A型)にかかってしまいました。

そんなこんなで、せっかく1月28日(木曜日)に大阪・梅田「ロイヤルホース」で、ジャズトロンボーンの向井滋春さんのライブに行ったのに書くのが遅れていました。

「トロンボーン」をブログの前面に出しながら、これはダメですよね。

で、そのライブのプレーヤーは向井さんのほか竹下清志(ピアノ)▽時安吉宏(ベース)▽マーティー・ブレイシー(Ds)=敬称略。

向井滋春=2016年1月28日、大阪・梅田「ロイヤルホース」

2015-11-28

『ニュー・トロンボーン』はジャケットだけでも若者に贈りたい

前回(2015年11月27日)に続いて今回もカーティス・フラーのアルバムです。

1957年に録音された『ニュー・トロンボーン(NEW TROMBONE)』はフラーのリーダーデビュー作。

ハード・バップの最盛期に登場し、その前のビ・バップ時代云々という講釈は専門家に任せておいて…。何よりジャケットがいいですね。

田舎の駅のホームに立つ楽器ケースを持つフラー…。いかにもこれからジャズシーンに向かっていくぜ!って感じがなんともいえず、これから新しい世界での活躍をめざす若者に、このジャケット写真でもプレゼントしたくなるほどです。もらったほうは別に嬉しくないような気もしますけれどね、中に餞別でもはさんでおけば受け取ってはくれるでしょう。
フラーは1934年生まれで、今も(たぶん)現役でライブを続けているはず。

2015-11-27

『ブルースエット』は、どこが「女」なのか。

「でもとにかく、A面の一曲めに『ファイブスポット・アフターダーク』っていう曲が入っていて、これが ひしひし ・・・・ といいんだ。トロンボーンを吹いてるのがカーティス・フラーだ。初めて聴いたとき、両方の目からうろこがぽろぽろ落ちるような気がしたね。そうだ、これが僕の楽器だって思った」=村上春樹著『アフターダーク』(講談社文庫)
僕は「トロンボーン奏者が出てくる村上春樹の小説がある」と聞いて『アフターダーク』を読みました。

トロンボーンを始めた直後ですから2006年の10月くらいだったはずです。で、『ファイブスポット・アフターダーク』が収録されている『ブルースエット』を買いました。もちろんレコードではなくてCDなのでA面もB面もありません。


目からうろこが…というようなことはなくて、出だしのベニー・ゴルソンのテナーサックスと、トロンボーンの音の区別がつかなかったくらいの時期でした。

2015-07-30

グレイトフル・デッドに学べるのはビジネスだけじゃない

米国のロックバンド「グレイトフル・デッド (Grateful Dead)」についての説明をWikipediaから引用すると…。

「1960年代のヒッピー文化、サイケデリック文化を代表するアーティスト」
「デッドヘッズと呼ばれる熱狂的な追っかけファンが多く、ヒットチャートとはほとんど無縁の存在ながら、毎年のようにスタジアム・ツアーを行い、常にアメリカ国内のコンサートの年間収益では一、二を争う存在だった」
「著名人の『デッドヘッズ』としては、第42代アメリカ合衆国大統領ビル・クリントン、元副大統領アル・ゴアと夫人ティッパー・ゴア、スティーブ・ジョブズ…」
「1995年8月9日、リーダーのガルシアの死去によってバンドは活動停止を宣言、解散した。その後メンバーが再集結してアザー・ワンズを結成、現
在は『ザ・デッド』の名でライブ活動を行っている」

…となり、これでだいたいイメージはつかんでいただけたでしょうか。

この伝説とも言えるバンドの運営形態をビジネスのヒントにしようという本がデイヴィッド・ミーアマン・スコットと、ブライアン・ハリガンの共著『グレイトフル・デッドにマーケティングを学ぶ』(渡辺由佳里訳/日経BP社)です。

この邦訳版は2011年12月にコピーライターでwebサイト「ほぼ日刊イトイ新聞」を主宰している糸井重里さんの監修で出版されました。

ふつうミュージシャンはリリースしたアルバムを売るためにライブ・ツアーなどを行うのですが、
グレイトフル・デッドはファンにライブの録音を許可するだけでなく、
良い音質で録音してもらうためのスペースまで設けていました。
そうすることで、
自分たちの音楽がコンディションのいい音源で広がって、
ライブの宣伝になるというわけです。

インターネットの普及が進んだ現代では、
珍しいとはいえない手法ではあるのですが、
グレイトフル・デッドはインターネットどころか、
「ウォークマン」すら発売される、はるか前から実行していたんです。

