50歳以上の世代の多くが思い浮かべたのが、
フォーク・ロックグループ「GARO(ガロ)」のヒット曲「学生街の喫茶店」…というような記事を読むか、TVで誰かのコメントを聞くか、した記憶です。
確かに、その世代の僕も、ボブ・ディランという名前を覚えたのは、あの曲がきっかけだったかもしれません。流行ったのは1972(昭和47)年で、僕が小学4年のときでした。
とにかく当時、ヒット曲となれば、テレビ、ラジオ、有線放送で「これでもか」っていうほど、流れていて、だいたい歌詞を見なくても、かなりの人々が歌えてしまうような時代でした。
多くの人々のなかでボブ・ディランが「学生街の喫茶店」とリンクするのも、うなづけます。
でも、今年のノーベル文学賞発表を同賞の公式サイトのライブ中継で見たとき「ボブ・ディラン」と聞いて、「ボブ・ディランっていう名前の詩人か作家もいたんやろか」と思ったあと、アタマをよぎったのは「北帰行」でした。
小林旭(歌手・俳優)らが歌って1961(昭和36)年にヒットした歌じゃなくて小説の方です。
歌の方が流行ったのは僕が生まれる前で、歌詞も曲も思い浮かびません。聞いたことはあるんでしょうけど、「北帰行」といえば僕にとっては小説です。
1976(昭和51)年に文藝賞に選ばれた作品で、
作者は当時、東大生だった外岡秀俊という方です。
この外岡さんが1977(昭和52)年の1月から3月の間のいずれかの月に出た音楽月刊誌「ザ・ミュージック」(小学館)に取材されて記事が出ていたんです。
外岡さんは、その年の春から朝日新聞社への入社が決まっているようなことも書いてあって、自分にとっての思い出のアルバムかアーチストみたいなことがテーマだったのでしょう。
確か、何かのきっかけで外岡さんがボブ・ディランの歌を聞いて衝撃を受けて、LPを買ったのだけど、考えてみたらステレオも何も再生する器械を何も持ってなかった…という、それだけの話なんです。
でも、それ以降、僕にはボブ・ディランと「北帰行」がセットになっています。
なんで、そんなに印象に残っていたのかというと、たぶん僕と名前が一緒だったからでしょう。
それまで名前が一緒の方っていうのは、
当時、学習院大学教授だった社会学者の加藤秀俊さんしか知らなかったのです。
ちなみに僕が、この作品を読んだのは、それから4年後、大学1年のときでした。
外岡さんはその後、朝日で編集局長もつとめて、2011年に早期退職をされて、その後も執筆活動をされています。
ボブ・ディランがノーベル賞に決まって以降、何か、この件について書いてらっしゃらないかな…と思って探しているんですが、見つけられません。
誰か、この件について、外岡さんが、お書きになったものをご存じの方がいらっしゃったら、教えてください。
国立国会図書館サーチによると、
「ザ・ミュージック」は1979(昭和54)年に休刊しています。
ちなみに、外岡さんが載っていた号には、
細野晴臣さんのインタビューや、ミュージシャンとしての活動を始めたばかりの坂本龍一さんに取材した記事も載っていたことを覚えています。この2人と高橋幸宏さんの3人が、その1年後にYMO(イエロー・マジック・オーケストラ)を結成して日本のテクノポップブームを作ることになります。
ボブ・ディランの作品よりもYMOの曲のほうが懐かしい気がするのは僕だけですか?
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