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2015-08-04

江戸の「手段」上方の「目的」

近所の「イオン」の特設コーナーで、
本の安売りをやってまして、
そこでDVDも置いてました。
DVD「幻の名人落語 柳家小さん(1)」っていうのがあったので、
買いました。
演題は「猫久」と「粗忽の使者」。
小さん師と、立川談志師の対談や、
談志師の解説も収録されています。

その中で談志師は、
落語の「笑わせる」というのは「手段」であって、
「目的」は人間を語ること…人情…人間の業(ごう)を語ることだとおっしゃってます。

落語っていうのは、
芸術なんだな、と思いました。

もちろん談志師の場合、その手段のレベルが高くて、
ものすごく笑わせてくださったわけですけどね。

しかし、です。
その「手段」論は江戸落語だけのものかもしれません。
もしかしたら談志師だけの思いかもしれません。
でも談志師にはお弟子さんもいらっしゃいますし、
ファンも多いので、
その「手段」と「目的」を支持される方は少なくないのだと思います。

一方、上方落語はどうでしょう。

2015-07-25

「やせ我慢」の美学の落とし穴

『桂米朝 私の履歴書』(日経ビジネス文庫)を読みました。
戦後「滅びた」とまで言われた上方落語を再興させた米朝師の足跡が描かれています。
米朝師にも、高座にお呼びがかかったのに散髪代もなかった時代があったんですねぇ。
着物にも困った時期もあって、
先に舞台に上がった兄弟弟子に借りるため、
足袋と肌じゅばんで楽屋で待っていたとか…。

しかし、
「好きで飛び込んだ芸の世界。端から見たら惨めでも、本人には落語三昧の天国だ」そうです。
自分の仕事を「天国」と言えるのは、
まさに「天国」ですね。
実際、あんまり苦労話は出てきません。

2015-07-02

虎の威を借る軽業師?

「動物園」という落語があります。

明治時代にできた落語だそうで、
「移動動物園」の呼びもののひとつだったトラが死んでしまった。
これでは客の入りに影響が出るので、
死して皮を残すという言葉の通り、
残ったトラの皮を人間が着ぐるみのようにして、
中に入り、檻のなかで見せ物になるという噺です。

いくらなんでも、あのトラの皮を着ぐるみにやなんて、
そんなことができるわけがない。
でもまぁ落語のことなんで…と深くは考えていなかったのです。

ところが、
『上方落語 桂米朝コレクション7 芸道百般』(ちくま文庫)の「軽業」の速記の項で、米朝師が書いた〈口上〉によりますと…

2015-06-01

「ユリイカ」の「桂米朝」特集


久しぶりに「ユリイカ」を買いました。
知らない方も多いでしょうけど、
「ヤリイカ」とか「スルメイカ」とは関係ありません。
お造りにしたら、
醤油にワサビでもショウガでもいけそうですが、
「詩と批評」の月刊誌です。

正直の話、もう休刊とか廃刊になっているのでは、
と思っていまして…。

不謹慎にも、
乾物のほうの「スルメ」が頭に浮かんできてしまいました。

最近、書店の文芸雑誌のコーナーに行くこともほとんどなかったし…。
大学時代とか就職して文化部勤務のときは、
けっこう読んでいたのですけどね。

そんな意識の範疇外になっていた雑誌を手にしたのは、
6月号が「桂米朝」特集だったからです。
「ユリイカ」が「米朝」特集をしていたのを知ったのはネット上で、
たまたま。
もう少しで一生気づかなかったかもしれません。

勤務先の大先輩、先輩も執筆なさっていました。

何よりインタビューがたっぷりあるのがいいです。
桂ざこば師、桂米團治師、月亭可朝師、上岡龍太郎師…。
特に可朝師には「毒舌」とも言ってもいい内容もあって、
テレビなんかではオンエアできないかもという部分も…。

小学校教諭をされているお孫さんが大学の卒業論文を改稿された「米朝一門の師弟愛」という記事には、
内弟子生活のスケジュールのほか、
お弟子さんから見た「米朝」像などがアンケート形式でまとめられて、
普通にはない趣向です。

僕はナマの高座は2回しか見たことがないのですが、
この特集を読むと、
「米朝」という人間がすごく立体感を帯びてくるというか、
もしかして近くで拝見したら、
こんな顔にはどのような皺(しわ)があって、
匂いはこういう感じで…と思えるような内容です。

