ラベル 動楽亭 の投稿を表示しています。 すべての投稿を表示
ラベル 動楽亭 の投稿を表示しています。 すべての投稿を表示

2015-05-18

繁昌亭で「お囃子JAZZ」初体験

「お囃子JAZZ『音伎噺』」CDジャケット

きょうは仕事帰りに、

天満天神繁昌亭に行ってきました。

お囃子JAZZ~音伎噺」CD発売記念落語会を拝見拝聴してきたんです。

大阪で唯一「女道楽」(三味線慢談)を継承し、
平成24(2012)年度「文化庁芸術祭大衆芸能部門大賞」に選ばれた内海英華さんと、
日本のJAZZトロンボーン界の重鎮中の重鎮、宗清洋さんが中心となって、
和洋折衷の音楽活動を繰り広げているメンバー総勢8人が出演する舞台で、
前半が演奏、後半が落語と女道楽。

グループのフルネームは、
「内海英華with宗清洋と粋(すい)~てすとさうんど」です。

和楽器は三味線と、噺家さんの横笛、太鼓や小鼓などの鳴り物、
洋楽器はトロンボーンのほかドラムス、ベース、ピアノという編成で、英華さんがヴォーカルもつとめます。

2005年12月から「お囃子JAZZ」として活動されていたそうなんですけど、
誠に面目ないことに、
僕が、その存在を知ったのは、
先週木曜(5月14日)でした。

大阪・動物園前の寄席「動楽亭」で手にした月刊の「上方落語情報フリーペーパー よせぴっ」を読んで「何それ!」となったわけです。

JAZZトロンボーン関係のライブ情報は把握しているつもりだったのに…。
トロンボーンを始めたは2006年9月からなのに…。
ゴッド(神)の異名もとった宗清さんの存在はもちろん存じ上げていたのに…。

「お囃子JAZZ」は全く僕の情報網をすり抜けていたのです。
不覚としか言いようがない。

…というわけで、
先週末、繁昌亭に前売り券を買いにいったら、
1階席はソールドアウト…。
2階席も最後列に空きがあるのみ…。

「みんな知ってたんや…」

愕然としましたね。

「トロンボーン主義」とか言っているのに、
情けない話で、
ものすごい敗北感。

常に網を張っているつもりでも、
大事な情報が抜け落ちることがあるのは経験的に知っていたけど、
見事に取り逃がしたというか、
新聞的に言うと、
自社だけネタが紙面に出ない「特オチ」をした気分です。
大げさでなく、真面目に…。

それはさておき、
じゃぁライブはどうだったか。
今、会場で買ったCDをBGMにしていますけど、
想像をはるかに超えてよかったです。

「イン・ザ・ムード」などのビッグバンドJAZZの定番や、
エレキギターといえば、この曲ともいってもいい「ダイヤモンド・ヘッド」をはじめ、
誰でもが耳にしたことのある俗曲の「深川」が、
いい塩梅にアレンジされて、
とってつけたような不自然さが全くありません。

そもそも、
邦楽ってハーモニーという概念とは無縁だと思っていたのだけど、
三味線と横笛とトローンボーンとピアノの音がちゃんとハーモニーになっているのが驚いた。

正確にいうと、
あんまり自然にハーモニーになっていたので、
驚くのを忘れているのに気づいたのが遅くて、
それに驚きました。

これまでも邦楽と洋楽のコラボは聴いたことはあったのだけど、
洋楽器が邦楽を、
和楽器が洋楽を演奏していることを意識させるものが多くて、
それはそれで楽しいのだけど、
きょうのお囃子JAZZは違いました。

どう、たとえればいいんでしょう。

近いのは…
「えっ、アロハシャツって、
もともとは日本の着物の生地だったの?」みたいな感じかな。

食べ物でいうと、
「チョコレートとかビスケットだとかは外国のお菓子だったけど、
『きのこの山』って日本のお菓子だよね」みたいな?

宗清さんと英華さん以外の出演メンバーと口演された落語は次の通りです。敬称略。

中嶋俊夫(ドラムス)=澤雅一の代演▽笠松聡也(ベース)▽石田ヒロキ(ピアノ)▽桂枝女太(太鼓)=「転失気(てんしき)」▽桂阿か枝(鳴り物)=「子ほめ」▽笑福亭喬若(笛)=「野ざらし」

2015-05-07

名人はあの世からでも…

2015(平成27)年5月7日の動楽亭(大阪・動物園前)

暦のうえでは、

今年のゴールデンウィークはきのう(6日)で終わりでした。
でも、暦にあまり関係のない僕はきょう(7日)が代休でして、
今月初めて大阪・動物園前の寄席「動楽亭」に行ってきました。

