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2015-11-22

大阪W選と張子の虎

「十日戎」で始まる大阪の一年の祭りをしめくくることから「とめの祭り」ともいわれるという「神農祭(しんのさい)」に行ってきました。

日本の薬祖神「少彦名命(すくなひこなのみこと)」とともに、中国医薬の祖神「神農炎帝(しんのうえんてい)」をお祀りしているところから「神農さん」で親しまれている少彦名神社(大阪市中央区道修町)の例大祭で、毎年11月22、23の両日に行われています。

この「神農祭」の…というか、神社のシンボルともなっているのが張子の虎です。

詳細を知りたい方は同神社のサイトでみてください。

とにかくトラ年生まれなので阪神タイガースを応援してきた僕としては自分のためにあるような…と勝手に思っている…神社でして、神農祭にはここのところ、おまいりさせてもらっておりまして、張子の虎のついた五葉笹を毎年いただいています。

ちなみに僕は張子の虎がついた笹だと思っていたのですが、同神社のサイトによると、これは「五葉笹に付けた張子の虎」だそうで、虎がメーンのようです。

本日2015年11月22日は大阪府知事選挙と大阪市長選挙のダブル選挙の投票日。大事な時期の重要な選挙のはずなのに、何だかよくわからない不毛な選挙という印象ですけど、大阪府民である僕も投票を済ませ、去年いただいた笹…じゃなくて張子の虎を持って「神農さん」へ向かいました。


大阪市営地下鉄堺筋線・北浜駅から地上に出ると、神社の前からできた行列が堺筋をはさんで東から西に続いています。

2015-05-31

病と政治


「高橋和巳(たかはし・かずみ)」と耳にしても、

30代より下の年代でピンとくる方はほとんどいないかも。

ジャイアンツの投手だったヒトじゃないですよ。
あれは、
「高橋一三」

小説家で中国文学者で京都大学の助教授もつとめました。
1971年、癌(がん)で亡くなりました。
享年39ですから、早逝といってもいいと思います。

小説『日本の悪霊』は黒木和雄監督で映画化もされました。

全共闘世代…いわゆる団塊の世代の支持を得た人物で、
僕が同志社に通っていた1980年代前半でも、
それなりに読まれていたという印象があります。
ただ、
毎日、ヘルメットをかぶった学生がキャンパス内でデモをしていたような“ガラパゴス”環境だったので、
世間一般の大学の事情とは違うかもしれません。

『高橋和巳エッセイ集「孤立無援の思想」』(旺文社文庫)に、
「思うに内臓の一部分、たとえば心臓がむやみに気にかかるという状態は、その人の心臓が病んでいることを意味するように、わたしたちにとって、政治のことが気懸りなのは、人間が人間の生活を律する自律的道徳から経済的調整にいたる幅の大きな部分に激しく病んでいる部分があることを意味する」
…という一節があります。

そして…
「しかし、もし幸運にも病苦を忘れうるなら、私は必ずしもその忘却や無関心を非難はしない」
…と続きます。

1963年に書かれています。
この文章に出てくる「政治」は、
別の言葉に言い換えられるでしょう。
たとえば、「政治」と不可分ですけどれど、
「国際関係」ですね。

もっと具体的な例では「福島第一原発事故」もそうでしょう。

ただ、高橋和巳はここでは、
「政治」に限定しています。
そのうえで、
「最大多数の最大幸福を意志する政治」は、
「百万人が前に向って歩きはじめているとき」に、
顔を覆って泣いて、その“行進”に参加しない脱落者を見捨てるが、
「文学者」は、
百万人の隊列の後尾で、
(理由はなんであるにせよ)「うずくまって泣く者のためにもあえて立ちどまるものなのである」と断言しています。

本来の高橋和巳の意図は別して、
僕にとって、
この文章の示唆するものは、

おおまかに2つあります。

「政治」の問題を解決するのは、
緊急避難的な弥縫策である場合が多く、
問題が解決したと見えても、
副作用があったり、
新たな火種を生んだりして、
人間の根源的問題は残るということ。

