1984(昭和59)年ですから、
もう30年以上前の昔。
面接で「あなたは自分のことを運がいいと思いますか?」って質問されることが何度かあったんです。
今みたいにたくさんの会社をまわるわけじゃないので、
もしかしたら2度くらいだったのかもしれません。
パナソニック創業者の松下幸之助翁が採用面接のときに、
学生に、これと同じことを聞いて「運がいい」と答えたら採用したそうなんですよね。
もし知っていたら「もう運がいいです。運だけで生きてきましたぁ!!」ってむちゃくちゃ自信を持ってアピールしたはずです。
でも、運悪くか良くかどうかは別にして、
そんな幸之助翁のエピソードを知らなかったんです。
で、
正直のところ、
「運」なんてものが良くても努力して実力がないとダメだと信じていました。
しかし、僕は「運」が良かったんです。
いろんなところで友達から「お前はホンマに運だけで生きてるなぁ。狡(こす)いわ!」と言われ続けてました。
受かるはずにない試験に合格したり、
恐いヒトにどつかれてボコボコにされてもしょうがないような状況でも奇跡的に難を逃れたり…。
死んでるはずが生きていたり…。
実力に裏付けられない結果が出ることが多くて、
ちょっとビクビクして生きていたくらいです。
だから面接で、
運がいいかどうか聞かれても、
正直に答えることが得策だとは思えませんでした。
しかし、
うまい嘘もつけなかったので、
「運がよくて、それに助けられてきたのは確かですが、
実力をつけて、、
運が悪い状況ても良い結果を出せるようにしていきます!」みたいなこと答えてました。
今から考えれば、
馬脚を表したときの事前の言い訳みたいなもんで、
ホンマは実力がありませんねん…と言っていたわけです。
でも、
その結果が悪かったという記憶はないので、
面接するほうも、
「運がいいっていうんなら、まぁいっか」という感じだったんだと思いますね。
で、
その質問が幸之助翁をルーツにしていると知ったのは、
たぶん三十も過ぎたころ。
ポジティブシンキングとかがヤケにもてはやされていたころで、
バブルが弾けたあとでした。
それ以降は何にも考えず、
以前、このブログでも、
日本の戦後の発展は「天祐」みたいなもんだったみたいってことを、
作家の陳舜臣先生の言葉を借りて書いたかもしれないけど…。
戦後の日本の繁栄がまさに馬脚を鮮明をしている今、考えると、
これまでは「運」と「まぐれ」がごちゃごちゃになっていたんじゃないでしょうか。
株で成功したっていうヒトが、
自分の成功体験を本にして書いているけど、
結局、大損こいて退場したっていうのは珍しくない話で、
これは明らかに「まぐれ」。
まさに、
50人に「株」は上がる、別の50人に下がるとメッセージを送って、
上がったら、
今度は前者の50人のうち半分に「上がる」のこり半分には「下がる」と教える。
次また上がったら、その前に上がったと伝えた半分に「上がる」、のこりに「下がる」と連絡する、
それと同じことをあと2回繰り返せば、
ものすごく儲かった成功者3人くらいが産まれて、
メッセージの主は株のカリスマになってしまうという、あの手口も、
「まぐれ」を利用した詐欺みたいなもんですよね。
確か、『まぐれ―投資家はなぜ、運を実力と勘違いするのか』(ナシーム・ニコラス・タレブ著)にも、そんな例が出てました。
同じようなことが戦後の日本にも起こっていて、
「天祐」のなかで、
「まぐれ」を実力と勘違いしている年寄りがまだ跋扈(ばっこ)しているのかも…と邪推してみるわけです。
やはり、
「まぐれ」は問題外だとしても、
「運」も実力で裏打ちしておないと、
「まぐれ」に近いものになってしまうに違いないですよ、きっと。
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