今年5月13日に119日間に及ぶ公開を終えた「村上春樹 期間限定公式サイト『村上さんのところ』には3万7465通のメールが寄せられたという。
このサイトは、
多くの方がご存じのように、
寄せられたメールに対して、
ノーベル賞候補作家といわれる村上さんが返事を書いていくという構成で、
「容赦ない」と話題になったのが23歳の女性(大学院生)からの“希望”に対する回答でした。
文章を書くのが苦手なのですが、
何とかなりませんでしょうか…というメールへの村上さんの返信が、
「文章を書くというのは、女の人を口説くのと一緒で、ある程度は練習でうまくなりますが、基本的にはもって生まれたもので決まります。まあ、とにかくがんばってください」
…でした。
確かに「容赦ない」のだけれど、
村上さんの書いたものを読んでいれば、
それほど意外な回答ではないですよね。
たとえば、
『走ることについて語るときに僕の語ること (文春文庫)
「小説家にとってもっとも重要な資質は、言うまでもなく才能である」と断言していらっしゃいます。
さらに、
「文学的才能がなければ、どれだけ熱心に努力しても小説家にはなれないだろう。これは必要な資質というより前提条件だ」と追い打ちをかけています。
で、次に重要なのは「集中力」、
その次は「持続力」だといい、
この2つは「才能の場合とは違って、トレーニングによって後天的に獲得し、その資質を向上させることができる」とのことです。
また才能を持った人間のなかでも、
シェイクスピア、バルザック、ディッケンズは、
その才能が枯渇することのない「巨人」だそうで、
世間の大半の作家は巨人ならざる存在だとしています。
村上さんは自身を「もちろん」と前置きして「大半の作家」の一人だとし、、
才能の不足分は集中力や持続力で補っていかないといけないとおっしゃっています。
小説家になる才能を持った人間がどれだけいるかは知らないのだけど、
僕自身に、その才能がないことは確信しています。
書いたこともないし、
書こうと思ったことがないのが、
その証拠ですね。
とはいえ、
才能にも色々とあります。
小説家の才能だけではないのは言うまでもない以前のこと。
わずかばかりのなにがしかの才能があったとしたら、
集中力と持続力があれば、
何とかなりそうな気がしますね。
その才能を自分で見つけることができなかったり、
他人に見つけてもらったりできないままで、
眠らせているケースが多いだけだ…といえば、
オチめいたハナシにはなるんでしょうけど、
どうも違うみたい。
結局、わずかながらでも集中力と持続力を使うに足る、才能があると信じられるかどうか、なんでしょうね。
信じたけど、本当はなかった、ということもあるに違いありません。
でも、本当に集中力と持続力が発揮できたとしたら、
それはまぁそれで生き方として悪くない。
「無能な働き者は害毒」だというハンス・フォン・ゼークト(1866-1936年)の考え方について以前に書きました。
これは才能がないのに集中力と持続力があるのは、
「無能な働き者」と似ているようですが、
全然違うような気がします。
僕の考えでは、
「無能な働き者」には集中力と持続力はないからです。
彼らにあるのは、
自分に負荷の少ない、
執着と惰性です。
もちろん、
これは無為に馬齢を重ねた反省から得た教訓です。
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