亡くなって、
さらに生きている。

まさに「名人」のお手本ですね。

米團治師が、
「落語というのは想像の芸ですから、落語会に足を運んでいただいてもいいし、録音を聴いていただいても、本で読んでいただいてもいいのです。どんなスタイルであれ自分の頭のなかに世界が描ける。落語というのは庶民の日常、市井が描かれている作品がほとんどです。ああ、今日も生きてきてよかったな、きょうも平凡やけど、幸せやったなと言いながらいつしか死んでいくという、本当に日常なんだけども平和で幸せな空間のお話なんです。落語の世界の奥深さ、嫌なひとの出てこない、みんなでなんとかしようやという現世肯定のひとの生きざまの世界です。それを想像できる芸なので、どんなかたちでもいいから、なかなかいいものですよ、よかったら落語の世界に首を突っ込んでみてください」
…とおっしゃっています。

米團治師が「庶民」かどうかは別にして、
当たり前だけの説明なんですけど、
落語の魅力を伝える良い言葉ですね。


2015-05-08

「げん」の話


生きていると、

驚くことはよくあるもので…。
…といっても、
死んだら驚くことがないかどうかは、
死んだ経験はないので、
わからないのですが、
とりあえず、
「生きていると」と、
紋切り型でやってみる次第です。

きょう『桂米朝コレクションI 四季折々』(ちくま文庫)という本を読み始ました。

米朝師の落語を収めたシリーズ全8巻の第1巻でして、
『けんげしゃ茶屋』『正月丁稚』など11のネタで構成されています。

それぞれの噺の前に〈口上〉として、
米朝師の解説があります。

もうその、のっけから驚きました。

知っている方は知っているのでしょうか、
「げんが悪い」とか「げんをかつぐ」とかの「げん」。

ふだん、何も考えず使っておりまして…。
もちろん、

他の言葉はそんなに深く考えて使っているというわけでもないのですけれど…。

気弱な人間なもので「げん」は気にしていたのに、
「げん」という言葉は気にしてなかったという頼りない話です。

〈口上〉によれば、
「この『げん』という言葉も『ぎえん』――縁起をさかさまにした洒落(しゃれ)ことばです」。

驚くでしょ?

僕なんか、何にも考えず、意識せずに使ってました。


「えんぎ」のさかさまなら「ぎんえ」ではないでしょうか?…と人間国宝に聞くのは、もうそれこそ、げんの悪いことで、
何より、もう米朝師はこの世にはいらっしゃらないのですから、
聞きようもありません。

いずれにせよ、
縁起でもないことを忌み嫌って、
それに障(さわ)りのあるような言葉とからめるときは、
さかさまにして念を入れる、
言葉を大切にしていた証拠ですね。

「言霊(ことだま)」とはよく言ったものです。

日本は言霊の幸(さき)わう国ですね。

もちろん、
グローバリズムがどうのといわれる時代に英語が大切なことはよくわかりますけど、
まず、自分の言葉の「芯」になるものはしっかりとさせておきたいものです。

たぶん、そうでないと、どんなにたくさんの言語ができても、
何も語れないのかもしれません…というのも、
オチとしては今ひとつですね。

2015-05-07

名人はあの世からでも…

2015(平成27)年5月7日の動楽亭(大阪・動物園前)

暦のうえでは、

今年のゴールデンウィークはきのう(6日)で終わりでした。
でも、暦にあまり関係のない僕はきょう(7日)が代休でして、
今月初めて大阪・動物園前の寄席「動楽亭」に行ってきました。

ちょっと仕事めいたものが長引いて、
開演の午後2時を数分過ぎたあたりに入りました。
連休も終わったので、
ガラガラかと思いきや、
約60ある席はほとんど埋まっていて、
僕は最後尾列のパイプ椅子でした。

中入り前の開口一番の前座から3番目に上がったのが、
今年3月19日に亡くなった桂米朝師(享年89)の弟子で長男の、
桂米團治さん。

マクラで、父であり師匠でもある人間国宝のことを“ネタ”にされました。

だいたい、平日にはそんなにお客さんは多くない寄席なのですが、
この日は米朝師の息子の米團治さんを見たいということで、
ほぼ満席になった空気を読まれたのか、
「こんなにたくさんの方が来てくだったのも、
米朝が亡くなった、お陰でして」と、
ブラックなのに、
そんな空気を感じさせずに笑いをとってから、
3月25日、大阪・吹田市で営まれた葬儀の話題に入ったのでした。

もともと、
米朝師は3年ほど前に自分の葬儀は家族葬で、
と希望しておられたそうですが、
まず一門が大人数で、
家族とそうでない方の線引きが難しい…。
さらに葬儀に(桂)文枝さんがいらしたら、
帰ってもらうわけにはいかないでしょう?
「そうやなぁ」と当時の米朝師…。
(笑福亭)鶴瓶さんが来はったら
「それは帰ってもろて…」と笑いをとりながら、
結局、1500人が参列する大きな式になったと説明。

米團治さんを喪主とする親族(中川家)、
米朝事務所、
一門の3者によって営まれ、
一門は米朝師の直系弟子最年長の桂ざこばさん(67歳)と、
月亭可朝さんが代表をつとめられたそうです。
可朝さんは、
3代目林家染丸師の弟子を経て米朝師に再入門し、
一時は2代目小米朝を襲名していた一門の最年長(77歳)なのです。

