2015-06-14

ウォーレン・バフェットの失敗

『チャールズ・エリスが選ぶ「投資の名言」』(日経ビジネス人文庫)には、
投資持株会社であるバークシャー・ハサウェイの筆頭株主で、会長兼CEOの、ウォーレン・バフェット(Warren Buffett、1930年~)のエッセーが2つ掲載されています。

バフェットは、
長者番付の「フォーブズ400」の常連なので、
名前くらいは知っている方がほとんどだと思いますが、
世界的にも一番とか二番とかいう金持ちです。

amazonの本のカテゴリーで「バフェット」を検索すると220件ヒットしました。
「村上春樹」では1130件なので、
「バフェット」の220件が多いのか少ないのか僕には判断できないのだけれど、
まぁそこそこの数字なのだと思います。
つまりあやかりたい人間は少なくないということです。

僕もバフェットがチェリーコークを一日に何本も飲むと聞いたので、
輸入雑貨店で買って飲みましたが、
金持ちになったという実感はありません。
日本ではチェリーコークが、
期間限定販売とか、
並行輸入でしか手に入らないので、
一日に何本も飲むというのは簡単じゃないですし、
何よりも、
僕は甘い飲み物があんまり好きではないので、
頑張っても一日1本ですね。

本題に戻ります。

この本に収録されているバフェットのエッセーのひとつが、
「二五年間の失敗」というタイトルです。
執筆当時、バフェットはバークシャー・ハサウェイのオーナーとして企業を買ったり経営したりして25年。
その経験を振り返って、
「要するに、収益力の低い企業を安値で買うよりも、素晴らしい会社をそれなりの値段であっても購入するほうがよいということだ。このことに気づくまでしばらくかかった」と書いています。

要するに掘り出し物はない、ということですね。

それから、
「優秀と言われる経営陣が悪い企業を立て直そうとしても、たいていは失敗する」そうで、
「私の最も大きな発見は、ビジネスにおいては、いわば『組織が本質的に持つ欠陥』とでもいうべきものが圧倒的に重要だということである…中略…むしろ、合理的な経営判断などというものは、『組織の欠陥』の前にはひとたまりもないようだ」と述べています。

簡単に言うと「アカン組織はどうしてもアカンねん」という身も蓋もない話ですね。

理由の筆頭に挙げられているのが、
「組織はどんな変化に対しても常に抵抗する」ということ。

そういう意味では、
どう見ても「アカン」組織が大した変化もなしに復活したかのような姿になった場合は要注意ということかもしれません。

これは企業などの組織だけではなく、
業界全体でも言えることかもしれませんね。
もしかしたら「国家」についても…。

バフェットの“反省”は、
「アカンもんは抵抗勢力を排除して変化しないと立ち直らない」という教訓としたいと思います。

それから興味深いのは、このエッセーの締めくくりです。
バフェットは、
「二五年間の失敗について話してきたが」、25年後に「同じように過去五〇年間の失敗について話してみたい」と語っています。

その25年後というのが今年2015年です。
ネットで調べたところ、該当する文章が見つかりませんでした。
どんな「失敗」が語られるのか楽しみです。

2015-06-13

明るい光のもとでこそ眼を凝らさなくてはいけない

太宰治の「右大臣実朝」(新潮文庫『惜別』所収)の一節によく引用される有名な一節があります。

“アカルサハ、ホロビノ姿デアロウカ。人モ家モ、暗イウチハマダ滅亡セヌ。”

…作中の「語り手」が実朝が独りごちたとして紹介する言葉です。

1978年3月から1979年2月にかけてテレビ放映されたアニメ『宇宙海賊キャプテンハーロック』(原作:松本零士)の最終回でも、使われていたそうです。

最近では、
2011年の東日本大震災のあとに、
個人のブログなどでの引用が目立っていました。

この言葉が出てくる前に作品のなかでは、
「平家ハ、アカルイ。」という部分があります。
その流れのなかで明るさの象徴としての“驕(おご)り”と平家の滅亡が重ねられて、
多くの人がこれまで様々な思いや考えを語ってきました。

