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2015-10-02

退社に当たっての悩み

写真(1)
新聞社を辞める前に悩んだことがいくつかありました。
そのなかでも大きな比重を占めたのが「メモ」問題です。
もちろん、某国の陰謀を記した極秘メモを扱いをどうするか、
といったことではなくて、
ふだん取材のときに「腹へった」とか「○○さんはカツラ」とか「へのへのもへじ」とか書いていたメモです。

ノートを使う場合が多いんですけど、
歩きながら聞いている話を記録したり、
「あしたのランチはインデアンカレー。ごはんとピクルス大盛り、生卵つき」「テッペンハゲタカ!」などといった急に思いついたことを書いたりするのにはやはりサイズの小さいのが便利です。
そんな用途に、
僕が就職して使い続けてきたのが、
「大福帳」とも言われる会社支給のメモです=写真(1)。

2015-04-30

ゴルゴではなくフランクリン13…。

ベンジャミン・フランクリンの「13徳」を貼った2014年のモレスキン・デイリーダイアリー
たぶん7年くらい前からだと思います。
新しい年を迎えるときに毎年の手帳に貼り付けているものがあります。

アメリカ合衆国建国の父のひとりで政治家や物理学者などとしても知られるベンジャミン・フランクリン(1706-1790年)が掲げた「13徳」(Benjamin Franklin's Thirteen Virtues)をプリントアウトした紙です。

「13徳」は以下の通りです(wikipediaより)
1.節制:飽くほど食うなかれ。酔うまで飲むなかれ。
2.沈黙:自他に益なきことを語るなかれ。駄弁を弄するなかれ。
3.規律:物はすべて所を定めて置くべし。仕事はすべて時を定めてなすべし。
4.決断:なすべきをなさんと決心すべし。決心したることは必ず実行すべし。
5.節約:自他に益なきことに金銭を費やすなかれ。すなわち、浪費するなかれ。
6.勤勉:時間を空費するなかれ。つねに何か益あることに従うべし。無用の行いはすべて断つべし。
7.誠実:詐りを用いて人を害するなかれ。心事は無邪気に公正に保つべし。口に出だすこともまた然るべし。
8.正義:他人の利益を傷つけ、あるいは与うべきを与えずして人に損害を及ぼすべからず。
9.中庸:極端を避くべし。たとえ不法を受け、憤りに値すと思うとも、激怒を慎むべし。
10.清潔:身体、衣服、住居に不潔を黙認すべからず。
11.平静:小事、日常茶飯事、または避けがたき出来事に平静を失うなかれ。
12.純潔:性交はもっぱら健康ないし子孫のためにのみ行い、これにふけりて頭脳を鈍らせ、身体を弱め、または自他の平安ないし信用を傷つけるがごときことあるべからず。
13.謙譲:イエスおよびソクラテスに見習うべし。
…で、
手帳に貼り付けてどうなったか?

結論を言うと、
全くどうにもなりませんでした。

やっぱりね、
「お札(ふだ)」じゃないんですからね、
貼り付けているだけで御利益(ごりやく)があるわけもなく、
どうしょうもありません、
実践しないと。

フランクリンほどの人物でも、
<「道徳的完全に到達する大胆で難儀な計画」を思いついた>
と『自伝』で言っているほどなんで、
もともと簡単じゃないんです。

だから、
毎週1週間を徳目のひとつつに捧げて、年に4回この過程を繰り返した…というんですね。

上の実践方法も
wikipediaからの引用です。
“『自伝』によると”とあるので、
持っているはずの、
その『自伝』(岩波文庫)を探したんですけど、
だいたいいつものことで、
必要とする本はすぐに見つからない。

