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2018-01-03

祈り慎み思いきれ!

あけまして おめでとうございます。
初詣は大阪天満宮へ行って
おみくじを引くのが恒例になっています。
昨年は「大吉」。
一昨年は「末吉」。
その前は4年連続で「凶」というレアな体験をしました。

今年も引きました。
大阪天満宮のおみくじは
箱の中からゴルフボールよりふたまわりほど小さい木製のボールをつかみ出して、
巫女さんから、
その番号に該当する、おみくじをいただく方式です。

200円です。

今年は金色の文字の特製「大吉」が登場していました。
もうインスタ映え狙いが見え見えの趣向ですが、
僕も狙いましたよ、当然。

気合を入れて、
まず引いたのが「15」。
巫女さんがゆるく二つ折りにして
申し訳なさそうに渡してくれたので悪い予感…。

で、恐る恐る開くと……。

予感・的中……。
「凶」でした。
【ただ祈るべし】って…。

4年連続「凶」という記録を持っていますから、
「ドンマイドンマイ」と鷹揚に………。
……というわけにはいきません。
凶4連覇達成(?)当時はサラリーマンでしたが、
今はちょっと事情が違います。
気持ちの余裕?

ないです。

きっぱりと言いきれます。
「ない!!!!!」
縁起の悪いのは持ってのほか。

で、考えました。
「なかったことにしよう」

あったとしてもリハーサル、ウォーミングアップや。

2015-12-25

なぜ僕は「誰にでも好かれる人」が嫌いなのか。

元電気通信大学教授で、哲学者の中島義道(なかじま・よしみち)さんがお書きになった『私の嫌いな10の人びと』(新潮文庫)って本を読みました。

この本はタイトルがわかりやすいんで、目次を見ていただけば、まぁだいたいの内容はわかるっていう親切なつくりになっています。

その目次は…。
(1)笑顔の絶えない人
(2)常に感謝の気持ちを忘れない人
(3)みんなの喜ぶ顔が見たい人
(4)いつも前向きに生きている人
(5)自分の仕事に「誇り」を持っている人
(6)「けじめ」を大切にする人
(7)喧嘩が起こるとすぐに止めようとする人
(8)物事をはっきりと言わない人
(9)「おれ、バカだから」と言う人
(10)「わが人生に悔いはない」と思っている人
…となっています。
つまりこの10種類が中島先生の「嫌いな人びと」ってわけです。
ふだんから「誰にでも好かれる人」が大嫌いっていうのを広言している僕です。
この本の目次の人っていうのは誰にでも好かれる人を並べたショーウィンドウの説明書きのタイトルみたいなものなんで、僕もだいたいは嫌い。
だから買って読むわけなんですけどね。
同好の士(?)を見つけたい。

でも、なかには(5)自分の仕事に「誇り」を持っている人…なんていう僕の嫌いじゃない人も含まれています。
ですけど、この(5)の本文を読むと書き出しから…。
“正確に言うと、私は自分の仕事に、普通程度に誇りをもっている人が嫌いなのではなく、自分の仕事にセンチメンタルな生きがいと愛着をもっている人、しかもそれに何の自己反省も加えていない人に漠然とした違和感プラス反感を覚えるのです。だから「誇り」と括弧に入れたわけです”
…と説明されています。
僕も「あっ、それなら嫌い」となります。

僕がこの本を買った理由のひとつは僕はどうして「誰にでも好かれる人」が嫌いなんだろ、という疑問を解き明かしたいということがありました。

2015-11-26

吉田さんはヒツジだけどトラみたいです。

吉田羊(よしだ・よう)さんっていう女優さんがいらっしゃいますよね。
「ポカリスエット」や「サッポロ一番 グリーンプレミアム0」、ダイハツ「ムーヴ」、住友生命保険1UP」とか…他にもあったと思うけど、今年になってCMでの露出が目立つような気がします。

で、この方って「羊」って名前だから、たぶん干支は未(ひつじ)なんだろうなぁ、ってググったら、最初のページの右側に画像やら、ウィキペディアへの記述らしきものが出てきて、
「本名、吉田 羊右子」なんて表示されてました。
本名にも「羊」が入ってるんで、もう未年に間違いないと確信したけど、その下に…。