ここでは、
全く趣向の違った解釈でも示せれば、
面白いのですが、
残念ながら、
僕にはそこまでの才能がないのか、
これと言った斬新な切り口ができません。

だから、
ここでは凡庸なことを書きます…と言い訳をしておきます。

僕は明るさというと、
太陽の光と乾燥を連想します。
それから影です。

影や陰というのは一種の暗さの象徴ですよね。
「影が射(さ)す」といえば、
よくないことが起こる前兆です。

でも光と影は本来は一対のものでしょう。
陰陽論ではないけれど、
両方があってバランスがとれているのが本来の姿というわけです。

たとえば舞台の照明は、
影ができた部分の別のライトを当てれば、
影をステージからほとんどなくすことができます。
その分、客席は暗いですから、
会場のなかはバランスがとれていることになります。

影が想像できないような砂漠ですら、
夜になれば暗くなります。

世界各地を支配下に置き、
24時間、日が沈まない「帝国」っていうのも歴史上は存在しましたが、
今は過去の“栄光”です。

影を排除すると、
潤いがなくなって干からびて痩せていくのが道理です。

本来は暗いところで、すべき行動や、
暗い所に置くべきものに光を当てるのは、
あながち悪いとは言えません。
一時的には刺激になって、
活性化することはあるかもしれません。

でも、
白日のもとに晒(さら)しておくことが常態になってくると、
それはいくら瑞々(みずみず)しく見えたとしても、
乾物(ひもの)にしかすぎないのでしょう。

乾物がダメというのではなくて、
干したスルメが生きているイカとは違うということです。

「文化財」であったり、
「陰謀」であったり、
宗教的な「秘儀」であったり…。
さまざまなものが想定できますけど、
つまり闇のなかに封印されていたものが白日のもとに晒されたとき、
それは、
そのものの本来の姿なのかどうか。
色々なことが情報化されて、
デジタルデータとして拡散していくなかで、
そのような光の下にある「姿」は闇のなかにあったときと、
「かたち」や「性質」が違う可能性があることを、
僕らは忘れてはいけないだと思っています。

もしかしたら、
影のないステージの上の「劇」を見ているだけなのに、
あまりにも明るく色んなものが鮮明なので、
「真実」のように見えるだけかも。

2015-06-12

憂患と安楽

中国・戦国時代(紀元前403~同221年)の儒学者、孟子の言葉に、
「憂患に生き、安楽に死す」というのがあります。

守屋洋著『中国古典 逆境を生き抜くためのすごい言葉一〇〇』(角川SSC選書)によると、
「心配や悩みがあるからこそ生き残ることができる。安楽にひたっていたのでは破滅を免れない」ということだそうです。

最初に読んだとき「逆と違うのん?」と思いました。
心配や悩みは身心にも悪いと聞いていたし、
「新約聖書」にも「思い煩うな」と書いてあります。

でも、
考えが変わってきました。
30歳前後から身心の不調に悩んで、
まさに憂患の日々を送ってきました。
でも、
45歳くらいから、
いろんな事がが好転して楽しく生きられるようになったのだけど、
この安楽を守ることを考えるようになってきた気がしています。

50を越えれば、
体力も落ちるし、
それはそれで仕方ないのかも、
とも思うのですが、
このままだと生き残るための「勘」が鈍ってしまいそうな気にもなってきたんです。

取り越し苦労の必要はないでしょうけど、
問題の大小を正確に判断して、
正しく心配する、正しく悩むことは必要に違いありません。

つまり今、現実にある「危機」を正確に把握して、
対応を自分なりに考え実行することが大切なのは言うまでもない。

他人任せの安楽は破滅への道なんでしょうね。

なんだか説教臭いですね。

自分に説教しているのですから、
それも当然だということで!