ちょっと仕事めいたものが長引いて、
開演の午後2時を数分過ぎたあたりに入りました。
連休も終わったので、
ガラガラかと思いきや、
約60ある席はほとんど埋まっていて、
僕は最後尾列のパイプ椅子でした。

中入り前の開口一番の前座から3番目に上がったのが、
今年3月19日に亡くなった桂米朝師(享年89)の弟子で長男の、
桂米團治さん。

マクラで、父であり師匠でもある人間国宝のことを“ネタ”にされました。

だいたい、平日にはそんなにお客さんは多くない寄席なのですが、
この日は米朝師の息子の米團治さんを見たいということで、
ほぼ満席になった空気を読まれたのか、
「こんなにたくさんの方が来てくだったのも、
米朝が亡くなった、お陰でして」と、
ブラックなのに、
そんな空気を感じさせずに笑いをとってから、
3月25日、大阪・吹田市で営まれた葬儀の話題に入ったのでした。

もともと、
米朝師は3年ほど前に自分の葬儀は家族葬で、
と希望しておられたそうですが、
まず一門が大人数で、
家族とそうでない方の線引きが難しい…。
さらに葬儀に(桂)文枝さんがいらしたら、
帰ってもらうわけにはいかないでしょう?
「そうやなぁ」と当時の米朝師…。
(笑福亭)鶴瓶さんが来はったら
「それは帰ってもろて…」と笑いをとりながら、
結局、1500人が参列する大きな式になったと説明。

米團治さんを喪主とする親族(中川家)、
米朝事務所、
一門の3者によって営まれ、
一門は米朝師の直系弟子最年長の桂ざこばさん(67歳)と、
月亭可朝さんが代表をつとめられたそうです。
可朝さんは、
3代目林家染丸師の弟子を経て米朝師に再入門し、
一時は2代目小米朝を襲名していた一門の最年長(77歳)なのです。

可朝さんの式での挨拶は、
「あの世」の師匠に呼びかける内容だったみたいで、
話が進むに連れてユニークさが増したようでした。
会場の前から3列目に座っていて、
金髪で誰が見ても、それとわかる春風亭小朝さんが声を出して笑ったことで、
やっと周囲の方々も「笑ってもええんやな」という空気になり、
笑いが巻き起こるなか、
ざこばさんが子供のように大泣きしていて、
まさに松竹新喜劇の泣き笑いの世界だったとのことです。

しかし、まぁ、
亡くなったあとも多くの方から笑いをとり、
そして笑った人々も、
それが供養になると納得できる…。
この世の人でなくなっても、
落語の名人、そして生き方の名人ですね。

「生きる名人」については、
僕もいろいろと定義とか条件とかを考えていますけど、
仕事という軸があって、
それが生きることと一体になり、
…ということが代表的な一例だと思っています。

たぶん、それは仕事でなくてもいいんでしょうね。

極めるに足る信じられるものをお持ちになっていて、
それが他人様(ひとさま)にも喜んでもらえるものならば言うことはありません。

この流れで行くと、
まず何か、極めた「軸」が重要になってきそうですが、
本当に大切なのは、
他人様が喜んでいただけるかどうかではないでしょうか。

僕は最近、他人様に喜んでいただくことに勝る快感はないのではないか、と考えるようになってきたからです。

とはいえ、
ただ、存在しているだけで、
他人様に喜んでもらえるようになるというのは、
本当に難しいことでして、
方法が想像もつきません

近道のひとつが芸や仕事などを追求することのような気がします。
つまり、
ものすごくハードルが高いわけです。

ただ、もちろん、それは一例で、
全く違ったスタイルで、
機嫌よく生きて死んでいく方法もあるのでしょう。

たとえば、
全く他人と関わらず、
自分の内側だけで悟りを開いたように生きて死ぬ……。

でも僕には社会のなかで自分以外と無縁で孤独に機嫌よく生きて死んでいく素質はないようです。

他人とつながろうとすればするほど、
「自分」とか「我」といったものへの過剰な意識をなくしていくことが必要だと思うようになってきましたし…。

これは、自己犠牲とか、
誰にでも好かれる善人を演じることとはもちろん違うようです。

2015-04-23

「THE 米朝」


桂米朝さんが亡くなったのが先月19日ですから、

もう、ひと月以上…前のことなんですね。

「ひと月以上」のあとに「も」をつけるかどうかが微妙です。

「もうそんなになるかな」という思いと、
花見の季節を、またいだせいか、
訃報に驚いたのが、
ずいぶん前のようにも感じる気持ちが交じり合います。

昨晩そんなことを考えながら、
DVDとCDが各1枚で2枚組になった「THE 米朝」を観て聴きました…きょうびのことですから、
Amazonで買って家で視聴したわけです。

