2015-05-05

サバのあたま

2015年5月5日の道頓堀。もちろんサバではなくコイです

きょうは5月5日です。

端午の節句、「こどもの日」です。

午後からカラダがあいたので、
「大阪都構想」の是非をめぐる住民投票で話題の大阪市の街なかをブラブラしました。

地下鉄堺筋線・日本橋駅から地上に出て、
道頓堀の川岸を歩き、
あとは三休橋筋を軸にジグザクに北上し、
北浜界隈では、
緒方洪庵(1810-1863年)が江戸時代に開いた蘭学私塾「適塾」やら、
その西隣りにある、
1880(明治13)年に開園した市立愛珠幼稚園なんかを見ました。
この幼稚園は現存する木造の幼稚園園舎としては日本で最も古くて、
国の重要文化財にも指定されています。
もともとは地元の町会連合が創設し、
世界的にも評価が高い前衛美術集団「具体美術協会」を創設した吉原治良(1905-1972年)も通っていました。

もちろん去年3月、「大阪証券取引所」から名前が変わった「大阪取引所」も見た…というか、前を通りました。
世界で初めて現在の通じる商品先物取引市場が起こったのは大阪でした。

で、
三休橋筋の突き当たりが、中之島…。
民間人の寄付をもとに建設された大阪市中央公会堂=1918(大正7)年竣工=です。

ちなみに三休橋筋って、
英語の「Thank you」にもつながる感じがいいですね。
「Thank you Avenue(サンキュウアベニュー)」という愛称にして、
なんかできそうですけど、
もう誰かが試みたことがありそうですね。

それはさておき、です。
歩きながら、
頭に浮かんだのは、
作家の藤本義一さん(1933-2012年)の「サバのあたま」の話です。

サバというのはサカナのサバ、サバを読むのサバです。

阪神大震災の年(1995年)の6月、
大阪・天満で開催された「日本芸能再発見の会」発会式で、
藤本さんは芸能や文化を捨てられた「サバのあたま」…。
つまり、アラにたとえました。

ハエが寄ってきて、ウジがわく。またそのウジがハエになっての繰り返し。一時は不潔に見えるが、時が経つと立派な骨格標本になる。つまり、現状では認められているものも、
発生当初から、芸能や、文化や、といわれるのは無理な話で、
異臭を放つ中で昇華されてきた…という意味の話でした。

僕はビジネスも同じだと思いました。

ゼロベースの温床のなかから、
異臭や腐臭を放ちつつも、
産み出す環境や力が必要だと感じたんです。

西洋の学問でも、
幼児教育でも、
先物取引でも、
前衛美術でも、
最初は何か、
胡散臭いものだったはずです。

でも、それをちゃんと実績にする力があったんですね、大阪には。

それは前例のないことでも、
チャレンジする自主性、自立自律の気概があって、
ウジでも腐臭でも許容する、
本当の意味での産み出す力があったと思うんです。

たぶん、
今の大阪は、
その力の遺産で生きているような気がしました。
そして、
遺産を実力として錯覚していただけで、
かつてのような産み出す力を持った土壌は痩せて枯れてきていると実感した
…ような気がしました。


たぶん政治家や行政に期待すること自体が、
間違っている。
大阪が今、沈滞しているのは行政の責任ではなく、
生活や仕事をしている人間の責任なのは間違いありません。
政治っていうのは、
よほど非道な独裁でない限り結局、
本質的な責任は取ってくれないんですよね。
選挙に落ちて撤退するだけですから。

だから、
大阪府・市だって、
制度改革をしても、
弥縫策でしょう。

住民が自主的に産み出す力を取り戻さなければ、
どうしょうもありません。

考えてにれば、
当たり前のことですけど、
制度が変わっても、
依存心が勝ったままでは、
何も産み出せないのは当たり前です。

政治家や行政に期待している時点で、
大阪は、
本来の大阪ではないのでしょうね。

2015-05-04

「阪急そば」の罠

阪急梅田駅1番ホームの「阪急そば」の看板

落語のネタでも江戸が「時そば」なら、

上方は「時うどん」です。

大阪は、そばよりも、うどんということになっています。

昨日(3日)、大阪・阪急梅田駅のホームで、
看板を見かけました。
もちろん、
これまでも見ていたに違いないのですが、
きのうはちょっと気づいた、
というか気になることがあったんです。。

それが駅の一番東側の1番ホームにある「阪急そば」の看板です。

ちなみに「阪急そば」は、
運営する株式会社阪急・阪神レストランズのwebサイトに、
“「旨い」「早い」「安い」をコンセプトに創業48年を超える駅そばのパイオニア”とあります。

wikipediaによると、
“1967年(昭和42年)に阪急電鉄十三駅構内に関西私鉄で初めての立ち食いそば・うどん店として十三店を開いたのが始まりである”とのこと。