可朝さんの式での挨拶は、
「あの世」の師匠に呼びかける内容だったみたいで、
話が進むに連れてユニークさが増したようでした。
会場の前から3列目に座っていて、
金髪で誰が見ても、それとわかる春風亭小朝さんが声を出して笑ったことで、
やっと周囲の方々も「笑ってもええんやな」という空気になり、
笑いが巻き起こるなか、
ざこばさんが子供のように大泣きしていて、
まさに松竹新喜劇の泣き笑いの世界だったとのことです。

しかし、まぁ、
亡くなったあとも多くの方から笑いをとり、
そして笑った人々も、
それが供養になると納得できる…。
この世の人でなくなっても、
落語の名人、そして生き方の名人ですね。

「生きる名人」については、
僕もいろいろと定義とか条件とかを考えていますけど、
仕事という軸があって、
それが生きることと一体になり、
…ということが代表的な一例だと思っています。

たぶん、それは仕事でなくてもいいんでしょうね。

極めるに足る信じられるものをお持ちになっていて、
それが他人様(ひとさま)にも喜んでもらえるものならば言うことはありません。

この流れで行くと、
まず何か、極めた「軸」が重要になってきそうですが、
本当に大切なのは、
他人様が喜んでいただけるかどうかではないでしょうか。

僕は最近、他人様に喜んでいただくことに勝る快感はないのではないか、と考えるようになってきたからです。

とはいえ、
ただ、存在しているだけで、
他人様に喜んでもらえるようになるというのは、
本当に難しいことでして、
方法が想像もつきません

近道のひとつが芸や仕事などを追求することのような気がします。
つまり、
ものすごくハードルが高いわけです。

ただ、もちろん、それは一例で、
全く違ったスタイルで、
機嫌よく生きて死んでいく方法もあるのでしょう。

たとえば、
全く他人と関わらず、
自分の内側だけで悟りを開いたように生きて死ぬ……。

でも僕には社会のなかで自分以外と無縁で孤独に機嫌よく生きて死んでいく素質はないようです。

他人とつながろうとすればするほど、
「自分」とか「我」といったものへの過剰な意識をなくしていくことが必要だと思うようになってきましたし…。

これは、自己犠牲とか、
誰にでも好かれる善人を演じることとはもちろん違うようです。

2015-04-23

「THE 米朝」


桂米朝さんが亡くなったのが先月19日ですから、

もう、ひと月以上…前のことなんですね。

「ひと月以上」のあとに「も」をつけるかどうかが微妙です。

「もうそんなになるかな」という思いと、
花見の季節を、またいだせいか、
訃報に驚いたのが、
ずいぶん前のようにも感じる気持ちが交じり合います。

昨晩そんなことを考えながら、
DVDとCDが各1枚で2枚組になった「THE 米朝」を観て聴きました…きょうびのことですから、
Amazonで買って家で視聴したわけです。

DVDには「百年目」<NHK「夜の指定席」=大阪厚生年金会館中ホールで収録、昭和57(1982)年4月16日放送分>と、
「本能寺」<毎日放送「特選落語全集」=コスモ証券ホールで収録、平成10(1998)年10月25日放送分>、

CDには「地獄八景亡者戯」<平成2(1990)年4月22日、京都府立文化芸術会館で収録>が入っています。

まずDVDです。
もう、これは笑いながらビジネスの勉強もできるようになっているんです。
さすが人間国宝です。僭越ながら感心しました。

「百年目」は米朝さんの十八番といわれるネタのひとつ…。
ここに仏教のことも交えながらリーダー論と、商売の機微が織り込まれており、
「なるほど!」と膝を何回も叩きすぎて痣(あざ)ができるほど。

僕は、このネタを大阪・動楽亭で2回、
桂ざこばさんが口演するのを聞きました。

ざこばさんは、
親子にも似た大旦那と番頭の関係を、
師匠の米朝さんと自分に重ねてアレンジしておられました。

ざこばさんは内弟子修業時代、皮膚病にかかっていたとき、
米朝さん自身が臭い薬を、ざこばさんの背中に塗ってくれた思い出を大旦那と番頭の昔話として織り込んで
師弟の人情の機微を強調されており、
米朝さんとは、また違った魅力があります。

そんなことも重ねて、
米朝さんの「百年目」を拝見すると、
落語の面白さを再発見したようで嬉しい気にもなります。

「本能寺」は芸能やスポーツなどのエンターテインメントビジネスに関わる方は必見でしょう。
集客方法の細かい部分まで昔の知恵の再利用を提案してくださっています。

「百年目」も「本能寺」も、
それぞれに僕が感心した「役に立つビジネス情報」は、
まとめて整理して、
ここで再現することもできますが、
米朝一門への営業妨害になるので、
やりません。
ぜひ、実際に視聴してください。