そして、
もうひとつは、
本当に病んでいる部分があるのに、
別のことに気を取られたり、
痛みが現実になっていなかったりするため、
忘却や無関心が起こるということ。

この2つを「文学者」ではない僕が、
自分なりに総合すると、
「政治」で改善できるのは弥縫策が奏効する問題がほとんどなので、
「政治」に依存せず、
「個人」が自律的に解決していくことが大切だけど、
今、自分に痛みがないからといって、
「政治」が解決できる問題に無関心であったり、
忘れてしまったりしてはいけないということ。

そして自分の身体を気遣うように、
「人間の生活を律する自律的道徳から経済的調整にいたる幅の大きな部分に激しく病んでいる部分」を意識することが大切なんでしょうね。

ちなみに、
床屋談義が盛り上がることを、
政治への関心の高まりと誤解してはいけないような気がしています。
先の「大阪都構想」の住民投票への議論は、
床屋談義の盛り上がりにすぎなかったかも。
「変化するか、しないか」ではなく、
「どのように変化するか」かが問われたのに、
投票が終わってみれば、
みんなが傍観者になっているような気がして…。

痛みのない変化はない。

「病」からの回復には痛みはつきものなんだと思います。

2015-05-19

「住民投票」の意味を誤解してないか!


一昨日の日曜(5月17日)に、

「大阪都構想」の是非を問う住民投票が大阪市で行われました。

結果はご存じのように、
「反対」が70万5585票で、
「賛成」69万4844票。
反対が賛成を1万741票上回り、
大阪市を廃止して5つの特別区に分割する案は否決されました。投票率は66.83%。

住民投票前に、
「反対派」からは「都構想は毒饅頭」という批判がありました。
とはいえ、
「都構想」が実現しなくても、
従前のままの大阪府・市政運営なら、
毒饅頭を食らったのと同じなのはいうまでもありません。
というより、
現状はすでに毒饅頭がお腹のなかにある状態で、
それをどのように、
うまく排泄するか、が問題になっていると考えるべきでしょう。

今回の「住民投票」で問われたのは、
財政危機状態の大阪府・市の状態を、
「変えるか」
「そのままにするか」
ではありません。

変化しなければ、
座して死を待つだけですから、
「どのように変化するか」が問われたわけです。

つまり「反対派」は大阪市を残したままで、
「変化する」ことを選んだことになります。

ここで「話が違う」と叫ぶ「反対派」がいたとしたら、
もう毒饅頭がすでに腹のなかにあるのに、
毒が回りかけていることに気づかない、
ゾンビ寸前のバカでしょう。

そこを理解していない「反対」は、
単なる利己主義です。
ここで誤解しないでください。
利己主義が悪いと言っているのではありません。
利己主義に無自覚だったとしたら、
問題だと申し上げているわけです。

一方、
50代以下では賛成が上回ったのに、
反対に回った60代以上の票が結果に大きく影響したといわれ、
「既得権」を守ろうとした“老害”を批判する声も聞こえてきます。

結局、各年代の投票率の問題になってくるような気がしますが、
それはさておき…。

賛否が拮抗したことで、
今後は二重行政の解消や、
財政の健全化の推進がこれまでにも増して注目されることになりました。

たとえば、
「都構想」が実現していた場合、
各特別区の住民は、
行政サービスの低下に神経質になり、
その対策に向けたコストがかさむ蓋然性は低くはなかったと思います。

