「多くの武器や道具は、もともと玩具だった。弓は武器になる前は楽器だったし、車輪は道具として使用される前は玩具であった」(『魂の錬金術 エリック・ホッファー全アフォリズム集』作品社)
エリック・ホッファーの著述のなかで、
一番好きなのが先に挙げた「遊び」に関する格言のなかの一節です。
この部分だけを読めば単に事実として物事を述べたにすぎず、
「芸術は実用品の製作よりも古く、遊びは労働よりも古い。〈中略〉人間の独自性と創造性の源泉は、その子どもじみたところに隠されているのであり、遊び場はその能力と才能を開花させる最適な環境なのである」
…という結論を補強する部分でしかないわけです。
でも、
武器としてよりも楽器としての弓のほうが先だったというのを初めて読んだときは嬉しかったのです。
人間がいて、
社会、国家がある限り、
「戦い」は不可避で、
だから「戦争はなくならない」という声もあるけれど、、
その戦争につきものの武器よりも、
同じ形をしているものでも、
楽器のほうの用途が先だったというのは、
論理を超えて、
嬉しい気がしませんか?
もちろん、
ホッファーは武器としての弓よりも、
楽器としての弓のほうが古いということを、
厳密な事実をもとに書いているわけではありません。
でも、
全く根拠のないことではないのでしょう。
いずれにせよ、
日本では戦時中に、
「遊び」は抑制されたようですが、
人間にとって、
楽器を奏でて遊ぶことよりも、
戦争の方が重要だとは言い切れないようですね。
もしかしたら、
ある種の“ユニーク”な人間が、
「遊び」の延長として“道楽”で、
人々を「戦争」に駆り立てている場合もあるかもしれません。
それはさておき、
「遊び」が独自性と創造性の源泉であるというのは、
納得できる話です。
だから「遊び」は真剣にやらないと面白くないのかもしれません。
ただ気をつけないといけないのは、
真剣さが行くつく先は、
「命」をかけるくらいでないと面白くなくなってくる可能性があるということです。
命をかけるのを完全に否定するわけではありません。
ただ、他人を巻き込むのはいけませんよね。
もしかして、
(それは本当に「戦争」という形かもしれないけれど)
自分の「遊び」の楽しさを追求するあまり、
真剣になりすぎて、
他人の生死にまで干渉するのは勘弁…。
本当は「遊び」なのに、
自覚せず、
何かの主義や正義、信条を盾にして、
「命」をかけるのは当然だと、
悲壮な顔をして、
他人を巻き込むのはやめてほしいですね。
遡れば、
「支配欲」というのも、
単なる「遊び心」から出ているものかもしれないし…。
とはいえ、
理不尽な抑圧への抵抗としての「戦争」もあるでしょう。
それに対して、
多くの「戦争」は理不尽への抵抗という美名のもとに始まるという意見もあるでしょう。
ただ、
どんな「戦争」からも逃避する「道」を残しておくことは必要なのだと考えています。
「自由」から逃げることを避けるためにも。
ちなみに、
どうでもいいことなんですけど、
トロンボーンって、
ロケットランチャーみたいな感じがしませんか。
僕は、します。
で、
そんなフォルムもトロンボーンの魅力だと思っています。
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