阪急電鉄は関西の企業で大阪に拠点があるんですから、
「阪急うどん」ではダメだったのか…と、
いまさらながら考えたわけです。

“関西私鉄で初めての立ち食いそば・うどん店”ということは、
関西私鉄以外で、
先例があったということなんでしょうね。
鉄道の駅にある立ち喰いそばの店には「駅そば」という呼び方が以前から、
あったそうですから、
やっぱり駅に開設する場合は、
「そば」が当たり前で、
阪急の関係者の中からも、
「駅なんで、そば、ってことで」と、深く考えず、
名前をつけてしまったのかもしれません。

もしかしたら、
名前を決める会議で気の弱い関係者もいて、
「大阪やから、うどんのほうがええのと違うやろか…」と内心、悶々としてたけれど、
「駅」は「そば」という既成の趨勢に流されて、
言い出せなかったのかもしれません。

一方で、
阪急の社員のなかには船場の老舗繊維問屋とかの次男、三男の方がいて、
「立ち食いみたいなもんに『うどん』です、と看板だして、
味に、うるさい大阪の客に『こんなん、大阪で、うどん言われたら、どんならん』と文句いわれたあかんさかい、ここは、もう定着してる『そば』で」という強い意志を持って名づけたのかもしれません。

それはさておき、
この看板、ご覧になっていただいたら一目瞭然、
文字には「そば」という文字しかないのに、
写真はちゃんと「きつねうどん」…大阪でいうところの「けつねうろん」です。

普通、これが印刷物を扱う世界なら、
「うどんという言葉がひとつもないのに、
写真は、うどんっていうのは変でしょう」となるはず。
「どこかに『うどん』という言葉を入れないと、
ミスだと思われます」と、
しつこく主張する方は必ずいる……ような気がします。

しかし、
あんまり違和感は覚えません。

「阪急そば」で、うどんを食べるのは、
当たり前のこととして定着しているからでしょうか。
実際、阪急そばに行くと、
そばよりも、うどんを食べてる客のほうが多い気がしますし、

とはいえ、
巧妙なフェイントみたいな気もするし…。

なんだか腑に落ちず、
あらためて阪急そばのwebサイトの「季節のおすすめメニュー」をみてみると、
2015年5月4日現在、
「鶏五目そば・うどん」「<冷たい>田舎出し汁そば・うどん」「ポテカレーそば・うどん」と、
律儀にそれぞれ「そば・うどん」と併記しています。
しかし、です。
写真はすべて、うどん。
「鶏五目そば」はないわけです。

さらにもっと、
僕を困惑させたのが、
このラインナップ最も目立つ左端にある、
イチオシとみられるメニュー。
それが、
「ピリ辛!冷やしきしめん」…なんです。

そばでも、うどんでもなく、
きしめん…。

どないやねん。

「おみゃーさん、そりゃ、ややこしいてぃかんで」と名古屋弁が出そうになります。

…と書いていると、
無性に阪急そばで、
きつねうどんが食べたくなってきました

恐るべし「阪急」。

2015-05-03

28年が過ぎて

毎年「5月3日」を迎えるたびに、
いら立ちに似た感情を覚える。
歯がゆさにも近い思いだ。

1987(昭和62)年5月3日、朝日新聞阪神支局(兵庫県西宮市)が散弾銃を持った人物に襲撃された。
同支局2階にいた2人が撃たれ、
小尻知博記者(当時29歳)が亡くなった。

僕は記者になって3年目を迎えたばかりの駆け出しだった。

いら立ちや、
歯がゆさのような気分を感じるのは、
まず「犯人」が捕まらないことが原因。
それは明確である。

そして、
未だに、
この事件全体を正確に表現する言葉を自分が持ちあわせていないことだ。

当時の報道が、
従前の「事件取材」の方法や表現でなされたことへの疑問は、
すでに書いていて、
その原稿が収められた本も出版されたけれど、
それとはまた異なる。

「言論に対する暴力での弾圧」には違いないのだろうけど、
一眼式のレンジファインダーカメラの焦点が定まらず、
二重像が微妙にずれているような気がする。

「事件」は自分の「外」にある「非日常」だという感覚から、
抜け出せない違和感が原因かもしれない。

…と書きながら、
そんな複雑な表現をすることがいけない…とも自戒する。

簡単にいうと、
他人事(ひとごと)の域を出ていないという嫌悪感だ。

あれから時間が過ぎて、
世の中の状況も人々の意識も変化した。
つまり、
「事件」があった当時の時代と今の空気は違ってきた。
それが良い悪いの問題ではない。

よく「風化」という言葉が使われるが、
現実には
変わっているのは「事件」ではなく、
自分たちなのだとあらためて思い知る。
過去の事実は変わらない。
現在の我々が変わるのだ。

他人事にしてしまっている嫌悪感に話を戻すと、
結局、
端的に言えば、

自分に銃口が向けられる可能性があるとき、
それが言論に関わる問題ならば、
自分の勇気が恐怖を克服できるか、
その自信が確固たるものではないことに嫌悪感を覚えさせるのだろう。

恥ずかしいと思う。
そして、
恥ずかしいと思うことを免罪符にはしてはいけないのは当然だが、
恥ずかしいという気持ちの次へ進むために、
恥ずかしいという感覚は土台として持っておきたい。
この「事件」を適切な言葉で表現するために。

2015-05-02

Never give up.

