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2015-06-21

機嫌の良い一日

「インデアンカレー」の紙ナプキンです

照る日曇る日とか、
いろんな日がありますね。
誕生日給料日…。

アカイヒアオイヒ…。

それはさておき、
きょう日曜日は特に良いこともなかったのですが、
悪いこともなく、
まぁまぁの一日。
まだきょうが終わっていないので、
これからどうなるかはわかりませんけどね。
「つつがなく」というのは、
こういう日のためにあるのかもしれません。

いつものように朝5時前に、
雷蔵くん(ネコ、サバトラ、♂、2歳)と、
球太郎くん(ネコ、シロキジ、♂、1歳、愛称:Qちゃん)が、
「お腹すいたぁ」という感じで、
耳元で「ミャァミャぁ」鳴いたり、
足の指を噛んできたりするので、
起きました。

エサをあげると、
雷ちゃんとQちゃんが、
ベランダ(正確にはバルコニーというらしい)とリビングをへだてる網戸の前に並んで、
今度は「出して出して」という感じで、
「フニャぁフニャぁ」。
これもいつものことで、
朝ごはんを食べると、
ベランダに出て散歩したり、
ぼーっとしたりするのが2匹の日課のようになっています。

それから3、40分ほど新聞を読んでから、
2時間半ほど仕事をしました。

朝ごはんは、
前日、京都で買った志津屋の「カルネ」。
丸いアンパンのようなフランスパンに、
ハムとオニオンスライスをはさんだだけのシンプルなサンドウィッチなんですけど、
これが美味い。
ハムと玉ねぎの味とパンの食感が折り重なって何ともいえません。

そのままでもいいんですけど、
今朝はオーブンで軽く焼いていただきまして、
これもまたイケます。
志津屋って京都市内ではよく見かけますけど、
京都以外では、大阪・枚方の京阪くずは駅ビルにしかありません。
大阪に住むものにとっては、
こんな希少性も味のうちなのかもしれません。

それから洗濯をして、
トロンボーンの練習をすると、
もう昼時でした。

「さて何を食べようかな」という話です。

なんだか理由もなくカレーライスが食べたくなったんですね。
それも、
インデアンカレー」でないとダメという気分。
ちなみに「インディアン」でなく、
「インデアン」です。

このカレーもファンが多いのですけど、
志津屋が京都に集中しているように、
インデアンも大阪に7店舗があって、
大阪以外では兵庫の芦屋に1店、
東京の丸の内に1軒あるだけ。

で、
地下鉄堺筋線の長堀橋まで電車に乗っていって、
地下街「クリスタ長堀」のインデアンカレー長堀店に行ったわけです。

ごはんは大盛りで、
生たまごをつけてもらって、
キャベツのピクルスも大盛り。

食べた方はご存じでしょうが、
牛肉なんかのエキスの甘みが来たかと思うと、
そのあとに深みのある辛味がグゥ~んときます。
最初は単純な味のようにも感じるですけど、
食べるほどに、
いろんな味が広がって、
そこに生たまご、ピクルスの味が絡まって、
食べてる途中から、
「次はいつ来ようかな」と思案するほど。

地上に出て、
堺筋をぶらぶらと天満方面へ北上します。
朝は雨がパラついたのに、
梅雨ではないような気持ちの良いサラッとした天気。

途中でコーヒーを飲んで、
北浜から難波橋をわたって、
土佐堀川、中之島、堂島川を越えて、
天満へ。

天神橋筋商店街の南端からアーケードを入ります。
和装品屋さんで、
ハンカチに使える唐草模様や千鳥柄の手ぬぐいがあったので買おうと店に入ったら、
店のオバちゃんが、
「きょうはまだ勝ってるで」。
これは大阪ではあいさつ代わりで、
翻訳すると、
「阪神タイガースのゲームのテレビ中継を見てるのですが、
今、タイガースがリードしています」となります。
ですから、
こちらの方は、
「何点?」と聞きます。
「1-0」だとおっしゃるうので、
「そんなん勝ってるうちに入れへんやん」と手ぬぐい2枚分のお金を払いました。

