2015-05-10

明日できないこと

元外務省主任分析官の佐藤優さんが著書『人に強くなる極意』(青春出版社)で、
「明日できることは今日やらない」ということが、
たくさんの仕事をこなすうえで大切な原則だとおっしゃっています。

昔、遠藤周作さんのエッセーで読んだ、
どこかの国の諺(ことわざ)と似ているような気がしましたが、
それはさておき。

たいした量の仕事をしていないのに、
アップアップしていて、
残業をしているような人は、
きょうすべき仕事と、
明日に回してもいい仕事の大きさが一緒に見える…
つまり仕事の遠近感がないので、
優先順位がおかしくなって、
無駄に忙しくなってしまうというわけです。

なんで、
こんなことを書いたかというと、
このブログは緊急でも大事でもないんですけど、
あしたに伸ばしてしまうと、
1日休んで連続更新が途絶えたことになってしまうという奇妙なものです。

つまり毎日の日課なので、
きょうすべきものですが、
緊急でも重大でもない。

矛盾というほどの大したものでもないし、
何かにたとえようにも難しい。

結局、自分との約束や、
ひとりよがりのゲームみたいなものなんですね。

そう考えてみれば、
緊急でも重大でもないけど、
大切なものかもしれません。

きょうのブログは明日には書けない。
あした書くブログはあしたという、きょうに書くブログですからね。


2015-05-09

「安定志向」を初ナマ体験

写真右端が福田恵さん、前列右が藤京子さん…のはず

もう、まことに有り難い話なのでございます。


関西のナレーター界のドンともいわれる、
あの、畑中ふうさんが、
毎週土曜日(午後5時~同7時)
、阪急うめだ本店9階の祝祭広場からナマで発信されている、
ネットラジオ「RADIO HAFUU」に呼んでいただいたのでございます。

テーマは、
「どないなん都構想!? 住民投票一週間前やでSP」。

大阪の女性公務員漫才女性コンビで、
演劇活動もされている「安定志向」(藤京子さん&福田恵さん)さんらと、
ご一緒させていただき、
もう誠に感謝なのでございます。

畑中さんの、この番組に呼んでいただくのは、
昨年3月に続いて2度目。

2度目のチャンスを与えていただいたわけです。

畑中さんの期待に応えられたかはさておき、
いろんな方と共演できて、
嬉しかったわけでして、
「安定志向」さん以外の方もいらっしゃったのですが、
残りはおっさんばかりで、
あまり覚えていないのでございます。

Ustreamで生動画も配信させたそうなんですが、
誰かご覧になった方はおられるのでしょうか。

とりあえず、
僕的には「事件」だったので、
深い意味もなく、
ブログに書いてしまう次第です。

テーマについての結論はもちろん出るわけもないのですが、
結局、
政治家や行政に関係なく、
「民間」の自主・自律・自立が大切だという真っ当な結論に落ち着いた気がします。

なにか、オチめいた気の利いた終わり方はないかと、
悩んでいるのでございますが、
何も思いつきません。

正直を申しますと、
誠に失礼なことで「安定志向」さんのことを存じ上げなかったのですが、
泥縄でググって記事やら動画やらを拝見しました。

現役公務員が漫才コンビをやっているという、
意味や意義は大阪にとって、
なかなか意義のあることのような気がしました。

大阪が、一皮むけるヒントがありそうな予感がするわけです。

そこのところをうまく文章で表現したいのですけれど、
きょうは、
もう時間切れ、ということで!

2015-05-08

「げん」の話


生きていると、

驚くことはよくあるもので…。
…といっても、
死んだら驚くことがないかどうかは、
死んだ経験はないので、
わからないのですが、
とりあえず、
「生きていると」と、
紋切り型でやってみる次第です。

きょう『桂米朝コレクションI 四季折々』(ちくま文庫)という本を読み始ました。

米朝師の落語を収めたシリーズ全8巻の第1巻でして、
『けんげしゃ茶屋』『正月丁稚』など11のネタで構成されています。

それぞれの噺の前に〈口上〉として、
米朝師の解説があります。

もうその、のっけから驚きました。

知っている方は知っているのでしょうか、
「げんが悪い」とか「げんをかつぐ」とかの「げん」。

ふだん、何も考えず使っておりまして…。
もちろん、

他の言葉はそんなに深く考えて使っているというわけでもないのですけれど…。

気弱な人間なもので「げん」は気にしていたのに、
「げん」という言葉は気にしてなかったという頼りない話です。

〈口上〉によれば、
「この『げん』という言葉も『ぎえん』――縁起をさかさまにした洒落(しゃれ)ことばです」。

驚くでしょ?

