2015-06-09

効く音楽

Vintage Jam Session - 1954
聴いたら、
条件反射的に陽気になる音楽ってありますよね。
「そんなもんはない」というヒトは、置いといて…。
僕はあります。

「僕」というか、
ほぼ確信を持って関西人なら、
とりあえず肩の力は抜ける曲があります。

「吉本新喜劇のテーマ」といえば、
関西では誰もが思い浮かべてしまう、あの曲です。

正確にはJAZZトロンボーン奏者でヴォーカリストの、
Pee Wee Hunt(1907~79年)がバンドリーダーをつとめる曲「Somebody Stole My Gal」で、
訳せば「誰かが僕の彼女を盗っちゃった」でしょうか?

でも日本語にしようが、
モンゴル語にしようが、
このタイトルを聞いてメロディが頭に浮かぶ日本人はほとんどいないはず。

やはり「吉本新喜劇のテーマ」でないと、
ピンとこない。

「ナニワのモーツァルト」こと、キダタロー先生の作曲だと信じている大阪人も少なくないような気がします。

だって、
あのミュートをつけたトランペットの、
♪ほんわか、ほんわか、ほんわか♪
…っていう感じで始まる曲は、
「吉本新喜劇のテーマ」以外の何ものでもありません。

タコ焼きとか串かつのソースのにおいが漂ってくる感じで、
コテコテ感が充満ですもん。

何といいても、あの曲を聞くと、
岡八郎(2003年4月以降は、岡八朗)や花紀京、原哲夫から始まって、
桑原和子、池乃めだか、辻本茂雄、内場勝則…みたいな感じで頭のなかをみなさんの顔が走馬灯のように流れていきます。

もう関西人のソウルミュージックそのもので、
この曲が耳に入ってくると、
陰気な顔はできません。

逆に言うと、
葬式では絶対に流してはいけないBGMだともいえます。

吉本新喜劇の方が亡くなった場合なら別かもしれないけど…。
それでも天寿を全うしたとか、いうケースに限定されるような気がします。

この曲がPee Wee Huntのバンドの演奏だっていうのは知ってたんですけど、
不覚だったのは、
そのHuntがトロンボニストだっていうことは知らなかったことです。

先日、偶然にそれがわかって、、
「えっ、そうなん!」ってことで、
CDを探しましたよ。

ところがです。

この曲が入ったCDが見つからない。

ダウンロード版ばかり…。

…というわけで、
生まれて初めて、
アルバムをダウンロードして買いました。
「Vintage Jam Session - 1954」っていうタイトルです。

CDというパッケージ商品にこだわっていたし、
JAZZの定番アルバムとなると、
ダウンロードの方が高いっていう場合も少なくなったので、
CDで買う方がお得感はあったんですよね。

ところが、
最近は円安の影響で、
輸入CDが高くなってきました。

もしかしたら、
CDがレコードに取って代わったように、
日本でもダウンロードのデジタル音楽が主流になる転機かも。
JAZZの名盤は軒並み安くなってきましたしね。

あと5年もしたら、
「あれが分岐点だったなぁ」という話なんかするんでしょうかね。

ただね、
僕の場合、
その歴史的かもしれないときに買ったのが“新喜劇のテーマ”なんですよね。

この曲を心に思い浮かべれば、
難しい顔はできないわけです。

たぶん、
これからダウンロード音楽の話題になると、
僕の頭のなかには、
「Somebody Stole My Gal」が条件反射のように流れるのは絶対確実です。

それにしても、
この曲を聴いて陽気な気分にならない関西人っているんでしょうかね。

沈んだ気分を上げる特効薬!
聴けば効くって感じですもん。
富山の置き薬より強力かも…って、
まだ富山の置き薬ってあるんですかね。

それはさておき、
「Somebody Stole My Gal」。
大阪の家庭にとっては、
タコ焼き器のような存在かもしれません。

2015-06-08

事件が見せた「リビングは戦場」という現実

きのう(7日)、書いたように、
京都で一泊してきました。
片道1時間くらいなんですけどね。

それはさておき、
雷蔵くん(ネコ、サバトラ、♂、2歳)と、
球太郎くん(ネコ、シロキジ、♂、1歳、愛称:Qちゃん)は、
ウチに来て初めて丸1日、人間と接触しないという経験をしました。