2015-06-11

男のねたみ 女の自信

朝日新聞デジタルの「(異才面談)脳科学者・中野信子さん 脳から考える、男女の差・起業の差」(2015年6月8日)によると…。

「脳科学的には、リーダーは男と女、どちらがいいですか」という質問に対して中野さんは、

「時代や経済環境でいちがいには言えないです。英科学雑誌ネイチャーに2006年に載った論文によると、ねたみ感情は男のほうが強くなる。外部との争いがなく、組織をまとめるときのリーダーは、男性にあまり向いていないでしょう。『あいつは同期なのになぜ社長なのか』といった感情が生まれると、組織はばらばらになります。男同士では組織内で足の引っ張り合いが起きかねません。性別が異なるほうが、ねたみは少ない。男性と女性を交ぜたほうが、組織内の対立は緩和されるでしょう」

…と答えてらっしゃいます。

「外部との争いがなく、組織をまとめるときのリーダーは、男性にあまり向いていない」ということは、既得権があってビジネスモデルが安定している会社や公務員の世界のリーダーっていうのは男には向いていないということになるかしらん。

だからやたらめったらポストがある会社とか、
高級官僚の世界では同期が事務次官になったら、
退官するとかいうようなことがあるんでしょうか。

ただ「あいつは同期なのになぜ社長なのか」って、
そもそも社長の椅子の争奪競争に参加している人間なんてそんなにいてへんやろっ!ってツッコミをいれたくなります。

大企業で銀河系の星の数ほど子会社があるようなケースはまたニュアンスが違ってくるんでしょうけど…。

一方で、
「リーダーは無理」って自覚しているヒトもいますからね。
ちなみに僕です。
みんなで一緒に同じものを食べたり、同じことをするのが苦手で、
小学校のときは給食や運動会、遠足が苦痛でした。
つまり集団行動が嫌いなんで、
いろいろと他人の指示することに向いていない。
好き放題できる独裁者ならば大丈夫じゃないの?―という意見もあるでしょうけど、
やったことがないし、
これからなる予定もないので、
何ともいえません。

とはいえ、
「ねたみ感情は男のほうが強くなる」っていうのはわかる。
これはリーダー指向云々に限りませんもんね。

厳密にいえば、
男女の比較ではよくわかってなくて、
自分に照らしあわせてのことです。

もう朝から晩まで、ねたんでいる気がします。

たとえば、
出勤前に時計代わりにつけているTVでCMに西島秀俊が出てくると、
「ええよな、男前やし、国立大学に入ってるし、お腹でてないし…」とか。

通勤電車のなかで、
男子大学生が女子大学生と楽しそうに話していると、
「そういえば二十歳(はたち)前後の女の子と会話するなんて、
コンビニやカフェでバイトの女の子に注文するときぐらいやで」とか。

会社の帰りに居酒屋に行ったら、
注文したカウンターの隣の客の冷奴のほうがちょっと大きいとか…。

なんかもう僕のアイデンティティは、ねたみで成立しているみたいな…。

世間では、
こういう男を、
「女の腐ったみたいな奴」とも言いますね。
だいたい、これを男に言うのは女性が多いような気がしますけど、
この場合、
「僕が女の腐ったみたいな奴やったら、
あんたは、単に腐った女や」と言い返しますね、
もちろん心の中で、
それも蚊の鳴くような声で…。

男の方が女より、ねたみ感情が強いのだとしたら、
それはたぶん、
自信がないからでしょうね。
他人からどう扱われているか、
どのように評価され、
どんな地位にあるかでしか、
自分を評価できないからではないでしょうか。

女性にも、
もちろんそういう部分はあるでしょうけど、
評価される基準のバリエーションが豊富なので、
敗者復活みたいなことが男より簡単なのかもしれません。
他者の客観的指摘を、
単なる悪口だとが、
誹謗中傷だと、
はねつけることができる力は男性より強いかも。
ぶれない・揺るがない…。
で、ぶれても揺らいでも開きなおれる…。
「私がバイブルなのよ!」って判断基準も盤石です。
(…以上、あくまでもそういう方が少なくないという推定です)

本来、文章の基本としては、
ここに、
その具体例をいくつか示すのが基本なんですけど、
一部の女性から、
「それが女をバカにしてるっていうんだよ」とか、
「女性蔑視の裏返しだ」とか、
「だから、そんなに加齢臭がするんだよ」とか…。
ボコボコにいわれるかもしれないんで、
やめておきます。

