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2015-05-07

名人はあの世からでも…

2015(平成27)年5月7日の動楽亭(大阪・動物園前)

暦のうえでは、

今年のゴールデンウィークはきのう(6日)で終わりでした。
でも、暦にあまり関係のない僕はきょう(7日)が代休でして、
今月初めて大阪・動物園前の寄席「動楽亭」に行ってきました。

ちょっと仕事めいたものが長引いて、
開演の午後2時を数分過ぎたあたりに入りました。
連休も終わったので、
ガラガラかと思いきや、
約60ある席はほとんど埋まっていて、
僕は最後尾列のパイプ椅子でした。

中入り前の開口一番の前座から3番目に上がったのが、
今年3月19日に亡くなった桂米朝師(享年89)の弟子で長男の、
桂米團治さん。

マクラで、父であり師匠でもある人間国宝のことを“ネタ”にされました。

だいたい、平日にはそんなにお客さんは多くない寄席なのですが、
この日は米朝師の息子の米團治さんを見たいということで、
ほぼ満席になった空気を読まれたのか、
「こんなにたくさんの方が来てくだったのも、
米朝が亡くなった、お陰でして」と、
ブラックなのに、
そんな空気を感じさせずに笑いをとってから、
3月25日、大阪・吹田市で営まれた葬儀の話題に入ったのでした。

もともと、
米朝師は3年ほど前に自分の葬儀は家族葬で、
と希望しておられたそうですが、
まず一門が大人数で、
家族とそうでない方の線引きが難しい…。
さらに葬儀に(桂)文枝さんがいらしたら、
帰ってもらうわけにはいかないでしょう?
「そうやなぁ」と当時の米朝師…。
(笑福亭)鶴瓶さんが来はったら
「それは帰ってもろて…」と笑いをとりながら、
結局、1500人が参列する大きな式になったと説明。

米團治さんを喪主とする親族(中川家)、
米朝事務所、
一門の3者によって営まれ、
一門は米朝師の直系弟子最年長の桂ざこばさん(67歳)と、
月亭可朝さんが代表をつとめられたそうです。
可朝さんは、
3代目林家染丸師の弟子を経て米朝師に再入門し、
一時は2代目小米朝を襲名していた一門の最年長(77歳)なのです。

可朝さんの式での挨拶は、
「あの世」の師匠に呼びかける内容だったみたいで、
話が進むに連れてユニークさが増したようでした。
会場の前から3列目に座っていて、
金髪で誰が見ても、それとわかる春風亭小朝さんが声を出して笑ったことで、
やっと周囲の方々も「笑ってもええんやな」という空気になり、
笑いが巻き起こるなか、
ざこばさんが子供のように大泣きしていて、
まさに松竹新喜劇の泣き笑いの世界だったとのことです。

しかし、まぁ、
亡くなったあとも多くの方から笑いをとり、
そして笑った人々も、
それが供養になると納得できる…。
この世の人でなくなっても、
落語の名人、そして生き方の名人ですね。

「生きる名人」については、
僕もいろいろと定義とか条件とかを考えていますけど、
仕事という軸があって、
それが生きることと一体になり、
…ということが代表的な一例だと思っています。

たぶん、それは仕事でなくてもいいんでしょうね。

極めるに足る信じられるものをお持ちになっていて、
それが他人様(ひとさま)にも喜んでもらえるものならば言うことはありません。

この流れで行くと、
まず何か、極めた「軸」が重要になってきそうですが、
本当に大切なのは、
他人様が喜んでいただけるかどうかではないでしょうか。

僕は最近、他人様に喜んでいただくことに勝る快感はないのではないか、と考えるようになってきたからです。

とはいえ、
ただ、存在しているだけで、
他人様に喜んでもらえるようになるというのは、
本当に難しいことでして、
方法が想像もつきません

近道のひとつが芸や仕事などを追求することのような気がします。
つまり、
ものすごくハードルが高いわけです。

ただ、もちろん、それは一例で、
全く違ったスタイルで、
機嫌よく生きて死んでいく方法もあるのでしょう。

たとえば、
全く他人と関わらず、
自分の内側だけで悟りを開いたように生きて死ぬ……。

でも僕には社会のなかで自分以外と無縁で孤独に機嫌よく生きて死んでいく素質はないようです。

他人とつながろうとすればするほど、
「自分」とか「我」といったものへの過剰な意識をなくしていくことが必要だと思うようになってきましたし…。

これは、自己犠牲とか、
誰にでも好かれる善人を演じることとはもちろん違うようです。

2015-04-18

めざせ桂米朝!


「桂米朝」といえば…
2015年3月19日に亡くなった人間国宝の噺家です。
あえて「三代目」と詳述するほうが、
「それ誰?」という風に違和感がありますね。

上岡龍太郎さんが、
「米朝の名前は永久欠番」(2015年3月25日「デイリースポーツオンライン」)と、
おっしゃっるのも当然。
誰にも異論はないでしょう。
もちろん「永久」とはいえ100年後200年後はわからないけれど…。

米朝さんが亡くなった翌日、
長男で弟子の米團治さんらが大阪市内のホテルで会見しました。
印象に残ったのが、最期を看取った弟子のざこばさんの言葉です。

「昨日は、本当に、亡くなるというのは、こういうこと。大往生というのはこういうことだと思いました。師匠、上手に死にはったなあ、よかった、よかった、おつかれさんと思いました」(2015年3月20日「産経WEST」)

滅びかけていた上方落語を復興に尽力し、
落語に生涯をかけて、
人間国宝に認定され、
演芸界初の文化勲章受章者ともなった…。
ざこばさんの言葉を拝聴すると、
さらに亡くなり方まで見事。
落語だけなく、
生きる名人で、いらっしゃった。

僕も馬齢を重ね52歳です。
もう今から、
プロ野球選手とか相撲取りとか、
ノーベル医学賞とかいうのは、
もう考えるのも無駄という以前の話、
カタツムリが時速300キロで走りたいというレベルです。
とはいえ、
機嫌よくは生きていきたい。

そこで、
もちろん米朝さんの域にまでは無理だとしても、
めざすのは勝手だし、
実現不可能とまでは言えない、ような気がします。
日本最後のガラケー利用者になるのと同じくらいの可能性はあると考えましたので、
生きる名人をめざしてみよう…と思いました。

その過程を記録するために、
このブログを開設したわけです。

よろしくお願いします。