反対派もネチネチと追及するでしょうから、
それをかわすコストが必要になってくる。
賛成派は行政サービスの低下はないと言っちゃったんですから…。

ところがですよ、
誰も痛みを感じない変化ってあると思いますか。

あるとしたら、
もう魔法の領域です。

普通のアタマで考えたらわかることで、
工夫もなし、
痛みもなしの、
従前の施策の漫然とした継続は大阪市の破綻を意味しますからね。

これまでの“実績”でも分かるように、
税収を増やそうとして、
行政が産業振興をしても、
それが結果に結びつかないことは鮮明です。

つまり支出の抑制・管理が行政と地元議員の最も大きな課題となります。
痛みが伴わないわけがない。

その流れのなかで、
高齢者への行政サービスを見直せという意見も出てきています。

もちろん過剰な福祉施策を縮小するのは当然ですが、
老人を悪人のように指弾して、
「敬老優待乗車証」などまで云々するのはいかがなもんでしょうか。

僕は短絡的な考えだと思います。

高齢者の社会保障費が負担の増加は、
過剰な医療・介護に大きな原因があるというのが僕の印象です。

医療や介護が適切な程度に配分されるような、
トリアージ(優先順位の判断)が必要で、
その能力を持つ「総合医」の幅広い配置がとても有効です。

これは自明のことなのですが、
実現を阻んでいるのは何か?

それを見極めましょう。

結局、
老人の介護が社会問題化するなかで、
家族の負担の軽減が安心や働く機会を増やすことになりますから、
老人が機嫌よく暮らせる町は、
それが魅力となるはず。

大阪なら高齢の両親と同居しても安心ということなら、
都市の求心力になります。

そうなれば人口減少にも歯止めがかかるきっかけにもなり、
子供も育てやすい環境になるのは必定です。

それはとりも直さず、
独身者が安心して老年を迎えることができる環境にもつながります。

ただフリーランチ(タダ飯)はない、
というのが経済の原則だということは忘れてはいけないだけでしょう。


2015-05-17

善し悪しの基準

自分の行動を選ぶ場合の基準として、
それをやれば後悔するか、どうか…というのがあると思います。

たとえば、
お酒を呑んでいて、
これ以上、呑むと二日酔いになるのは分かるわけです。
でも、呑んでしまって、、
翌日、3軒目はやめといたらよかったなぁ、とか、

お酒を呑んだあと、
ラーメンを食べると、
体に良いとは思えませんし、
太るし、
翌日、二日酔いに消化不良が加わって、
食べなければよかった、とか…いうケースですね。

もう後悔は必然なのに、
やってしまう。
不思議です。

ですから、
ある行動を選択すれば、
後悔するということが確実ならば、
やめておくべきことは言うまでもありません。

当たり前の話です。

考えてみれば、
こんな明確な基準があるのに、
なぜ、それをもとにした行動の選択が簡単にできないうえ、
選択を間違うのか…、
それが不思議なくらいです。

つまりまぁこれは、
意志の力、
克己心の問題ですよね。

はい、わかっています。

難しいのは「後悔するかもしれない」という場合です。

「かもしれない」という不確定性が大きいことについて選択を迫られたときですよ。

これにはいろんなパターンがありますよね。

たとえば、
もうこれ以上、呑んだら、
二日酔いして後悔するのはわかっているけれど、
めったに呑めない珍しいお酒を出されて、
呑まなければ、後悔するかもしれない場合とか…。

あっ、これはもう味がわからなくなっているから、
呑まなくてもいいかも…。

う~ん、
別の例を探すと…。

たとえば、
命にかかわるかもしれない病気の治療方法の選択で、
ものすごく高価な薬を飲んだら、
完治するかもしれないけど、
副作用が強いうえに、
治ることが確実でない場合。

もしかしたら、
その薬を服用すると、
後悔するかもしれないけれど、
服用しなくても後悔するかもしれないという状況ですね。

つまり、リスクをどう考えるか。

絶対的な後悔が確信されることは、
回避するのが当然です。

しかし、不確定で確信できない場合はしかり。
そこに責任が絡んでくるとまた、
ややこしい。

結果的に後悔はしても、
個人として結果の責任を負わされるのを回避しようと、
画策すれば、
原則論に沿うのが一番、正しい選択になります。

ものすごく単純に言えば、
「平和」「平等」「護憲」「弱者救済」「争いの否定」を軸にして、
物事を語っていれば、
それは「正論」で、
異論は邪気が絡む、こじつけとか、
利己心を源にする考えとして受け付けなければいい。
無難です。