これまで留守にするときは、
ペットホテルに預けるか、
ペットシッターさんに来てもらっていたんです。

でも正味20時間くらいなんで大丈夫だろう、ということで、
留守番をしてもらいました。
犬とは違って、
不審者が入ってきたら撃退してくれるとも思えないので、
正確には留守“番”になっている気はしないんですけどね。

いつも僕と一緒にベッドの上で寝るし、
朝5時には僕を起こして「ゴハンくれ!」って起こすのが日常なので、
ふだんと違うのは少し心配したのですけど、
昼ごろに帰宅したら、
特に変わりはないし、
多めに用意していたキャットフードも適度に残してして、
食べすぎもせず初の留守番は達成できていました。

しかし、好事魔多し…。
「事件」はそれから起こったんです。

自分の部屋で仕事をしていたので、
その瞬間は見ていませんでした。

確かに、
何かモノが落ちる音は聞こえたんですけど、
あんなことになっているなんて…。

一段落してリビングに行くと、
何か様子が変…。
違和感がある。

見渡すというほどの広さじゃないけど、
違和感の正体は床に視線を移したときに判明しました…。

キャットタワーのてっぺんが落ちていました。
ジョイント部分のネジと支柱をつなぐところがちぎれるように壊れて、色々と試したけれど、
僕調べでは修復不能…。

ちぎれた「てっぺん」(写真上)と 「てっぺん」が立っていた跡(同下)
ちぎれた「てっぺん」(写真上)と「てっぺん」が立っていた跡(同下)
雷ちゃんが怯えている。
固まった感じで、
呆然としています(僕の印象です)。

想像するに、
雷ちゃんがてっぺんにいるときか、
駆け上ったときに「惨事」は起きたようで、
幸いケガはなかったものの、
心に傷が残ったみたい。

最近、
Qちゃんが、てっぺんで憩っていると、
先輩の雷ちゃんが無理やり割り込んで、
場所を横取りすることが目立っていたのだけど、
ショックを受けた雷ちゃんに乗じて、
Qちゃんが形勢を逆転…。

固まっている雷ちゃんを、
少し離れて“ロックオン”したかと思うと、
ネコが獲物を狙うときのお定まりの、お尻フリフリしたあと、
パッと襲撃。
雷ちゃんの頭を右手でポカッと、どつくのを繰り返しています。

ピンポンダッシュみたいな感じなんですよ、これが…。

雷ちゃんはそのたびに、
「フニャぁ」と弱々しい声を出すだけ…。

すごいです。
一見、友好関係にある先輩後輩だったのに、
Qちゃんは虎視眈々と相手が弱るのを待っていたんですね。
リビングの平和は表面だけ…。
本当は戦国時代だったのですね。
面従腹背の部下が上司を蹴落とす企業小説や、
現代の複雑な国際関係と僕の家の状況が重なりましたよ。

Qちゃんは天下を取ったように、
興奮して家の中を走り回ったりもしてました。

でも、それも一夜の夢のように、
今朝は平常…いつもどおり。

ネコは不思議です。

でも難儀なのは、
またキャットタワーを買わないといけないということ。
ネコが来てから約2年半、これで3台目です。

現場を検証しているのか、「てっぺん」が名残り惜しいのか。今朝(2015年6月8日)の雷ちゃんとQちゃん

2015-06-07

哲学するネコ

京都・南禅寺の重要文化財「三門」から見える新緑
京都・南禅寺の重要文化財「三門」から見える新緑=2015年6月7日
「京都で泊まるなら南禅寺界隈に限る」
これは「世界大恐慌」直前の1928(昭和3)年から7年間、
東京・千駄木に居をかまえて、
日本仏教美術を研究した英国人、ロバート・R・クラークがエッセイに書き残した言葉です。
クラークの『日本で見る東洋のかたち』は日本美術史を学ぶ学生の必読書です…。


…というのは嘘で、
そんな研究者は…たぶん…いないし、
おそらく、そんな本もないと思います。


僕が思いつきで書いたのですけど、
「南禅寺界隈」云々は僕にとって「真理」にも近い「真実」です。
まぁ、それも今朝、そうなったんで、
できたての「真理」です…。


今年は正月以降、まとも連休がとれなくて、
旅行もしていない、
近々には連休は難しそうなので、
土曜の午後と日曜の午前中が空いていれば、
大阪からなら手軽に一泊して、
観光気分を味わえる京都に行ってきました。