2015-06-10

バルブという蹉跌

ザ・デュアル・ロール・オブ・ボブ・ブルックマイヤー
とうとうやっちまっった…。
心配はしていたんです。


一線を越えてしまった…かも…。

僕はですね。
スライド管があって、
伸縮自在なのがトロンボーンの神髄だと思っています。
伸び縮みしないものは、
トロンボーンじゃないというのは教義だと考えるほどの、
「伸縮自在教」の信者だと自認しています。

だから、
ピストンバルブがついて、
スライドが伸び縮みしない、
バルブトロンボーンなんていうのは、
邪道の極み!
「テナーバス・トランペットと名乗りなさい」という感じで指をさして、
トロンボーンの王国からの追放を宣言したいほどでした。

「でした」と、過去形になるのは、
その教義を守らず、
ついに異端の道に足を踏み入れてしまったからです。

あれほど、
目をそむけていたボブ・ブルックマイヤー(Bob Brookmeyer)=1929~2011年=のCDアルバムを買ってしまったのです。ブルックマイヤーといえば、
バルブトロンボーン。
ジャズでバルブといえば
ブルックマイヤーという感じでしょうか。

場所は大阪・日本橋のディスクピア…。
仕事からの帰りでした。
魔がさしたというのか、
気がついたらレジで「ザ・デュアル・ロール・オブ・ボブ・ブルックマイヤー(The Dual Role of Bob Brookmeyer)」を手にしていました。

たとえば、ジャズトロンボーンのジャイアンツの代名詞のひとりとも言えるJ・J・ジョンソン(1924~2001年)なんて、
スライドさばきが速くて、
アルバムのジャケットにわざわざ「バルブトロンボーンじゃありません」と但し書きがあったほど。

ハンディキャップともいえる、
伸び縮みを克服、
スピード感もアピールして
生き残り、
一音一音を切らないグリッサンド演奏では管楽器の頂点に君臨してきたわけですよ。

僕みたいなトロンボーン信者にとっては、
伸縮するスライドは教義のシンボルなわけです。

そもそも僕はF管がついてレバーで息の通り道を変えられるテナーバスや、
ロータリーバルブなんかがついたバストロンボーンですら、
“純血”のトロンボーンじゃないのでは、と考えるときがあるほどの人間です。
シンプルさを極めたテナートロンボーンが楽器のなかで一番美しいと信じて疑わない人間です。

しかし、
意識のどこかで、
隠蔽された欲望のように、
バルブトロンボーンという異端への興味が息を潜めていたんでしょうね。

それがきょうの梅雨の晴れ間の開放的な空気のなかで、
するスルっと、
ちょっと油断した隙に、

漏れだしてしまった。

ディスクピアのことはほとんど記憶にありません。

「1944円です」と店員さんに言われて、
我に返りました。
老眼のせいで、
「税込み1800円」が、
「1000円」に見えていたことに、
そのときにやっと気づいたほどだったのです。

たぶん何かが僕に憑依していたのです。

CDが入った鞄を隠すように家に帰り、
震える手で、

パンドラの箱をあけるかのごとく、
CDをプレーヤーにセットしました…。

1954年と55年の録音ですけど、
ジャケットの、その数字が見間違いかもと思って見なおしたほどでした。

1950年代といえば、スィングに対抗するかたちで勃興したビバップから、クール・ジャズ、ウエストコースト・ジャズ、ハード・バップが登場したいわゆるモダン・ジャズの流れができる過渡期です。

現代のジャズの典型的なイメージの曲の勃興期ですけど、
抑制の効いたコンテンポラリー性っていうのか、
前衛的な感じと、
ポピュラーな空気が絶妙です。

ファンが多いはずですね。

とはいえ、
バルブトロンボーンをトロンボーン族だと、
認めたわけではありません。

ただ、音だけ聴くと完全にトロンボーン。
これを偽装とみるか、
自然に受け容れるか…。

とりあえず、
あれはバルブトロンボーンという種類楽器だということにしておいて、
トロンボーンかどうかは検討のため保留します。

やはり状況に応じて教義の解釈も状況に合うようにしていかないといけないのかも。

まぁ、同じ「金管族」だというところまでは間違いはないのだけど。