で、この日本で一番長いという商店街のアーケードを北端まで歩いて、
天神橋筋六丁目駅のホームに降りたら、
ちょうど来たのが「北千里」行き。
阪急千里線沿線にお住まいの方にはわかると思いますけど、
天六の次の次の淡路駅で、
千里線と京都線に分かれていますから、
「高槻市」行きとか「準急河原町」行きとかだと、
淡路で乗り換えないといけなんです。
だから「北千里」という行き先表示をみると、
心のなかでガッツポーズをします。
京都線は「本線」なので、
特急とかありとあらゆるバリエーションがあるのですが、
千里線は上下の線路が並行して1組ずつ並んだだけの支線みたいなもんですから、
各停だけ。
“直通”がくると少しく嬉しいんですね。

街中の鉄道ですから、
1時間に何本もありますし、
そんなに影響はありません。

淡路で乗り換えるかどうかだけ…。
でも僕みたいな小市民には、
なんだか得したような気がするんです。

そういう意味では、
「高槻市」行きとかは、ちょっとがっかりするし、
軽く敗北感を覚えます。
それに、
天六より南の駅なんかでは、
「天六止まり」というどうしょうもない電車がくることがあります。
天六で、
北千里行きに連絡しているわけではなく、
天六で車庫に入ってしまうのでございます。
もうひと息で“地上”というところで、です。
結局、次の電車に乗っても僕の家の最寄りの終点の北千里に着くのは一緒。

だから、
僕の場合、
会社の帰りに、
「きょうは飲んで帰ろうかな、どうしょうかな」と悩んでいるときは、
北千里行きが来たら、
そのまま飲まずにそのまま帰る、
そうでなければ、
天六の手前の扇町か南森町か北浜で降りて飲みます、はい。

…とまぁ家に帰りついて、
ホッとしていると、
急に曇って、
大粒の雨がザァーっ!

もう少し遅ければ、
雨に遭うところでした。

…というわけで、
つつがなく、
良い一日だった次第で、
こんなことをブログに書くのもたまにはいいかも、
と思いました。

では、
これから晩ごはんです。

2015-06-16

「住み良い都市」は「良い都市」か

日本経済新聞(電子版)=2015年6月13日=によると、

“英総合月刊誌「モノクル」は2015年の「世界の住み良い都市ランキング」で東京が1位になったと発表した。昨年の2位から順位を上げた。巨大都市にもかかわらず平和で静かな環境を実現している点が高く評価された。福岡が12位、京都が14位と日本の他の都市も上位に入った”。

海外には観光や仕事でしか行ったことがないので、
外国のことはよくわかりません。
でも、
東京が1位なのもよくわかりません。
円安の影響はあるでしょうけど…。

僕は1年足らずの短い期間でしたけど、
東京には住みました。
その他でいうと、
和歌山で生まれて高校卒業まで暮らし、
そのあとは大学時代は京都で4年、
就職して初任地の神戸で4年、
そのあとは東京勤務時代を除いて大阪です。

このなかで一番住みにくかったのが東京でした。

比較の問題なので、
東京がダメというんじゃないです。

部屋を借りたのは谷中(やなか)で、
東京メトロ千代田線を使えば最寄りの千駄木駅から大手町までは10分ほど。
「谷根千(やねせん)」といわれる昔の風情を残した地域です。
「谷根千」というのは、寺町の谷中、下町の根津、武家町の千駄木の総称で、台東区と文京区と荒川区が重なっています。

商店街(谷中ぎんざ)もあって買い物も便利だし、
部屋から、
千駄木駅まで徒歩5分弱、
JR日暮里駅にも10分かからない。
近所には歩いて3分から10分圏内に銭湯が3軒もあったし、
快適ではありました。

でも先にも書いたように比較の問題にすると、
関西より住みやすいとは感じませんでした。

具体的にいうと、
気軽に京都に行けないとか、
「大衆的」に見える飲み屋の勘定が関西に比べて高いとか、
昼ごはんを食べに行くと定食が、
ご飯とメーンのお皿と味噌汁だけというところがけっこうあって、
値段も関西より100円から300円高い印象でした。
それから、
全国的にみると、
地方の県の県庁所在地で一番乗降客が多い駅よりも、
賑やかな駅がいっぱいあって、
人が多い。
アメ横なんて、いつも大晦日か!って思いました。

