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2016-09-02

ピカピカじゃないけれど、1年生になりました。

「発心」というほどのものじゃないですけど、
浄土真宗本願寺派が運営している「中央仏教学院」(京都市右京区)の「通信教育」部で勉強をすることにしました。

昨日(2016年9月1日)は、西本願寺で入学式が行われました。

中央仏教学院は1920(大正9)年に創立された僧侶養成学校です。

1972(昭和47)年に「通信教育」が開設され、現在は僧侶としての道に進むための専修課程(3年間)▽浄土真宗や仏教の学習を体系的に学ぶ学習課程(3年間)▽基本的な教えを1年間で学ぶ初歩的な入門課程―の3コースがあって僕は学習課程を選びました。

今年の入学者は日本全国はもとより海外も含めて512人。国宝の阿弥陀堂で行われた入学式にはこのうち約180人が参加しました。

このあと同寺内の伝道本部の大会議室で、同学院の北塔光昇(きたづみ・みつのり)学院長や大八木正雄(おおやぎ・まさお)通信教育部長の基調講演、学習指導があって約4時間で終わりました。

北塔学院長によると、
今年は熊本の新入生が例年に増して多いそうで、
地震での被災をきっかけに人生を新たに見つめなおそうという方がいらっしゃるようだとのことでした。

運命的…というと大袈裟ですけど、大八木部長のお話は僕に「ご縁」を強く意識させました。

西本願寺の境内。写真手前が国宝「阿弥陀堂」で、奥が同じく国宝「御影堂」=2016年9月1日、京都市下京区

2015-07-19

「他力」「自力」そして「無力」

「善人なをもつて往生をとぐ、いはんや悪人をや」の、いわゆる“悪人正機説”を知ったのは中学生のころだったと思います。
たぶん歴史の時間…、
鎌倉仏教のことを習ったときだったのでしょう。

浄土真宗の宗祖・親鸞が、まず悪人から救われると言ったということが『歎異抄』という書物に記されているというんですね。

当時は浄土真宗って危ない宗教なのか、と思ったくらいですけど、
でも、
京都には西本願寺とか東本願寺という有名で大きな寺があって、
母の実家も浄土真宗。
宗派が真宗という家も多いのに、
別に信者が積極的に悪いことをしているという話は聞いたことがない。
あったとしたら、
ニュースになっているはずですから、
この“悪人正機説”というのは、
なにかの寓意を含んだ逆説的なものだと、
考えたわけです。

でも、そうでもないことは、
『歎異抄』を読んで感じました。

2015-05-20

「公害」の原因は親のしつけの悪さ?


この間、真っ昼間に大阪・千日前通の歩道を、

難波から日本橋の方へ東に向かって歩いていたら、
トラックの運転手らしき40歳くらいの男が車道脇の植え込みみたいなところに入って、立ち小便をしていました。

車道に背を向けていたんで歩道からは局部がまる見え…。

運転しながらよほど我慢ができなくなったのでしょうか…。

そうならば、もっと遠慮気味にやればいいのに、
堂々としていましたから、
この男には日常の習慣なのかもしれませんが、

最近の日本では珍しい光景です。

1990(平成2)年に祥伝社から刊行され、
93年に集英社文庫になった『毒舌 仏教入門』という今東光さんの著書があります。

この本に「日本人くらい行儀悪く立ち小便をする人種はおまへんのやで。外国へ行くと、残念ながらけったいなオッサンでも立ち小便はしていません。これはお出(い)でになればわかります。ほんとに口惜(くや)しいほど、あいつらは……」という一節があります。

今の若い方が読むと違和感を覚えるのではないでしょうか。
確かに、今でも立ち小便を堂々とやっていオッサンがいないことはないですけど、
酔っぱらいなんかがほとんどですよね。

でも1980年代半ばまでくらいは昼間でも、
やっているオッサンが極めて珍しいとはいえないのが実情だったような気がします。

少なくとも今よりははるかに多かった。
公衆トイレの整備が進んでいなかったことも理由のひとつなんでしょうけどね。

東光和尚は、この立ち小便の問題を公害の原因と絡めて語っておられます。

立ち小便の原因をたどれば、
親の教育が悪いからだ、とおっしゃっています。
つまり、子供が「おかあちゃん、おしっこ」というと、
子供だからというんで、
「そこでしときなさい」というような習慣がダメなんだというわけです。

東光和尚によれば、
公害も人間のしつけの問題だと断言し、
「しつけというのは、世の中、自分一人で生きているわけじゃない、人の迷惑になることはしちゃいけないっていうことでね。それが最低の社会人としての条件で、その先で人のために何をするかということになる」と説きます。

ものすごく当たり前のことなんですが、
某国からの観光客が街中で、
子供に立ち小便をさせたとかいう批判や、
原発はトイレのないマンションだ、といった意見が飛び交っている現代、色んな意味で示唆深いです。

もちろん、この立ち小便問題は、
地平線以外に何も見えないような大平原とか、
獣道すらないような密林の話ではなく、
人間が社会生活をおくる「まち」での云々される話ですよ。
ここで原理的すべての立ち小便が「悪」ということにすると、
また話が違ってくる。
東光和尚のおっしゃるように「人の迷惑」っていう範疇でのこと。

とはいえ、
ここの塩梅が大事で、
難しい。

地球って、つながってますからね、どのどの地域も。

で、
確かに経験的に沿って考えてみれば、
日本では、
立ち小便の減少に比例するように、
公害・大気汚染問題も解決してきたという気がします。

もし世の中の「汚れ」がが目立ってきているのだとしたら、
親のしつけが原因なのでしょう。

親の責任にすると、
「生まれてすぐ親を亡くした子供はどうなる!」
「社会の問題を家庭に押し付けるな」
…といった意見が聞こえてくるような気がしますが、
万が一、そのような声が本当にあるならば、
僕には心の貧しさを浮き彫りにしているように思えます。