「地獄八景亡者戯」も興味深いです。
その時々の時事ネタなどのニュースをからめるというのが、
昔からの趣向らしく、
このCDでは当時、大阪・鶴見で開催中の「花の万博」会場で起きたウォーターライドの事故のことなどが織り込まれています。
つまり、
口演当時の世相なんかも分かる仕組みです。

僕は米朝さんが亡くなった3月19日も、
その翌日も動楽亭に行ってました。
両日とも、
米朝さんの弟子で長男の米團治さんが出演されていたんです。
僕は米朝さんが亡くなる直前と、
その後の最初の米團治さんの噺をナマで聞くことができました。

そのご逝去後、初の高座で、
米團治さんが演じたのが「地獄八景亡者戯」の前半。
さっそく亡くなったばかりの米朝さんが登場されて、
米團治さんと再会し、
「お前がここに来るのは百年早い!」と一喝されるというサゲでした。

CDで米朝さんの「地獄八景…」を聞くと、
亡くなった落語の名人たちが演じる寄席に、
「桂米朝近日来演」という看板があがっていることになっていまして、
米團治さんはその部分を伏線にして、
演じておられていました。

親子による壮大な大仕掛けみたいなものも感じるわけです。
「とうとうほんまに来ますでぇ」という笑いに変えておられましてね、
このネタは、
レクイエムでもあり、
死ぬこともそう悪くない…という遺族への慰めでもあるのかもしれません。

僕はこの日、前日のプライベートとは違って、
仕事半分で駆けつけたんですが、
開演直前に携帯が亡って、
文化部のデスクから、
童話作家の今江祥智先生が亡くなったことを知らされました(享年83)。

社会部時代から、
お世話になって、
もう20年以上…。
今江先生がご自身の活動をまとめて、
2013年の11月に上梓された、
『子どもの本の海で泳いで』(BL出版)にも、
僕のことを書いてくださっていました。

神戸で開かれた、この本の出版記念パーティーで、
お会いしたのが最後になりました。

訃報を聞いたとき、
まさに、
頭を棍棒で殴られたようなショックで、
ほんとに「ガーン」という音が聞こえたほどでした。

せめてもう一度、お会いしたかったのに…。
…と後悔しても遅い。
落語は耳に入る情況ではなくなっていました。

でも、
月亭八光さんを含めて、
高座に上がった噺家のみなさんが、
しんみりとではなく陽気に、
人間国宝を偲んでおられるのを聞いていると、
少し落ち着いてきました。

そして、
今江先生が米朝さんの弟子の桂枝雀さんのファンだったことなどを思い出して、
米團治さんの口演を聞いていますと、
現世と、あの世の境界もなくなったような気になり、
先生の笑顔が思い浮かび、
落語という芸の有り難さも実感したのでした。

2015-04-18

めざせ桂米朝!


「桂米朝」といえば…
2015年3月19日に亡くなった人間国宝の噺家です。
あえて「三代目」と詳述するほうが、
「それ誰?」という風に違和感がありますね。

上岡龍太郎さんが、
「米朝の名前は永久欠番」(2015年3月25日「デイリースポーツオンライン」)と、
おっしゃっるのも当然。
誰にも異論はないでしょう。
もちろん「永久」とはいえ100年後200年後はわからないけれど…。

米朝さんが亡くなった翌日、
長男で弟子の米團治さんらが大阪市内のホテルで会見しました。
印象に残ったのが、最期を看取った弟子のざこばさんの言葉です。

「昨日は、本当に、亡くなるというのは、こういうこと。大往生というのはこういうことだと思いました。師匠、上手に死にはったなあ、よかった、よかった、おつかれさんと思いました」(2015年3月20日「産経WEST」)

滅びかけていた上方落語を復興に尽力し、
落語に生涯をかけて、
人間国宝に認定され、
演芸界初の文化勲章受章者ともなった…。
ざこばさんの言葉を拝聴すると、
さらに亡くなり方まで見事。
落語だけなく、
生きる名人で、いらっしゃった。

僕も馬齢を重ね52歳です。
もう今から、
プロ野球選手とか相撲取りとか、
ノーベル医学賞とかいうのは、
もう考えるのも無駄という以前の話、
カタツムリが時速300キロで走りたいというレベルです。
とはいえ、
機嫌よくは生きていきたい。

そこで、
もちろん米朝さんの域にまでは無理だとしても、
めざすのは勝手だし、
実現不可能とまでは言えない、ような気がします。
日本最後のガラケー利用者になるのと同じくらいの可能性はあると考えましたので、
生きる名人をめざしてみよう…と思いました。

その過程を記録するために、
このブログを開設したわけです。

よろしくお願いします。