ケチをつけるとすればそれくらいで、
情報は集めやすいし、
展覧会や文化イベントは多いし、
見るべき施設も多く、
さすが日本の「首都」って感じです。
何よりも、
あれだけヒトが生活しているのに、
大阪に比べると不法駐輪がものすごく少ない(…これは感心しました)。

そういう意味で、
東京が優れた都市だというのは認めざるを得ません。

ただ、僕には暮らしにくかった。
俗に言う「水が合わない」という感覚ですね。

東京勤務期間中は、
関西に帰ってくると、
心底ホッとしました。

東京の人混みに比べると、
大阪の地下街なんて人通りが少ないくらいに感じて、
それまで少々鬱陶しいと感じていた混雑も苦にならなくなりましたしね。
正直に言うと、
大阪の方が人が少ないことが口惜しいくらいでした。

で、そんな東京で生活していたある日、
新幹線でJR新大阪駅に着いてから、
大阪駅まで、ひと駅在来線で乗り継いで梅田の地下街に着いて気づいたことがありました。
電車のなかでも、
なんだか東京と様子が違うなぁとは感じていたんですが、
その理由がわかったんです。
東京より人の数は少ないのに、
大阪のほうがやかましい。
ひとりひとりの声が大きいうえに、
会話している割合が多いからでしょう。

もしかしたら、
東京に「水が合わない」のはこんな雰囲気に慣れてしまったせいかも、と思いました。

反対にいうと、
首都圏で長く暮らした方は、
大阪のこんな空気には「水が合わない」かもしれませんね。

ただ東京が住み良い都市で世界一になったという記事に話題を戻すと、
僕はそれが必ずしもいいことだとは思えません。

暮らしやすさにつながる日本人の礼儀正しさや大人しさを利用しようとする人間もいるからです。
僕は実際に、
ある外国人から「日本人は自分の母国の人間に比べたらチョロいと考えている知り合いは少なくない。だから日本の方が商売がしやすいみたい」と聞いたことがあります。
さらに「ただ大阪だけはちょっと事情が違うけど…」とも。

この言葉が耳に残っているので、
都市はワイルドな部分が残っているほうが良いと考えています。

「巨大都市にもかかわらず平和で静かな環境を実現している点が高く評価された」というのは、
眼に見えにくいところで、
外部の人間によって深い闇のような空間が作られやすいということだからです。

2015-06-07

哲学するネコ

京都・南禅寺の重要文化財「三門」から見える新緑
京都・南禅寺の重要文化財「三門」から見える新緑=2015年6月7日
「京都で泊まるなら南禅寺界隈に限る」
これは「世界大恐慌」直前の1928(昭和3)年から7年間、
東京・千駄木に居をかまえて、
日本仏教美術を研究した英国人、ロバート・R・クラークがエッセイに書き残した言葉です。
クラークの『日本で見る東洋のかたち』は日本美術史を学ぶ学生の必読書です…。


…というのは嘘で、
そんな研究者は…たぶん…いないし、
おそらく、そんな本もないと思います。


僕が思いつきで書いたのですけど、
「南禅寺界隈」云々は僕にとって「真理」にも近い「真実」です。
まぁ、それも今朝、そうなったんで、
できたての「真理」です…。


今年は正月以降、まとも連休がとれなくて、
旅行もしていない、
近々には連休は難しそうなので、
土曜の午後と日曜の午前中が空いていれば、
大阪からなら手軽に一泊して、
観光気分を味わえる京都に行ってきました。

それも安上がりの会社の保養所です。

南禅寺の境内に面するくらいの感じにゆったり建っていまして、
往年の時代劇スター・「アラカン」こと嵐寛寿郎(1902~80年)の旧邸の敷地にあります。

確か、作家の遠藤周作(1923~96年)は灘中学(旧制)時代、
弟子入りを志願して京都のアラカンの家を訪ねたとエッセーで書いていたので、
それがここだったのかもしれません。

