産経新聞の神戸支局や大阪の社会部、文化部で記者やデスクを経てデジタルメディア担当専門委員としてwebメディア編集長をつとめました。2015年10月から海外向けSP会社の取締役として第2の社会人生活を始めました。趣味はトロンボーン(和名:伸縮自在真鍮製曲金発声器)や落語鑑賞など。ITパスポートと2級FP技能士資格あり。JAZZと落語とコロッケが好き。 和歌山市出身。大阪・千里在住。
2015-05-12
「一人」は悪か?
頭山満(とうやま・みつる)という方がいらっしゃいました。
以下すべて敬称略。
小林よしのり著『大東亜論 巨傑誕生編』(小学館)によると、
1908(明治41)年に「冒険世界」という雑誌が募集した「現代豪傑」の人気投票ではダントツの1位で、
戦前の日本では知らない者がいないほど、
国民的人気があったそうです。
生まれは1855(安政2)年で、亡くなったのが1944(昭和19)年。アジア主義の政治団体「玄洋社」の総帥でもありました。
心身統一法を広める「天風会」の創始者で、
京セラ創業者の稲盛和夫が師事したといわれる、
中村天風(1876-1968年)が、
玄洋社の頭山のもとに預けられていたことがあるということで、
名前を知っている方も多いようです。
きょう(12日)、保坂正康著『戦後の肖像 その栄光と挫折』(中公文庫)の「頭山満」の項を読みました。
この本で「まるで雲をつかむような人物像であった」と書かれているように、
伊藤博文をすら恐れさせたほどのエピソードもありながら、
その実像がよくわかりません。
先に引用した小林よしのりの『大東亜論 巨傑誕生編』も、
頭山に焦点を当てた漫画なのですが、
読んでも、その影響力の源泉は「雲をつかむような…」という形容が最も腑に落ちるというのが僕の感想です。
頭山の評伝では松本健一著『雲に立つ 頭山満の「場所」』(文藝春秋)がよく知られていて、
著者は「原像としての頭山満を描き終えて、今後はもう、右翼とは何かというテーマでものを書くことはないだろう、という気がしている」とまで書いていますが、
僕の読解力不足で、
この本を読んでも「雲をつかむような…」状態のままです。
とはいえ、もちろん虚像だったわけはなく、
これらの本を読めば、
実像としての存在感がさらに迫ってくる人物です。
また、どの本を読んでも、
生涯、無位無官で通し、カネに執着せず、私心がない人物だったということは明確です。
そして、
最も僕の心に残っているのは、
『雲に立つ』に書かれていた言葉です。
頭山が玄洋社の若者によく言っていたという
「一人でいて淋しくない人間になれ」
…というのが、その言葉。
この本が刊行されたのが1996年です。
僕は刊行されてすぐに買ったはずなので、
今から19年前に、
初めて読んで以来
「一人でいて…」という言葉が頭に刻まれて、
たぶん何百回ではおさまらないほどに反芻しています。
松本健一も解釈はしていますが、
それはさておき…。
「一人でいて淋しくない人間」とは、
どのような人間なのか、と折々に自問してきました。
この「一人」は、
欧米の「個」や「我」の概念とは違い、
東洋的な老荘思想や、
「我」を否定した仏教が輪廻転生について唯識論が説明した「主体」とも重なりにくい気がします。
つまり宗教的で大きなものに任せる受身的なものではなく、
能動的で明確な意志の“かたち”ではないか、
と考えているのです。
安楽や往生を求めない姿勢なのかもしれません。
ただ「淋しい」ということが、
苦しく辛いものであるのは確かなので、
「一人」でも「淋しくない」状態とは、
生き方のひとつの境地なのは間違いないようです。
最近、
一人で淋しいことを恐れ、嘆き、忌み嫌う空気が蔓延していて、
息苦しくないですか。
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