2015-07-18

借り物の「物語」に踊らせていないだろうか

「あっ、これだったのか」と今ごろになって見つけました。

作家の村上春樹さんが、
中国、韓国に対する歴史認識の問題で、
<相手国が「すっきりしたわけじゃないけれど、それだけ謝ってくれたから、わかりました、もういいでしょう」と言うまで謝るしかないんじゃないかな。謝ることは恥ずかしいことではありません。細かい事実はともかく、他国に侵略したという大筋は事実なんだから>…と発言したということで、物議をかもしたインタビューの全体を初めて読みました。

47都道府県52新聞社のニュースと共同通信の内外ニュースを束ねた総合サイト「47NEWS」で公開されてまして、
聞き手は共同通信編集委員なので、共同通信の配信ですね。
日付けは2015年4月27日でした。

(上)(中)(下)の3部構成で、
「謝るしかない」に関係するところは全体のなかではほんの一部で、
全体のテーマの「村上春樹さん、時代と歴史と物語を語る」では付け足しのような印象を受けました。

僕が一番、関心を持って読んだのは、

<先日「アルジェの戦い」という1960年代に作られた映画を久しぶりに見ました。この映画では植民地の宗主国フランスは悪で、独立のために闘うアルジェリアの人たちは善です。僕らはこの映画に喝采を送りました。でも今、これを見ると、行われていること自体は、現在起きているテロとほとんど同じなんですよね。それに気づくと、ずいぶん複雑な気持ちになります。
 60年代は反植民地闘争は善でした。その価値観で映画を見ているから、その行為に納得できるのです。でも今、善と悪が瞬時にして動いてしまう善悪不分明の時代に、この映画を見るととても混乱してしまう>という部分でした。

村上さんのような世代が見ても、そうなんだという驚きがありました。

僕の周囲の村上さんと同じ「団塊の世代」のオジさん、オバさんの多くは、
発言から判断すると、
今でも喝采を送る気がしたからです。

村上さんは、その言葉に続けて、
<今いちばん問題になっているのは、国境線が無くなってきていることです。テロリズムという、国境を越えた総合生命体みたいなものが出来てしまっている。これは西欧的なロジックと戦略では解決のつかない問題です>と語っていて、
本当にその通りだと思います。

経済のグローバル化や、インターネットの普及・発達もあって、
テロリズムだけでなく、
その他にも「国境を越えた総合生命体みたいなもの」ができてしまっているような気がするからです。

その中で、
「主権国家」という枠組み同士で考える「集団的自衛権」とか「個別的自衛権」なども、可逆性や可塑性が複雑に入り混じって変化しているので、定義が難しくなっているのが現実だと思います。
「スキマ」なんて埋め尽くせるものではありません。

さまざまな国・地域に、さまざまな国・地域の人間が暮らし、
情報をやりとりしていて、
所属する企業・団体などの組織との関係を考えれば、
常時、互いの関係が変化しているような状態です。

村上さんが指摘されているように、
「西欧的なロジックと戦略では解決のつかない問題」はかなり広範囲に及んできているような気がします。

そういう意味では東アジアで、
「脱亜入欧」の旗印のもとで、
西欧化された日本には独特の歪みが出てきていると想像されます。

たとえば、
欧米では近代的医学とともに、
伝統医療も併存して、
それなりの社会的な存在感もあるのに、
日本の場合「西洋医学信仰」が本場よりも強いと感じるのは僕だけではないはずです。

世界中で一番、おいしいイタリア料理やフランス料理が食べられるのは東京かもしれないといった説すらあるように、
日本は過剰に受け容れる部分と、
受け容れていないことを自覚していないくらいに理解できてないことの幅が非常に広いと思うんです。

つまり柔軟な部分と、そうじゃない部分が極端。

一方、インタビューのオウム真理教について語った部分で、
<オウム真理教の人の語る物語は、本当の自分の物語というよりは、借り物っぽい、深みを欠いた物語であることが多い>と、
オウム信者への感想を述べています。

そして、オウム教祖の麻原彰晃と信者との関係に言及しサリンテロについて、
<麻原が信者に与えたこのような物語はいうなれば 悪 (あ) しき物語です>と指弾します。

ところで、
憲法については「護憲」か「改憲」かで両極端になることが多いですよね。
そして、
「安保関連法案」に関してマスコミやネットなどを通じてながれてくる賛否の意見も大雑把なものほど増幅されて拡散していないでしょうか。

どうも、
それは、
借り物の深みを欠いた悪しき物語に僕らが知らない間に毒されているからのような気がします。

日本に住む僕らは借り物ではない自分の物語を意識的に持たないといけないのではないでしょうか。
つまり、今、持っている物語は借り物ではないかと自分に問う姿勢が大切になってきているということです。

「アルジェの戦い」のように50年が過ぎれば、見方が変わる映画もあるのですから、
自前だと思っていたものが実は借り物に変わっていたってこともあるかもしれません。

悪しき物語を駆逐するためにも、
「自分の物語」を紡いでいく必要がありそうです。

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