2015-07-19

「他力」「自力」そして「無力」

「善人なをもつて往生をとぐ、いはんや悪人をや」の、いわゆる“悪人正機説”を知ったのは中学生のころだったと思います。
たぶん歴史の時間…、
鎌倉仏教のことを習ったときだったのでしょう。

浄土真宗の宗祖・親鸞が、まず悪人から救われると言ったということが『歎異抄』という書物に記されているというんですね。

当時は浄土真宗って危ない宗教なのか、と思ったくらいですけど、
でも、
京都には西本願寺とか東本願寺という有名で大きな寺があって、
母の実家も浄土真宗。
宗派が真宗という家も多いのに、
別に信者が積極的に悪いことをしているという話は聞いたことがない。
あったとしたら、
ニュースになっているはずですから、
この“悪人正機説”というのは、
なにかの寓意を含んだ逆説的なものだと、
考えたわけです。

でも、そうでもないことは、
『歎異抄』を読んで感じました。

2015-07-18

借り物の「物語」に踊らせていないだろうか

「あっ、これだったのか」と今ごろになって見つけました。

作家の村上春樹さんが、
中国、韓国に対する歴史認識の問題で、
<相手国が「すっきりしたわけじゃないけれど、それだけ謝ってくれたから、わかりました、もういいでしょう」と言うまで謝るしかないんじゃないかな。謝ることは恥ずかしいことではありません。細かい事実はともかく、他国に侵略したという大筋は事実なんだから>…と発言したということで、物議をかもしたインタビューの全体を初めて読みました。

47都道府県52新聞社のニュースと共同通信の内外ニュースを束ねた総合サイト「47NEWS」で公開されてまして、
聞き手は共同通信編集委員なので、共同通信の配信ですね。
日付けは2015年4月27日でした。

(上)(中)(下)の3部構成で、
「謝るしかない」に関係するところは全体のなかではほんの一部で、
全体のテーマの「村上春樹さん、時代と歴史と物語を語る」では付け足しのような印象を受けました。

僕が一番、関心を持って読んだのは、

2015-07-17

才能と火花

「ピース」という、お笑いコンビの又吉直樹さん(35歳)の小説『火花』が16日(2015年7月)、第153回芥川賞の受賞作に決まりました。

受賞すれば、お笑い芸人では初ということで、
候補作に選ばれたときから世間から注目されていました。
そんなわけで、
僕も注目していましたが、
この日は衆院で「安保関連法案」が可決したり、台風11号が大阪にも近づいていたりで、
忘れていました。
もちろん、文化部に在籍して文芸を担当をしていたときには、
何があろうとそんなことはなかったです、念のため。

文化部にいたときは、
文芸担当でなくても、
候補作は毎回だいたい目を通していました。
芥川賞の候補作は本になっていない作品がほとんどで、
掲載されている文芸誌で読んでおかないと、
一生、読むことがない恐れが大きいということもありました。

今回の「火花」は興味があったのですが、
すでに本になっていて、
いつでも読めるということもあって、
まだ読んでいませんでした。

ウィキペディアで「又吉直樹」を調べてみると…。

2015-07-16

政治の「需要」と「独創」

「大衆の知恵は、決して創意などは持っていないのである」
…というのは本田技研工業を設立した本田宗一郎さん(1906~91年)の言葉で、
本田さんの著書『やりたいことをやれ』(PHP研究所)に記されています。

つまり、市場調査っていうのは有効だけど、
それは既成製品の評判を探る場合のことで、
独創的な新製品をつくるヒントにはならない。
なぜなら大衆が絶賛するのは大衆が気づかなかった新しい楽しみを提供するものだからだ、というわけです。

本田さんの「独創」への厳しい姿勢がうかがわれる言葉です。

でも、
大衆の気づかない「新しい楽しみ」は何をもとにして、
産み出せばいいのでしょうか?

途方にくれます。

一方、同書のなかにはこんな言葉もあります。

「安易な模倣に走り、独自の創意を放棄するような考え方が生まれた瞬間から、企業は転落と崩壊の道をたどり始めるだろう」

これは「独創」へのヒントになりそうです。
つまり、安易な模倣をしないことが「新しい楽しみ」を創造する条件といえるのかも。

需要は自分で作り出すものだということですね。

ところで、
需要がないのに、のさばっているものってありますよね。

2015-07-15

「生きがいについて」について語るときに僕の語ること

精神科医で、マルクス・アウレーリアス『自省録』(岩波文庫)などの翻訳や、エッセーなどで知られる神谷美恵子(1914~79)の『生きがいについて』(みすず書房)の本文冒頭は、僕にとっては衝撃でした。

<生きがいということばは、日本だけにあるらしい>という一文です。

「生きがい」を手元にある『パーソナル和英辞典』(学研)で引いてみると、
「生き」の項で「生き甲斐 ~がある be worth living」と記されて単語のように独立していない。

「生きがい」も「生きる」+「甲斐」の2語を合わせたものなので、「生きがい」という言葉が日本にしかないとはいえない…とも考えられる。

しかし、僕としては英訳との乖離が大きい気がして“神谷説”のほうが腑に落ちます。

「worth」は「価値」とか「有効性」「財産」という日本語が充てられることが多いけれど、
「生きる価値」や「生きる有効性」と、「生きがい」には隔たりを感じるからです。