さしずめ、
日本の状況で考えると、
保守勢力の主張はほとんど間違っていて、
中国、韓国、北朝鮮の言うことが概ね正しいと主張するのが一番安全ですよね。

そのような考えを信条として持っていて、
批判はされても、
命の危険は少ない。
でも、
万が一、
日本が今後、中国の傘下に置かれるようなことになったら、
「おまえはこういう考えを流布していたよね」ってことで、
無難ではない反対の思想・信条を持っている人間は肉体的に粛清される可能性もありますから、
とりあえず、中国の主張に真っ向から反対しないのが安全です。

第二次世界大戦で敗戦国になって、
戦時中のスタンダードが否定された“教訓”もあります。

…というわけで、
きょう(2015年5月17日)は、
大阪都構想の是非を問う住民投票の日です。
これこそ、
どちらを選んでも「後悔するかもしれない」象徴的な選択という印象もあるのですが、
もしかしたら、
どちらかが選ばれることによって、
明らかに、
後悔するというよりも、
自分自身が「損」をする、
つまり、
選択の結果によって、
後悔というよりも、
自身の利益・不利益が明確な人たちばかりの声が大きいような気がします。

つまり、
ほとんどの人間には、
結果にかかわらず、
実質的な影響の少ないことに、
巻き込まれているだけかもしれません。

そのような改革は、
結果も期待してはいけないんでしょうね。

2015-05-15

大阪の独立心

元産経新聞記者で「国民的作家」ともいわれた司馬遼太郎さん(1923-1996年)の著書のひとつに『十六の話』(中公文庫)がある。

日本や宗教、歴史への思いなどを書いた「十六」の文章を収録している。

その中に1987(昭和62)年に発表された「大阪の原形」と題された一文がある。副題は「日本におけるもっとも市民的な都市」という。

大阪市浪速区生まれの司馬さんは学徒動員で入隊していたときと、
産経新聞京都支局などで新聞記者生活をしていた数年間以外、
そして終の棲家となる東大阪市の自宅に転居するまでは、
大阪市内で暮らした。

この文章は出だしで、
「私は大阪に生まれた。
以降、六十四年間もこの街に住んでいる」
…とあるが、
「いまの大阪市が所在するあたりは、古代…」といった表現でもわかるように、
「原形」が論究されている「大阪」とは現在の大阪市域のこと。

「四天王寺」が造営された593年ごろから、
明治時代までの大阪の歴史的ななどに焦点を当てて、
この都市のかたちを探っている。

たとえば、転換点とは石山本願寺の“落城”(1580年)や、
豊臣秀吉によって日本の経済の中心地となったことなどである。

その流れのなかで徳川時代に、
ひとびとが独立心を共有しあっていたことを重視する。

幕府の直轄領で、
「北組」「南組」「天満組」からなる「大坂三郷」で形成され、
市政実務のほとんどは自治組織が受け持っており、
168あった橋のうち、
公(国)によって建造されたのは12だけで、
残りはすべて民間からの寄付で建造・維持する「町橋」だったという。

さらに町人による学校「懐徳堂」(1724-1869年)も作られ、
富永仲基(1715-46年)や山片蟠桃(1748-1821年)といった思想家も学んだ。

富永仲基は大乗仏教(日本仏教)は真に釈迦の教えを源流としているか、
ということを考察し、
論理的に釈迦の教えではないと結論づけた。
その方法論は現代でも通用する先駆性があったことは、
疑いの余地はなく、
山片蟠桃も日本が鎖国していた当時にすでに地動説をとなえたことで知られている。