DVDには「百年目」<NHK「夜の指定席」=大阪厚生年金会館中ホールで収録、昭和57(1982)年4月16日放送分>と、
「本能寺」<毎日放送「特選落語全集」=コスモ証券ホールで収録、平成10(1998)年10月25日放送分>、

CDには「地獄八景亡者戯」<平成2(1990)年4月22日、京都府立文化芸術会館で収録>が入っています。

まずDVDです。
もう、これは笑いながらビジネスの勉強もできるようになっているんです。
さすが人間国宝です。僭越ながら感心しました。

「百年目」は米朝さんの十八番といわれるネタのひとつ…。
ここに仏教のことも交えながらリーダー論と、商売の機微が織り込まれており、
「なるほど!」と膝を何回も叩きすぎて痣(あざ)ができるほど。

僕は、このネタを大阪・動楽亭で2回、
桂ざこばさんが口演するのを聞きました。

ざこばさんは、
親子にも似た大旦那と番頭の関係を、
師匠の米朝さんと自分に重ねてアレンジしておられました。

ざこばさんは内弟子修業時代、皮膚病にかかっていたとき、
米朝さん自身が臭い薬を、ざこばさんの背中に塗ってくれた思い出を大旦那と番頭の昔話として織り込んで
師弟の人情の機微を強調されており、
米朝さんとは、また違った魅力があります。

そんなことも重ねて、
米朝さんの「百年目」を拝見すると、
落語の面白さを再発見したようで嬉しい気にもなります。

「本能寺」は芸能やスポーツなどのエンターテインメントビジネスに関わる方は必見でしょう。
集客方法の細かい部分まで昔の知恵の再利用を提案してくださっています。

「百年目」も「本能寺」も、
それぞれに僕が感心した「役に立つビジネス情報」は、
まとめて整理して、
ここで再現することもできますが、
米朝一門への営業妨害になるので、
やりません。
ぜひ、実際に視聴してください。

「地獄八景亡者戯」も興味深いです。
その時々の時事ネタなどのニュースをからめるというのが、
昔からの趣向らしく、
このCDでは当時、大阪・鶴見で開催中の「花の万博」会場で起きたウォーターライドの事故のことなどが織り込まれています。
つまり、
口演当時の世相なんかも分かる仕組みです。

僕は米朝さんが亡くなった3月19日も、
その翌日も動楽亭に行ってました。
両日とも、
米朝さんの弟子で長男の米團治さんが出演されていたんです。
僕は米朝さんが亡くなる直前と、
その後の最初の米團治さんの噺をナマで聞くことができました。

そのご逝去後、初の高座で、
米團治さんが演じたのが「地獄八景亡者戯」の前半。
さっそく亡くなったばかりの米朝さんが登場されて、
米團治さんと再会し、
「お前がここに来るのは百年早い!」と一喝されるというサゲでした。

CDで米朝さんの「地獄八景…」を聞くと、
亡くなった落語の名人たちが演じる寄席に、
「桂米朝近日来演」という看板があがっていることになっていまして、
米團治さんはその部分を伏線にして、
演じておられていました。

親子による壮大な大仕掛けみたいなものも感じるわけです。
「とうとうほんまに来ますでぇ」という笑いに変えておられましてね、
このネタは、
レクイエムでもあり、
死ぬこともそう悪くない…という遺族への慰めでもあるのかもしれません。

僕はこの日、前日のプライベートとは違って、
仕事半分で駆けつけたんですが、
開演直前に携帯が亡って、
文化部のデスクから、
童話作家の今江祥智先生が亡くなったことを知らされました(享年83)。

社会部時代から、
お世話になって、
もう20年以上…。
今江先生がご自身の活動をまとめて、
2013年の11月に上梓された、
『子どもの本の海で泳いで』(BL出版)にも、
僕のことを書いてくださっていました。

神戸で開かれた、この本の出版記念パーティーで、
お会いしたのが最後になりました。

訃報を聞いたとき、
まさに、
頭を棍棒で殴られたようなショックで、
ほんとに「ガーン」という音が聞こえたほどでした。

せめてもう一度、お会いしたかったのに…。
…と後悔しても遅い。
落語は耳に入る情況ではなくなっていました。

でも、
月亭八光さんを含めて、
高座に上がった噺家のみなさんが、
しんみりとではなく陽気に、
人間国宝を偲んでおられるのを聞いていると、
少し落ち着いてきました。

そして、
今江先生が米朝さんの弟子の桂枝雀さんのファンだったことなどを思い出して、
米團治さんの口演を聞いていますと、
現世と、あの世の境界もなくなったような気になり、
先生の笑顔が思い浮かび、
落語という芸の有り難さも実感したのでした。