「生年月日: 1974年2月3日 (41歳)」とあります=画像参照。


えっ!「寅やん。僕と同じやん(もちろん僕が一回り上です。念のため)」と、勝手に親近感を覚えましてね、

そのままウィキペディアをクリックしましたよ。

そしたら、

2015-11-22

大阪W選と張子の虎

「十日戎」で始まる大阪の一年の祭りをしめくくることから「とめの祭り」ともいわれるという「神農祭(しんのさい)」に行ってきました。

日本の薬祖神「少彦名命(すくなひこなのみこと)」とともに、中国医薬の祖神「神農炎帝(しんのうえんてい)」をお祀りしているところから「神農さん」で親しまれている少彦名神社(大阪市中央区道修町)の例大祭で、毎年11月22、23の両日に行われています。

この「神農祭」の…というか、神社のシンボルともなっているのが張子の虎です。

詳細を知りたい方は同神社のサイトでみてください。

とにかくトラ年生まれなので阪神タイガースを応援してきた僕としては自分のためにあるような…と勝手に思っている…神社でして、神農祭にはここのところ、おまいりさせてもらっておりまして、張子の虎のついた五葉笹を毎年いただいています。

ちなみに僕は張子の虎がついた笹だと思っていたのですが、同神社のサイトによると、これは「五葉笹に付けた張子の虎」だそうで、虎がメーンのようです。

本日2015年11月22日は大阪府知事選挙と大阪市長選挙のダブル選挙の投票日。大事な時期の重要な選挙のはずなのに、何だかよくわからない不毛な選挙という印象ですけど、大阪府民である僕も投票を済ませ、去年いただいた笹…じゃなくて張子の虎を持って「神農さん」へ向かいました。


大阪市営地下鉄堺筋線・北浜駅から地上に出ると、神社の前からできた行列が堺筋をはさんで東から西に続いています。

2015-07-19

「他力」「自力」そして「無力」

「善人なをもつて往生をとぐ、いはんや悪人をや」の、いわゆる“悪人正機説”を知ったのは中学生のころだったと思います。
たぶん歴史の時間…、
鎌倉仏教のことを習ったときだったのでしょう。

浄土真宗の宗祖・親鸞が、まず悪人から救われると言ったということが『歎異抄』という書物に記されているというんですね。

当時は浄土真宗って危ない宗教なのか、と思ったくらいですけど、
でも、
京都には西本願寺とか東本願寺という有名で大きな寺があって、
母の実家も浄土真宗。
宗派が真宗という家も多いのに、
別に信者が積極的に悪いことをしているという話は聞いたことがない。
あったとしたら、
ニュースになっているはずですから、
この“悪人正機説”というのは、
なにかの寓意を含んだ逆説的なものだと、
考えたわけです。

でも、そうでもないことは、
『歎異抄』を読んで感じました。

2015-07-18

借り物の「物語」に踊らせていないだろうか

「あっ、これだったのか」と今ごろになって見つけました。

作家の村上春樹さんが、
中国、韓国に対する歴史認識の問題で、
<相手国が「すっきりしたわけじゃないけれど、それだけ謝ってくれたから、わかりました、もういいでしょう」と言うまで謝るしかないんじゃないかな。謝ることは恥ずかしいことではありません。細かい事実はともかく、他国に侵略したという大筋は事実なんだから>…と発言したということで、物議をかもしたインタビューの全体を初めて読みました。

47都道府県52新聞社のニュースと共同通信の内外ニュースを束ねた総合サイト「47NEWS」で公開されてまして、
聞き手は共同通信編集委員なので、共同通信の配信ですね。
日付けは2015年4月27日でした。

(上)(中)(下)の3部構成で、
「謝るしかない」に関係するところは全体のなかではほんの一部で、
全体のテーマの「村上春樹さん、時代と歴史と物語を語る」では付け足しのような印象を受けました。