余談だが、
2年ほど前、
学生時代から僕が行きつけにしている京都・出町柳の居酒屋で、
偶然、隣にすわった英国人男性は、
この大乗非仏論を表した富永仲基の著書『出定後語』の英訳者だった。
この方から、
この本のレベルの高さをあらためて教えられたことがある。

司馬さんは、
この2人の登場にも象徴されるように、
日本の近代は明治維新(1868年)によって開幕したのではなく、
18世紀からすでに始まっていたと考える。

しかし、歴史の流れのなかで、
明治維新早々の大阪は、
その先駆性が無視された。
制度の改革のなかで「灯の消えた家と同然となった」と司馬さんは表現する。

その後の大阪は、
「ほとんど建てかえられたのも同然」で、
「その努力は政府によるものというよりも、このまち自体の工夫と努力によるものである」とする。

大阪には「市民」が独立心を発揮して、
工夫と努力で事態を改善する底力があるようだ。
そしてその力は、この地に今も受け継がれていると信じる。

制度の変革よりも、
工夫と努力で活きる町なのだ。

「都構想」は「市民」の工夫と努力を復活・醸成させる土壌となり得るのだろうか。


2015-05-13

大阪の「未来像」


日本SF界の巨人のひとり、小松左京先生(1931-2011年)の著書『わたしの大阪』(中公文庫)には、

そのタイトルの通り、
大阪に関する先生のエッセーや論考が収められています。

小松先生は大阪市西区京町堀の生まれ。
ここで言う「大阪」とは取りも直さず、
現在の「大阪市」のことです。

それが一目瞭然の、この本のなかに、
1973年に書かれた「大阪の未来のために」という一文があります。

ここで、
関西は「京都、神戸、奈良といった、それぞれ一癖のある都市が近接していて」、
「関東における東京のように、政治、経済、文化的に図抜けた大中心に焦点をむすぶような所ではない」と、おっしゃっています。

さらに、
神戸市は「ミナト神戸」の性格をはっきりとさせ、
京都は学界・思想界に対する発言力で、
日本のなかにユニークな立場を保持し続けている、
としておられます。

これに対して、
「大阪という都市の性格がぼやけてしまっている」と指摘し、
「『都市としての性格・印象の曖昧さ』が大阪の『未来像』の予測を難しくさせているのである」と苦言ともとれる分析をされています。

結局、その後1994年の関西国際空港開港前あたりから、
お笑いやタコ焼きなどの「コテコテ文化」が大阪を語る場合のステレオタイプのイメージとして定着してきたような気がします。
大阪といえば、
テレビでは、
道頓堀のグリコやかに道楽の看板が象徴的な風景として登場します。

それはとても鮮明な原色の「絵」なのですが、
「未来像」の予測が難しいのは相変わらず…。
それどころか、未来の変化がさらに想像できにくくなっています。

そのように大阪(=大阪市)という都市の性格が曖昧なままで、
この地域を分割していいのでしょうか。

分割することによって、
「各区域」のそれぞれの性格が鮮明になり、
未来像が予測しやすくなったとしても、
京都、神戸に対峙する都市としてのパワーを持つことができるのでしょうか。

大阪が「関東における東京のように、政治、経済、文化的に図抜けた大中心に焦点をむすぶような所」になるのなら話は別かもしれません。

しかし、単に関西全体の東京化が進むだけならば、
この地域の文化も経済も痩せてしまうような気がしています。

2015-05-09

「安定志向」を初ナマ体験

写真右端が福田恵さん、前列右が藤京子さん…のはず

もう、まことに有り難い話なのでございます。


関西のナレーター界のドンともいわれる、
あの、畑中ふうさんが、
毎週土曜日(午後5時~同7時)
、阪急うめだ本店9階の祝祭広場からナマで発信されている、
ネットラジオ「RADIO HAFUU」に呼んでいただいたのでございます。