僕なんか、何にも考えず、意識せずに使ってました。


「えんぎ」のさかさまなら「ぎんえ」ではないでしょうか?…と人間国宝に聞くのは、もうそれこそ、げんの悪いことで、
何より、もう米朝師はこの世にはいらっしゃらないのですから、
聞きようもありません。

いずれにせよ、
縁起でもないことを忌み嫌って、
それに障(さわ)りのあるような言葉とからめるときは、
さかさまにして念を入れる、
言葉を大切にしていた証拠ですね。

「言霊(ことだま)」とはよく言ったものです。

日本は言霊の幸(さき)わう国ですね。

もちろん、
グローバリズムがどうのといわれる時代に英語が大切なことはよくわかりますけど、
まず、自分の言葉の「芯」になるものはしっかりとさせておきたいものです。

たぶん、そうでないと、どんなにたくさんの言語ができても、
何も語れないのかもしれません…というのも、
オチとしては今ひとつですね。

2015-05-07

名人はあの世からでも…

2015(平成27)年5月7日の動楽亭(大阪・動物園前)

暦のうえでは、

今年のゴールデンウィークはきのう(6日)で終わりでした。
でも、暦にあまり関係のない僕はきょう(7日)が代休でして、
今月初めて大阪・動物園前の寄席「動楽亭」に行ってきました。

ちょっと仕事めいたものが長引いて、
開演の午後2時を数分過ぎたあたりに入りました。
連休も終わったので、
ガラガラかと思いきや、
約60ある席はほとんど埋まっていて、
僕は最後尾列のパイプ椅子でした。

中入り前の開口一番の前座から3番目に上がったのが、
今年3月19日に亡くなった桂米朝師(享年89)の弟子で長男の、
桂米團治さん。

マクラで、父であり師匠でもある人間国宝のことを“ネタ”にされました。

だいたい、平日にはそんなにお客さんは多くない寄席なのですが、
この日は米朝師の息子の米團治さんを見たいということで、
ほぼ満席になった空気を読まれたのか、
「こんなにたくさんの方が来てくだったのも、
米朝が亡くなった、お陰でして」と、
ブラックなのに、
そんな空気を感じさせずに笑いをとってから、
3月25日、大阪・吹田市で営まれた葬儀の話題に入ったのでした。

もともと、
米朝師は3年ほど前に自分の葬儀は家族葬で、
と希望しておられたそうですが、
まず一門が大人数で、
家族とそうでない方の線引きが難しい…。
さらに葬儀に(桂)文枝さんがいらしたら、
帰ってもらうわけにはいかないでしょう?
「そうやなぁ」と当時の米朝師…。
(笑福亭)鶴瓶さんが来はったら
「それは帰ってもろて…」と笑いをとりながら、
結局、1500人が参列する大きな式になったと説明。

米團治さんを喪主とする親族(中川家)、
米朝事務所、
一門の3者によって営まれ、
一門は米朝師の直系弟子最年長の桂ざこばさん(67歳)と、
月亭可朝さんが代表をつとめられたそうです。
可朝さんは、
3代目林家染丸師の弟子を経て米朝師に再入門し、
一時は2代目小米朝を襲名していた一門の最年長(77歳)なのです。

可朝さんの式での挨拶は、
「あの世」の師匠に呼びかける内容だったみたいで、
話が進むに連れてユニークさが増したようでした。
会場の前から3列目に座っていて、
金髪で誰が見ても、それとわかる春風亭小朝さんが声を出して笑ったことで、
やっと周囲の方々も「笑ってもええんやな」という空気になり、
笑いが巻き起こるなか、
ざこばさんが子供のように大泣きしていて、
まさに松竹新喜劇の泣き笑いの世界だったとのことです。

しかし、まぁ、
亡くなったあとも多くの方から笑いをとり、
そして笑った人々も、
それが供養になると納得できる…。
この世の人でなくなっても、
落語の名人、そして生き方の名人ですね。

「生きる名人」については、
僕もいろいろと定義とか条件とかを考えていますけど、
仕事という軸があって、
それが生きることと一体になり、
…ということが代表的な一例だと思っています。