夜は大広間に面した庭にホタルが飛び交うそうで、
楽しみにしていたんですけど、
大浴場につかってから、
“あの”宿泊料金では考えられないほど豪華な夕食で、
機嫌よくビールをグビグビ飲んだら、
仮眠のつもりがそのまま爆睡…。

まぁ、そのリベンジっていうわけじゃないですけど、
朝食前、まだ観光客が来る前の早朝の南禅寺界隈を歩いたわけです。
「散策」という言葉は、
このためにあるというロケーションです。

それに、
梅雨だとは思えないほど、
さっぱりした天気で、
新緑の東山から、
ウグイスだかホトトギスだかの声も聞こえます。
(「ホーホケキョ」と「トッキョキョカキョク」の区別がつかない…)



京都・南禅寺

保養所から目と鼻の先の南禅寺の境内に入って、
重要文化財の「三門」の前を通り抜ければ、

「哲学の道」へと続きます。

哲学の道

ネコがいました!
思索しているような、していないような。
たぶん、していないですね。


「哲学の道」のネコ

あれ、またネコが…。

今は営業していない気配のレンガ造りカフェの入り口にある、
看板代わりのオブジェのようなワゴンがネコたちの住処(すみか)となっていました。

哲学の道のネコの住処

前に来たのは10年ほど前で、
こんな様子は記憶には残っていません。

エサやり用らしい皿も近くに整理されているし、
去勢済みを知らせるとみられる片耳の先が少し欠けたのもいるので、
近所の方が面倒をみている地域ネコかもしれません。

ジョギングや散歩をしている界隈の住人らしい方を警戒しないし、
この土地に溶けこんでいるのかも。

いずれにせよ、
「哲学の道」のネコは、
特別の意味を与えられている概念のように、
存在しているのでした。

2015-05-13

大阪の「未来像」


日本SF界の巨人のひとり、小松左京先生(1931-2011年)の著書『わたしの大阪』(中公文庫)には、

そのタイトルの通り、
大阪に関する先生のエッセーや論考が収められています。

小松先生は大阪市西区京町堀の生まれ。
ここで言う「大阪」とは取りも直さず、
現在の「大阪市」のことです。

それが一目瞭然の、この本のなかに、
1973年に書かれた「大阪の未来のために」という一文があります。

ここで、
関西は「京都、神戸、奈良といった、それぞれ一癖のある都市が近接していて」、
「関東における東京のように、政治、経済、文化的に図抜けた大中心に焦点をむすぶような所ではない」と、おっしゃっています。

さらに、
神戸市は「ミナト神戸」の性格をはっきりとさせ、
京都は学界・思想界に対する発言力で、
日本のなかにユニークな立場を保持し続けている、
としておられます。

これに対して、
「大阪という都市の性格がぼやけてしまっている」と指摘し、
「『都市としての性格・印象の曖昧さ』が大阪の『未来像』の予測を難しくさせているのである」と苦言ともとれる分析をされています。

結局、その後1994年の関西国際空港開港前あたりから、
お笑いやタコ焼きなどの「コテコテ文化」が大阪を語る場合のステレオタイプのイメージとして定着してきたような気がします。
大阪といえば、
テレビでは、
道頓堀のグリコやかに道楽の看板が象徴的な風景として登場します。

それはとても鮮明な原色の「絵」なのですが、
「未来像」の予測が難しいのは相変わらず…。
それどころか、未来の変化がさらに想像できにくくなっています。

そのように大阪(=大阪市)という都市の性格が曖昧なままで、
この地域を分割していいのでしょうか。

分割することによって、
「各区域」のそれぞれの性格が鮮明になり、
未来像が予測しやすくなったとしても、
京都、神戸に対峙する都市としてのパワーを持つことができるのでしょうか。

大阪が「関東における東京のように、政治、経済、文化的に図抜けた大中心に焦点をむすぶような所」になるのなら話は別かもしれません。

しかし、単に関西全体の東京化が進むだけならば、
この地域の文化も経済も痩せてしまうような気がしています。