2015-12-25

なぜ僕は「誰にでも好かれる人」が嫌いなのか。

元電気通信大学教授で、哲学者の中島義道(なかじま・よしみち)さんがお書きになった『私の嫌いな10の人びと』(新潮文庫)って本を読みました。

この本はタイトルがわかりやすいんで、目次を見ていただけば、まぁだいたいの内容はわかるっていう親切なつくりになっています。

その目次は…。
(1)笑顔の絶えない人
(2)常に感謝の気持ちを忘れない人
(3)みんなの喜ぶ顔が見たい人
(4)いつも前向きに生きている人
(5)自分の仕事に「誇り」を持っている人
(6)「けじめ」を大切にする人
(7)喧嘩が起こるとすぐに止めようとする人
(8)物事をはっきりと言わない人
(9)「おれ、バカだから」と言う人
(10)「わが人生に悔いはない」と思っている人
…となっています。
つまりこの10種類が中島先生の「嫌いな人びと」ってわけです。
ふだんから「誰にでも好かれる人」が大嫌いっていうのを広言している僕です。
この本の目次の人っていうのは誰にでも好かれる人を並べたショーウィンドウの説明書きのタイトルみたいなものなんで、僕もだいたいは嫌い。
だから買って読むわけなんですけどね。
同好の士(?)を見つけたい。

でも、なかには(5)自分の仕事に「誇り」を持っている人…なんていう僕の嫌いじゃない人も含まれています。
ですけど、この(5)の本文を読むと書き出しから…。
“正確に言うと、私は自分の仕事に、普通程度に誇りをもっている人が嫌いなのではなく、自分の仕事にセンチメンタルな生きがいと愛着をもっている人、しかもそれに何の自己反省も加えていない人に漠然とした違和感プラス反感を覚えるのです。だから「誇り」と括弧に入れたわけです”
…と説明されています。
僕も「あっ、それなら嫌い」となります。

僕がこの本を買った理由のひとつは僕はどうして「誰にでも好かれる人」が嫌いなんだろ、という疑問を解き明かしたいということがありました。
ちなみに常識的な方は「この本の目次は逆説的で実は間接的に、このような人びとを肯定しているのでは」と考えるかもしれません。
しかし、そんなことはなくて中島先生はけっこう(完全にではないですが、)ストレートに「10の人びと」が嫌いなようです。

ざくっと乱暴にまとめてしまうと、先生が嫌いな「10の人びと」っていうのは自分で血の滲むような経験もなく言葉の表面的な正しさで単純にいろんなことを肯定してしまう怠け者…。
そんな人間は我慢できないという主旨になります。

僕なりに咀嚼すると「信念」と「洗脳」の区別のつかない人びとが嫌いなんだと思いました。

宗教信仰であれ、思想であれ、行動原理であれ、倫理規範であれ、単に「洗脳」されているだけなのに、「正しいこと」を自分の行動指針としている人間は僕が最も敬遠したいタイプの人間です。

「洗脳」と「信念」


「信念」というのは簡単には形成されないと僕は考えています。
それは容易ではない選択の結果だからです。
たくさんのものを吟味したうえ、さらに様々な立場から先入観なしに見つめる。
その先入観には自分の性別、国籍など「無理やろ」というものまでも含めます。
とりあえず自分から剥がそうと努力してみる。
母語以外の言葉でのアプローチも試みてみる…そのうえで確立されて行動原理になるのが本当の「信念」だと思っています。

…というわけで僕にはまだ「信念」なんてものはありません。ですからたぶんまだ自分は何かに「洗脳」されて生きていると自覚しています

この本を読んで思ったのは「誰にでも好かれる人」っていうのは、あんまり物事を批判的に見ることなしに「正しいと言われていること」を信じられる素直な善人なのだと思いました。

ひねくれた僕は、そんな善人が嫌いなんでしょう。
それは彼らが「洗脳」状態を渡り歩くこともけっこう平気そうなので信用できないんでしょうね。

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