たぶん、それは仕事でなくてもいいんでしょうね。

極めるに足る信じられるものをお持ちになっていて、
それが他人様(ひとさま)にも喜んでもらえるものならば言うことはありません。

この流れで行くと、
まず何か、極めた「軸」が重要になってきそうですが、
本当に大切なのは、
他人様が喜んでいただけるかどうかではないでしょうか。

僕は最近、他人様に喜んでいただくことに勝る快感はないのではないか、と考えるようになってきたからです。

とはいえ、
ただ、存在しているだけで、
他人様に喜んでもらえるようになるというのは、
本当に難しいことでして、
方法が想像もつきません

近道のひとつが芸や仕事などを追求することのような気がします。
つまり、
ものすごくハードルが高いわけです。

ただ、もちろん、それは一例で、
全く違ったスタイルで、
機嫌よく生きて死んでいく方法もあるのでしょう。

たとえば、
全く他人と関わらず、
自分の内側だけで悟りを開いたように生きて死ぬ……。

でも僕には社会のなかで自分以外と無縁で孤独に機嫌よく生きて死んでいく素質はないようです。

他人とつながろうとすればするほど、
「自分」とか「我」といったものへの過剰な意識をなくしていくことが必要だと思うようになってきましたし…。

これは、自己犠牲とか、
誰にでも好かれる善人を演じることとはもちろん違うようです。

2015-05-06

谷崎潤一郎と、うどん

『蘆刈・卍(まんじ)』(中公文庫)の表紙

谷崎潤一郎(1886-1965年)の『蘆刈』は、

中公文庫にある河野多恵子の解説をそのままに借りれば、
「恋愛成就の困難な女人への谷崎潤一郎の無限の念いを本格的な見事な虚構化によって、そのままに書いたのではとても書き得ない作者自身の現実を真実の極みまで表現した小説なのである」。

河野多恵子は今年1月、88歳で亡くなりました。

『蘆刈』は谷崎の作品のなかでは、
僕が『細雪』の次に好きで、
その次が『猫と庄造とふたりのおんな』です。

「あるとしの九月」に、
神戸の岡本から大阪・三島郡の水無瀬へ、
小説の語り手がひとりで散策と月見に行くところから始まるのが『蘆刈』です。

きょうは、この作品を云々という大それたことをしようというのではなく、
本筋とは関係なく印象に残った部分の、お話です。

初めて読んだのは大学を卒業して就職した年、
ちょうど初任地の神戸で暮らし始める前後だったと記憶しています。

印象に残ったというのは、
“語り手”が水無瀬を散策して、
月の出の前に食事をしたくだりです。

「もとより気の利いた料理屋などのある町でないのは分っていたから一時しのぎに体をぬくめさえすればいいのであるとうどん屋の灯を見つけて酒を二合ばかり飲み狐うどんを二杯たべて出がけにもう一本正宗の壜を罎を熱燗につけさせたのを手に…」

―という部分で、
それがどうした、という方も多いでしょうけど、
僕はこの文章を読むまで、
うどんで酒という発想が全くありませんでした。
日本酒で麺類なら、蕎麦という印象を持っていたんです。

だから新鮮というか、
違和感すら覚えました。

「うどん定食」がある関西で生まれ育ち、
うどんは主食でもあり、
おかずでもあるわけで、
酒との相性なんて考えたこともなかった。

ですから、
東京生まれの谷崎は、
たぶん麺類といえば、
蕎麦だったはず、
ところが関西に移り住むと、
東京ほど蕎麦は美味くない、
そこで、
代替として、
うどんに日本酒という取り合わせになったのだろう…
と勝手に推測しました。

それが当たっているのか、
どうかはわかりませんが、
それから、うどんへの見方が少々、
変わったのは確かです。

グラフィックデザイナーで居酒屋探訪家の太田和彦さんが著書『居酒屋大全』で、
日本三代居酒屋のひとつとした大阪・阿倍野の「明治屋」には、
ちゃんと「細うどん」という酒の肴になるメニューがあって、
初めて見たときには、
『蘆刈』を思いながら、
食べて飲んだ次第です。
「細うどん」の文字が『細雪』にも通じて、
なかなか、しみじみとしたわけです。

そういうときって、
意味なく幸せなんですよね。