球太郎くん(ネコ、シロキジ、♂、1歳、愛称:Qちゃん) 

きょう(2日)は太陽の下で仕事をして、
帰って原稿を書いて、
夕食の後、
本を読もうと思って、
ソファに寝転んだら、
そのまま寝てしまい、
気づいたら、
もう日付けが変わりそうな時間。

で、
ものすごくセコいんですけど、
毎日のブログの更新をとりあえず、
途絶えさせないため、
こんな文章をアップロードする次第です。

たぶん一日、開いてしまうと、
もう書かなくなってしまいそうなんで、
とりあえず、
反則だとは思うのだけど、
更新だけはするというわけ。

まぁこういうことがあってもいいですよね。

これもまた、
「生きる名人」をめざす選択肢のひとつのような気もします。

時には厚顔無恥なことも欠かせない。


もちろん、公序良俗に反したり、
他人様に迷惑をかけないことならば…です。

2015-05-01

武器と楽器

『魂の錬金術 エリック・ホッファー全アフォリズム集』

「多くの武器や道具は、もともと玩具だった。弓は武器になる前は楽器だったし、車輪は道具として使用される前は玩具であった」(『魂の錬金術 エリック・ホッファー全アフォリズム集』作品社)


エリック・ホッファーの著述のなかで、
一番好きなのが先に挙げた「遊び」に関する格言のなかの一節です。

この部分だけを読めば単に事実として物事を述べたにすぎず、
「芸術は実用品の製作よりも古く、遊びは労働よりも古い。〈中略〉人間の独自性と創造性の源泉は、その子どもじみたところに隠されているのであり、遊び場はその能力と才能を開花させる最適な環境なのである」
…という結論を補強する部分でしかないわけです。

でも、
武器としてよりも楽器としての弓のほうが先だったというのを初めて読んだときは嬉しかったのです。

人間がいて、
社会、国家がある限り、
「戦い」は不可避で、
だから「戦争はなくならない」という声もあるけれど、、
その戦争につきものの武器よりも、
同じ形をしているものでも、
楽器のほうの用途が先だったというのは、
論理を超えて、
嬉しい気がしませんか?

もちろん、
ホッファーは武器としての弓よりも、
楽器としての弓のほうが古いということを、
厳密な事実をもとに書いているわけではありません。
でも、
全く根拠のないことではないのでしょう。

いずれにせよ、
日本では戦時中に、
「遊び」は抑制されたようですが、
人間にとって、
楽器を奏でて遊ぶことよりも、
戦争の方が重要だとは言い切れないようですね。

もしかしたら、
ある種の“ユニーク”な人間が、
「遊び」の延長として“道楽”で、
人々を「戦争」に駆り立てている場合もあるかもしれません。

それはさておき、
「遊び」が独自性と創造性の源泉であるというのは、
納得できる話です。

だから「遊び」は真剣にやらないと面白くないのかもしれません。

ただ気をつけないといけないのは、
真剣さが行くつく先は、
「命」をかけるくらいでないと面白くなくなってくる可能性があるということです。

命をかけるのを完全に否定するわけではありません。
ただ、他人を巻き込むのはいけませんよね。

もしかして、
(それは本当に「戦争」という形かもしれないけれど)
自分の「遊び」の楽しさを追求するあまり、
真剣になりすぎて、
他人の生死にまで干渉するのは勘弁…。

本当は「遊び」なのに、
自覚せず、
何かの主義や正義、信条を盾にして、
「命」をかけるのは当然だと、
悲壮な顔をして、
他人を巻き込むのはやめてほしいですね。

遡れば、
「支配欲」というのも、
単なる「遊び心」から出ているものかもしれないし…。

とはいえ、
理不尽な抑圧への抵抗としての「戦争」もあるでしょう。
それに対して、
多くの「戦争」は理不尽への抵抗という美名のもとに始まるという意見もあるでしょう。

ただ、
どんな「戦争」からも逃避する「道」を残しておくことは必要なのだと考えています。

「自由」から逃げることを避けるためにも。

ちなみに、
どうでもいいことなんですけど、
トロンボーンって、
ロケットランチャーみたいな感じがしませんか。
僕は、します。
で、
そんなフォルムもトロンボーンの魅力だと思っています。