それも安上がりの会社の保養所です。

南禅寺の境内に面するくらいの感じにゆったり建っていまして、
往年の時代劇スター・「アラカン」こと嵐寛寿郎(1902~80年)の旧邸の敷地にあります。

確か、作家の遠藤周作(1923~96年)は灘中学(旧制)時代、
弟子入りを志願して京都のアラカンの家を訪ねたとエッセーで書いていたので、
それがここだったのかもしれません。

夜は大広間に面した庭にホタルが飛び交うそうで、
楽しみにしていたんですけど、
大浴場につかってから、
“あの”宿泊料金では考えられないほど豪華な夕食で、
機嫌よくビールをグビグビ飲んだら、
仮眠のつもりがそのまま爆睡…。

まぁ、そのリベンジっていうわけじゃないですけど、
朝食前、まだ観光客が来る前の早朝の南禅寺界隈を歩いたわけです。
「散策」という言葉は、
このためにあるというロケーションです。

それに、
梅雨だとは思えないほど、
さっぱりした天気で、
新緑の東山から、
ウグイスだかホトトギスだかの声も聞こえます。
(「ホーホケキョ」と「トッキョキョカキョク」の区別がつかない…)



京都・南禅寺

保養所から目と鼻の先の南禅寺の境内に入って、
重要文化財の「三門」の前を通り抜ければ、

「哲学の道」へと続きます。

哲学の道

ネコがいました!
思索しているような、していないような。
たぶん、していないですね。


「哲学の道」のネコ

あれ、またネコが…。

今は営業していない気配のレンガ造りカフェの入り口にある、
看板代わりのオブジェのようなワゴンがネコたちの住処(すみか)となっていました。

哲学の道のネコの住処

前に来たのは10年ほど前で、
こんな様子は記憶には残っていません。

エサやり用らしい皿も近くに整理されているし、
去勢済みを知らせるとみられる片耳の先が少し欠けたのもいるので、
近所の方が面倒をみている地域ネコかもしれません。

ジョギングや散歩をしている界隈の住人らしい方を警戒しないし、
この土地に溶けこんでいるのかも。

いずれにせよ、
「哲学の道」のネコは、
特別の意味を与えられている概念のように、
存在しているのでした。

2015-06-06

12年前の「耳」


キノコの類いでも、
卑猥なものでもありません。

写真は、
僕の左耳です。

正確に言うと、
僕の左耳を型取りして、
そこに石膏を流し込んだモノです。
わかりますよね。
でも念のために言うておくのでございます。


2003年の4月から半年間、
当時、大阪・吹田の万博記念協会ビル内にあった、
インターメディウム研究所・IMI「大学院」講座へ通っていたときに、
現代美術作家のヤノベケンジさんが講師をされた授業の実習で製作しました。

IMI(インターメディウム研究所)っていうのは「メディア表現者育成学校」で、
「アートと技術の融合」をテーマとしたマルチメディアの研究を行う機関で、産学協同・実務研究プロジェクトなどを行っていました。

IMIは写真家の畑祥雄さん(現・関西学院大教授)や伊藤俊治さん(東京芸術大学美術学部先端芸術表現科教授)らが中心になって創設されまして、
僕が確か第8期グループでしたので、
1997年から活動が始まったことになるのでしょうか。
講師にはヤノベさんをはじめ著名なアーティストや研究者がたくさんいらっしゃいました。


残念ながら、もう当時のスタイルでは残っていません。

会社に「国内留学」というのができて、
自分で受け入れ先を見つけたら
会社から給料をもらいながら学生生活を送らせていただけるという制度です。
これを利用して通ったんです。

大阪での適用第1号でした!
といっても、誰も、
そんな制度を利用しようと考えなかったためで、
厳しい競争を勝ち抜いたわけではありません。

授業は主に土日に集中していて、
平日は併設する工房「彩都メディアラボ」という、webサイトや映像などを制作している会社で、

実習生をしていました。

月に1回、会社にレポート書いて、
期間終了後に報告論文を書けばいいという有り難い日々です。

そのときの初レポートに「あらためて落語家はエラいと思った」と書いたことを憶えています。

授業のやり方が僕の大学時代とは違って、
講師のパソコンの中味をプロジェクターで映しだして、
パワーポイントでつくった資料や動画、写真、図版、音を駆使して講義してくださるわけです。
板書なんてのもほとんどないし、
プロジェクターの先のスクリーンに視線が行きますから、
講師の顔や身振り手振りなんていうのもあんまり見ません。
教室を暗くすることも多いので、
見えないし。