2015-07-22

「ジャズでなくJAZZを」關基久さんを偲ぶ

キーボード、ベース、サックス、トロンボーン…。出棺はJAZZで
JR西宮駅を出て梅雨が戻ってきたような蒸し暑さのなかを傘をさして、葬儀が行われる西宮山手会館へ向かっているのに、
大阪・梅田のジャズクラブ「ロイヤルホース」に向かっているような錯覚におちいりました。

オーナーの關基久(せき・もとひさ)さんが「いらっしゃい。雨のなかスンマセ~ン」と笑顔で迎えてくれるような気になったからです。

しかし、葬儀場に着いて遺影を見て現実に戻されました。

「やっぱり本当やったんや…」

訃報に呆然したのがきのう(7月21日)の早朝。出勤前でした。

亡くなったのが20日で、
翌21日が通夜、22日が葬儀とのことでした。

17日にベトナム旅行から帰国されてから、
体調を崩していたのに仕事をされていて、
心不全で亡くなったそうなんです。
亡くなる前日朝までFacebookで、
9月7日に開くライブの告知をされていたんです。

歌手のCHAKAさんも友人代表のひとりとして、
お別れのあいさつをされました。
「關さんに迷惑をかけないように頑張ってきたけど、
もっと甘えればよかった」という言葉が印象に残りました。

2015-07-11

音楽CDとライブの法則

Tapestry
こんなことってないですか?

JAZZの生のライブに行って感激したので、
会場で、
そのミュージシャンのCDを買います、
サインなんかをしてもらったうえ、
握手までしてもらって、
もう胸がいっぱいになって帰宅します。

そんなときはライブハウスでビールなんかも呑んでいるし、
夜も遅いので、
そのまま寝ます。

で、
翌日、仕事から帰ってきて、
「そういえば、きのうCDを買ったんだ」と思い出して、
プレーヤーにセットして再生すると、
「えっ」と思います。
まず「音が悪い」「生で聴いた細やかさが全然ない」…。

ちょっと、この録音ひどいんじゃないの!…とがっかり。
いくら最近、CDが売れないからって、
手を抜きすぎているんじゃないの、と非難めいた言葉もアタマをよぎります。

それで、このCDはもう聴かないかもな…なんて思ってラックにしまい込みます。

でも、
1カ月くらいして何かBGMがほしいなと思って、
CDラックを探していたら、
そのアルバムが目について、
まだ1回しか聴いてないから…っていう、
もったいないみたいな気持ちもあって、
またプレーヤーに差し込んでみます。

すると…。

2015-06-17

至福のとき

カーティス・フラーの「Vol.3」。眠る前に聴く定番のひとつです
だいたい毎日、午後10時前、早ければ9時にはベッドに入ります。
午前5時には起きるという生活です。

これが僕に一番、合っている生活パターンのようで、
以前、一線にいたころ、
午前1時、2時まで仕事をするのが日常、
夏なんか夜が明け始めたころに帰宅して、
シャワーを浴びて、
ベッドでウトウトしたら、
朝駆けのために呼んでいたクルマが迎えに来るというのも珍しくはなかった時代が嘘のようです。

あのころ何を楽しみにして生きていたんだろ?とも思うわけですが、
それはそれで、
なかなかエキサイティングで楽しかったんです。

今は何が楽しみかというと、
夜、ベッドに入って、
カーティス・フラーとか、
J.J.ジョンソンとか、
ジャックティー・ガーデンとかJAZZトロンボーン奏者がリーダーとなったアルバムなんかを聴きながら、
本を読む、
これがものすごく幸せです。
雷蔵くん(ネコ、サバトラ、♂、2歳)や球太郎くん(ネコ、シロキジ、♂、1歳、愛称:Qちゃん)も寝室に入ってきて、
僕のお腹や太ももを敷物や枕の代わりにして、
ジーっとしていて、
これが幸福度を増幅してくれます。

なんで、
こんなのが幸せだと思うのか…。

北新地のクラブで、
きれいなおねーチャンをはべらして、
高い(「たっかい」と発音してください)酒のボトルを開けて、
遊んでいんるほうが幸せではないのか!

「否」と自信を持っては言えません。

北新地のクラブで、
きれいなおねーチャンをはべらして、
高い酒のボトルを開けて遊んだことがないからです。

ですから、
あんまり説得力も普遍性もないとは思うのだけど、
自分のベッドで、
音楽をバックに、
ネコたちと一緒に本を読むくらいのことが何で一番幸せなのか、
…という一点に集中して考察せざるを得ないわけです。
ご理解、ご了承ください。

