2015-07-24

インターネットの子供

2005年5月に動画共有サイト「youtube」のベータ版が公開されたそうです。
それから10年。
もうyoutubeは世界各国で、
なくてはならないインフラサービスのひとつと言っても過言ではありません。
もちろん、政策として視聴不可の国があったり、
まだ通信環境が整っていない地域もあったりするでしょうが、
「テロリスト」が反抗声明を出すほどの訴求力の大きいメディアであることは疑いありません。

2015-07-23

「影武者」がいらない日本

スマホからyoutubeへの動画のアップロードも簡単にできるし、
今、ビデオって、とても身近なものになりましたよね。

ちょっと強引なんですが、
ビデオと言えば、
黒澤明監督の『影武者』です。
「落ち武者」じゃないですよ(NHK連続テレビ小説「あまちゃん」を観てたヒトだけ少しニヤッとしてください)。

何の話かというと、
もともと主役は勝新太郎だったのに、
勝さんが自分の演技を撮影するためということで、
ビデオカメラを持ち込んだら、
世界のクロサワが激怒して、
主役が仲代達矢に変わってしまったというエピソードです。

今から考えると、
勝さんのビデオ撮影が許されていたら、
ものすごく貴重な映像資料になっていたはずなんですよね。

それに降板もなくて、
勝版『影武者』も完成していたわけですし…。

2015-07-22

「ジャズでなくJAZZを」關基久さんを偲ぶ

キーボード、ベース、サックス、トロンボーン…。出棺はJAZZで
JR西宮駅を出て梅雨が戻ってきたような蒸し暑さのなかを傘をさして、葬儀が行われる西宮山手会館へ向かっているのに、
大阪・梅田のジャズクラブ「ロイヤルホース」に向かっているような錯覚におちいりました。

オーナーの關基久(せき・もとひさ)さんが「いらっしゃい。雨のなかスンマセ~ン」と笑顔で迎えてくれるような気になったからです。

しかし、葬儀場に着いて遺影を見て現実に戻されました。

「やっぱり本当やったんや…」

訃報に呆然したのがきのう(7月21日)の早朝。出勤前でした。

亡くなったのが20日で、
翌21日が通夜、22日が葬儀とのことでした。

17日にベトナム旅行から帰国されてから、
体調を崩していたのに仕事をされていて、
心不全で亡くなったそうなんです。
亡くなる前日朝までFacebookで、
9月7日に開くライブの告知をされていたんです。

歌手のCHAKAさんも友人代表のひとりとして、
お別れのあいさつをされました。
「關さんに迷惑をかけないように頑張ってきたけど、
もっと甘えればよかった」という言葉が印象に残りました。

2015-07-21

池上彰的になものには用心…。

物事をわかりやすく説明するということが重視され、評価されています。
ただ、積分について、
円の面積や、三角錐の体積の求め方で、
説明されてわかったような気になっても、
全く応用できないうえ、
実はわかっていないのは明白です。
そして、わかる、わからない以前の問題で、
その説明が厳密には正しくない蓋然性も高いといえます。
でも、わかりやすく伝えていると評価されている例のなかには、
同様の例があって、
わかりやすいだけで、
本当は説明になっていないこともあるような気がしています。
わかりやすい単純なものには、
そんな危険もあることを肝に命じたいです。
やはり、難しいものは難しいです。
もちろん、
簡単なことを難しく説明するのは、
もってのほかですが…。

NHK出身のジャーナリスト・池上彰さんの人気は衰えません。
世の中のことをわかりやすく伝えるということの大切さが裏付けられています。

確かに、
世界の情勢を伝える新聞やテレビのニュース記事が、
毎度、基本的なことから説明して報道していたのでは、
本題の「ニュース」にたどりつくまでに、
多くのヒトが別の記事に目移りしたり、
チャンネルを変えたりするでしょうから、
まず、基本の知識を知っておくということはとても大切です。

でも積分について、

2015-07-20

「安保関連法案」より大事なことがありますよね

『江分利満氏の優雅な生活』は山口瞳(1926~95年)がサントリー在職中の1963年に直木賞を受けた小説です。

この中で東京六大学野球の全盛時代だった昭和12(1937)年当時を思い出すシーンがあります。

「昭和12年の大学生は、昭和12年の日本について何を知っていたのだろうか、君たちの力で戦争を止めることはできなかったか。そりゃ無理だよ。そんなことが出来るワケがない。昭和の日本では戦争は避け難い。

 それじゃ学生は浮かれていたのだろうか、絶望していたのだろうか。それもわからない」

結局、何もわからないんですけど、印象に残っている部分です。

この小説は『婦人画報』に1961年10月号から翌年2月号に連載されています。

まだ東海道新幹線も走っていない。東京五輪の前。高度成長期のちょうど真ん中あたりです。

終戦からは15、6年後で、もう戦前のことはわからないわけですね。