「3.規律」の「物はすべて所を定めて置くべし」を痛感するわけです。

やっぱり的を射たことを言いますね、よっ大統領…。
あっフランクリンは大統領はやらなかったですね。

さて、
あらためて、
毎週1週間を徳目のひとつつに捧げて、年に4回この過程を繰り返す…という方法について、です。

正直のところ最初、
「そんなもん、めんどくさいわい。これくらいいっぺんにやったるわい」と意気盛んでしたが、
「1.節制:飽くほど食うなかれ。酔うまで飲むなかれ」なんか、
いともたやすく破ってしまいます。
「酔わんかったら酒のむ意味ないやないかい」と、
守らない理由はもういくらでもありますし…。

「2.沈黙」にしたって「自他に益なきことを語るなかれ。駄弁を弄するなかれ」って、
たぶん、これ実践すると、
僕の場合、何もしゃべらない、異常といえるほどに無口な人間になってしまいます。
もはや人間ではなく貝です。
だいたい少なく見積もっても僕が話すことの99%は自他に益なき駄弁ですからね。

…というわけで、
手帳には律儀に「13徳」を貼り付けるのが、
単なる惰性の恒例行事になっています。
政治家が選挙のときに掲げるスローガンと同じです。
それよりはマシかな、
一応やる気はありますからね。

でもね、
もう50も過ぎて、
これではいかんと思うわけですよ。

人生の残り時間も、
たぶんかなり長く見積もって、
あと50年………。
長すぎるかな、まぁいいや。
でも、
そのうちの半分の25年は後期高齢者ですから、
夜、布団に入ったまま、
そのまま冷たくなってもおかしくないというのが日常でしょう。

ですから、
「6.勤勉」の「時間を空費するなかれ」っていうのは、
痛切に響きますね。

じゃぁ「それでどうなるの」と詰め寄られても、
「すみません」って謝るしかないのだけど、
凡庸さに比例して、
「このままではあかん」と思うんでしょうね。
まぁ物心ついたときから、
そう思い続けてきたような気もするけど…。

それに恥ずかしい話、
毎週1週間を徳目のひとつに捧げて、年に4回この過程を繰り返す、…この肝心な方法を忘れて、
単に手帳に貼り付けていたことに、
何と本日きょう2015年4月30日、
気づいたんです。

「そんなもん、めんどくさいわい。これくらいいっぺんにやったるわい」という最初の意気込みだけが毎年、空回りして生き残ってきて、
もともとの基本を忘れていたわけです…。
こういうの何ていうんでしょう?
仏つくって魂入れず…。
違うな。
空念仏…。
微妙に違うな。
豚に真珠…。
なんか違うけど、
そういうことのような気がします。
う~ん、もっと適切なたとえ…。
ブルーレイレコーダーにCD-ROMを入れるようなもの…。
さらに離れたな。

…というわけで、
まず、きょうから1週間、

「1.節制:飽くほど食うなかれ。酔うまで飲むなかれ」で行きます。

来週は
「2.沈黙」なんで、
あんまりしゃべりませんが、
そういうことなんで、
怪しまないでください。

ちなみに、
「4.決断」は楽勝かな。
なすべきことを何も決心しなければ、いいんですもん。

「12.純潔」はもっと簡単。
この週は「13徳」の休憩期間と同じですな。

今回で、このブログを開設して、
13日連続で更新できたので、
「13」にちなんだテーマにしてみました。

2015-04-25

自由帳の憂鬱


本などをいただいたときに、
著者の方に御礼の葉書を送るというのはよくあることです。
僕は完全には実践できませんが、
それがまぁ基本的な礼儀というのは間違いないでしょうね。

作家、文化人にちなんだ展覧会やイベントなんかでは、
著名人が差し出した葉書や手紙が展示されていることもあります。

大作家といわれるような方は字にも趣きがあって、
単に「只今落掌。さっそく拝読します」とお書きになっているだけで、
絵になりますね。

届いてすぐに葉書を送るっていうのには、
「おお早々と義理堅い」と思っていただけるという効果もありますが、
送る方からすれば、
感想を書く必要がないので、
手間が省けて楽ちん…というのも、
耳にしたことがあります。

