産経新聞の神戸支局や大阪の社会部、文化部で記者やデスクを経てデジタルメディア担当専門委員としてwebメディア編集長をつとめました。2015年10月から海外向けSP会社の取締役として第2の社会人生活を始めました。趣味はトロンボーン(和名:伸縮自在真鍮製曲金発声器)や落語鑑賞など。ITパスポートと2級FP技能士資格あり。JAZZと落語とコロッケが好き。 和歌山市出身。大阪・千里在住。
2015-04-25
自由帳の憂鬱
本などをいただいたときに、
著者の方に御礼の葉書を送るというのはよくあることです。
僕は完全には実践できませんが、
それがまぁ基本的な礼儀というのは間違いないでしょうね。
作家、文化人にちなんだ展覧会やイベントなんかでは、
著名人が差し出した葉書や手紙が展示されていることもあります。
大作家といわれるような方は字にも趣きがあって、
単に「只今落掌。さっそく拝読します」とお書きになっているだけで、
絵になりますね。
届いてすぐに葉書を送るっていうのには、
「おお早々と義理堅い」と思っていただけるという効果もありますが、
送る方からすれば、
感想を書く必要がないので、
手間が省けて楽ちん…というのも、
耳にしたことがあります。
大作家ともなると、
お世辞にも上手いとはいえず、
文字の大きさも、
行の左右も乱れ、
時には判読不能でも、
「味がある」ということになって、
我々素人が実際に見ても、
何とも言えない、
有り難いような雰囲気を感じますね。
最近は、そんな礼状もe-mailなんかで送るほうが主流になっていますが、
やはり、そんなもので送られると失敬だと感じる方や、
もともとパソコンを持っていないし、
携帯メールもやらないという大家もおいでです。
そうすると、
やはり葉書となるわけです。
僕は、あの葉書が苦手です。
字が下手で、
まさに金釘の小学生。
とても50すぎの男が書いたものだとは思えない。
横に書けば、
行が右上がりになったり、
下がったり…。
縦に書けば、
まさに比喩抜きでミミズの這ったあと…。
郵政民営化前は、
当時の官製葉書、今でいう「郵便はがき」にも、
罫線入りのがあったんですが、
今はなくなりました。
「郵便はがき」は切手を貼る必要もないので、
ささっと書いて、
ポンとポストに投函すれば、
いいだけ。
便利なんですけど、
字に自信がない人間には苦痛です。
白紙に文字を書くのは難しい。
宛名も何もかも、
パソコンで打ってプリントアウトするという方法もありますけど、
だいたいパソコンも持たない、
携帯メールもやらない、
という方は、
そのような葉書は失敬だと感じる方も多いようなので、
始末が悪い…。
まぁ始末が悪いっていうのも、
相手に失礼なこちらの事情なんですけどね。
だから、
どうしても筆不精になってしまいます。
e-mailなら簡単に遅れるものが、
葉書、手紙になると、
同じ内容を送るにしても、
億劫さは天と地の差です。
通天閣の展望台までエレベーターで昇るのと、
「あべのハルカス」の最上階まで階段で行くくらいの差があります。
ネット時代になってくると、
筆不精っていうのが単に、
文章をつくるのに不精というという本来の意味とは、
違うケースも出てくるわけですね。
ノートも、
僕は方眼罫が一番つかいやすい。
縦書きも横書きにも罫線があるのと同じですからね。
やっぱり一番苦手なのが白紙の罫線なし。
ところが、
白紙のノートにも、
縦に書けば、地面と90度、
横には地面と平行に、
まるで罫線があるように文字が書ける方がいますね。
あれはうらやましい。
だいたい絵心がある方には、
そういう方が多い印象があって、
平面や空間の認識力・再現力が優れているんでしょうね。
僕なんか、
あとで消しゴムを使えばいいやということで、
葉書に鉛筆と定規で等間隔の線を薄く引いて、
罫線をつくることがありますが、
情けないことに、
この罫線すら、
右上がり右下がりになることもあるくらいです。
だから罫線のない白紙の自由帳を前にすると、
呆然とすることがあります。
まず、
字の大きさから悩みますからね。
その次が縦書か横書きか…。
もうそれだけで面倒になって、
「明日にしよう」と投げ出すことがあります。
そういう意味で、
「自由」っていうのは、
とりとめもなく、
頼りないものかもしれません。
エーリッヒ・フロム(1900-1980年)は著書『自由からの逃走』で、自由が呪縛となって全体主義に傾斜していく危険性を指弾したそうですが、それはさておき…。
自由を突き詰めれば、
「般若心経」などで説かれるところの仏教の「無」につながるという考えもあるそうです。
「私」「個人」なんてものは、
現世の仮初めというわけですね。
そこまでのレベルになると、
輪廻と無我の矛盾を“和解”させた「唯識論」なんていうのを勉強する必要があるらしいけれども、
とりあえず、
白紙を与えられても、
呆然とせず、
自由を放棄せず、
何かを書ける・描ける人間になりたいもんですね。
そんなことを思いながら、
「オカザえもん自由帳」の白無地のページを前に、
腕を組んでいます。
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