2015-04-21

人生の長さ

寺山修司が『書を捨てよ、町へ出よう』(角川文庫)に書いている。

「どうして親父たちが速いものを嫌いなのかといえば、それは親父たちが速度と人生とは、いつも函数関係にあるものだと思いこんでいるからである。あらゆる速度は墓場へそそぐ――だからゆっくりと行ったほうがよい。人生では、たとえチサの葉一枚でも多く見ておきたい、というのが速度ぎらいの親父たちの幸福論というわけなのだ」

 昭和11(1936)年生まれの寺山修司の親の世代は速いものが嫌いだったのか、どうかはしらない。

寺山修司そのものが、僕の父の世代の人間であり、
僕の父の「親父」は戦死している。
母方もそうだ。

誕生から墓場(=死)までの期間を定められた「距離」と考えるか、
速度に比例して長くなるか、と考えるか…。

「速度と人生」が「函数」(=関数)関係…というのは曖昧な表現で、
人生の客観的な尺度が「距離」的なのか、
時間の「長さ」なのかが明確でない印象を受ける。

しかし、
「あらゆる速度は墓場へそそぐ」という表現に注目すれば、
この文章では、
寺山修司は人生を時間の長さとは別の、
物理的な「距離」に近いものだと考えていると見ていいだろう。

言い換えれば、
人生の長さは、
何時間何日何年という単位ではなく、
何メートル何キロという物理的な長さで想定していたことになる。

人生を何年、生きたか…。

人生を何キロメートル生きたか…。

40年で1000キロメートル生きる人生と、、
80年で1000キロメートル生きる人生の長さを同じと考えるか。

40年で1万キロメートル生きる人生と、
100年で3000キロメートル生きる人生のどちらを選ぶか。

それぞれどちらが正解ということはないのだろうし、
考えることも、
選ぶことも個人の裁量の範囲にはない気はする。

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