…というわけで。
「○○の正体」と銘打ったタイトルは、本や雑誌、そしてTV番組では「○○の秘密」や「○○の裏技」に匹敵するくらい、珍しくない。
で、読んで「どこが正体やねん!」と腑に落ちない思いをしたことも、また、珍しくない……はずだ。(「裏技」には感心することがあるけどね)
それが記憶や偏見に基づいた“正体本”への評価だった。
この本もまた、その類(たぐい)だろうと思っていた。何しろ素材があの「吉本」である。まず、お笑いや演芸という掴みどころがなく、時代の流れに影響されやすい“商品”を扱う会社に「正体もへったくれもないやろ…」という先入観があった。だから結局は「正体のわからない会社でした」という“オチ”で当然だと考えていた。
「○○の正体」という場合、「○○」にあたる対象が清く正しく高潔であればあるほど、「正体」とのギャップの大きさでインパクトが増幅される。そのうえ、最近は清純に見えるアイドルが実は元ヤンキーで…くらいのギャップではほとんどインパクトはない。なのに、その正体を暴かれる対象が「吉本興業」。ちょっとやそっと「エゲツナ~」(岡八郎さんを思い出して読んでください)な“素顔”が見えても驚かない…というのは少なくとも関西で生まれ育った人間のフツーの感覚である。
しかし、違った。
足かけ6年に及ぶという取材を通じて、関西の人間にとってはなじみ深いけれど得体のしれない会社の“意外な”正体をかなり明確に浮き彫りにしているのだ。
それは後述するとして、まず、この本は多様な「顔」を持っていることも書いておかねばならいない。
エンターテインメントをテーマにしたビジネス書であり、明治以降の上方芸能史の研究書であり、そして、ひとつの企業の人間関係にまで踏み込んだドキュメンタリーであり…そして、これがかなり大切なのだが、理屈なしに楽しめる娯楽本である。
それらの「顔」がさまざまに折り重なって吉本興業の“素顔”を描き出している。
同書がハードカバーで初めて世に出たのは2007年4月で、今回取り上げた、この文庫本になったのが今年(2015年)6月である。
当初のハードカバーの内容に手は加えられていないそうで、当時のままだからこそ、文庫化までの8年間で、中身の価値はさらに高まったと感じた。
吉本興業は07年秋に持ち株会社制度を導入し10年に株式上場を廃止、現在は民放のキー局などが主要株主になっている。12年には創業100周年を迎えているが、非上場になったことで、経営の数字は見えにくくなり、その“正体”はさらにわかりにくくなった。しかし、この本が当時の状況をありのままに伝えていることが風穴となって外界との接点になっている気がする。
明治末期からの2007年までの「吉本」の歴史の再現もしている同書は出版時の、この会社が持っていた将来展望も描いている。それがインターネットの普及・発展によるプラットホームの多様化に対応したメディア展開の拡大だった。
同書の最初の方にその下りがあるが、テレビの威力が現在も、それほど衰えていないこともあるのだろうか、「吉本」の多メディア展開は大きくは目立っていない。その原因は何なのか?…当初、その理由をあらためて探るのがページをめくる動機になった。
しかし、そんな動機は読み進むうちに忘れてしまった。「吉本の正体」が見事にあぶりだされていくからである。
そのひとつが元フジテレビの名物プロデューサーで1995年に「吉本」に迎え入れられた横澤彪氏の言葉である。
「吉本って会社は組織じゃないんです。戦略がありそうで、実はそんなの存在しないのが吉本です。……中略……普通、求心力のあるトップや実力派社員がいなくなると組織ってのはガタガタになったり、ざわついたりするもんだけど、吉本にはそういうのがない。十年一日の如く、平気な顔で仕事してる。……中略……こんなの世間でいうところの組織論としては絶対に通用しなんだけど、立派に通用しちゃうのが吉本なんですよ」
プロデューサー不在の「吉本」の体質を指摘して、同様のことを言う社内外の人間の声は、これ以外にも同書のあちらこちらに見られる。
浮き沈みの激しい芸能の世界で100年以上も続いてきたのは普通の組織ではなかったからだ…と分析しているようでもある。
ところで、インターネットの思想の基本は「自立・分散・協調」であり、最善は尽くすけれども保証しない「ベストエフォート」である。だから、それぞれの情報の結節点(ノード)をつなぐラインが分断されても全体として情報の行き来は阻害されない。つまり攻撃されればシステム全体の致命傷となる中心のないシステムなのである。
どこか「吉本」の在り方と似ていないだろうか?
彼らはインターネット上での活動を志向しながら、自分たちで、その姿を体現してしまったかのようだ。もちろん「吉本」の行動原理の方が先なのだろうけど、インターネットの発展が、その行動原理の優位性を証明したと言えるかもしれない。
一方で、同社のウェブサイトを見ると、上場廃止以降…。
<大阪難波に「NMB48劇場」「5upよしもと」をオープン><京都に「よしもと祇園花月」をオープン><福岡県北九州市小倉に「あるあるYY劇場」をオープン><香港の衛星チャンネル「吉本東風衛視」を運営開始><「よしもとロボット研究所」を設立><沖縄県那覇市に「よしもと沖縄花月」「沖縄おもろおばけ屋敷」をオープン>…とほんの一部をひろっただけでも、活動の「点」を各地に拡大している勢いが伝わってくる。
それぞれの「点」が中央集権的な「中心」からの指示ではなく自律的に動いているのだとしたら、大きな経営方針のひとつやふたつ間違って「吉本」が打撃を受けようと、どれかは必ず生き残り、そこから、また、別の点が生まれていきそうな勢いがある。
また今後、マスメディアの状況がどのように変貌しようと対応ができるに違いない。つまり「平気な顔で仕事してる」のである。
こんな不死身の生命体としての顔が「吉本」の正体なのである。それを丁寧に証明しているのが本書であると書けば、ネタバレのように思われるかもしれない。しかし、あの会社の「正体」はそれだけではない。まだ、書かれている500分の1も説明できていないのだ。この数字にも根拠がある。同書の本文は約500ページ。僕が書いたことは、この本のせいぜい1ページ分だということだ。
ちょっとした雑談にも使える芸能ネタも多いし、ビジネスのヒントも満載なので、正直のところ、あまり他人には読んでほしくないくらいの本である。
(元記事は2015年8月21日「産経関西」掲出)
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