大作家ともなると、
お世辞にも上手いとはいえず、
文字の大きさも、
行の左右も乱れ、
時には判読不能でも、
「味がある」ということになって、
我々素人が実際に見ても、
何とも言えない、
有り難いような雰囲気を感じますね。

最近は、そんな礼状もe-mailなんかで送るほうが主流になっていますが、
やはり、そんなもので送られると失敬だと感じる方や、
もともとパソコンを持っていないし、
携帯メールもやらないという大家もおいでです。

そうすると、
やはり葉書となるわけです。

僕は、あの葉書が苦手です。

字が下手で、
まさに金釘の小学生。
とても50すぎの男が書いたものだとは思えない。
横に書けば、
行が右上がりになったり、
下がったり…。
縦に書けば、
まさに比喩抜きでミミズの這ったあと…。

郵政民営化前は、
当時の官製葉書、今でいう「郵便はがき」にも、
罫線入りのがあったんですが、
今はなくなりました。

「郵便はがき」は切手を貼る必要もないので、
ささっと書いて、
ポンとポストに投函すれば、
いいだけ。

便利なんですけど、
字に自信がない人間には苦痛です。
白紙に文字を書くのは難しい。

宛名も何もかも、
パソコンで打ってプリントアウトするという方法もありますけど、
だいたいパソコンも持たない、
携帯メールもやらない、
という方は、
そのような葉書は失敬だと感じる方も多いようなので、
始末が悪い…。
まぁ始末が悪いっていうのも、
相手に失礼なこちらの事情なんですけどね。

だから、
どうしても筆不精になってしまいます。
e-mailなら簡単に遅れるものが、
葉書、手紙になると、
同じ内容を送るにしても、
億劫さは天と地の差です。

通天閣の展望台までエレベーターで昇るのと、
「あべのハルカス」の最上階まで階段で行くくらいの差があります。

ネット時代になってくると、
筆不精っていうのが単に、
文章をつくるのに不精というという本来の意味とは、
違うケースも出てくるわけですね。

ノートも、
僕は方眼罫が一番つかいやすい。
縦書きも横書きにも罫線があるのと同じですからね。

やっぱり一番苦手なのが白紙の罫線なし。

ところが、
白紙のノートにも、
縦に書けば、地面と90度、
横には地面と平行に、
まるで罫線があるように文字が書ける方がいますね。

あれはうらやましい。

だいたい絵心がある方には、
そういう方が多い印象があって、
平面や空間の認識力・再現力が優れているんでしょうね。

僕なんか、
あとで消しゴムを使えばいいやということで、
葉書に鉛筆と定規で等間隔の線を薄く引いて、
罫線をつくることがありますが、
情けないことに、
この罫線すら、
右上がり右下がりになることもあるくらいです。

だから罫線のない白紙の自由帳を前にすると、
呆然とすることがあります。

まず、
字の大きさから悩みますからね。
その次が縦書か横書きか…。

もうそれだけで面倒になって、
「明日にしよう」と投げ出すことがあります。

そういう意味で、
「自由」っていうのは、
とりとめもなく、
頼りないものかもしれません。

エーリッヒ・フロム(1900-1980年)は著書『自由からの逃走』で、自由が呪縛となって全体主義に傾斜していく危険性を指弾したそうですが、それはさておき…。

自由を突き詰めれば、
「般若心経」などで説かれるところの仏教の「無」につながるという考えもあるそうです。
「私」「個人」なんてものは、
現世の仮初めというわけですね。

そこまでのレベルになると、
輪廻と無我の矛盾を“和解”させた「唯識論」なんていうのを勉強する必要があるらしいけれども、
とりあえず、
白紙を与えられても、
呆然とせず、
自由を放棄せず、
何かを書ける・描ける人間になりたいもんですね。

そんなことを思いながら、
「オカザえもん自由帳」の白無地のページを前に、
腕を組んでいます。