「思想」や「主義」「理想」「信仰」にもとづく結果に至るためには「嘘」をついてもかまわない…なんていう考えは、その最たるものだ、と、僕は信じています。
それを前置きにして僕の経験を語ってみます。
駆け出し記者時代のことです。支局で先輩ふたりが言い争っていました。
特ダネ・独自ダネを掴んでキャップやデスクに報告するときに、そのネタ元も伝えるべきかどうか…。
ひとりは、伝えるべきだ、という意見です。
そうでないと、それを紙面化するかどうか判断ができない場合があるし、ネタ元を直属の上司に明らかにするのは当たり前だ、という主張でした。
一方は、社内から社外にネタ元がバレる恐れがあるので、報告するすべきではない…と反論していました。
その議論は、さまざまな具体的な事例も交えて延々と続いて、当然のことながら結論は出ませんでした。
両方の意見はもっともです。
で、僕はどうしたか…。
打ち明けてしまうと、色々と痛い思いもした結果、上司にネタを取った次第は報告しました…が、すべて正直には言いませんでした。
言い換えれば「嘘」をついたことになるのかもしれないけれど、単純に「嘘」をついたわけではありません。その「嘘」も「嘘」ではなくなるようにして、報告はしたつもりです。
でも「やっぱり、それって嘘だよね」と言われれば、そのような気もしますし、僕から報告を受けた上司も今、ネタを掴むまでのプロセスをすべて聞くと「嘘」をつかれた、と思うような気もします。
実は社内報に、ある取材のプロセスを書くように命じられたときも、
「嘘」ではないけれど、その先にある本当のことは明らかにしませんでした。
で、それでどうだったか。
僕は正解だったと確信しています。
実際、他社の記者から、その社内報とは別の件で「あのネタは、これこれこういうことで掴んだだってね」と言われたことがあります。
それは僕が会社で報告した通りの内容でした。
まぁ簡単に言うと、僕がいた会社を辞めた人間が転職先で、しゃべっていた、ということです。
こういう事例は具体的に書かないと、わかりにくいですよね。
でも、もう忘れてしまったので書けません。
ちなみに僕がやったことはたぶん珍しいことではないと思いますし、これが嘘をつくということなのだとしたら、幸いなことに僕は敏腕ではなかったので、ほとんど、そのような機会はなかったんです。
…というわけで、退職して、そんなことをする必要もなくなったという話でした。
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