テーマは、
「どないなん都構想!? 住民投票一週間前やでSP」。

大阪の女性公務員漫才女性コンビで、
演劇活動もされている「安定志向」(藤京子さん&福田恵さん)さんらと、
ご一緒させていただき、
もう誠に感謝なのでございます。

畑中さんの、この番組に呼んでいただくのは、
昨年3月に続いて2度目。

2度目のチャンスを与えていただいたわけです。

畑中さんの期待に応えられたかはさておき、
いろんな方と共演できて、
嬉しかったわけでして、
「安定志向」さん以外の方もいらっしゃったのですが、
残りはおっさんばかりで、
あまり覚えていないのでございます。

Ustreamで生動画も配信させたそうなんですが、
誰かご覧になった方はおられるのでしょうか。

とりあえず、
僕的には「事件」だったので、
深い意味もなく、
ブログに書いてしまう次第です。

テーマについての結論はもちろん出るわけもないのですが、
結局、
政治家や行政に関係なく、
「民間」の自主・自律・自立が大切だという真っ当な結論に落ち着いた気がします。

なにか、オチめいた気の利いた終わり方はないかと、
悩んでいるのでございますが、
何も思いつきません。

正直を申しますと、
誠に失礼なことで「安定志向」さんのことを存じ上げなかったのですが、
泥縄でググって記事やら動画やらを拝見しました。

現役公務員が漫才コンビをやっているという、
意味や意義は大阪にとって、
なかなか意義のあることのような気がしました。

大阪が、一皮むけるヒントがありそうな予感がするわけです。

そこのところをうまく文章で表現したいのですけれど、
きょうは、
もう時間切れ、ということで!

2015-05-05

サバのあたま

2015年5月5日の道頓堀。もちろんサバではなくコイです

きょうは5月5日です。

端午の節句、「こどもの日」です。

午後からカラダがあいたので、
「大阪都構想」の是非をめぐる住民投票で話題の大阪市の街なかをブラブラしました。

地下鉄堺筋線・日本橋駅から地上に出て、
道頓堀の川岸を歩き、
あとは三休橋筋を軸にジグザクに北上し、
北浜界隈では、
緒方洪庵(1810-1863年)が江戸時代に開いた蘭学私塾「適塾」やら、
その西隣りにある、
1880(明治13)年に開園した市立愛珠幼稚園なんかを見ました。
この幼稚園は現存する木造の幼稚園園舎としては日本で最も古くて、
国の重要文化財にも指定されています。
もともとは地元の町会連合が創設し、
世界的にも評価が高い前衛美術集団「具体美術協会」を創設した吉原治良(1905-1972年)も通っていました。

もちろん去年3月、「大阪証券取引所」から名前が変わった「大阪取引所」も見た…というか、前を通りました。
世界で初めて現在の通じる商品先物取引市場が起こったのは大阪でした。

で、
三休橋筋の突き当たりが、中之島…。
民間人の寄付をもとに建設された大阪市中央公会堂=1918(大正7)年竣工=です。

ちなみに三休橋筋って、
英語の「Thank you」にもつながる感じがいいですね。
「Thank you Avenue(サンキュウアベニュー)」という愛称にして、
なんかできそうですけど、
もう誰かが試みたことがありそうですね。

それはさておき、です。
歩きながら、
頭に浮かんだのは、
作家の藤本義一さん(1933-2012年)の「サバのあたま」の話です。

サバというのはサカナのサバ、サバを読むのサバです。

阪神大震災の年(1995年)の6月、
大阪・天満で開催された「日本芸能再発見の会」発会式で、
藤本さんは芸能や文化を捨てられた「サバのあたま」…。
つまり、アラにたとえました。

ハエが寄ってきて、ウジがわく。またそのウジがハエになっての繰り返し。一時は不潔に見えるが、時が経つと立派な骨格標本になる。つまり、現状では認められているものも、
発生当初から、芸能や、文化や、といわれるのは無理な話で、
異臭を放つ中で昇華されてきた…という意味の話でした。

