目はもう完全にサカナと違うやろか、と感心するほどで…。
今朝も、もうポロポロポロ落ちまくりました。
日本経済新聞(2015年11月30日付朝刊)で洋画家の絹谷幸二さんが執筆してらっしゃる「私の履歴書」に、こうありました。
「『美』という字は、羊が大きいと書く。羊の毛、肉や乳は、人を凍えから救い、生存を保証してくれる。美しいものとは、何より命を守ってくれるものなのである」知ってましたか? 僕は全然知りませんでした。
「命を守ってくれるもの」という表現も比喩ではありません。
絹谷さんは「絵を描けばパンの1切れ、歌や踊りを披露すれば投げ銭を得ることができる。ナチスに迫害されたユダヤ人たちは、絵の1枚、彫刻の1つを携え、新天地での生活を築いた。芸術は、その日食べなければいけない命を支える最後のリスク・マネジメントの手段なのである」と述べています。
そして「しかし日本的な思考は、住む家もないのだからと文化・芸術を後回しにしてきたように思う」と指摘しています。
今、大学では「文系」ですぐに役に立たないような学部は縮小の方向にあるみたいなことが耳に入ってきます。一方で、アニメやマンガなんかの“おたく文化”はカネになるようになってきたからっていうんで、一時期“国立漫画喫茶”みたいなものが構想されましたけどね。
「『文系』なんか役に立たないわ」みたいな発想があるうえで、いくらアニメやマンガを国が産業として振興したって、今後が続かないのは目に見えてます。これまで培ってきたものを食い潰すことになって発想が逆ですもん。
「文系」とか「理系」とかいう分け方もどうかと思うけど、目先のことばかりを考えて「美」をないがしろにしていると「命を支える最後のリスク・マネジメントの手段」の多様性が失われてしまいます。
日本という国の役人や政治家って国民を丸腰にしたくて仕方ないのかしらん。
「人はパンのみにて…」とか「空の鳥を見よ」「野の花を見よ」なんていう「新約聖書」のいろんな節もアタマに浮かぶけれど、
梅棹忠夫先生(1920~2010年)の…
「請われれば一差し舞える人物になれ」
…という言葉があたらめて胸にしみます。
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