「西郷隆盛って誰?」っていう人もいるかもしれません。
でも、
ほとんどの人は何となく知ってるだろうから、
いちいち説明はしないけれど、
wikipediaによれば、
生年月日は「文政10年12月7日(1828年1月23日)で、
亡くなったのは「明治10年(1877年)9月24日」。
西郷の教えなどを収めた岩波文庫『西郷南洲遺訓』の表紙には、
生没年が「(1827-77)」となっていて、
生年が1年早くなっていますが、
年月日を厳密に当てはめると、
西暦ではwikipediaのほうが正しいようです。
でも、それはもちろん些事。
この本を読み返していて、
あらためて心を惹かれた部分がありました。
それは「遺訓」の「一三」節の…
「租税の薄くして民を裕(ゆたか)にするは、即ち國力を養成する也。故に國家多端にして財用の足らざるを苦むとも、租税の定制を確守し、上を損じて下を虐たげぬもの也」
…という部分です。
たとえば、
消費税率上昇は、
「上」(特に官僚)の方々からしてみれば、
これだけ高齢化が進んだうえに少子化で、
医療費やらがかさんで、
国の借金が増えているんだから仕方ないじゃん、
…ということになるでしょう。
さらに「スウェーデンなんか25%で、もっと高い国もあるんだぜ」というのはよくなされる説明です。
しかし、スウェーデンでは消費税が一律ではなく、
食料品や公共交通費などには軽減税率が適用されていて、
医療費や教育費の負担も日本よりは低いことも知られています。
つまり、消費税率が高くても、
国民も利益を享受している実感があるので、
日本の3倍以上の税率でも、
納得できるのでしょう。
もう単純な話で、
税金の負担者の腑に落ちるかどうか。
感情の問題です。
消費税が社会に還元されている実感はないですし、
東日本大震災の復興予算すらややこしく使われています。
西郷の言葉のように、
「上を損じて下を虐たげぬもの也」が実践されていて、
負担に見合う安心・信頼が醸成されれば、
問題はなく「國力」も養成できるんでしょうけれど、
「上」が痛みを甘受しているという実感…というより現実があるでしょうか。
別に、
ここで怒る必要はありませんよ。
怒りは不健康ですから。
何が言いたいかというと、
納税者がメリットを感じない増税は、
結局、民を貧しくするということです。
この貧しさは単なる経済的な数値に置き換えられるものではなく、
気持ちの貧困につながるということは容易に想像できますよね。
健全なやる気が出ないってこと。
自分だけがよければいいって感じで、
抜け駆け競争ばかりになるような気がします
戦後の教育は悪いとか、
日教組の責任だとか、
色々といわれてますけど、
大事なのは、
「上」に立とうと志す者は自分が損してでも、
「下」の民のために尽くすことが大切で名誉だ、
という生き方もあるってことも教えないのが元凶なんじゃないですかね。
それが正しいという自信も根拠もないし、
僕自身も「上」に立つ気はないし、
立てないし、
とにかく機嫌よく暮らしたいと思っているので、
率先垂範はできないんで、
無責任な話で申し訳ないとは思うのだけど…。
ただね、
同じ「遺訓」のなかには、
「命もいらず、名もいらず、官位も金もいらぬ人は、仕末に困るもの也。此の仕末に困る人ならでは、艱難を共にして國家の大業は成し得られぬなり」
…という言葉もあって、
これにも惹かれます。
もちろん大業を成すつもりも力量もないけれど、
「命もいらず、名もいらず、官位も金もいらぬ人」には憧れに似た気持ちはあります。
実際、このなかで僕が持っているのは命だけですし
……というのは戯言ですし、
この世のほとんどの人間は同じ境遇なわけですけど…。
「名」「官位」「金」のために、
「上」に立つ人物ばかりでは「民」は貧しくなり、
早晩「國力」は衰えることが理(ことわり)として顕現する世界になってほしいものですね。
ただ確信を持って感じるのは現状、
「命もいらず、名もいらず、官位も金もいらぬ人」は政治家や官僚にはならないということです。
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