僕はビジネスも同じだと思いました。

ゼロベースの温床のなかから、
異臭や腐臭を放ちつつも、
産み出す環境や力が必要だと感じたんです。

西洋の学問でも、
幼児教育でも、
先物取引でも、
前衛美術でも、
最初は何か、
胡散臭いものだったはずです。

でも、それをちゃんと実績にする力があったんですね、大阪には。

それは前例のないことでも、
チャレンジする自主性、自立自律の気概があって、
ウジでも腐臭でも許容する、
本当の意味での産み出す力があったと思うんです。

たぶん、
今の大阪は、
その力の遺産で生きているような気がしました。
そして、
遺産を実力として錯覚していただけで、
かつてのような産み出す力を持った土壌は痩せて枯れてきていると実感した
…ような気がしました。


たぶん政治家や行政に期待すること自体が、
間違っている。
大阪が今、沈滞しているのは行政の責任ではなく、
生活や仕事をしている人間の責任なのは間違いありません。
政治っていうのは、
よほど非道な独裁でない限り結局、
本質的な責任は取ってくれないんですよね。
選挙に落ちて撤退するだけですから。

だから、
大阪府・市だって、
制度改革をしても、
弥縫策でしょう。

住民が自主的に産み出す力を取り戻さなければ、
どうしょうもありません。

考えてにれば、
当たり前のことですけど、
制度が変わっても、
依存心が勝ったままでは、
何も産み出せないのは当たり前です。

政治家や行政に期待している時点で、
大阪は、
本来の大阪ではないのでしょうね。

2015-04-28

大阪都構想と「大大阪」


現在の大阪市を廃止して5つの特別区を設けるいわゆる「大阪都構想」の賛否を問う住民投票がきのう4月27日(2015年)に告示されました。


大阪市選挙管理委員会のwebサイトによると正式には、
この住民投票は「特別区設置住民投票」というようです。

投票日は5月17日。

僕は大阪市民ではないので、
投票権はありませんが、
大阪市に勤務先がありますし、
「大阪都」になるかもしれない「大阪府」の住民なので、
もちろん関心はあります。

「大阪市」がなくなってしまうのか、存続するのか、
考えてみれば、というか、
考えてみなくても歴史的な投票ですね。

だから関心も「もちろんある」どころか、
「もうめちゃくちゃある」。

僕の「大阪都構想」への賛否は、
ここではひとまず置くとして、
1冊の本を読み始めました。

法制史・日本史研究者、三浦周行(みうら・ひろゆき、1871-1931年)の『大阪と堺』(岩波文庫)です。

「都構想」が話題になり始めた何年か前に買っていたのに、
まだページも開いていませんでした。
いよいよ、真剣に読むときが来たという感じでしょうか。

「中世の大阪」「町人の都」など5つの論文で構成されています。

1925(大正14)年、大阪市が当時の西成・東成の両郡全域を合併し、人口211万人の世界で6番目に人口の多い、日本一の大都市となった頃に著された文章です。

いわゆる「大大阪時代」の幕開けの時期、
大阪市は当時の東京市をしのいでいたのです。

今や夢…嘘のような話です。
が、
歴史的な事実だったのですね。

もちろん単純に、
「大きいことはいいことだ」
とは思いません。
チョコレートじゃないんですから…。
(この意味がわかるヒトはどれくらいいるのかしらん)


しかし、
東京一極集中による、
地方の空洞化が問題になるなかで、
「大阪都構想」は、
その解決策になるのか。

また喫緊の課題ともいえる大阪府・市の「借金」軽減に役立つのか。

そんなことを考えるヒントとして、
この本を読み始めるわけです。

機嫌よく暮らすためには、
環境は大切です。
どんな環境にも適応して、
「住めば都」と感じるのが正解だとはいえ、
あえて環境の悪いところに住むのが本末転倒なのは言わずもがな。

「5・17」が歴史的な転換点になるのか。

そんなことを意識つつ、
このブログでは、
「大阪」についても、
僕なりに考えていくつもりですので、

今回は、
そのプロローグということで…。