僕が一番、関心を持って読んだのは、

2015-05-26

心配と不安

「われわれを最も疲れさせるのは、終わっていない仕事である」
=『魂の錬金術 エリック・ホッファー全アフォリズム集』(作品社)から。

つまり、やっていないことに疲れるわけで、
結果を出していないのに、
疲れるだけで、
仕事をした気になってしまうことは確かにある…僕の経験だけど。

『新約聖書』の「マタイによる福音書・第6章」も「思いわずらうな」と戒めている。

心配するなら、
もっと他にすべきことがあるということで、
不安で自分を苛(さいな)むことを免罪符にすることに何も良いことはないということなんでしょうね。

心配と不安に益はないってこと。

心配と不安は暇の産物なのかもしれない。

心配や不安が心をよぎるときは、
もっと他にすべきことがあるサインなんでしょうね。

それと依存心のあらわれ。

心配と不安が停滞の原因なのだとしたら、
究極で最悪の喜劇。

その証拠に心配と不安についての無駄さについて書いていると、
すべてが陳腐で、
分かりきった言わずもがなのことにしか思い浮かばなくてキリがない。

2015-05-20

「公害」の原因は親のしつけの悪さ?


この間、真っ昼間に大阪・千日前通の歩道を、

難波から日本橋の方へ東に向かって歩いていたら、
トラックの運転手らしき40歳くらいの男が車道脇の植え込みみたいなところに入って、立ち小便をしていました。

車道に背を向けていたんで歩道からは局部がまる見え…。

運転しながらよほど我慢ができなくなったのでしょうか…。

そうならば、もっと遠慮気味にやればいいのに、
堂々としていましたから、
この男には日常の習慣なのかもしれませんが、

最近の日本では珍しい光景です。

1990(平成2)年に祥伝社から刊行され、
93年に集英社文庫になった『毒舌 仏教入門』という今東光さんの著書があります。

この本に「日本人くらい行儀悪く立ち小便をする人種はおまへんのやで。外国へ行くと、残念ながらけったいなオッサンでも立ち小便はしていません。これはお出(い)でになればわかります。ほんとに口惜(くや)しいほど、あいつらは……」という一節があります。

今の若い方が読むと違和感を覚えるのではないでしょうか。
確かに、今でも立ち小便を堂々とやっていオッサンがいないことはないですけど、
酔っぱらいなんかがほとんどですよね。

でも1980年代半ばまでくらいは昼間でも、
やっているオッサンが極めて珍しいとはいえないのが実情だったような気がします。

少なくとも今よりははるかに多かった。
公衆トイレの整備が進んでいなかったことも理由のひとつなんでしょうけどね。

東光和尚は、この立ち小便の問題を公害の原因と絡めて語っておられます。

立ち小便の原因をたどれば、
親の教育が悪いからだ、とおっしゃっています。
つまり、子供が「おかあちゃん、おしっこ」というと、
子供だからというんで、
「そこでしときなさい」というような習慣がダメなんだというわけです。

東光和尚によれば、
公害も人間のしつけの問題だと断言し、
「しつけというのは、世の中、自分一人で生きているわけじゃない、人の迷惑になることはしちゃいけないっていうことでね。それが最低の社会人としての条件で、その先で人のために何をするかということになる」と説きます。

ものすごく当たり前のことなんですが、
某国からの観光客が街中で、
子供に立ち小便をさせたとかいう批判や、
原発はトイレのないマンションだ、といった意見が飛び交っている現代、色んな意味で示唆深いです。

もちろん、この立ち小便問題は、
地平線以外に何も見えないような大平原とか、
獣道すらないような密林の話ではなく、
人間が社会生活をおくる「まち」での云々される話ですよ。
ここで原理的すべての立ち小便が「悪」ということにすると、
また話が違ってくる。
東光和尚のおっしゃるように「人の迷惑」っていう範疇でのこと。

とはいえ、
ここの塩梅が大事で、
難しい。

地球って、つながってますからね、どのどの地域も。

で、
確かに経験的に沿って考えてみれば、
日本では、
立ち小便の減少に比例するように、
公害・大気汚染問題も解決してきたという気がします。

もし世の中の「汚れ」がが目立ってきているのだとしたら、
親のしつけが原因なのでしょう。

親の責任にすると、
「生まれてすぐ親を亡くした子供はどうなる!」
「社会の問題を家庭に押し付けるな」
…といった意見が聞こえてくるような気がしますが、
万が一、そのような声が本当にあるならば、
僕には心の貧しさを浮き彫りにしているように思えます。