これって難しく考えればいくらでも、
言葉を費やすことができると思います。
たとえば難民が増え続ける国際情勢とか、
医学的な側面からアプローチするとかね。

でも経験的に言えるのは、
この手のことはものすごく考えて、
実証的に証明していくと、
答えが整合性を持つのに比例して、
実感と離れていくというのはありませんか。

いくら引力とか重力の説明をされても、
地球がまるいことが感覚的にはわかりにくいように。

もちろん学問的に考えることは大切です。
否定はしませんし、
僕は学問的アプローチを尊重します。

それはさておき、
僕の幸福の理由です。

なぜ、
ベッドで、
音楽をバックに、
ネコたちと一緒に本を読むくらいのことが何で一番幸せなのか…。

まず、
不安がないからでしょうね。
それから昼間にあった嫌ことも、
いいことも忘れているから、
怒りも、
高揚感もない。

自分の意識と身体が現在とぴったり重なっていて、
明日、突き詰めれば次の瞬間どうなるのか別にして、
今は問題なし。
さらには自分がどこの誰でというのも意識していなくて、
ただ、在るだけ。

明日もこうだと良いなということすら思わない…。

つまり何も考えていないから幸せみたい。

それがいいことなのかどうかはよくわからないけれど、
こんなコンディションのときには、
不意の出来事があっても、
冷静に対処できるということは経験済みです。

ただ、
激しく腹が立つことがあった、とか、
今、身の上に起こっている、とか、
明日、ものすごく嫌なことがある場合は、
そんなわけにいかないことがあるのも事実です。
どんなときでも、
どんな情況、
どんな場所でも、
眠る前は幸せでいたいもので、
もっというと、
幸せだとかも意識しないくらいになれるはずと信じています。

2015-06-10

バルブという蹉跌

ザ・デュアル・ロール・オブ・ボブ・ブルックマイヤー
とうとうやっちまっった…。
心配はしていたんです。


一線を越えてしまった…かも…。

僕はですね。
スライド管があって、
伸縮自在なのがトロンボーンの神髄だと思っています。
伸び縮みしないものは、
トロンボーンじゃないというのは教義だと考えるほどの、
「伸縮自在教」の信者だと自認しています。

だから、
ピストンバルブがついて、
スライドが伸び縮みしない、
バルブトロンボーンなんていうのは、
邪道の極み!
「テナーバス・トランペットと名乗りなさい」という感じで指をさして、
トロンボーンの王国からの追放を宣言したいほどでした。

「でした」と、過去形になるのは、
その教義を守らず、
ついに異端の道に足を踏み入れてしまったからです。

あれほど、
目をそむけていたボブ・ブルックマイヤー(Bob Brookmeyer)=1929~2011年=のCDアルバムを買ってしまったのです。ブルックマイヤーといえば、
バルブトロンボーン。
ジャズでバルブといえば
ブルックマイヤーという感じでしょうか。

場所は大阪・日本橋のディスクピア…。
仕事からの帰りでした。
魔がさしたというのか、
気がついたらレジで「ザ・デュアル・ロール・オブ・ボブ・ブルックマイヤー(The Dual Role of Bob Brookmeyer)」を手にしていました。

たとえば、ジャズトロンボーンのジャイアンツの代名詞のひとりとも言えるJ・J・ジョンソン(1924~2001年)なんて、
スライドさばきが速くて、
アルバムのジャケットにわざわざ「バルブトロンボーンじゃありません」と但し書きがあったほど。

ハンディキャップともいえる、
伸び縮みを克服、
スピード感もアピールして
生き残り、
一音一音を切らないグリッサンド演奏では管楽器の頂点に君臨してきたわけですよ。

僕みたいなトロンボーン信者にとっては、
伸縮するスライドは教義のシンボルなわけです。

そもそも僕はF管がついてレバーで息の通り道を変えられるテナーバスや、
ロータリーバルブなんかがついたバストロンボーンですら、
“純血”のトロンボーンじゃないのでは、と考えるときがあるほどの人間です。
シンプルさを極めたテナートロンボーンが楽器のなかで一番美しいと信じて疑わない人間です。

しかし、
意識のどこかで、
隠蔽された欲望のように、
バルブトロンボーンという異端への興味が息を潜めていたんでしょうね。

それがきょうの梅雨の晴れ間の開放的な空気のなかで、
するスルっと、
ちょっと油断した隙に、

漏れだしてしまった。

ディスクピアのことはほとんど記憶にありません。

「1944円です」と店員さんに言われて、
我に返りました。
老眼のせいで、
「税込み1800円」が、
「1000円」に見えていたことに、
そのときにやっと気づいたほどだったのです。

たぶん何かが僕に憑依していたのです。

CDが入った鞄を隠すように家に帰り、
震える手で、

パンドラの箱をあけるかのごとく、
CDをプレーヤーにセットしました…。

1954年と55年の録音ですけど、
ジャケットの、その数字が見間違いかもと思って見なおしたほどでした。

1950年代といえば、スィングに対抗するかたちで勃興したビバップから、クール・ジャズ、ウエストコースト・ジャズ、ハード・バップが登場したいわゆるモダン・ジャズの流れができる過渡期です。

