2015-08-02

自家中毒の「死角」 『大東亜戦争 敗北の本質』を読む

『大東亜戦争 敗北の本質』(ちくま新書)は、
この本のなかでも引用されている儒教・四書五経のひとつ『大学』の「心ここに在らざれば視れども見えず」という警鐘が戦前の日本軍部で生かされなかった実態をデータで証明しています。

「心ここに在らざれば…」とは、人間に見たくないものはとにかく見えないということです。

日本は米国と戦っても国力の差で勝てないという分析が戦前からあったのに、
日露戦争の勝因を背景にして醸成された「空気」のなかで1941(昭和16)年12月8日の開戦に踏み切り、
無計画さが戦時中に露呈していくなかで弥縫策と「精神論」でしのごうとした無謀さが淡々と記され、
読んでいくと唖然とさせられる箇所がいくつもあります。

著者は戦史研究家で元防衛大学校教授の杉之尾宜生(すぎのお・よしお)さんです。
帝国海軍が日露戦争以降、大艦巨砲主義(艦隊決戦主義)を採ってきたのは周知のことです。
大艦巨砲主義の戦いは「二次元」にとどまるのに対して、
第一次世界大戦以降は、
航空機、潜水艦が加わった「三次元」になっていました。
海軍にもその認識はあったのですが、
主戦力はあくまでも四六センチ砲を搭載した巨大戦艦という考えのもとに戦艦大和・武蔵を建造。潜水艦は補助戦力としたのです。
そのうえで、航空機、潜水艦によって米軍の艦隊を徐々に減らしていき、マリアナ沖、マーシャル沖で、大艦巨砲で迎え撃つというシナリオでした。
一方、山本五十六大将は、日本の国力から考えて長期戦は不可能なので、開戦の筆頭に真珠湾攻撃で短期決戦で決着をつけるという主張でした。このため一応、海軍には艦隊決戦という長期戦と航空機による短期決戦という2つの戦略があったのですが、
この2つの作戦を統合する人物が不在だったため、
シーレーン防衛が見過ごされ、
物資の輸送船だけでなく反撃能力が低下していた戦闘艦船まで、
米軍の潜水艦による魚雷の攻撃を受けて大きな痛手を負います。
シーレーン防衛のための海上護衛総司令部が1943(昭和18)年11月。時すでに遅しでした。

これ以外にも帝国陸軍が誇りとした「夜襲」や「白兵銃剣突撃主義」への自戒を訴える軍内での研究も公表禁止にされるなど、
大東亜戦争を始めたことは日本の失敗であったことが浮き彫りにされています。

そもそも合理的な「戦争計画」がなかったのです。

その結果が米軍の死者10万人(欧州戦線を除く)に対して、
日本軍は230万人…。
毎日新聞電子版「数字は証言する~データで見る太平洋戦争~」によると、そのうち6割が餓死や戦病死という兵站(へいたん)軽視が原因だというのです。

僕の祖父は2人とも戦史していますが、
「犬死に」だという思いを強めました。

どうも「この国」はリーダーがいけない。

福島第一原子力発電所事故で、東京第五検察審査会が東京電力の元会長ら旧経営陣3人について、2回目の審査でも「起訴すべきだ」と議決し、元会長ら3人は業務上過失致死傷の罪で強制的に起訴されることになりました。

当然だと思います。

2012年、国会の事故調で東電幹部らが参考人として証言しました。
僕は彼らの姿を映像で見たり、語ったことを活字で読むと、
たまたま悪い時期に幹部の時期に座っていたという運を嘆いているようにしか感じないのです。
リーダーの椅子に座ることが目的で、
座ったあとに何をするか、というヴィジョンを全く感じませんでした。

そして、
あらためて「心ここに在らざれば視れども見えず」という言葉を反芻し、自分が視ないようにしているものは何なのか…。
他人の助けを借りてでも眼を凝らしたいとおもいます。

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