産経新聞の神戸支局や大阪の社会部、文化部で記者やデスクを経てデジタルメディア担当専門委員としてwebメディア編集長をつとめました。2015年10月から海外向けSP会社の取締役として第2の社会人生活を始めました。趣味はトロンボーン(和名:伸縮自在真鍮製曲金発声器)や落語鑑賞など。ITパスポートと2級FP技能士資格あり。JAZZと落語とコロッケが好き。 和歌山市出身。大阪・千里在住。
2015-05-16
原色の楽しみ
出勤するときにスーツを着ている割合のほうが少なく、
クールビス期間でなくても、
ネクタイをしないことのほうが多い生活です。
でも、身につけている色柄は至って地味…。
写真に撮れば、
カラーでもモノクロでもあまり大差ないような色柄です。
まぁ、せいぜいネクタイに、
赤系とか黄系がある程度で、
道路の信号に使われいるような原色系が前面にでることはありません。
緑は好きですが、
仕事の場合は、
モスグリーンです。
つまり、
日常では華やかな色とは無縁な感じです。
だから、
血のような赤、
晴天の空のような青、
グレープフルーツの皮のような黄というのは、
自然な色のはずなのに非日常の領域に色彩になっています。
それは僕の場合で、
そんな色の服を昼夜のべつまくなしに、
まとっている方がいたとしても否定はしませんし、
実際にいらっしゃるはず。
だから,、あくまでも僕の場合なんですけどね。
日常にそんな色を取り入れる機会があれば、
積極的に取り入れたい、
というような現実と相反した気分があります。
不足しているものを補おうとする自然の欲求なのかもしれません。
もしかしたら、
トマトやバナナ、キュウリの色なんていうのは、
そんな性向に合わせているかもと思うほどです。
そういう意味で、
ピーマンなんか、
「ダメだ」「嫌い」という方は少なくないですけど、
ピーマン自身は自分を受け入れてもらうおうと、
かなり努力しているような気もします。
実際、大人になると、
全く問題がなくなり、
天ぷら屋に行って、
万が一、ピーマンがないと怒るヒトも出てくるくらいです。
実際に「ピーマンがないだとぉ!」と怒っているヒトを見たことはありませんけど、
確信に近い感覚で、
ピーマンがないと不機嫌になる方はいるような気がします。
そんな関係からでしょうか、
不意をつかれるように、
原色系の食べ物を見せられると、
なんだか自分が欲しかったものに出会ったような気がして、
触手がのびます。
きょうがそうでしたね、うん。
休みでしたけど、
雨模様なんで、
部屋の整理をしようと思って、
整理用のケースを大阪・千里中央の「無印良品」に買いに行ったわけです。
徒歩でテクテクと…。
そこで目的のケースを買ってレジに並んでいたら、
目についたのが、
ゼリービンズ(MADE IN JAPAN)です。
赤とか黄とか緑とかの、
クニュと曲がった姿が、
思いっきり「どお?」って感じでアピールしています。
まぁ無印でゼリービーンズを買ってしまうのは、
いつものことなので、
「はいはい」という感じで手に取ってしまうのですが、
きょうはその隣のマーブルチョコ(MADE IN JAPAN)まで買ってしまいました。
これもまた、赤、青、黄…そしてピンクまであって、
華やかです。
これは、
現在の日常が赤い灯、青い灯の夜の盛り場から縁遠くなっていることの反動かもとも思いました。
でもまぁ何だか楽しい気分になれて、
口に入れると、
幸せな感じもします。
「人はパンだけで生きるものではなく…」という「新約聖書」(マタイによる福音書・第4章4節)の言葉を思い出しました。
この言葉は、
「神の口から出る一つ一つの言(ことば)で生きるものである」
…と続きますけど、
人間は滋養・栄養だけを食べ物から吸収しているだけで生きてはいないってことなのかもしれません。
別に説教臭いことを言いたいわけじゃなくて、
無駄ともいえる楽しみとか、
喜びみたいなもんがなければ人間の生活じゃないってことなのかも。
だから、
楽しみの制限を強要されることは人間にとって不自然である蓋然性が高い…ということは心の片隅に置いていたほうが健全な気がします。
どんな悲惨な状況にあっても、
楽しむことは自然だと言えるかもしれません。
不謹慎とのバランスを取るのは大切だけど、
経験的に言って、
非常時ともいえる状況のなかで、
「けしからん!」と他人の楽しみを批判する人間ですら、
けっこう息を抜いて楽しんでいますよね。
娯楽をことさらに否定する人間は不自然なので、
要注意です。
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