履歴書をつくってもらうために代書屋に来た松本留五郎が“主人公”です。
生年月日を言ってください、と言われたら「セーネンガッピ」と言ってしまうような人物ですから埒(らち)が明きません。
代書屋が「一体お幾つですねん?」と聞くと自信満々で「26です」と答えるのですが、代書屋は怪訝(けげん)な顔で「どう見ても40過ぎてまっせ」。だいたい、ここで客席からは笑いが起こりますね。
留五郎が、親父が死ぬ間際に、そう教えてくれたと言い張ると、小さめの笑い声が上がり、代書屋が「親父さん、いつ死なはったんです?」と聞くと「さあ、今朝もそれ、嬶(かか)と話することだっせ。『早いもんやなあ、おい、親父が死んでもう20年になるでェ』言うて」で大爆笑というような噺です。
年齡といえば、記者時代に取材で困ったことが何度もありました。日本の新聞って、だいたい取材相手の年齡を入れるんですね。芸能人なんかで公表していない場合や、ご覧になるとわかりますけど、政局、海外の政治経済のニュースなんかは別にして、だいたい年齡は入ってます。プロスポーツ選手の年齡をいちいち入れているのなんて日本くらいかもしれません。
駆け出しのころ、イベント取材なんかでコメントを取った来場者の年齡を聞き忘れてデスクに怒られた経験を持つ記者は少なくないはず。
想像してもらえるでしょうけど、困るのが女性でした。
年齡を聞くと、「いくつに見えるぅ?」と逆に質問されるのがよくあるパターン。
まぁ50歳くらいだなと思ったら「45、6歳くらいですか?」みたいな感じで、切り返したり、話の流れによっては「18歳くらいですか?」と言って相手も爆笑というパターンがあったり…。
なかには60歳くらいに見える方に「53歳くらいですか」と聞いたら、向こうは「ああ嬉し!そう書いといて!」と、なかなか本当のことを教えてくれず肝心の取材よりも年齡を聞き出すほうが時間がかかったっていうこともありました。
それから若く言ったつもりがピッタリなこともあって、こういう場合、相手は「さすが記者さん、鋭いわねぇ」と口では褒めながらも不快感を隠すのに懸命になっているのがわかるときは冷や汗でした。
70歳を越えると個人差が大きいので、わかりにくくなってくるとはいえ、性別に関係なく首筋や手、顔の肌の具合、身体のニクの付き方で年齡はわかってしまいますけど、最近はわかりにくくなってきたのも事実。30代後半だと思っていたら「来月50になりますとかね」
…というわけで、いったい僕は何歳くらいに見えるんだろうと気になる年頃になりました。それは取りも直さず若いってことには価値があるからなんでしょうね。
紋切り型のたとえですけど、いま20歳のヒトはこれから1兆円でも2兆円でも稼げる可能性はありますけど、60歳の大富豪が1000兆円を積んでも20歳には戻れませんもんね。万が一、科学の力で実現したとしても精神までは若くするのは無理でしょうし…。
ただ胸に手を当てて考えてみたら(本当は当ててませんけど…)、たとえば20歳に戻りたいか、と言われたら、即座にハイ!とも言えないなとも思いました。微妙です。
参考文献:「上方落語 桂枝雀爆笑コレクション〈4〉萬事気嫌よく」(ちくま文庫)
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