現代のジャズの典型的なイメージの曲の勃興期ですけど、
抑制の効いたコンテンポラリー性っていうのか、
前衛的な感じと、
ポピュラーな空気が絶妙です。

ファンが多いはずですね。

とはいえ、
バルブトロンボーンをトロンボーン族だと、
認めたわけではありません。

ただ、音だけ聴くと完全にトロンボーン。
これを偽装とみるか、
自然に受け容れるか…。

とりあえず、
あれはバルブトロンボーンという種類楽器だということにしておいて、
トロンボーンかどうかは検討のため保留します。

やはり状況に応じて教義の解釈も状況に合うようにしていかないといけないのかも。

まぁ、同じ「金管族」だというところまでは間違いはないのだけど。

2015-06-09

効く音楽

Vintage Jam Session - 1954
聴いたら、
条件反射的に陽気になる音楽ってありますよね。
「そんなもんはない」というヒトは、置いといて…。
僕はあります。

「僕」というか、
ほぼ確信を持って関西人なら、
とりあえず肩の力は抜ける曲があります。

「吉本新喜劇のテーマ」といえば、
関西では誰もが思い浮かべてしまう、あの曲です。

正確にはJAZZトロンボーン奏者でヴォーカリストの、
Pee Wee Hunt(1907~79年)がバンドリーダーをつとめる曲「Somebody Stole My Gal」で、
訳せば「誰かが僕の彼女を盗っちゃった」でしょうか?

でも日本語にしようが、
モンゴル語にしようが、
このタイトルを聞いてメロディが頭に浮かぶ日本人はほとんどいないはず。

やはり「吉本新喜劇のテーマ」でないと、
ピンとこない。

「ナニワのモーツァルト」こと、キダタロー先生の作曲だと信じている大阪人も少なくないような気がします。

だって、
あのミュートをつけたトランペットの、
♪ほんわか、ほんわか、ほんわか♪
…っていう感じで始まる曲は、
「吉本新喜劇のテーマ」以外の何ものでもありません。

タコ焼きとか串かつのソースのにおいが漂ってくる感じで、
コテコテ感が充満ですもん。

何といいても、あの曲を聞くと、
岡八郎(2003年4月以降は、岡八朗)や花紀京、原哲夫から始まって、
桑原和子、池乃めだか、辻本茂雄、内場勝則…みたいな感じで頭のなかをみなさんの顔が走馬灯のように流れていきます。

もう関西人のソウルミュージックそのもので、
この曲が耳に入ってくると、
陰気な顔はできません。

逆に言うと、
葬式では絶対に流してはいけないBGMだともいえます。

吉本新喜劇の方が亡くなった場合なら別かもしれないけど…。
それでも天寿を全うしたとか、いうケースに限定されるような気がします。

この曲がPee Wee Huntのバンドの演奏だっていうのは知ってたんですけど、
不覚だったのは、
そのHuntがトロンボニストだっていうことは知らなかったことです。

先日、偶然にそれがわかって、、
「えっ、そうなん!」ってことで、
CDを探しましたよ。

ところがです。

この曲が入ったCDが見つからない。

ダウンロード版ばかり…。

…というわけで、
生まれて初めて、
アルバムをダウンロードして買いました。
「Vintage Jam Session - 1954」っていうタイトルです。

CDというパッケージ商品にこだわっていたし、
JAZZの定番アルバムとなると、
ダウンロードの方が高いっていう場合も少なくなったので、
CDで買う方がお得感はあったんですよね。

ところが、
最近は円安の影響で、
輸入CDが高くなってきました。

もしかしたら、
CDがレコードに取って代わったように、
日本でもダウンロードのデジタル音楽が主流になる転機かも。
JAZZの名盤は軒並み安くなってきましたしね。

あと5年もしたら、
「あれが分岐点だったなぁ」という話なんかするんでしょうかね。

ただね、
僕の場合、
その歴史的かもしれないときに買ったのが“新喜劇のテーマ”なんですよね。

この曲を心に思い浮かべれば、
難しい顔はできないわけです。

たぶん、
これからダウンロード音楽の話題になると、
僕の頭のなかには、
「Somebody Stole My Gal」が条件反射のように流れるのは絶対確実です。

それにしても、
この曲を聴いて陽気な気分にならない関西人っているんでしょうかね。

沈んだ気分を上げる特効薬!
聴けば効くって感じですもん。
富山の置き薬より強力かも…って、
まだ富山の置き薬ってあるんですかね。

それはさておき、
「Somebody Stole My Gal」。
大阪の家庭にとっては、
タコ焼き器のような存在かもしれません。