でも、
与えられる情報量は多いわけです。

だから、
逆に、

着物姿で演じ、
扇子や手ぬぐい、
せいぜいお囃子や小拍子(=小さな拍子木みたいなものです)で見台を叩く音の演出だけ見るものの頭のなかに「世界」を作ってしまう落語家はエラいと思った次第なんです。

でも、
プロジェクターを使う先生のやり方がダメって言っているわけじゃないですよ。
芸は噺家さんには劣るでしょうし、
まぁ先生より話芸の劣る噺家さんもいらっしゃるかも
しれませんけど…。
落語っていうのは情報伝達の基本が詰まっていると思います。
だから学ぶことの宝庫です。
世の中は複雑です。
それは重々承知しています。
でも、

食べすぎ飲みすぎは身心に毒だとか、
泥棒はいけない…といった原理原則はシンプルですよね。
それと同じように、
どんなに技術が発展して世の中が便利になっても、
シンプルな基本が大切。
もうあれから干支がひと廻りした12年前、
「国内留学」期間に一番痛切に実感し、
学んだのは、
それでした。

そして今、最も痛感しているのは、
正しいシンプルなことほど継続・実践するのは難しいということ。

他人と対話するときは、
聞くのが「8」、話すのが「2」の割合くらいで、
ちょうどいい。
良い関係はまず「聞く」ことから…というのはわかっているのですけど、
これが全然できない。

結局、表現するために重要なのは、
まず「聞く」ことだというのも分かってきました。
僕の経験の範囲内で言うと、
饒舌そうな印象のある方でも、
すぐれた表現者は「聞く」のがうまいです。


…というわけで、
石膏で型どった自分の「耳」を見て、

あらためて反省しています。

で、
こんな僕でもさすがに落語は、
笑いはするけど基本は黙って聞くわけでして、
そういう意味でも落語家はエラい。
「それは当たり前だ」っていう声も聞こえてきますけど、
「学級崩壊」なんていうことを耳にすると、
そうだともいえないわけで…。


2015-06-05

自分で生きるために深く掘る

ウンベルト・サバ詩集
須賀敦子訳『ウンベルト・サバ詩集』(みすず書房)のなかに、
「仕事」という短い作品が納められています。

ずっとむかし、
ぼくは楽々と生きていた。土は
ゆたかに、花も実も、くれた。

いまは、乾いた、かたい土地を耕している。
鍬は、
石ころにあたり、藪につきあたる。もっと深く
掘らなければ。宝をさがす人のように。

以上が、その全文で、
改行も同書掲載のままです。

随筆家でイタリア文学者の須賀敦子さん(1929~1998年)のファンは少なくないので、
サバのこともご存じの方は多いでしょうが、
20世紀最大のイタリア最大の詩人のひとりといわれています。
1883年に生まれ、1957年に亡くなりました。

引用したのは僕が好きな詩のひとつです。

この「ぼく」はサバ自身のことなのか、
人間一般のことなのか、
正確なことはわからないのですけれど、
僕自身は土が花も実もくれた楽々と生きた経験がないので、
後者を想定しています。

自然災害や、違う“部族”からの攻撃による脅威はあったにせよ、
生きる糧は自然がくれた。
もちろん収穫などの労働は必要だったでしょうけれど…。

その労力さえ厭わなければ、
生きていけたようです。

ところが、
現代の先進国をはじめとした社会ではそうはいきません。
だから「あした」の糧に思い煩うことになり、
「おカネ」がないと、どうしょうもない。

だから「組織」なり「制度」なりに期待するし、依存することになります。

いくら高い学歴があったり、地位に恵まれ、公認の資格・免許を持っていても、
「組織」や「制度」に依存しなければ、
不安になるわけですね。

僕も例外ではありません。

つまり裸一貫で「稼ぐ力」がないと、
変化を恐れることになります。

そこで希望と勇気を与えてくれるのは、
この詩です。

つまり「石ころ」とか「藪」といった障害はあるけれども、
もっと深く掘れば「宝」に行き着くと、
叱咤激励してくれています。

たとえば「郷土愛」など…。
保身のために「愛」を隠れ蓑にして、
自主性を偽装したくはありません。
もちろん純粋な「愛」もあるだろうけど…。

考えてみれば、
僕は掘ろうとしたことがないのかもしれません。
「宝」はもっと浅いところにあると思っていたので…。


だから、
僕はもっと深く掘ろうと思います。